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本編
君を離さない
しおりを挟む「違う、エクレ!その移動車じゃないよ!!」
前方から聞こえた兄の声に、まさかと思いながら状況を確認するために走った。
辛うじて見えたのは、乗ってきた移動車にそっくりな車へと引きずり込まれるエクレの後ろ姿だった。
「どういう事? 車が変わった訳じゃないよね!?」
兄が焦ったように走り寄ってきた護衛に詰め寄っている。
「申し訳ありません。只今確認しています。あの車、政府の車のように見えますが……。それを装っていた可能性があります」
即座に、連絡を取り合っているようだった。
「リュミエール様、エクレ様は本日、観察装置は身に着けておられましたか?」
「勿論です。彼は家でも常に付けていますから」
「非常事態です。こちらから追跡と盗聴をさせて頂きます」
エクレのプライバシーは無くなってしまうが、背に腹は代えられない。
あの腕輪にどれほどの機能があるのか、詳細は私にも知らされていない。
ただ、付けてくれていて本当に良かった。
「……分かりました。対応に当たります。はい。……リュミエール様、大変心苦しいですが、エクレ様は組織的な人さらいに巻き込まれたとみて間違いなさそうです」
通信の傍受は、支援機関の施設の機器で行われているのだろう。連絡を受けた護衛の一人がそう報告してきた。
「エクレが狙われていたのでしょうか……」
「その可能性は低いです。たまたま、そこに居たΩがエクレ様だった。そのように見受けられます」
ふざけた話だった。
ただ、こちらの警戒も緩かっただろう。ここ最近Ωが攫われたという話は聞いていなかった。
「あの移動車はここ数ヶ月何度もここを訪れていました。その際Ωらしき人を護衛している風にも装っていた。おそらくかなり長期間な偽装をしていた」
護衛に付く者は、専属がいればそのΩにつくが、兄やエクレのように固定の人員がいなければ、その護衛先に慣れたものが派遣されることが多い。
護衛があれはどこかの同業者の車だと認識するほどの長い期間かけて準備していたようだった。
「幸い、エクレ様は冷静に対処しているようです。Ωだと分かり向こうも丁重に扱っています」
もともとエクレは大人しい子だった。空気もよく読める。悪戯に犯人を刺激はしないだろう。
ただ、危害は加えられないとはいえ不安だろう。
「なるほど、川から下る。……港から国外へ出る算段のようですね。我々は港での確保を目指します」
「川に入る前に止められませんか? エクレは泳げない可能性が高い」
聞いたことは無かったが、あまり運動は得意ではないみたいだったし、川や海で遊ぶ事も無かっただろう。
「港の予想はある程度立てられますが……川は小さいものを含めるとかなり数があります」
答えの歯切れが少し悪かった。ある程度は予想がついている筈なのだ。
けれど、警備隊側は、誘拐犯の組織を全体を捕縛したがっている。
川上で実行犯を取られたことで、港側の仲間に逃げられることを憂慮しているのだろうか。おそらく上からの指示だ。ある程度、犯人を泳がせている……。
「……分かりました。ただ、私も現場に行きます」
「こちらの指示には従ってください。保護した後のエクレ様のケアをお願いします」
難しい表情で頷かれた。本当は素人に現場にいて欲しくは無いのだろう。ただ、ここは譲れなかった。エクレがどれだけ今不安だろうか。一刻も早く会いたかった。
「リュミエール、僕もいく! 僕が乗る前にエクレを止めてたら……」
「兄さん……」
目の前で、エクレが連れて行かれたことに兄はとても動揺していた。
普段ならこんなことを言い出すことはなしない。
「ルナール気持ちは分かるが、おまえの護衛の手間をかけるわけにはいかないだろ。俺たちは、俺たちの護衛と、さっさと中央区に帰るのが、今一番の協力だ」
オーベルが淡々と兄さんに言い聞かせた。
誘拐被害にあったΩが居たことは、既に連絡がまわりつつある。ここに観光にきていたものたちは、皆速やかに家に帰るように言われていた。
「……そうだよね。僕が行っても、邪魔にしかならないか」
頭が冷えたのか、兄はそう呟いた。落ち込んで俯いた彼に目線を合わせる。
「大丈夫、ちゃんとエクレは連れて帰るから。兄さんと通信機で話すあの子は楽しそうだった。また話をしてあげて」
今日だって、本当に楽しそうだった。
花を見て、天国みたいだと呟いていた彼は、この景色に感動していた。
純粋に花を見て、喜び、この国に来れて良かったと、初めてそう言ってくれたのだ。
誘ってくれた兄は悪くない、ここに来れたのは良い想い出になったはずだった。
いや、最後にケチがついたが、絶対にそうしてみせる。
川上で機械に気づかれ、捨てられたようだと聞かされた時は、確保を急いで貰えばよかったと思った。
これでエクレ側の状況が分からなくなってしまったし、犯人たちが焦って妙な事をしないとも限らない。
川の船着き場には、全て通達が行きわたっていた。
私たちは最後の機器の反応から、一番可能性の高い船着き場にいた。
機器を捨てた川は下らないかもしれないと、予想されていたが、そのまま速さを優先するような気がしていた。
「そこの小舟止まれ! 傍に寄せて、船上を確認させろ」
怪しい船影に、警備隊が声をかける。船上の動きが気になった。
「エクレ!!そこにいるのか?いたら、返事をしてくれ!!」
声が出ないようにされている可能性は高かった。それでも声をかけずにはいられなかった。
「いるよ! 俺、ここにいる!!」
大きく叫ばれた返事は、私のもとにまっすぐに飛んできた。
愚かにも川へ飛び込め!という声が聞こえた時には焦った。
奴らがきちんとエクレを運べるかどうかは分からない、手荒な事をしないでくれ!
念のため泳ぐための装備を付けていた警備隊も次々に飛び込んでいった。
あっさりと捕縛されていく、実行犯たち。
エクレは?エクレは何処だ。
「おい!流されてるぞ!」
岸で見ていた一人が叫んだ。
「りゅみ、えーる」
エクレが小さく私を呼んでいるのが分かった。
簡単なライフジャケットを掴み、制止を振り切って、川に飛び込んでいた。
分かる。あそこに彼がいる。
流されながらも、エクレは必死に私に手を伸ばしてくれた。
「エクレ!息をして、しっかり吸って!」
顔は辛うじて出ていたようだが、もう溺れていたと言っても良い状態だった。
口元の布のようなものを、少々強引に外して、彼を自分の肩口までしっかり引き上げた。
反応はあった。意識はある。
うっすらと目を開けて私をみた。
「分かるかい? もう少しだけ頑張って、すぐ岸だから」
人を一人抱えて泳ぐのはなかなか難しいが、短い距離だから大丈夫そうだった。
「なんで……」
エクレは、信じられないといった表情でそう呟いた。
「君の声がした。ちゃんと聞こえたよ」
どんなに小さくても聞き逃したりなんてしない。私を呼んでくれたその声は、ちゃんと届いていた。
「もう、あえないのかと、おもった」
彼は私の首に縋りついた。全身が震えていた。どんなに怖かっただろう。
「絶対に、そんな事にはさせないよ。でも良かった。二度と離さないから」
岸の傍までくると、既に川へ入っていた警備隊の人たちも手をかしてくれた。
彼らが引っ張った方が良かっただろうが、エクレを私から離そうとはしなかった。
私が離さないと思ったのかもしれないし、縋りつくエクレをこれ以上怯えさせたくなかったのかもしれない。
「はやく毛布を、体温が下がっている」
陸に上がると、すぐに何枚もタオルを貰って、エクレを拭いた。
気温は低くはなかったが、陽が落ちているせいでエクレは震えていた。
服の上からしか確認はしていないが、大きな怪我は無いようだった。
無骨な縄の跡はしばらくは残るかもしれない。
全く余計な事をしてくれた。縛るにしてもやり用はいくらであるだろうに、適当にするからこんなことになる。
苦し紛れに川にも飛び込むし、……何が危害は加えないだ。本当に碌な事をしない。
エクレは軽い問診を受ける時には少し、ぼんやりとしていた。疲れたのだろう。
それでも、一緒に行動していた男の人数だけはそれとなく聞いたところ、実行犯は全員捕まえる事が出来たようだ。
港側の仲間にも目星はついていた。あとのことは警備隊が処理をするだろう。
エクレの聞き取りは、落ち着いてからにしてもらった。そもそも、川上で腕輪を取られる前までの流れは、筒抜けだったのだから。
近隣の病院へと移動するまで、エクレは片時も私と離れようとしなかった。
無意識だろうがどちらかの手で私の服をしっかりと握っていた。
「寝てて良いよ。もう大丈夫だから」
うつらうつらとしはじめた彼にそう声をかけると、やっと眠ったようだった。
診察の際に彼の手を離すのは少し苦労した。
びっくりするくらいしっかり握られていたのだ。
医者は必要な検査の時以外、私が傍にいることを許してくれた。
合間を見計らって、ルナールにも連絡を入れた。エクレを無事に保護できたことを伝えると泣いて喜んでいた。また落ち着いたら、声を聞かせてほしいと言われた。
「手首の擦過傷以外はすぐに治るでしょう。おそらく泳いだ時についた、擦り傷打撲が少々といった具合です。人為的な暴行は加えられていません」
装置を外されてからの事が心配だったが、大丈夫だったようだ。大切な商品だ、必要以上に傷つけはしないだろうとは思っていたが、はっきり言われて安心した。
「ただ、少々飲んでしまった水は多かったようです。水質はそれほど悪くはありませんが、嘔吐しないか等、一日様子を見ましょう」
ほとんどが引っ張られて泳いでいた事と、顔は水面から出ていたとのことで肺にまで水が浸入することは無く、酸欠などの症状もみられなかったと聞き安心した。
「身体的にはそれくらいですが、心理的なダメージは我々には推し量れません。のちのち体調へも影響を及ぼす事もあります。注意深く見てあげて下さい」
何かあれば、すぐに相談と念を押された。
「起きたのかい? 何か食べる?」
朝食はまた出るだろうが、軽く何か食べるなら、買ってきたものがあった。
「お水だけちょうだい。……ずっと付いててくれたの?」
食欲は無し。仕方ないか、あんな事があったわけだし。
「当たり前じゃないか。怖かっただろう。すまない、ずっと私が手を繫いでいたら良かったね」
兄が秘密の話をしたいと彼を連れ出したが、視界には入っているし、大丈夫だろうと思ってしまった。
自宅以外で、ましてや中央区の外でするべき事ではなかっただろう。
「違う、誰も悪くないよ。ちょっと色々重なっちゃっただけ。あの……俺、もう気軽には出歩けなくなる?」
「今回のことで警備体制や、移動車、制服の管理等、色々見直しがあるだろう。しばらく中央区外には出るのは控えたいけど、ずっとじゃないよ」
一つの大きな犯罪ルートを摘発できたことは国的には大きかった筈だ。問題点は見えているし、改善策も沢山出てくるだろう。
「エクレは知らない人は苦手かもしれないが、専属の護衛は何人か雇っても良いね。信頼関係を築くのは悪くない」
「そうだね、知ってる人の方が間違えないかも」
護衛の誘導だとおもって、付いて行ったことに落ち込んでいるようだった。
この先、もっと様々な所を訪れたいなら、前向きに検討しよう。
「……いつ家に帰れる?」
「今日の夜には。ただ、体調が悪くなったらすぐ教えて」
私の言葉に、エクレの瞳から静かに涙がこぼれた。
「どうした!? やっぱりしんどい?」
「え? あぁ、ごめん。なんか安心して。良かった。俺今日には、貴方と帰れるんだね」
彼は自分が泣いたことに、気づいていなかった。
拭おうと伸ばした私の手を両手で握った。
「こんな事があったから、てっきりまた何処かに移されるのかと思った」
彼の手は震えていた。落ち着いて見えたけれど、相当怖かったのだろう。
「君が不安なら、以前の施設には戻れるが……」
基本的にエクレが何処にいたいのかが優先される。彼が戻りたいなら、今の家を出ることは簡単だ。
「嫌だ! ねぇ、傍にいて。リュミエールと一緒が良い」
聞いた事がないくらい必死な声だった。
「大丈夫、君が望むなら、ずっと傍にいる」
そっと抱きしめると、エクレがギュッと手をまわしてきた。
「貴方といる。あの家が良い」
「私からは、絶対に君を離さないよ。一緒に帰ろう私たちの家に」
彼が落ち着くまでずっと、背中を撫でながら、何度もそう伝えた。
私たちの家に一緒に帰りたいと言ってくれたことが、少し不謹慎だが、私には嬉しかった。
エクレが落ち着くまでしばらく仕事は休ませてもらおう。今は彼のケアをしてあげたかった。
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