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中編
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「ダメだよ、いちいち感傷に浸ってちゃ。さみしくなることは、ちゃんと覚悟してきたのに」
また鼻の奥が痛い。羽根があること以外体のつくりは人間と同じだ。前世でも男のくせに泣き虫だったけど、妖精に転生してもやっぱり涙もろくて嫌になる。
パタパタと蝶の羽根で飛んできて丸三日。風に乗ったから多少距離は稼げたけれど、旅慣れた大人の足で急げば――ハルトなら追いつけてしまう距離だ。
「いや、でも大丈夫。そもそも行き先わかんないし。第一、ハルトは姫とイチャついてるはずだし!」
自分で言って自分で大ダメージを受けた僕は、また鼻の奥を痛める羽目に陥った。
羽根がしおしお萎えてしまい、僕は仕方なく近くの木の枝に降り立つ。
そろそろ国外れの森の入り口だ。目指しているのはこの森の奥、神剣があった遺跡だ。
ロバスティアナ王国はそもそも神剣の遺跡を守り伝えてきた国で、だから神剣を携えたハルトを真っ先に勇者だと認めてくれたという設定がある。
役目のなくなった僕は、初めてハルトと出会ったあの遺跡に帰ろうとしていた。いうなればハルトとの思い出の地。そこでこの告げようのない想いを抱えたまま、永遠の眠りにつこうとしている。
「……だってもう、この世界に僕がいる理由はないんだからさ」
“神様”には困ったものだ。エンディング後の「エス」がどうなったか設定してないから、僕が自分で考えなくちゃいけなかった。
いやでも、設定通りだったら「エス」はハルトにこんな気持ちを抱くこともなかっただろうから、そもそも僕は「エス」ですらないのかもしれない。
「じゃあなおさら、僕には何もないんだな」
風が葉を揺らし、木々をざわめかせる。
いっそ風に攫われて、地平線の彼方に消えていきたい。ハルトとの思い出も空に霧散して、何もかもなかったことにしてほしい。
「何で僕、モブなんかに転生しちゃったんだよ。あーあ、バッカみたい。バカバカ、バカだよ、僕の、……ひっく、バカぁ……!」
無理して自虐に笑っても、はらはらこぼれ落ちる涙を止められない。
風は相変わらず、恨めしいほどに温かく、優しい。
『魔王に勝利し、お帰りになるのをお待ちしていています。私の心はハルト様といつも共にありますわ』
魔王城へ旅立つ前の夜。熱っぽく潤む瞳で見上げた姫に、ハルトは優しく微笑んでいた。
ツンデレ過ぎて結局好きと言えなかったフランチェスカの想いには気づいてなかったみたいだけど、発言全てに政治的な意味が伴ってしまう姫が、ここまで気持ちを丸裸にして告げたのだ。ハルトだって確かな「愛の告白」として受け止めただろう。ハルトは答えなかったけど断りもしなかった。
見つめ合う二人の間には確かに甘い空気が流れていて、フードの中の僕は目を閉じて耳を塞ぐことしか抵抗の術がなかった。
姫は僕がハルトのフードの中にいることを多分気づいていた。でも気にしていなかった。姫にとって僕は文字通り「人」ではなかったからだ。
そもそも僕を「人」として認識していたのはハルトくらいで、他の人間は最初こそ珍しがるものの(魔法が当たり前にあるこの世界でも、妖精は希少な存在なのだ)、慣れてしまうと犬とか猫とか観葉植物みたいな「いてもいないもの」として扱った。主要キャラクターの行動に影響しないよう、モブは無視していい存在として「設定」されているのだから仕方ない。
だから僕がハルトの猫っ毛の影で話を聞いていても、デュランはハルトと「二人だけの親友の誓い」を言って寄越したし、セネスだってハルトと「二人だけの秘密の作戦会議」をしていて、フランチェスカは「夜の湖畔で二人きり」になってドキドキしていた。
そういう時僕は空気を読み、フードの中で息を潜めていたわけだが、ハルトはいつも後で「エスを無視しちゃったみたいでゴメンな」と眉を八の字にして謝ってくれた。そんなハルトの気遣いに僕は喜び、そして申し訳ない気分になった。
姫から告白された夜も同じで、姫が去った後、ハルトはフードに隠れていた僕を呼んだ。
『いいんだよハルト、僕はいてもいなくても一緒なんだから。気にする必要ない』
『いてもいなくてもってことはないだろ。エスはちゃんといる。ここにいるよ』
フードから顔を出して肩に乗り上げた僕に、ハルトは指先でそっと触れた。
もし人間だったら、この指先を、指を、その手を掴んで、繋いで、抱き締め合うことが出来たのだろうか。こんな吹けば飛ぶようなモブじゃなくて、彼と絆を結ぶ仲間の一人として、存在を認められていたのだろうか。彼に想いを抱いても罪悪感を感じなて済むくらいの、価値のある存在に。
『……ハルト』
『ん? なに?』
――僕はハルトが好きだ。大好きなんだ。
――姫にもフランチェスカにも負けないくらい、ハルトに恋してるんだよ。
『……何でもない。ゴメンね』
告げたい言葉は喉元まで迫り上がり、しかし唇を開くことは許されなかった。
誰よりも、僕自身が許さなかった。
綻んだ笑顔は間近で見ると大きくて、僕と彼が違う生き物であることを痛感せざるを得ない。
体の大きさも存在の重さも僕達はまるで違う。いくらハルトが僕を大切にしてくれても、その事実は覆らないのだ。
旅の終わりと共に役目を失った僕は、ハルトが迎えた大団円のハッピーエンドから逃げだした。
姫はきっとハルトとの結婚を望むだろうし、ハルトもあの夜の態度からして満更でもなさそうだ。平民の出とはいえ世界を救った勇者を婿にすることに王も国民も異存はないだろうし、デュランとセネスはハルトが次期王の栄誉に浴することを手放しに喜ぶに違いない。フランチェスカは失恋に胸を痛めるだろうが、心根は優しい彼女のこと、きっと涙をこらえてハルトと姫の結婚を祝福してくれると思う。
みんながハルトのハッピーエンドを喜んでくれる。僕だけが、その輪の中には入れない。
だってハルト、辛いよ。僕は辛いしかない。
世界が救われたのに、旅が終わったことを呪ってしまう。
「ハルトの旅の相棒」という唯一の役目すら失ってしまったことに耐えられなくて。
だから僕は、ハルトの傍を離れるしかなかった。
散々泣いて目が腫れ上がった頃、僕はようやく遺跡への旅を再開させるために腰を上げた。
森の奥深くへ進むにつれ鬱蒼とした木々の影は濃さを増し、昼なお暗いと言われる所以をまざまざと見せつけてくる。
森に入る前には絶えず羽根を後押ししてくれた風が、今は微風すら感じない。代わりに漂うのは沈殿したような静けさ。
やっぱり、とゴクリと唾を飲み下す。緊張が伝わってしてしまったのか、羽根が強ばってしまって飛びにくい。
「……いるよね、魔物の残党」
思い出ごと消えてしまいたい、と思ってる。
けれど願わくば、望んだ地で、望んだ安らかさで、無に還りたい。
ロマンチストで感傷的だという自覚はある。本当に僕ってバカだ。
でもバカの最後の願い事、叶えたっていいじゃないか。モブにだって命はある。人扱いされなくてもちゃんと、ハルトの傍に僕は「いた」んだ。
『エスはちゃんといる。ここにいるよ』
「ハルト……」
何をしてもどこにいても、想うのはただ一人。
葬るしかなかった恋のためにも、途中で魔物に命を奪われるのは避けたかった。
遺跡の森は魔王城から遠く、はびこっていた魔物達のレベルも低かったので、まだ神剣を手に入れる前のハルトでもそう苦労せず倒せた。
魔王城は魔王の魔力によって支えられていた特殊な建物だったため、魔王の死と共に瓦解した。それは同時に、世界中の魔物達への魔王の影響力が薄れたことも意味する。魔物はそもそも、動物や植物や岩石といった自然に育まれたものが、魔王の魔力によって変異した怪物だ。そのため魔王の魔力がなくなりさえすれば、徐々に元の姿に戻る――というのが、“神様”の決めた設定である。
そしてその影響力は、魔王城との物理的な距離に比例する。魔王城の近くでは強い魔物が多かったが、魔王の死と共に魔物達は早々に自然に還った。逆に遠い地域では、魔物としては弱い部類に入るものの、なかなか元の姿に戻らないということを意味している。
つまりこの森には、まだ魔物のままでいる有象無象が棲み着いているのだ。
グルル……と低い唸り声が聞こえて、僕はハッとした。
遺跡までもう少しというところで、振り向くと燃えるような赤い光が見えた。
――魔物の目!
気づいた時には、木々の暗がりから真っ黒な影が飛び出してきた。両目を赤く爛々と光らせるその影がイノシシ型の魔物で、前に突き出した牙を武器に獲物に向かってひたすら突進してくる。運が悪いことに、この辺りの魔物としてはスピードの速い部類だ。案の定、すぐに反応したつもりが避けきれず、魔物の突進をまともに受けてしまった。
「……っ!」
吹っ飛ばされた体が背中から木の幹に叩きつけられる。頭と背中を強打したせいで目の前に星が飛ぶ。一瞬呼吸が止まって目を見開く。
「う、うう……」
ズルズルと幹を伝って根元まで滑り落ちる。魔物はまだ僕を見据えていて、今にも飛びかかってきそうだ。
背中を冷たいものが伝う。初めて遺跡の森に来た時には、ハルトに守ってもらっていたのもあるが、イベント用モブが死なないように魔物に狙われないよう設定がなされていたのだろう。しかし今は「物語」が終わった後。狙われない設定が外れてしまっているに違いない。
(逃げなくちゃ……っ!)
痛む体を起こし、羽根を動かそうとする。
そこで僕は絶望的な状況に気づく。羽根がほとんど、破れてしまっていることに。
「そんな……!」
羽根に痛覚はないので幸い破れたことによる痛みはないが、これでは飛んで逃げることが出来ない。小さな体で地を走っても、突っ込んできた足に踏み潰されるか、最悪牙で串刺しにされるのがオチだ。
瞬時に駆け巡った恐ろしい死に方の数々に、目の前が絶望で真っ暗になる。無駄とわかっていても逃げるべきなのに、足が竦んで立ち上がることすら出来ない。
「やだ……やだよ、こんな最期」
明確で乱暴的な死の恐怖に直面し、僕は震えながら涙をこぼす。前世に病院のベッドで意識が遠のいていった時よりもずっと怖い。
赤い双眸が獲物と定めた僕を見据えている。そのつま先が力を込めて地を蹴った。
「やだ、こわい……助けて、ハルトォ!」
泣き叫ぶ声をあげ、僕は目をギュッとつむった。
しかし予想していた衝撃と痛みはいつまでたっても訪れず、代わりにパキリと、枯れ枝を踏むような音が耳に届く。
「よかった、間に合って」
――……え?
僕は思わず目を開けた。
聞き馴染みのあり過ぎる声は幻聴に違いないはずなのに、倒れ伏す魔物の傍らで神剣を鞘に収めているのはどう見てもハルトだった。
また鼻の奥が痛い。羽根があること以外体のつくりは人間と同じだ。前世でも男のくせに泣き虫だったけど、妖精に転生してもやっぱり涙もろくて嫌になる。
パタパタと蝶の羽根で飛んできて丸三日。風に乗ったから多少距離は稼げたけれど、旅慣れた大人の足で急げば――ハルトなら追いつけてしまう距離だ。
「いや、でも大丈夫。そもそも行き先わかんないし。第一、ハルトは姫とイチャついてるはずだし!」
自分で言って自分で大ダメージを受けた僕は、また鼻の奥を痛める羽目に陥った。
羽根がしおしお萎えてしまい、僕は仕方なく近くの木の枝に降り立つ。
そろそろ国外れの森の入り口だ。目指しているのはこの森の奥、神剣があった遺跡だ。
ロバスティアナ王国はそもそも神剣の遺跡を守り伝えてきた国で、だから神剣を携えたハルトを真っ先に勇者だと認めてくれたという設定がある。
役目のなくなった僕は、初めてハルトと出会ったあの遺跡に帰ろうとしていた。いうなればハルトとの思い出の地。そこでこの告げようのない想いを抱えたまま、永遠の眠りにつこうとしている。
「……だってもう、この世界に僕がいる理由はないんだからさ」
“神様”には困ったものだ。エンディング後の「エス」がどうなったか設定してないから、僕が自分で考えなくちゃいけなかった。
いやでも、設定通りだったら「エス」はハルトにこんな気持ちを抱くこともなかっただろうから、そもそも僕は「エス」ですらないのかもしれない。
「じゃあなおさら、僕には何もないんだな」
風が葉を揺らし、木々をざわめかせる。
いっそ風に攫われて、地平線の彼方に消えていきたい。ハルトとの思い出も空に霧散して、何もかもなかったことにしてほしい。
「何で僕、モブなんかに転生しちゃったんだよ。あーあ、バッカみたい。バカバカ、バカだよ、僕の、……ひっく、バカぁ……!」
無理して自虐に笑っても、はらはらこぼれ落ちる涙を止められない。
風は相変わらず、恨めしいほどに温かく、優しい。
『魔王に勝利し、お帰りになるのをお待ちしていています。私の心はハルト様といつも共にありますわ』
魔王城へ旅立つ前の夜。熱っぽく潤む瞳で見上げた姫に、ハルトは優しく微笑んでいた。
ツンデレ過ぎて結局好きと言えなかったフランチェスカの想いには気づいてなかったみたいだけど、発言全てに政治的な意味が伴ってしまう姫が、ここまで気持ちを丸裸にして告げたのだ。ハルトだって確かな「愛の告白」として受け止めただろう。ハルトは答えなかったけど断りもしなかった。
見つめ合う二人の間には確かに甘い空気が流れていて、フードの中の僕は目を閉じて耳を塞ぐことしか抵抗の術がなかった。
姫は僕がハルトのフードの中にいることを多分気づいていた。でも気にしていなかった。姫にとって僕は文字通り「人」ではなかったからだ。
そもそも僕を「人」として認識していたのはハルトくらいで、他の人間は最初こそ珍しがるものの(魔法が当たり前にあるこの世界でも、妖精は希少な存在なのだ)、慣れてしまうと犬とか猫とか観葉植物みたいな「いてもいないもの」として扱った。主要キャラクターの行動に影響しないよう、モブは無視していい存在として「設定」されているのだから仕方ない。
だから僕がハルトの猫っ毛の影で話を聞いていても、デュランはハルトと「二人だけの親友の誓い」を言って寄越したし、セネスだってハルトと「二人だけの秘密の作戦会議」をしていて、フランチェスカは「夜の湖畔で二人きり」になってドキドキしていた。
そういう時僕は空気を読み、フードの中で息を潜めていたわけだが、ハルトはいつも後で「エスを無視しちゃったみたいでゴメンな」と眉を八の字にして謝ってくれた。そんなハルトの気遣いに僕は喜び、そして申し訳ない気分になった。
姫から告白された夜も同じで、姫が去った後、ハルトはフードに隠れていた僕を呼んだ。
『いいんだよハルト、僕はいてもいなくても一緒なんだから。気にする必要ない』
『いてもいなくてもってことはないだろ。エスはちゃんといる。ここにいるよ』
フードから顔を出して肩に乗り上げた僕に、ハルトは指先でそっと触れた。
もし人間だったら、この指先を、指を、その手を掴んで、繋いで、抱き締め合うことが出来たのだろうか。こんな吹けば飛ぶようなモブじゃなくて、彼と絆を結ぶ仲間の一人として、存在を認められていたのだろうか。彼に想いを抱いても罪悪感を感じなて済むくらいの、価値のある存在に。
『……ハルト』
『ん? なに?』
――僕はハルトが好きだ。大好きなんだ。
――姫にもフランチェスカにも負けないくらい、ハルトに恋してるんだよ。
『……何でもない。ゴメンね』
告げたい言葉は喉元まで迫り上がり、しかし唇を開くことは許されなかった。
誰よりも、僕自身が許さなかった。
綻んだ笑顔は間近で見ると大きくて、僕と彼が違う生き物であることを痛感せざるを得ない。
体の大きさも存在の重さも僕達はまるで違う。いくらハルトが僕を大切にしてくれても、その事実は覆らないのだ。
旅の終わりと共に役目を失った僕は、ハルトが迎えた大団円のハッピーエンドから逃げだした。
姫はきっとハルトとの結婚を望むだろうし、ハルトもあの夜の態度からして満更でもなさそうだ。平民の出とはいえ世界を救った勇者を婿にすることに王も国民も異存はないだろうし、デュランとセネスはハルトが次期王の栄誉に浴することを手放しに喜ぶに違いない。フランチェスカは失恋に胸を痛めるだろうが、心根は優しい彼女のこと、きっと涙をこらえてハルトと姫の結婚を祝福してくれると思う。
みんながハルトのハッピーエンドを喜んでくれる。僕だけが、その輪の中には入れない。
だってハルト、辛いよ。僕は辛いしかない。
世界が救われたのに、旅が終わったことを呪ってしまう。
「ハルトの旅の相棒」という唯一の役目すら失ってしまったことに耐えられなくて。
だから僕は、ハルトの傍を離れるしかなかった。
散々泣いて目が腫れ上がった頃、僕はようやく遺跡への旅を再開させるために腰を上げた。
森の奥深くへ進むにつれ鬱蒼とした木々の影は濃さを増し、昼なお暗いと言われる所以をまざまざと見せつけてくる。
森に入る前には絶えず羽根を後押ししてくれた風が、今は微風すら感じない。代わりに漂うのは沈殿したような静けさ。
やっぱり、とゴクリと唾を飲み下す。緊張が伝わってしてしまったのか、羽根が強ばってしまって飛びにくい。
「……いるよね、魔物の残党」
思い出ごと消えてしまいたい、と思ってる。
けれど願わくば、望んだ地で、望んだ安らかさで、無に還りたい。
ロマンチストで感傷的だという自覚はある。本当に僕ってバカだ。
でもバカの最後の願い事、叶えたっていいじゃないか。モブにだって命はある。人扱いされなくてもちゃんと、ハルトの傍に僕は「いた」んだ。
『エスはちゃんといる。ここにいるよ』
「ハルト……」
何をしてもどこにいても、想うのはただ一人。
葬るしかなかった恋のためにも、途中で魔物に命を奪われるのは避けたかった。
遺跡の森は魔王城から遠く、はびこっていた魔物達のレベルも低かったので、まだ神剣を手に入れる前のハルトでもそう苦労せず倒せた。
魔王城は魔王の魔力によって支えられていた特殊な建物だったため、魔王の死と共に瓦解した。それは同時に、世界中の魔物達への魔王の影響力が薄れたことも意味する。魔物はそもそも、動物や植物や岩石といった自然に育まれたものが、魔王の魔力によって変異した怪物だ。そのため魔王の魔力がなくなりさえすれば、徐々に元の姿に戻る――というのが、“神様”の決めた設定である。
そしてその影響力は、魔王城との物理的な距離に比例する。魔王城の近くでは強い魔物が多かったが、魔王の死と共に魔物達は早々に自然に還った。逆に遠い地域では、魔物としては弱い部類に入るものの、なかなか元の姿に戻らないということを意味している。
つまりこの森には、まだ魔物のままでいる有象無象が棲み着いているのだ。
グルル……と低い唸り声が聞こえて、僕はハッとした。
遺跡までもう少しというところで、振り向くと燃えるような赤い光が見えた。
――魔物の目!
気づいた時には、木々の暗がりから真っ黒な影が飛び出してきた。両目を赤く爛々と光らせるその影がイノシシ型の魔物で、前に突き出した牙を武器に獲物に向かってひたすら突進してくる。運が悪いことに、この辺りの魔物としてはスピードの速い部類だ。案の定、すぐに反応したつもりが避けきれず、魔物の突進をまともに受けてしまった。
「……っ!」
吹っ飛ばされた体が背中から木の幹に叩きつけられる。頭と背中を強打したせいで目の前に星が飛ぶ。一瞬呼吸が止まって目を見開く。
「う、うう……」
ズルズルと幹を伝って根元まで滑り落ちる。魔物はまだ僕を見据えていて、今にも飛びかかってきそうだ。
背中を冷たいものが伝う。初めて遺跡の森に来た時には、ハルトに守ってもらっていたのもあるが、イベント用モブが死なないように魔物に狙われないよう設定がなされていたのだろう。しかし今は「物語」が終わった後。狙われない設定が外れてしまっているに違いない。
(逃げなくちゃ……っ!)
痛む体を起こし、羽根を動かそうとする。
そこで僕は絶望的な状況に気づく。羽根がほとんど、破れてしまっていることに。
「そんな……!」
羽根に痛覚はないので幸い破れたことによる痛みはないが、これでは飛んで逃げることが出来ない。小さな体で地を走っても、突っ込んできた足に踏み潰されるか、最悪牙で串刺しにされるのがオチだ。
瞬時に駆け巡った恐ろしい死に方の数々に、目の前が絶望で真っ暗になる。無駄とわかっていても逃げるべきなのに、足が竦んで立ち上がることすら出来ない。
「やだ……やだよ、こんな最期」
明確で乱暴的な死の恐怖に直面し、僕は震えながら涙をこぼす。前世に病院のベッドで意識が遠のいていった時よりもずっと怖い。
赤い双眸が獲物と定めた僕を見据えている。そのつま先が力を込めて地を蹴った。
「やだ、こわい……助けて、ハルトォ!」
泣き叫ぶ声をあげ、僕は目をギュッとつむった。
しかし予想していた衝撃と痛みはいつまでたっても訪れず、代わりにパキリと、枯れ枝を踏むような音が耳に届く。
「よかった、間に合って」
――……え?
僕は思わず目を開けた。
聞き馴染みのあり過ぎる声は幻聴に違いないはずなのに、倒れ伏す魔物の傍らで神剣を鞘に収めているのはどう見てもハルトだった。
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