【完結】かなしい蝶と煌炎の獅子 〜不幸体質少年が史上最高の王に守られる話〜

倉橋 玲

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第1章 かなしい蝶と煌炎の獅子

煌炎4

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 少年の名を呼んでいっそう輝きを増した煌炎は、しかし始まったときと同じように唐突に輝きを失い出した。燃え上がる炎が徐々に鎮火していくように、男の髪の色がくすんだ赤銅へと戻っていく。そこでようやく、男は自分が何をしにここへ来たのかを思い出した。
「ああ、そうだ。魔導陣を消しに来たのだった」
 目的を見失い、目先のことに囚われてしまうなど。こんなことは始めてだ。
「それもこれも、お前のせいか?」
 責めるような言葉とは裏腹に、抱いた少年を見下ろす目は酷く優しい。溢れ出る愛おしさのままに黒紫の髪に唇を触れさせれば、灰と埃の匂いが鼻をくすぐった。
「ああ、こんなところに居ては余計に煤を被ってしまうな。すまない、私も少しばかり焦ってしまったのだ。そうではなくても力加減が苦手でな」
 意識のない少年に語りかけながら、男は改めて周囲を見渡した。男の計画において重要な役割を果たしてくれるだろう少年の危機に思わず火力過多の炎をぶつけてしまったせいで、辺りは少々焼野原気味である。
「……いや、お前が煤まみれになるのも良くないが、それ以前に店にも火が燃え移っている気がするぞ。これはまずい。後でレクシィにどやされる」
 真顔で燃え盛る火を見た男は、次いで片手を振った。
「火霊、早急に店の火を抑えてくれ。というか、何故こんなにもやたらと燃えているのだ。確かにキョウヤを助けろと命じはしたが、こうも広範囲に渡って火の手が回るほどの魔法だっただろうか?」
 首を捻る男に、火霊が咎めるように小さく火を弾けさせた。
「なに? 私のせい? 私の炎が暴れて燃やしただと? ……何を言っているか判らんが、私はお前達の力を操っているだけで、私自身に炎を生じさせる能力などないぞ? 故に、私の炎などというものは存在せん」
 怪訝そうな顔をした男に、火霊は何か言いたそうな表情こそ見せたものの、諦めたように口を閉ざして炎の鎮火を始めたのだった。
 そんな火霊たちの反応に不思議な表情を浮かべてみせた男だったが、まあ、相手は精霊だ。人間の自分には判らない何かがあるのだろう。そう結論づけ、余計な情報はさっさと忘れることにする。
「さて、それでは私は魔導陣の方へ向かうとするか」
 首都郊外近くの全ての場所で火霊の手助けがあることを考えると、そろそろ多くの兵がここへと集まり出すことだろう。そうでなくても、金の王の独断で咄嗟に動かすことは叶わなかった軍の手配が済む頃合いだ。軍に見つかると色々と都合の悪い男に残された時間は、あまりなかった。
 少年を左腕に抱いた男は、右手に握った剣を構えて走り出した。中央の広場はもうすぐだ。だが案の定、中心に向かえば向かうほど魔物の数が増える。それら全てを相手にしても良いのだが、あまりそれにばかりかまけていると軍が到着してしまう。そう考え、立ちふさがる魔物だけを斬り伏せることにした男だったが、ここでまた問題が生じた。
 上空から滑空して襲ってきた翼のある魔物の鉤爪を剣で受け止めた瞬間、握っていた剣がどろりと溶けてしまったのだ。
(しまった、魔力を籠めすぎたか)
 男が使っていたのは、所詮ただの剣だ。魔法憑依に適したエンチャントウェポンではない以上、魔法に耐えられる造りをしていない。一応注ぐ魔力をでき得る限り抑えていたのだが、元々細かな力の調整が苦手な男である。魔力調整の達人であれば一日くらい保たせることも可能だったのだろうが、男の力量ではこれが限界のようだ。火霊魔法に負けてどろどろに融けてしまった剣を投げ捨てつつ、男は盛大に溜息を吐いた。
(こと戦闘において魔法を使用するのは好かんのだが)
 男は魔法師ではなく戦士である。先ほど少年を助けたときのような切羽詰まった状況でもない限り、他者との戦いに補助以上の魔法を使用するのを好むタイプではなかったが、致し方ない。
 剣を捨てた右腕を嫌々と言った風に前に突き出せば、詠唱はおろか精霊を呼ぶことすらしていないというのに、その掌を起点に業火が迸り、一瞬にして眼前の魔物を焼き払ってしまう。
「ああこら! だからやり過ぎだと言うのに!」
 これだから火霊魔法は困るのだ、と男が内心で疲れたように呟く。だが、風霊魔法は屋根を支えるのに使ってしまっていて、これ以上のことをさせるとなるとそれなりに魔力を消費してしまうだろう。市街地であることを考えれば、地霊魔法を気軽に使う訳にもいかない。そして、男に水霊魔法の適性はない。そうなると、残された手段は火霊魔法しかないのである。それに、男の魔法適性が最も高いのも火霊魔法なのだから、戦闘に用いるのならばそれを選択するのが最善だ。
 だが、これには難点がある。火霊魔法は男の力ではなく火霊の力によるものな上、男の数少ない楽しみである戦いが呆気なく終わってしまうのだ。己のものではない圧倒的な力で勝つほど虚しいことはない。男が戦いを好かない性格をしていればまた話は別だったかもしれないが、己の剣の腕に自信を持っている男は、できることなら自分の手で勝利を得たかった。
 だがまあ、腕の中の子を守るという意味でも、兵が駆けつける前に事を済ますという意味でも、火霊魔法で処理するのが一番だろう。男は、言ってしまえばそこまで強くもないこだわりのために大義を捨てるような愚か者ではなかった。
 前を塞ぐ魔物を適度に焼き払いながら、男が進む。それにしても、剣を持っていたときよりも遥かに単純作業だ。火霊はこちらがいちいち指示を出さずとも勝手に敵を片付けてくれるし、魔物は男が警戒するほど強い敵ではないし、こうなるともうただ前へ歩けば良いだけである。勿論、首都全域に巡らせた火霊の分も加えれば、多少の魔力の消費はある。だが、それだけだ。
 他の属性の魔法ではそんなことなどないが、火霊魔法による男の魔力消費は僅かなものであった。男自身なぜそこまで自分の火霊魔法に対する適性が高いのかは知らなかったが、まあたまたま火霊に物凄く気に入られただけだろう程度にしか考えていなかったし、大した興味もなかった。
 やはり衛兵の目をなんとかごまかして自分の剣を持ち込むべきだったなぁ、などと呑気に考えながら炎舞う中を歩んでいた男は、ようやく辿り着いた広場を見て、少しだけ驚いた表情をしてみせた。
「近くで見ると、やはり大きいな」
 巨大な噴水よりも遥かに大きな魔導陣に、男は困った顔をした。
「さて、どうするか。これだけ巨大な魔導陣ともなると、剣の一振りで壊せるものではないぞ」
 と言っても、その剣もすでに融けてしまっているからあまり関係はないが。
 男が思案する間にも、青白く輝く魔導陣のいたるところから魔物が溢れて来る。これだけの量の魔物をそこそこ早いペースで送り込んでくるということは、この魔導陣は男が思っていた以上に厄介な代物なのかもしれない。
「いや、異なる次元から召喚する陣ならば圧巻だが、この世界にいるものをただ転送するだけならば、そこまで驚くほどのものでもない。そもそも次元を渡る術は限られている。魔導でそれを成すのであれば、もっと大がかりな術式が必要なのではないだろうか。……とすると、やはりこれは次元転移魔導ではなく、ただの空間転移魔導か」
 そう言いながら男は確かめるような視線を火霊に向けたが、火霊は首を傾げただけだった。それはそうだろう。精霊が魔導に詳しい訳がない。
「ふむ。詳しい解析をしたいところだが、なにせ時間がない。だが、さすがにこの大きさの魔導陣を目立たずに破壊することはできんな……」
 やれやれ、と息を吐いた男に、火霊たちが指示はまだかという、どこか興奮したような視線を向けてくる。言いたいことは判っている。というか、この状況ではそうせざるを得まい。きらきらした表情で自分を見つめる火霊たちに、男はもう一度溜息をついた。
「では、さっさと壊してしまえ」
 そう言った男が、横薙ぎに腕を振るう。すると、男の腕が空を切ったところから炎が生まれ、たちまち大きな渦となって噴水ごと魔導陣を覆い尽くした。もしかしなくても伝統ある噴水だったのだろうが、魔導陣の上にある以上、噴水自体が魔導陣の影響下にある可能性が高い。ならばこうするのが最良だ。
 男の召喚した炎に焼かれ、魔導陣から輝きが薄れていく。同時に、絶え間なかった魔物の出現がぱたりと止んだ。それを確認してから、男は楽しそうに躍っている火霊たちに視線を投げた。
「完全な破壊には至っていないが、ここまでしておけば大丈夫だろう。これ以上はいかん。既に私の痕跡が色濃く残ってしまっているだろうからな」
 そう言って手を払い、魔導陣の炎を消し去った男が、周辺の火霊に続けて命令を下す。
「良いか、できるだけ魔物が起こした炎に見えるよう、姿を見せないようにしておけ。そして怪しまれぬ程度に徐々に火の手を弱めよ。金の国の兵を焼いたとなれば大事だからな。ああ、私の心配はしなくて良い。剣と魔法がなくとも、攻撃を躱しつつ逃げることくらいは可能だ。どうやら喚び出された魔物たちは、あまり上位の魔物ではないようだからな」
 そう言ってから、男は今度は上に視線を投げる。
「風霊、ご苦労だった! 徐々に風の鎖を解除して良い! ただし、できれば私の頭上に瓦礫が落ちることがないように配慮してくれ!」
 言われ、風霊たちは心得たように風の拘束を緩め始めた。それにより、かろうじて保たれていた均衡が失われ、屋根に更なるひびが走る。この様子だと、天井が割れて落ちるのは時間の問題だろう。急いだ方が良いな、と呟いた男は、未だ気を失っている少年を両腕に抱え直して、夜闇の中を駆け出した。
 こうして、核となる巨大魔導陣をまんまと破壊した男は、駆けつけてきた兵たちと入れ替わるようにして、その場を足早に立ち去ったのであった。
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