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噂の種
しおりを挟む翌朝、屋敷の玄関前に停まった馬車から、再びカミラが降り立った。
昨日の噂を思えば、彼女の来訪は予想できた。
けれど、胸の奥は不安と苛立ちでざわめく。
「まあ奥様、今日はご在宅で良かったわ」
カミラは、まるで旧友にでも会ったかのような笑みを浮かべて近づく。
深紅のドレスに散りばめられた宝石が陽光を反射し、その存在感は周囲の空気を奪うようだった。
「……ご用件は?」
「今夜の舞踏会、カルロス様とご一緒にいらっしゃるでしょう?」
「ええ……」
「まあ、楽しみですわね。——お二人で踊られるお姿、見られるのは久しぶりですもの」
言葉は柔らかいが、その奥には明らかな含みがあった。
彼女はわざと視線を外し、廊下の奥を眺める。
「……カルロス様は昨夜も、私の話をたくさん聞いてくださったのよ」
「……そう、ですか」
「ええ。——奥様のことも、少しだけ」
その一言に、胸がざわりと波打つ。
何を、どこまで話したのか。訊き返したい衝動を必死に抑える。
舞踏会の夜。
王城の大広間は光と音と人で満ちていた。高い天井から吊るされたシャンデリアが煌めき、楽団が軽やかな旋律を奏でる。
私はカルロスの腕に手を添えながら入場したが、視線は自然と人々の間を泳ぐ。
カミラはすでに到着しており、群がる貴族たちの輪の中心にいた。
笑い声と視線の矛先は、隣に立つカルロスに向かう。
「カルロス様、今宵は奥様とご一緒なのですね」
「……当然だ」
短く返したカルロスの声音には棘がない。だが、表情は固い。
それでも、踊りの時間になると、カルロスは私を中央へと導いた。
手を取られた瞬間、冷たそうに見えた指先が意外なほど温かく、思わず顔を上げてしまう。
「……下を向くな。堂々としていろ」
「……はい」
曲が始まり、二人でステップを踏む。
カルロスのリードは正確で、足を踏み外すことはなかった。
けれど、周囲からの視線は痛いほど感じる。
その中に、カミラのじっとした視線も混じっていた。
休憩時間。
私が一人でバルコニーに出ると、すぐにカミラが現れた。
夜風に揺れる黒髪が月光を受け、妖しい光を帯びている。
「——本当は、今日も私と来るはずだったのよ」
「……何のことです?」
「とぼけても無駄よ。カルロス様はね、私の話を聞く時だけ——優しい顔をなさるの」
胸の奥に冷たいものが落ちた。
信じたくなくても、彼女の自信に満ちた声音は、揺さぶるには十分だ。
「……あなたは、何が目的なの」
「さあ、何かしら?」
笑みを浮かべたまま、カミラは私の耳元に囁く。
「でも覚えておいて。——カルロス様は私を選ぶわ」
その時だった。
背後から重い足音が響き、低い声が割って入る。
「……何をしている」
振り向けば、カルロスが立っていた。
金色の瞳が鋭く光り、カミラを射抜く。
「——お帰りいただこうか、カミラ」
「まあ、随分冷たいのね」
「必要なことだ」
有無を言わせぬ声に、カミラは肩をすくめ、バルコニーを去っていった。
「……何を言われた」
「……別に」
「嘘だな」
カルロスは近づき、私の顎を軽く持ち上げる。
真剣な眼差しが、逃げ道を奪う。
「——あいつの言葉を信じるな。俺は……」
一瞬、何かを言いかけて、口をつぐむ。
代わりに、私の手を強く握った。
「……帰るぞ」
その手の温もりが、不思議と胸の奥の痛みを少しだけ和らげた。
けれど、疑念は消えないままだった。
舞踏会から帰った夜。
寝室に戻った私は、ドレスの裾を掴んだまま、鏡の前に座り込んでいた。
カミラの耳元での囁きが、まだ消えない。
——カルロス様は私を選ぶわ。
彼女の勝ち誇った瞳、唇の端に浮かんだ余裕の笑み。
どんなに打ち消そうとしても、胸の奥に残った不安は膨らむばかりだった。
扉がノックもなく開き、カルロスが入ってきた。
軍服から黒いシャツ姿に変わっており、髪もわずかに乱れている。
「着替えは済んだか」
「……ええ」
「顔色が悪いな」
低く抑えた声が、少しだけ柔らかい。
だが、私が視線を合わせないことに気づくと、カルロスは歩み寄り、背後から私の肩に手を置いた。
「……カミラに、何を言われた」
「……何も」
「嘘だ」
鏡越しに金色の瞳と目が合う。
そこには苛立ちだけでなく、何かを探るような色があった。
「……お前が黙っていると、俺は……余計に苛立つ」
「……私が何を思おうと、関係ないでしょう」
「ある」
短く断言されたその声は、妙に真っ直ぐで、心の奥をかすめた。
けれど、私が何かを返す前に、カルロスは肩から手を離した。
「もう遅い。休め」
それだけ言い残し、彼は寝室を出て行った。
翌日。
朝食の席に、カルロスの姿はなかった。
マリアが「早朝から外出なさった」と耳打ちする。
理由を問おうとしたが、その前に別の侍女が駆け込んできた。
「奥様……! 街で……カルロス様とカミラ様が——」
「落ち着いて。何があったの?」
「……二人で宝飾店に入って行かれたのを、何人もが見て……婚約祝いではないかと……」
婚約祝い。
その言葉が耳に届いた瞬間、頭の中が真っ白になる。
まるで私の存在が最初からなかったかのような噂の広がり方。
これは——偶然ではない。
その日の午後、噂はさらに膨らみ、
「カルロス様は近く正式に奥様と離縁され、カミラ様と結婚なさる」
という形にまで変わっていた。
夕刻、カルロスが戻った。
玄関ホールで彼の姿を見つけると、胸の奥から感情がこみ上げる。
「……今日は、どちらへ?」
「用事だ」
「……カミラ様と宝飾店に?」
一瞬、カルロスの表情が固まる。
次の瞬間、長い足取りで距離を詰め、私の手首を軽く掴んだ。
「……見たのか」
「見てはいません。でも、聞きました。皆が話していました」
「くだらない」
「くだらなくなんて……!」
思わず声が震える。
カルロスは眉をひそめ、しかしすぐに手を緩めた。
「……あれは、お前のためだった」
「私の……?」
「説明はまだできない。だが——俺はお前を手放さない」
その言葉は真っ直ぐで、強い。
けれど、理由を明かさない彼を信じるには、あまりに状況が不利すぎた。
「……信じろと言うのですか」
「そうだ」
沈黙。
やがてカルロスは手を離し、低く呟く。
「信じられないなら……俺にもっと近づけ」
意味を問い返す前に、彼は背を向けて去って行った。
彼の足音が遠ざかったあと、私はその場に立ち尽くしていた。
胸の奥では、疑念と——わずかな期待が、静かにせめぎ合っていた。
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