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◇一章後編【禍群襲来】
一章……(完) 【決着】
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◇◇◇
甲高い鳴き声が響き、重い目蓋を開いた。
意識は撹拌でもされたように混濁、頭の中はとっ散らかっており。もうまともには機能してくれない。現実が現実であると確証を持てなくて、砂嵐と雑音にまみれた映像を遠目に観ているかのようであり。事柄の認知が思うようできない……。
しかし、しかしだ。ほぼ壊れつつも、だからこそ消えかけの焔が最後に激しく燃えるように。壊れた箇所がまだ生きている機能に残った力を充てるように。普段より研ぎ澄まされた五感の一部。
耳を潜めると、雑音という隔たりの先。遠くより『リンリ』『りんり』と続けて誰かが誰かを呼んでいる声。はて『りんり』とは誰の事だっただろうか。いったい自分が何者であったかを……数秒もかけてようやく思い起こしたリンリ。
視界と聴覚以外は壊れているが、もういい。
目の焦点は定まっている。砂嵐なんて実際は存在していないのだから、視界を広げろ。
──見届けなければならない、から。
そうさ。自分にはその責任がある。ともすれば、自分は事態を引っ掻き回してしまったのだから。
恐ろしい厄災鼠を前にして、最大限に最善で最良の結果を得ようと命を掛けた。安易な行動が、是か非であったか今の時点では判断できない。そうして、もっと賢く上手く立ち回れたら良かったけれど。ここがリンリという人間のたどり着いた場所。後悔や迷いを置き去りにして、必死に活きて走り抜いた終着点。せめて見届けなければ……。
さながら洗濯した衣類のよう、リンリは樹木の太枝に“くの字”で干されている。自然と見降ろす地上には未だに褐色の鼠達が乱れ蠢いていた。
いや。蠢いているが、乱れてはいない。鼠達は崖側に向かい半円形の陣を敷いて。数百だか千だかの残った個体で“対象”へ順に飛び掛かり、取り付き、牙を立てて。群れにとっての“外敵”に応戦していた。
──鼠達にとっての外敵とは、一人の童女。
彼女が白かった着物を紅く染め、あの巨躯の禍鼠を崖側まで追い詰めている、目を疑う光景。
無数の鼠達は連携し、親である禍鼠の身を解放しようとしているのだろう。数の暴力で試みている。そんな有象無象を意に介してなどいないココミは崖の岩肌と両腕で禍鼠の巨躯をなんとか押さえ付け、その首根っこに浅く食らい付きその場に留めている。
ココミはそこから、やろうと思えば容易に弱った鼠の息の音を止められるだろうに。でもどこか躊躇っている風で、決着をつけようとはしない。それをせずに己の身体を這い回る鼠達の攻勢を受け、親である禍鼠の抵抗を鋭くなった爪と牙で押し込めている様子だった。
──親である鼠を殺せば、周囲の鼠達が散り散りに逃げ出してしまうからだ。
そうなると厄災の端片が落ち延びて、また何処かで誰かに被害をもたらすと知っている故に。だからこそ安易には禍鼠の命を奪えない。悪辣な仕組みを、如何にかして断たなければ全て二の舞。かといってこのまま現状維持で済むというわけにもいかず。
──凡世覆軍の鼠。各々一匹ずつが厄災の一片たる鼠達も愚昧ではなかった。
数分の攻防の末、鼠達は匙を投げた。ココミがとても頑強であって、いくら残った総個体で力を合わせたとしても『太刀打ちできぬ』と見たか。
一斉にぴたりと静止。端から端へ波が流れるように動きを止めて鼻先をひくつかせると、あれよあれよという間に身を翻して逃走を始めてしまう。
なんたることか。しかし既に勝敗は決した。
数分とはいえ、時間は十全に過ぎるほど稼いだ。
鼠達は匙を投げるのが、
敗走を選択するのが些かなり遅かったのだ。
そうして、いざ身を翻してみて鼠達はさぞや慌てた事だろう。森の一角を囲む天然の壁、先程まで“存在してはいなかった”茨の低木と蔦の網に退路を阻まれてしまっていたのだから。
──容易ならざる厄災との一件。リンリが親父《ケンタイ》から引き継ぎ、繋げた役目。多くの人に出逢え、支えられ、助けられたからここまで走れた。きっとリンリ最期の大仕事。ともあれ事態は遂に結実した。
……向こうから、駆け付けてくれたから。
「我は統巫。系統導巫──。
此土に普く、生きて、逝きて、行き続ける諸行無常なる命の系統を導く巫。巡る命の在り方を司る彼ノ者の代行。……系統導巫のハクシなりっ!」
真打ちの御臨場だった。
ハクシの名乗りが響き渡る。
こと系統導巫の権能の現出だ。
「生き、逝き、行き続ける幾多の命よ! 其の辿り、至り、語りし系統よ! ……我は天津に、系統の導きの任を授かり、継ぎ、担う存在! 系統導巫なり。いと尊き主、彼ノ者よ。ここに畏み奉り申す。生命の系統よ介意せよ。あまねく伊吹よ結い紡ぎ縫じて。我が声に、我が呼び掛けに、我が権能に呼応し顕現せよ!」
ハクシは抜き身の小刀を構えて。
足元に茂る草葉に、刀身で弧の跡を描いた。
それが契機とばかりに。術は重ねて生命へ及ぶ。低木の茨と蔦の網は結合し、複雑に組み合わさり。より堅牢強固な天然の檻壁を成す。
鼠達は我先にと檻壁をよじ登り、茨が鼠返しの役割をすることによってはね除けられて。
ならば牙で穴を開けようと試み、傷付けても直ぐさま再生する網に頭部を巻き込まれ潰される。
最寄りの樹木に近寄ると、木の根が突き刺さる。
地面を掘っても、地中から植物の根が突き出る。
崖側の岩肌を伝い逃げようとしても、その頃にはとっくに全方位を翠色に囲まれていた。
リンリもその翠色の内に居たのだが、忽然と身体が宙に浮く。遠退く地上を納めた視界のまま、頭上から羽ばたきの音と共に、紅い羽根がひらり舞い落ちていった。正体はサシギか。彼女は、リンリの着物を足爪で掴んで空へと連れ出したのだ。
リンリはそのまま檻壁の隔てを越えて運ばれ。
降下し、それほど高くない位置で離されると。示し合わせて待機していたのか、安全な場所で両の腕を広げたシルシに受け止められる。
「……まったくに。リンリ。お主は、紛うことなき正真正銘のド阿呆じゃな……。非常を報せる狼煙に、慌てて駆けてきたソラの報告。皆どれだけ案じたと思っておる。帰ったら皆でながーい説教じゃ……。だがのぅ、うぬ。よくぞ生きておった」
目元の涙を拭うシルシ。
「なんじゃ、まだ無事じゃろう? こんなこっ酷くズタボロの姿であるが……お主は、まだこんな所で逝ったりせぬよな。何か、言うてみい……」
リンリは強く揺すられて、笑みを浮かべた。
何か言って安心させたかったが、叶わなかった。
「……お主は、しばし休んでおれ。系統導巫にその使従、皆で掛かれば鼠退治なぞ昼飯前じゃ!」
……後は、彼女達に任せて。少し、休もう。
お言葉に甘えて、身体から力を抜くリンリ。
運んできた荷物を離し両足が空いた紅鳥は、旋回しながら一鳴きして地上に合図を送ってくる。それにシルシは応え。リンリの身をその場で寝かせると、すぐ傍らに置いて有った弓を上に向かって投げる。
「ほれ。サシギ、受け取ってくれっ!」
続けて、矢筒より取り出した一本を投げて、
「特製の鏑矢。手持ち最後の一本じゃ!」
弓と矢を共に、サシギは足爪で掴み取った。
「それと、茵……ぬ、間違えた。主に可燃性の素材をたっぷり詰め込んだ布袋じゃ。布袋に向かって、その焔硝入りの仕掛け鏑矢を放ち、鼠達にきつーい沙汰を下してやってくれぃ!」
更に続けてシルシから投げられた布袋も、サシギは空中で咥える。全てを受け取ると鏑矢を弓の弦に宛てがって、その状態を両足を使って保持し。これで必要な準備は済んだとばかりに、彼女は大きく羽ばたいて身体を舞い上がらせて行く――。
――リンリはそれを見送って、寸時の先。
ココミは飛躍し、崖上に逃れ。紅鳥の引き絞った強弓より一矢が放たれた。
翠色に囲われておった領域が、轟音と振動を重ねて爆ぜる。目を眩らませ、耳をつんざく暴威。
不穏な深靄を晴らして、熱風の一陣が過ぎ去っていった。厄災鼠の群れを飲み込み、翠色で編まれた額の内、渦巻く業火の紅に彩られる世界──。
「…………」
本当に、ようやっと終わったのか。
胸を撫で下ろし、目蓋が落ちてくる。
これにて、リンリの主観は幕を閉じた。
「……統巫屋の皆……みんな。
短い間でしたが、大変お世話になりました……」
視覚と聴覚が死んだからだろうか。
無意識に舌が動いて、言ノ葉を絞り出す。
それよりは言葉を発する事が難しくなり。
せめて、せめてと。心の中で続けるリンリ。
(あぁ、みんなに、出会えて……良かった。
本当にありがとう。お疲れ様でした……俺は……申し訳ありませんが、お先に失礼します──)
目蓋の暗闇を眺め。言い遺して、果てた。
軌跡。追想。道筋。確かに、歩んだ人生。
リンリという人間のあらましは、以上だ。
◇◇◇
現実に回帰せし意識。
自分の目前でハクシは、
──泣いていられなかったから。
「りんりぃッ……あのね……!」
彼女は、強い意を決した表情で真っ直ぐリンリのことを見ると。抑えきれない、堪えきれない涙が自身の頬を濡らして行くのを無視して告げる。
「りんりは──」
続く『言ノ葉』を声として発してしまえば、もう後戻りは出来ない。彼女にとっても彼にとっても。その振る舞いは愚かしく。異成り立ち世の者と契り交わすのは、然るべき約定の形ではない。そも命を次代に繋げる為のものであり、命を繋ぎ留める為のものではない。誤りで、過ちで、違えている。それは此土の定めを狂わせ、望まれた天命から逸す禁忌と成りかねない、罪深き、忌むべき行為に違いない。
だけれど──彼女には関係が無い。
構わない。後悔なんて無い。そう自身の神に、天命にさえ誓えた。故に口を開く。だからこそ彼女は、何一つの迷いすら無くその言ノ葉を紡ぐのみ。
「──或いは、人を捨ててまで生きたい?」
即ち、統巫は番を求めたのだ──。
続けて、約定の言霊を添える。
「──もしも後者ならば、
我は其方に、ツガイとしての命を与える!
お願い、りんり。頷いてっ……!」
──統巫は番を求めたのだ。
…………。
沈黙、無音。静寂の揺らぎ。
吸い込まれそうな琥珀の瞳と見つめ合う。
暫しの沈黙が続く。思考の為ではない、躊躇いがあるわけでもない。単純に自分には意味がよく飲み込めてなどいなかったから。それに、
(このまま、終わったとしても。満たされてる)
満足している。紛れもない本心から。
疑いようのない、心魂からの充実感。
自分という物語は、自分なりに満足の終幕だ。
いや、けれど。だけど、でも。欲をいえば、
(でも、もし。まだこの先も生きれるなら……)
あぁ、そんなこと決まっているでないか、
(わがままが、許されるんなら……)
望みが叶うというのなら、
(……生きたい。皆と、もっと。ずっと──)
自分は、終わりを望む者ならず。
それ故に、承諾する。深く謹んでお受けする。
「──生き、たいさ……俺は……っ!」
青年、リンリはハクシの問いに頷いた。
──その刻をもって、交わされた契りが、願い番ったものが、何者にも冒されない約束が。
彼と彼女にとって、果ては此ノ土にとって“どれほどの意味”を持ってしまうのかを未だ誰も知らぬままに……。
◇ 一章 完 ◇
甲高い鳴き声が響き、重い目蓋を開いた。
意識は撹拌でもされたように混濁、頭の中はとっ散らかっており。もうまともには機能してくれない。現実が現実であると確証を持てなくて、砂嵐と雑音にまみれた映像を遠目に観ているかのようであり。事柄の認知が思うようできない……。
しかし、しかしだ。ほぼ壊れつつも、だからこそ消えかけの焔が最後に激しく燃えるように。壊れた箇所がまだ生きている機能に残った力を充てるように。普段より研ぎ澄まされた五感の一部。
耳を潜めると、雑音という隔たりの先。遠くより『リンリ』『りんり』と続けて誰かが誰かを呼んでいる声。はて『りんり』とは誰の事だっただろうか。いったい自分が何者であったかを……数秒もかけてようやく思い起こしたリンリ。
視界と聴覚以外は壊れているが、もういい。
目の焦点は定まっている。砂嵐なんて実際は存在していないのだから、視界を広げろ。
──見届けなければならない、から。
そうさ。自分にはその責任がある。ともすれば、自分は事態を引っ掻き回してしまったのだから。
恐ろしい厄災鼠を前にして、最大限に最善で最良の結果を得ようと命を掛けた。安易な行動が、是か非であったか今の時点では判断できない。そうして、もっと賢く上手く立ち回れたら良かったけれど。ここがリンリという人間のたどり着いた場所。後悔や迷いを置き去りにして、必死に活きて走り抜いた終着点。せめて見届けなければ……。
さながら洗濯した衣類のよう、リンリは樹木の太枝に“くの字”で干されている。自然と見降ろす地上には未だに褐色の鼠達が乱れ蠢いていた。
いや。蠢いているが、乱れてはいない。鼠達は崖側に向かい半円形の陣を敷いて。数百だか千だかの残った個体で“対象”へ順に飛び掛かり、取り付き、牙を立てて。群れにとっての“外敵”に応戦していた。
──鼠達にとっての外敵とは、一人の童女。
彼女が白かった着物を紅く染め、あの巨躯の禍鼠を崖側まで追い詰めている、目を疑う光景。
無数の鼠達は連携し、親である禍鼠の身を解放しようとしているのだろう。数の暴力で試みている。そんな有象無象を意に介してなどいないココミは崖の岩肌と両腕で禍鼠の巨躯をなんとか押さえ付け、その首根っこに浅く食らい付きその場に留めている。
ココミはそこから、やろうと思えば容易に弱った鼠の息の音を止められるだろうに。でもどこか躊躇っている風で、決着をつけようとはしない。それをせずに己の身体を這い回る鼠達の攻勢を受け、親である禍鼠の抵抗を鋭くなった爪と牙で押し込めている様子だった。
──親である鼠を殺せば、周囲の鼠達が散り散りに逃げ出してしまうからだ。
そうなると厄災の端片が落ち延びて、また何処かで誰かに被害をもたらすと知っている故に。だからこそ安易には禍鼠の命を奪えない。悪辣な仕組みを、如何にかして断たなければ全て二の舞。かといってこのまま現状維持で済むというわけにもいかず。
──凡世覆軍の鼠。各々一匹ずつが厄災の一片たる鼠達も愚昧ではなかった。
数分の攻防の末、鼠達は匙を投げた。ココミがとても頑強であって、いくら残った総個体で力を合わせたとしても『太刀打ちできぬ』と見たか。
一斉にぴたりと静止。端から端へ波が流れるように動きを止めて鼻先をひくつかせると、あれよあれよという間に身を翻して逃走を始めてしまう。
なんたることか。しかし既に勝敗は決した。
数分とはいえ、時間は十全に過ぎるほど稼いだ。
鼠達は匙を投げるのが、
敗走を選択するのが些かなり遅かったのだ。
そうして、いざ身を翻してみて鼠達はさぞや慌てた事だろう。森の一角を囲む天然の壁、先程まで“存在してはいなかった”茨の低木と蔦の網に退路を阻まれてしまっていたのだから。
──容易ならざる厄災との一件。リンリが親父《ケンタイ》から引き継ぎ、繋げた役目。多くの人に出逢え、支えられ、助けられたからここまで走れた。きっとリンリ最期の大仕事。ともあれ事態は遂に結実した。
……向こうから、駆け付けてくれたから。
「我は統巫。系統導巫──。
此土に普く、生きて、逝きて、行き続ける諸行無常なる命の系統を導く巫。巡る命の在り方を司る彼ノ者の代行。……系統導巫のハクシなりっ!」
真打ちの御臨場だった。
ハクシの名乗りが響き渡る。
こと系統導巫の権能の現出だ。
「生き、逝き、行き続ける幾多の命よ! 其の辿り、至り、語りし系統よ! ……我は天津に、系統の導きの任を授かり、継ぎ、担う存在! 系統導巫なり。いと尊き主、彼ノ者よ。ここに畏み奉り申す。生命の系統よ介意せよ。あまねく伊吹よ結い紡ぎ縫じて。我が声に、我が呼び掛けに、我が権能に呼応し顕現せよ!」
ハクシは抜き身の小刀を構えて。
足元に茂る草葉に、刀身で弧の跡を描いた。
それが契機とばかりに。術は重ねて生命へ及ぶ。低木の茨と蔦の網は結合し、複雑に組み合わさり。より堅牢強固な天然の檻壁を成す。
鼠達は我先にと檻壁をよじ登り、茨が鼠返しの役割をすることによってはね除けられて。
ならば牙で穴を開けようと試み、傷付けても直ぐさま再生する網に頭部を巻き込まれ潰される。
最寄りの樹木に近寄ると、木の根が突き刺さる。
地面を掘っても、地中から植物の根が突き出る。
崖側の岩肌を伝い逃げようとしても、その頃にはとっくに全方位を翠色に囲まれていた。
リンリもその翠色の内に居たのだが、忽然と身体が宙に浮く。遠退く地上を納めた視界のまま、頭上から羽ばたきの音と共に、紅い羽根がひらり舞い落ちていった。正体はサシギか。彼女は、リンリの着物を足爪で掴んで空へと連れ出したのだ。
リンリはそのまま檻壁の隔てを越えて運ばれ。
降下し、それほど高くない位置で離されると。示し合わせて待機していたのか、安全な場所で両の腕を広げたシルシに受け止められる。
「……まったくに。リンリ。お主は、紛うことなき正真正銘のド阿呆じゃな……。非常を報せる狼煙に、慌てて駆けてきたソラの報告。皆どれだけ案じたと思っておる。帰ったら皆でながーい説教じゃ……。だがのぅ、うぬ。よくぞ生きておった」
目元の涙を拭うシルシ。
「なんじゃ、まだ無事じゃろう? こんなこっ酷くズタボロの姿であるが……お主は、まだこんな所で逝ったりせぬよな。何か、言うてみい……」
リンリは強く揺すられて、笑みを浮かべた。
何か言って安心させたかったが、叶わなかった。
「……お主は、しばし休んでおれ。系統導巫にその使従、皆で掛かれば鼠退治なぞ昼飯前じゃ!」
……後は、彼女達に任せて。少し、休もう。
お言葉に甘えて、身体から力を抜くリンリ。
運んできた荷物を離し両足が空いた紅鳥は、旋回しながら一鳴きして地上に合図を送ってくる。それにシルシは応え。リンリの身をその場で寝かせると、すぐ傍らに置いて有った弓を上に向かって投げる。
「ほれ。サシギ、受け取ってくれっ!」
続けて、矢筒より取り出した一本を投げて、
「特製の鏑矢。手持ち最後の一本じゃ!」
弓と矢を共に、サシギは足爪で掴み取った。
「それと、茵……ぬ、間違えた。主に可燃性の素材をたっぷり詰め込んだ布袋じゃ。布袋に向かって、その焔硝入りの仕掛け鏑矢を放ち、鼠達にきつーい沙汰を下してやってくれぃ!」
更に続けてシルシから投げられた布袋も、サシギは空中で咥える。全てを受け取ると鏑矢を弓の弦に宛てがって、その状態を両足を使って保持し。これで必要な準備は済んだとばかりに、彼女は大きく羽ばたいて身体を舞い上がらせて行く――。
――リンリはそれを見送って、寸時の先。
ココミは飛躍し、崖上に逃れ。紅鳥の引き絞った強弓より一矢が放たれた。
翠色に囲われておった領域が、轟音と振動を重ねて爆ぜる。目を眩らませ、耳をつんざく暴威。
不穏な深靄を晴らして、熱風の一陣が過ぎ去っていった。厄災鼠の群れを飲み込み、翠色で編まれた額の内、渦巻く業火の紅に彩られる世界──。
「…………」
本当に、ようやっと終わったのか。
胸を撫で下ろし、目蓋が落ちてくる。
これにて、リンリの主観は幕を閉じた。
「……統巫屋の皆……みんな。
短い間でしたが、大変お世話になりました……」
視覚と聴覚が死んだからだろうか。
無意識に舌が動いて、言ノ葉を絞り出す。
それよりは言葉を発する事が難しくなり。
せめて、せめてと。心の中で続けるリンリ。
(あぁ、みんなに、出会えて……良かった。
本当にありがとう。お疲れ様でした……俺は……申し訳ありませんが、お先に失礼します──)
目蓋の暗闇を眺め。言い遺して、果てた。
軌跡。追想。道筋。確かに、歩んだ人生。
リンリという人間のあらましは、以上だ。
◇◇◇
現実に回帰せし意識。
自分の目前でハクシは、
──泣いていられなかったから。
「りんりぃッ……あのね……!」
彼女は、強い意を決した表情で真っ直ぐリンリのことを見ると。抑えきれない、堪えきれない涙が自身の頬を濡らして行くのを無視して告げる。
「りんりは──」
続く『言ノ葉』を声として発してしまえば、もう後戻りは出来ない。彼女にとっても彼にとっても。その振る舞いは愚かしく。異成り立ち世の者と契り交わすのは、然るべき約定の形ではない。そも命を次代に繋げる為のものであり、命を繋ぎ留める為のものではない。誤りで、過ちで、違えている。それは此土の定めを狂わせ、望まれた天命から逸す禁忌と成りかねない、罪深き、忌むべき行為に違いない。
だけれど──彼女には関係が無い。
構わない。後悔なんて無い。そう自身の神に、天命にさえ誓えた。故に口を開く。だからこそ彼女は、何一つの迷いすら無くその言ノ葉を紡ぐのみ。
「──或いは、人を捨ててまで生きたい?」
即ち、統巫は番を求めたのだ──。
続けて、約定の言霊を添える。
「──もしも後者ならば、
我は其方に、ツガイとしての命を与える!
お願い、りんり。頷いてっ……!」
──統巫は番を求めたのだ。
…………。
沈黙、無音。静寂の揺らぎ。
吸い込まれそうな琥珀の瞳と見つめ合う。
暫しの沈黙が続く。思考の為ではない、躊躇いがあるわけでもない。単純に自分には意味がよく飲み込めてなどいなかったから。それに、
(このまま、終わったとしても。満たされてる)
満足している。紛れもない本心から。
疑いようのない、心魂からの充実感。
自分という物語は、自分なりに満足の終幕だ。
いや、けれど。だけど、でも。欲をいえば、
(でも、もし。まだこの先も生きれるなら……)
あぁ、そんなこと決まっているでないか、
(わがままが、許されるんなら……)
望みが叶うというのなら、
(……生きたい。皆と、もっと。ずっと──)
自分は、終わりを望む者ならず。
それ故に、承諾する。深く謹んでお受けする。
「──生き、たいさ……俺は……っ!」
青年、リンリはハクシの問いに頷いた。
──その刻をもって、交わされた契りが、願い番ったものが、何者にも冒されない約束が。
彼と彼女にとって、果ては此ノ土にとって“どれほどの意味”を持ってしまうのかを未だ誰も知らぬままに……。
◇ 一章 完 ◇
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