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最終章 伝説の最果てで蝶が舞う
逃走の行方
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深夜。ウロの寝室に閉じ込められていた少年は、トカゲの力を借りて寝室を抜け出し、広い王城の中を彷徨っていた。
少年がいた寝室の扉は、内鍵に加えて外鍵もある特殊な造りをしていて、外鍵が閉められていた。だが、どうやって開けようかと悩む少年の前で、トカゲが器用に鍵部分だけを炎で溶かしてくれたのだ。あれなら、遠目には鍵が壊されたようには見えないだろう。どのみち誰かが入ってきてしまったら脱走はバレてしまうが、少しでも時間が稼げるに越したことはない。
しかし、それにしても随分と広い城だな、と少年は思った。鏡面状につるりと磨かれた石を主な材料としているこの城は、これまで訪れたどの国の王城よりも広いのではないだろうか。そして同時に、どの城よりも冷たい印象を受ける城だった。
深夜ということもあり、廊下を歩く人はそこまで多くはない。それらからうまく隠れるようにして移動を続けていた少年は、ストールの中にいるトカゲに声を掛けた。
「……出口、どこにあるんだろうね。というかここ、何階なんだろう……」
窓から見た風景から判断するに、少年が現在いる場所は、そこそこ高さのある階の筈だ。
「……階段、見つからないね。広いお城だから、もっと一定間隔で階段があるのかと思ったんだけど、……もしかして、どこかにひとつしかないのかな……?」
そういえばずっと昔に師匠の蘇芳から、蘇芳が元いた世界での城は居住区というよりも籠城のための要塞のようなものだった、と聞いたことがある。円卓の国々の城は王の居住区兼国家の仕事場だが、もしかすると帝国の城は、要塞としての役割が強いのかもしれない。仮にそれが正しいとすれば、階段は各階にひとつしかなく、更に階を跨ぐごとにその位置もバラバラになっている可能性がある。
「……さすがにそこまではしてないかな……? 広いし、そんな造りじゃ移動が大変だよね。……ティアくんはどう思う?」
そう尋ねた少年だったが、ストールからひょっこりと顔を出したトカゲは、こてりと首を傾げただけだった。
とにかく階下への道を探そうと再び移動を始めた少年は、しかし内心でふと首を傾げた。
(……やっぱり、あまりにも人が少ないんじゃないかな……? 深夜だからって言っても、きっとこれから円卓の国が攻めて来るだろうに、こんなにも無防備にしておくものかな……? ……何か、僕が気づいていないような何かがあって、それで人が少ない、とか……?)
移動しながらそんなことを考えていたからか、少年はトカゲが出した警戒の合図に気づくのが遅れた。
歩く少年の眼前で、右側にあった部屋の扉が開いたのだ。
「っ!?」
扉が開く前にトカゲの変化に気づいていれば、うまく隠れることもできたかもしれないが、もう遅い。
扉から出て来た人間、帝国の兵士だろうその人物と目が合い、相手の顔が驚愕に染まる。ああ、駄目だ。この反応は、少年をエインストラだと認識している反応だ。
次に取るべき行動を咄嗟に判断することができずに固まる少年に、トカゲがかぱりと口を開いた。ここで炎を出せば騒動になってしまうことは明白だったが、捕まる訳にもいかないと判断しての行動である。だが、開かれたその口を、少年の片手が無造作に掴んだ。そして、驚いて目を丸くするトカゲに見向きもせず、少年が地面を蹴る。
トカゲを掴んでいない方の手には、どこから取り出したのか刺青用の太い針が握られており、それを容赦なく兵士の首に突き刺した少年は、そのまま兵士ごと転がるようにして部屋の中に侵入した。
転がり込んだ部屋は文官か何かの部屋だったようで、恐らく部屋の持ち主だろう男が驚いた顔をして少年を見たが、彼が言葉を発する前に、少年が短く叫ぶ。
「トカゲ!」
声を受けて素早く反応したトカゲが、男の喉に向かって火を噴く。そこまで大きくならないようにと留意されたのだろう炎は、見事に男の喉だけを焼き溶かした。
声帯を焼かれて悲鳴すら上げることができずに倒れた男に向かった少年は、握った針で男の胸を貫いた。そして、先程首を突き刺して転がした兵士の胸にも、同様に針を突き刺す。
的確に心臓を穿ったその手際に、トカゲがまじまじと少年の顔を見つめると、それに気づいたらしい少年が顔を顰める。
「なんだよ」
少年の反応に、トカゲはこてりこてりと首を傾げた。それを見た少年が、眉根を寄せてから息を吐く。
「わざとらしいな。判ってるんだろ。オレは鏡哉じゃあねェ、グレイだ。のろまなアイツじゃ対処不可能だと判断して、出て来た」
『グレイ』の言葉に、しかしトカゲは尚も首を傾げて返す。一瞬その意図が判らなかったグレイは、しかし次いで、ああ、と口を開いた。
「なんで迅じゃないのか、ってか?」
こくり、と頷いたトカゲに、『グレイ』は少しだけ眉を顰めた。このトカゲの前で『グレイ』が表出したことはなかった筈だ。つまりこのトカゲは、一目で『グレイ』の実力を見抜き、以前目にした『迅』と比較して劣ると判断したことになる。
「……とぼけた顔してるくせに、油断ならねェ奴だな」
そう言った『グレイ』に、トカゲはかわいらしく首を傾げて見せただけだった。それを見て少しだけ嫌そうな顔をした『グレイ』だったが、特に文句を言うことはなく、淡々とトカゲの質問に答える。
「迅は外敵の排除専門だからな。暴れることには向いてるが、隠れてこそこそするのには向いてない。もう一人いるアレクサンドラは冷静だが、あまり戦闘向きじゃない。だから、今の状況に一番向いてるのはオレだと判断した。迅ほどじゃないが、オレも蘇芳師匠には鍛えられたからな。人の殺し方は心得ている」
『グレイ』の説明に、トカゲはぱちぱちと瞬きをした。首を傾げなかったので、恐らく内容を理解し、納得はしたのだろう。
「……まあ、今回は運良く出られたから助かったな。だが、いつまで表にいられるか判ったもんじゃあねェ。オマエのご主人様に会ってから、どうも鏡哉から主導権を奪いにくくなったんでな」
嫌味をこめてそう言った『グレイ』だったが、トカゲはどこ吹く風と言った様子で、大きな欠伸をした。そんなトカゲを見てまた顔を顰めた『グレイ』は、しかしやはり何も言うことなく、そのまま部屋を後にした。
『グレイ』が『迅』ではなく自らを表に出したのは、その方がトカゲとの連携を図りやすいだろうという意図があったからだ。『迅』は基本的に自分以外の全てを敵とみなす人格なので、トカゲすらも排除の対象となってしまう。それを避ける意図で『グレイ』が出たのだから、トカゲと無駄な諍いを起こす気はなかった。
警戒をしながら廊下を進む『グレイ』が、前を見たまま口を開く。
「このまま城からの脱出を目指す。が、城内は勿論、城を出た後も含め、オレには帝国の地理がまるで判らねェ。もし気づいたことがあったら、なんでも良いから知らせろ」
『グレイ』の言葉に、トカゲがこくりと頷いた。
相変わらずそこまで人通りの多くない廊下を、うまく隠れながら進む。少年のときと違い、機敏で確かな『グレイ』の足取りは危なげなく、その分トカゲもより周囲に気を配ることができた。
だが、広い城の中を駆けずり回っても、なかなか階下への階段が見つからない。
そのことに苛立ちを隠しきれない『グレイ』が廊下を進んでいると、不意にトカゲがその肩を叩いた。そして『グレイ』の肩を下りて、特に目立った様子もない一室の前に行ったトカゲは、じっと部屋の扉を見つめたあと、『グレイ』の方へと視線を向けた。
「あ?」
怪訝そうな顔をした『グレイ』に、トカゲはもう一度扉へと視線を向ける。手招きをしても動こうとしないトカゲに、『グレイ』は扉を指さして軽く首を傾げてみせた。
その中に何かあるのか、という問いのつもりで行ったその動作は、どうやら正しくトカゲに伝わったらしく、トカゲはこくりと頷きを返してくる。
ほんの僅かだけ迷った『グレイ』は、しかし次の瞬間には決断し、気配を殺してトカゲの元へと向かった。
近くで見ても、やはりなんの変哲もない扉だ。どう考えても、この先にあるのは個室か何かであるとしか思えないが、果たして。
やはり僅かだけ思考した『グレイ』は、次いでトカゲの小さな体をむんずと掴んだ。
「騒ぎは起こすなよ。うまくやれ」
それだけ言い捨てた彼は、トカゲの反応を待たずに思い切りよく扉を開け放ち、中に向かってトカゲを投げつけた。同時に自分も部屋に転がり込み、素早く扉を閉める。
扉を開けた際に確認できたのは、軽鎧を着込んだ兵士が二人と、その背後に存在する階段だ。どうやらこの城は、兎角敵の侵入を防ぐことに特化しているらしい。部屋の中に階段があるなど聞いたこともないが、確かにこれは、侵入者の目を欺くにはうってつけの構造だろう。
容赦なく投げられたトカゲは、投げられた瞬間こそ目を丸くしていたものの、すぐさま宙で体勢を整え、兵士の一人に向かってかぱりと口を開けた。そしてそのまま、トカゲが兵士の喉元に喰らいつく。瞬間、じゅう、という嫌な音と共に、トカゲが喰らいついた場所が焼け爛れて溶けていった。
口元の体温だけを炎に相当する温度にまで上昇させ、物理的な接触で肉を溶かしたのだ。恐らく、騒ぎを起こすなというグレイの指示に従い、炎を放出しなくてもできることをしようと務めたのだろう。
一方の『グレイ』は、トカゲを投げて部屋に飛び込んだ直後、もう一人の兵士に飛びつき、首を攫って後ろに引き倒した。そして右手で頭頂部を、左手で顎下を押さえ、そのまま人体の可動域を超えた位置まで首を折り曲げれば、兵士の身体から嫌な音がして力が抜けた。
相手が絶命したのを確認してから、ふとトカゲの方へと目をやれば、トカゲは兵士の頭に齧りついている最中だった。喉を溶かしたことで悲鳴はないが、時折痙攣する身体が、苦痛を感じていない訳ではないことを伝えてくる。
なんだって頭に喰いついてんだ、と思った『グレイ』だったが、恐らく、鎧に覆われていなくて手っ取り早そうな場所が、頭しかなかったのだろう。トカゲはじゅうじゅうと音を立てて頭を溶かし、次いで露わになった脳までをも溶かしていた。
確かに静かで騒ぎになりにくい方法ではあるが、あまり上品な方法ではないな、と『グレイ』は思った。
痙攣していた兵士の身体が動かなくなったところで、トケガは兵士の頭から顔を上げて、口に残る何かを厭うように、ぺっぺっと吐き出した。そして、じとりと『グレイ』を見る。
自分の扱いに不満がある、とでも言いたげなトカゲを黙って拾って肩の上に戻し、『グレイ』は無視を決め込んだ。抗議するようにトカゲが尻尾でぺちりぺちりと頬を叩いてきたが、それも容赦なく無視する。
死体を隠している暇はないだろうと判断し、転がる兵士をそのままに階段を駆け下りた一人と一匹がたどり着いたのは、案の定どこかの一室であった。だが、階下であるこちらには兵士がいない。
どうやら、二人一組でひとつの階段を守っていたようだ。先ほど仕留めた兵士たちは、場合によってはこの階下にいることもあったのかもしれない。
部屋の扉を小さく開けて、トカゲに周囲を探らせたが、やはりこの階もあまり人は多くないようだった。
人の少なさに助けられて、特に誰に見つかることもなく廊下を進んだ『グレイ』は、その後もいくつかの階段を見つけ、階下へと降りることに成功した。『グレイ』には全く判らないが、どうやらトカゲには、階段がある部屋とそうでない部屋の違いがなんとなく判るらしい。そのお陰で、トカゲに任せていれば、階段を見つけるのにそこまでの労は要しなかった。
勿論、階段ごとに警備兵が存在したが、それらは大した強さもなく、『グレイ』とトカゲが協力すれば容易に排除できる存在だった。
正に順調といったところだが、そんな現状とは裏腹に、『グレイ』の眉間の皺は深くなっていく。
(やっぱり、どう考えても兵士が少なすぎる。鈍い鏡哉ですら違和感を覚えるような有様……。何かが起きている、と言うよりも、可能性として高いのは……)
「罠か?」
『グレイ』の呟きに、トカゲが応えるように頬を叩く。どうやら彼も、似たようなことを考えていたらしい。そうなると、このまま素直に階段を降りて行くのは愚策だろうか。一階に降りられたところで、何が待っているか判ったものではない。
「……もう大概下の方まで来てるし、窓から行くか」
そう言うと、『グレイ』は手近な部屋の様子を窺い、人がいないのを確認してから、中に身を滑り込ませた。そして、真っ直ぐにバルコニーへと向かい、大きなガラス窓を開ければ、夜風が黒髪を煽る。
「珍しくツイてんな」
そう言った『グレイ』の視線の先にあるのは、そこそこの高さがある木だ。今いる場所は三階くらいのようで、木の枝葉は自分たちよりも少し下に位置しているが、幹の太さから見て、それなりにしっかりした木のようだ。
自分の位置からは少々距離のあるそれを見つめてから、『グレイ』はバルコニーの手すりに上った。見える範囲で近くの地面を確認したが、見張りの姿は認められない。
不安定な足場の上でしゃがんで様子を窺う『グレイ』の頬を、不意にトカゲがぺちぺちと叩いた。
「あ? なんだよ」
そう応えてトカゲに目をやれば、トカゲは胡乱な目を向けている。
なんとなくトカゲの言わんとしていることが判った『グレイ』は、盛大に顔を顰めた。
「鏡哉のヤツじゃねェんだ。木よりもこっちの方が高いし、オレならあれくらい届く。多少の擦り傷やらと、ここで時間を浪費してむざむざ捕まるのと、どっちがいいかの判断すらつかねェのか?」
嘲るような物言いに、トカゲはもう一度『グレイ』の頬をぺちぺち叩いてから、ストールに潜り込んだ。少なからず納得はしたようだ。
それを確認してから、『グレイ』はバルコニーの手すりから目下の木を目掛けて跳躍した。狙い通りに樹上に到達したは良いが、落下の勢いのままに、葉や枝が『グレイ』の身体を打つ。だが、それらを気にせずに太めの枝を冷静に見定めた『グレイ』は、見つけたそれに手をかけ、器用に木にぶら下がった。
そこからすぐに体勢を整え、なるべく音を立てないように地面に降りる。そこそこ高さのある木ではあったが、身体の扱い方を心得ている『グレイ』にとっては、苦労するような作業ではなかった。
「仕方がねェこととは言え、木にぶつかったときに多少音が立った。幸いこの辺りに人はいねェみたいだが、さっさと脱出するぞ」
そう言えば、ストールから尻尾だけ出したトケガが、『グレイ』の頬をぺちりと叩いた。判った、とでも言いたいのだろう。
少年がいた寝室の扉は、内鍵に加えて外鍵もある特殊な造りをしていて、外鍵が閉められていた。だが、どうやって開けようかと悩む少年の前で、トカゲが器用に鍵部分だけを炎で溶かしてくれたのだ。あれなら、遠目には鍵が壊されたようには見えないだろう。どのみち誰かが入ってきてしまったら脱走はバレてしまうが、少しでも時間が稼げるに越したことはない。
しかし、それにしても随分と広い城だな、と少年は思った。鏡面状につるりと磨かれた石を主な材料としているこの城は、これまで訪れたどの国の王城よりも広いのではないだろうか。そして同時に、どの城よりも冷たい印象を受ける城だった。
深夜ということもあり、廊下を歩く人はそこまで多くはない。それらからうまく隠れるようにして移動を続けていた少年は、ストールの中にいるトカゲに声を掛けた。
「……出口、どこにあるんだろうね。というかここ、何階なんだろう……」
窓から見た風景から判断するに、少年が現在いる場所は、そこそこ高さのある階の筈だ。
「……階段、見つからないね。広いお城だから、もっと一定間隔で階段があるのかと思ったんだけど、……もしかして、どこかにひとつしかないのかな……?」
そういえばずっと昔に師匠の蘇芳から、蘇芳が元いた世界での城は居住区というよりも籠城のための要塞のようなものだった、と聞いたことがある。円卓の国々の城は王の居住区兼国家の仕事場だが、もしかすると帝国の城は、要塞としての役割が強いのかもしれない。仮にそれが正しいとすれば、階段は各階にひとつしかなく、更に階を跨ぐごとにその位置もバラバラになっている可能性がある。
「……さすがにそこまではしてないかな……? 広いし、そんな造りじゃ移動が大変だよね。……ティアくんはどう思う?」
そう尋ねた少年だったが、ストールからひょっこりと顔を出したトカゲは、こてりと首を傾げただけだった。
とにかく階下への道を探そうと再び移動を始めた少年は、しかし内心でふと首を傾げた。
(……やっぱり、あまりにも人が少ないんじゃないかな……? 深夜だからって言っても、きっとこれから円卓の国が攻めて来るだろうに、こんなにも無防備にしておくものかな……? ……何か、僕が気づいていないような何かがあって、それで人が少ない、とか……?)
移動しながらそんなことを考えていたからか、少年はトカゲが出した警戒の合図に気づくのが遅れた。
歩く少年の眼前で、右側にあった部屋の扉が開いたのだ。
「っ!?」
扉が開く前にトカゲの変化に気づいていれば、うまく隠れることもできたかもしれないが、もう遅い。
扉から出て来た人間、帝国の兵士だろうその人物と目が合い、相手の顔が驚愕に染まる。ああ、駄目だ。この反応は、少年をエインストラだと認識している反応だ。
次に取るべき行動を咄嗟に判断することができずに固まる少年に、トカゲがかぱりと口を開いた。ここで炎を出せば騒動になってしまうことは明白だったが、捕まる訳にもいかないと判断しての行動である。だが、開かれたその口を、少年の片手が無造作に掴んだ。そして、驚いて目を丸くするトカゲに見向きもせず、少年が地面を蹴る。
トカゲを掴んでいない方の手には、どこから取り出したのか刺青用の太い針が握られており、それを容赦なく兵士の首に突き刺した少年は、そのまま兵士ごと転がるようにして部屋の中に侵入した。
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「トカゲ!」
声を受けて素早く反応したトカゲが、男の喉に向かって火を噴く。そこまで大きくならないようにと留意されたのだろう炎は、見事に男の喉だけを焼き溶かした。
声帯を焼かれて悲鳴すら上げることができずに倒れた男に向かった少年は、握った針で男の胸を貫いた。そして、先程首を突き刺して転がした兵士の胸にも、同様に針を突き刺す。
的確に心臓を穿ったその手際に、トカゲがまじまじと少年の顔を見つめると、それに気づいたらしい少年が顔を顰める。
「なんだよ」
少年の反応に、トカゲはこてりこてりと首を傾げた。それを見た少年が、眉根を寄せてから息を吐く。
「わざとらしいな。判ってるんだろ。オレは鏡哉じゃあねェ、グレイだ。のろまなアイツじゃ対処不可能だと判断して、出て来た」
『グレイ』の言葉に、しかしトカゲは尚も首を傾げて返す。一瞬その意図が判らなかったグレイは、しかし次いで、ああ、と口を開いた。
「なんで迅じゃないのか、ってか?」
こくり、と頷いたトカゲに、『グレイ』は少しだけ眉を顰めた。このトカゲの前で『グレイ』が表出したことはなかった筈だ。つまりこのトカゲは、一目で『グレイ』の実力を見抜き、以前目にした『迅』と比較して劣ると判断したことになる。
「……とぼけた顔してるくせに、油断ならねェ奴だな」
そう言った『グレイ』に、トカゲはかわいらしく首を傾げて見せただけだった。それを見て少しだけ嫌そうな顔をした『グレイ』だったが、特に文句を言うことはなく、淡々とトカゲの質問に答える。
「迅は外敵の排除専門だからな。暴れることには向いてるが、隠れてこそこそするのには向いてない。もう一人いるアレクサンドラは冷静だが、あまり戦闘向きじゃない。だから、今の状況に一番向いてるのはオレだと判断した。迅ほどじゃないが、オレも蘇芳師匠には鍛えられたからな。人の殺し方は心得ている」
『グレイ』の説明に、トカゲはぱちぱちと瞬きをした。首を傾げなかったので、恐らく内容を理解し、納得はしたのだろう。
「……まあ、今回は運良く出られたから助かったな。だが、いつまで表にいられるか判ったもんじゃあねェ。オマエのご主人様に会ってから、どうも鏡哉から主導権を奪いにくくなったんでな」
嫌味をこめてそう言った『グレイ』だったが、トカゲはどこ吹く風と言った様子で、大きな欠伸をした。そんなトカゲを見てまた顔を顰めた『グレイ』は、しかしやはり何も言うことなく、そのまま部屋を後にした。
『グレイ』が『迅』ではなく自らを表に出したのは、その方がトカゲとの連携を図りやすいだろうという意図があったからだ。『迅』は基本的に自分以外の全てを敵とみなす人格なので、トカゲすらも排除の対象となってしまう。それを避ける意図で『グレイ』が出たのだから、トカゲと無駄な諍いを起こす気はなかった。
警戒をしながら廊下を進む『グレイ』が、前を見たまま口を開く。
「このまま城からの脱出を目指す。が、城内は勿論、城を出た後も含め、オレには帝国の地理がまるで判らねェ。もし気づいたことがあったら、なんでも良いから知らせろ」
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相変わらずそこまで人通りの多くない廊下を、うまく隠れながら進む。少年のときと違い、機敏で確かな『グレイ』の足取りは危なげなく、その分トカゲもより周囲に気を配ることができた。
だが、広い城の中を駆けずり回っても、なかなか階下への階段が見つからない。
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「あ?」
怪訝そうな顔をした『グレイ』に、トカゲはもう一度扉へと視線を向ける。手招きをしても動こうとしないトカゲに、『グレイ』は扉を指さして軽く首を傾げてみせた。
その中に何かあるのか、という問いのつもりで行ったその動作は、どうやら正しくトカゲに伝わったらしく、トカゲはこくりと頷きを返してくる。
ほんの僅かだけ迷った『グレイ』は、しかし次の瞬間には決断し、気配を殺してトカゲの元へと向かった。
近くで見ても、やはりなんの変哲もない扉だ。どう考えても、この先にあるのは個室か何かであるとしか思えないが、果たして。
やはり僅かだけ思考した『グレイ』は、次いでトカゲの小さな体をむんずと掴んだ。
「騒ぎは起こすなよ。うまくやれ」
それだけ言い捨てた彼は、トカゲの反応を待たずに思い切りよく扉を開け放ち、中に向かってトカゲを投げつけた。同時に自分も部屋に転がり込み、素早く扉を閉める。
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容赦なく投げられたトカゲは、投げられた瞬間こそ目を丸くしていたものの、すぐさま宙で体勢を整え、兵士の一人に向かってかぱりと口を開けた。そしてそのまま、トカゲが兵士の喉元に喰らいつく。瞬間、じゅう、という嫌な音と共に、トカゲが喰らいついた場所が焼け爛れて溶けていった。
口元の体温だけを炎に相当する温度にまで上昇させ、物理的な接触で肉を溶かしたのだ。恐らく、騒ぎを起こすなというグレイの指示に従い、炎を放出しなくてもできることをしようと務めたのだろう。
一方の『グレイ』は、トカゲを投げて部屋に飛び込んだ直後、もう一人の兵士に飛びつき、首を攫って後ろに引き倒した。そして右手で頭頂部を、左手で顎下を押さえ、そのまま人体の可動域を超えた位置まで首を折り曲げれば、兵士の身体から嫌な音がして力が抜けた。
相手が絶命したのを確認してから、ふとトカゲの方へと目をやれば、トカゲは兵士の頭に齧りついている最中だった。喉を溶かしたことで悲鳴はないが、時折痙攣する身体が、苦痛を感じていない訳ではないことを伝えてくる。
なんだって頭に喰いついてんだ、と思った『グレイ』だったが、恐らく、鎧に覆われていなくて手っ取り早そうな場所が、頭しかなかったのだろう。トカゲはじゅうじゅうと音を立てて頭を溶かし、次いで露わになった脳までをも溶かしていた。
確かに静かで騒ぎになりにくい方法ではあるが、あまり上品な方法ではないな、と『グレイ』は思った。
痙攣していた兵士の身体が動かなくなったところで、トケガは兵士の頭から顔を上げて、口に残る何かを厭うように、ぺっぺっと吐き出した。そして、じとりと『グレイ』を見る。
自分の扱いに不満がある、とでも言いたげなトカゲを黙って拾って肩の上に戻し、『グレイ』は無視を決め込んだ。抗議するようにトカゲが尻尾でぺちりぺちりと頬を叩いてきたが、それも容赦なく無視する。
死体を隠している暇はないだろうと判断し、転がる兵士をそのままに階段を駆け下りた一人と一匹がたどり着いたのは、案の定どこかの一室であった。だが、階下であるこちらには兵士がいない。
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勿論、階段ごとに警備兵が存在したが、それらは大した強さもなく、『グレイ』とトカゲが協力すれば容易に排除できる存在だった。
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「罠か?」
『グレイ』の呟きに、トカゲが応えるように頬を叩く。どうやら彼も、似たようなことを考えていたらしい。そうなると、このまま素直に階段を降りて行くのは愚策だろうか。一階に降りられたところで、何が待っているか判ったものではない。
「……もう大概下の方まで来てるし、窓から行くか」
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「珍しくツイてんな」
そう言った『グレイ』の視線の先にあるのは、そこそこの高さがある木だ。今いる場所は三階くらいのようで、木の枝葉は自分たちよりも少し下に位置しているが、幹の太さから見て、それなりにしっかりした木のようだ。
自分の位置からは少々距離のあるそれを見つめてから、『グレイ』はバルコニーの手すりに上った。見える範囲で近くの地面を確認したが、見張りの姿は認められない。
不安定な足場の上でしゃがんで様子を窺う『グレイ』の頬を、不意にトカゲがぺちぺちと叩いた。
「あ? なんだよ」
そう応えてトカゲに目をやれば、トカゲは胡乱な目を向けている。
なんとなくトカゲの言わんとしていることが判った『グレイ』は、盛大に顔を顰めた。
「鏡哉のヤツじゃねェんだ。木よりもこっちの方が高いし、オレならあれくらい届く。多少の擦り傷やらと、ここで時間を浪費してむざむざ捕まるのと、どっちがいいかの判断すらつかねェのか?」
嘲るような物言いに、トカゲはもう一度『グレイ』の頬をぺちぺち叩いてから、ストールに潜り込んだ。少なからず納得はしたようだ。
それを確認してから、『グレイ』はバルコニーの手すりから目下の木を目掛けて跳躍した。狙い通りに樹上に到達したは良いが、落下の勢いのままに、葉や枝が『グレイ』の身体を打つ。だが、それらを気にせずに太めの枝を冷静に見定めた『グレイ』は、見つけたそれに手をかけ、器用に木にぶら下がった。
そこからすぐに体勢を整え、なるべく音を立てないように地面に降りる。そこそこ高さのある木ではあったが、身体の扱い方を心得ている『グレイ』にとっては、苦労するような作業ではなかった。
「仕方がねェこととは言え、木にぶつかったときに多少音が立った。幸いこの辺りに人はいねェみたいだが、さっさと脱出するぞ」
そう言えば、ストールから尻尾だけ出したトケガが、『グレイ』の頬をぺちりと叩いた。判った、とでも言いたいのだろう。
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しかも、現役大学生である。
「え、あの子で大丈夫なんか……?」
幹部たちの不安をよそに、悠真は「ふわふわ天然」な言動を繰り返しながらも、確実に辰巳会を掌握していく。
――誰もが気づかないうちに。
専属護衛として選ばれたのは、寡黙な武闘派No.1・久我陣。
「命に代えても、お守りします」
そう誓った陣だったが、悠真の"ただの跡取り"とは思えない鋭さに次第に気づき始める。
そして辰巳会の跡目争いが激化する中、敵対組織・六波羅会が悠真の命を狙い、抗争の火種が燻り始める――
「僕、舐められるの得意やねん」
敵の思惑をすべて見透かし、逆に追い詰める悠真の冷徹な手腕。
その圧倒的な"跡取り"としての覚醒を、誰よりも近くで見届けた陣は、次第に自分の心が揺れ動くのを感じていた。
それは忠誠か、それとも――
そして、悠真自身もまた「陣の存在が自分にとって何なのか」を考え始める。
「僕、陣さんおらんと困る。それって、好きってことちゃう?」
最強の天然跡取り × 一途な忠誠心を貫く武闘派護衛。
極道の世界で交差する、戦いと策謀、そして"特別"な感情。
これは、跡取りが"覚醒"し、そして"恋を知る"物語。
偏食の吸血鬼は人狼の血を好む
琥狗ハヤテ
BL
人類が未曽有の大災害により絶滅に瀕したとき救済の手を差し伸べたのは、不老不死として人間の文明の影で生きていた吸血鬼の一族だった。その現筆頭である吸血鬼の真祖・レオニス。彼は生き残った人類と協力し、長い時間をかけて文明の再建を果たした。
そして新たな世界を築き上げた頃、レオニスにはひとつ大きな悩みが生まれていた。
【吸血鬼であるのに、人の血にアレルギー反応を引き起こすということ】
そんな彼の前に、とても「美味しそうな」男が現れて―――…?!
【孤独でニヒルな(絶滅一歩手前)の人狼×紳士でちょっと天然(?)な吸血鬼】
◆閲覧ありがとうございます。小説投稿は初めてですがのんびりと完結まで書いてゆけたらと思います。「pixiv」にも同時連載中。
◆ダブル主人公・人狼と吸血鬼の一人称視点で交互に物語が進んでゆきます。
◆年齢制限の話数には(R)がつきます。ご注意ください。
◆未来、部分的に挿絵や漫画で描けたらなと考えています☺
フードコートの天使
美浪
BL
西山暁には本気の片思いをして告白をする事も出来ずに音信不通になってしまった相手がいる。
あれから5年。
大手ファストフードチェーン店SSSバーガーに就職した。今は店長でブルーローズショッピングモール店に勤務中。
そんなある日・・・。あの日の君がフードコートに居た。
それは間違いなく俺の大好きで忘れられないジュンだった。
・・・・・・・・・・・・
大濠純、食品会社勤務。
5年前に犯した過ちから自ら疎遠にしてしまった片思いの相手。
ずっと忘れない人。アキラさん。
左遷先はブルーローズショッピングモール。そこに彼は居た。
まだ怒っているかもしれない彼に俺は意を決して挨拶をした・・・。
・・・・・・・・・・・・
両片思いを2人の視点でそれぞれ展開して行こうと思っています。
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
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2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(2024.10.21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
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