心配するな、俺の本命は別にいる——冷酷王太子と籠の花嫁

柴田はつみ

文字の大きさ
12 / 44

第11章「囚われの心」

しおりを挟む

 秋雨が続き、王宮の空はどこか沈んだ色を纏っていた。
 灰色の雲が流れ、窓に打ちつける雨粒の音が絶え間なく響く。
 セレーネは寝室の椅子に腰掛け、両手を膝の上で固く握りしめていた。

 ——信じられない、と言われた。
 ——望んでいない、と突き放された。

 それでも胸の奥には、消せない温もりが残っている。
 雨の日に自分を抱きとめてくれた腕の熱。
 「誰にも触れさせない」と囁いた矛盾の言葉。

「……忘れられないのです」

 小さな声が、静まり返った部屋に溶けた。



 昼下がり、王妃教育の講義の合間に庭園を歩いていると、侍女たちの囁きが耳に入る。

「ご覧になった? 殿下とイリス様のこと」
「ええ。あれはもはや噂ではなく……」
「妃殿下はお気の毒に」

 セレーネは歩みを止めず、ただ顔を伏せた。
 耳を塞ぎたいのに、言葉は容赦なく突き刺さる。
 胸が痛み、息が詰まる。

 ——私は囚われている。
 彼の冷酷な言葉に、優しさに、矛盾に。

 逃れたくても、心はすでに捕らえられてしまっていた。



 その夜。
 晩餐会の後、王宮の長い回廊を歩いていると、不意に声がかかった。

「妃殿下」
 振り返ると、カイルが立っていた。
 隣国の騎士団長は穏やかな微笑を浮かべ、深々と礼をする。

「お一人で歩まれるのは危うい。お供いたします」
「……ありがとうございます」

 二人並んで歩く。
 彼の声は低く落ち着き、雨の後の大地のような温もりがあった。

「殿下に……心を囚われておられるのでしょう」
 思いがけない言葉に、セレーネは息を呑んだ。

「なぜ……」
「瞳を見ればわかります。痛みを抱えておられる瞳です」

 優しい言葉が胸を抉る。
 涙が溢れそうになるのを必死に堪え、セレーネは小さく首を振った。

「私は……妃候補として務めを果たすだけです」
「それでも心までは縛れない」

 歩みを止め、カイルは真摯な眼差しで告げた。
 セレーネは答えられず、ただ瞳を逸らした。



 部屋に戻ると、月明かりの中にレオニスの姿があった。
 窓辺に立ち、黙って夜空を見上げている。

「……殿下」
「遅かったな」
 振り返る瞳は冷たいはずなのに、奥底に揺らぎを宿している。

「カイルと一緒だったな」
「……はい。回廊で偶然……」
「言い訳はするな」

 低い声。
 近づいてきたレオニスが、彼女の腕を掴む。
 強い力に痛みを覚えながらも、セレーネは問いかけずにはいられなかった。

「殿下……なぜ、私を縛るのですか。心は別にあると仰ったのに……」
「……お前は俺の妃だ」

 短い言葉。
 だが、その声の震えが彼の本心を告げているようで、胸が張り裂けそうになる。

「……殿下……」

 涙が零れ落ちる。
 信じられないと拒絶されても、なお求めてしまう心。
 それはもはや牢獄のように、彼女を捕らえて離さなかった。



 その夜、寝台に横たわったセレーネは、涙に濡れたまま月に囁いた。

「私は……囚われているのですね。殿下の言葉にも、優しさにも……」

 答えは返らず、ただ月が静かに輝くだけだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

殿下に寵愛されてませんが別にかまいません!!!!!

さくら
恋愛
 王太子アルベルト殿下の婚約者であった令嬢リリアナ。けれど、ある日突然「裏切り者」の汚名を着せられ、殿下の寵愛を失い、婚約を破棄されてしまう。  ――でも、リリアナは泣き崩れなかった。  「殿下に愛されなくても、私には花と薬草がある。健気? 別に演じてないですけど?」  庶民の村で暮らし始めた彼女は、花畑を育て、子どもたちに薬草茶を振る舞い、村人から慕われていく。だが、そんな彼女を放っておけないのが、執着心に囚われた殿下。噂を流し、畑を焼き払い、ついには刺客を放ち……。  「どこまで私を追い詰めたいのですか、殿下」  絶望の淵に立たされたリリアナを守ろうとするのは、騎士団長セドリック。冷徹で寡黙な男は、彼女の誠実さに心を動かされ、やがて命を懸けて庇う。  「俺は、君を守るために剣を振るう」  寵愛などなくても構わない。けれど、守ってくれる人がいる――。  灰の大地に芽吹く新しい絆が、彼女を強く、美しく咲かせていく。

断罪された私ですが、気づけば辺境の村で「パン屋の奥さん」扱いされていて、旦那様(公爵)が店番してます

さくら
恋愛
王都の社交界で冤罪を着せられ、断罪とともに婚約破棄・追放を言い渡された元公爵令嬢リディア。行き場を失い、辺境の村で倒れた彼女を救ったのは、素性を隠してパン屋を営む寡黙な男・カイだった。 パン作りを手伝ううちに、村人たちは自然とリディアを「パン屋の奥さん」と呼び始める。戸惑いながらも、村人の笑顔や子どもたちの無邪気な声に触れ、リディアの心は少しずつほどけていく。だが、かつての知り合いが王都から現れ、彼女を嘲ることで再び過去の影が迫る。 そのときカイは、ためらうことなく「彼女は俺の妻だ」と庇い立てる。さらに村を襲う盗賊を二人で退けたことで、リディアは初めて「ここにいる意味」を実感する。断罪された悪女ではなく、パンを焼き、笑顔を届ける“私”として。 そして、カイの真実の想いが告げられる。辺境を守り続けた公爵である彼が選んだのは、過去を失った令嬢ではなく、今を生きるリディアその人。村人に祝福され、二人は本当の「パン屋の夫婦」となり、温かな香りに包まれた新しい日々を歩み始めるのだった。

大嫌いな従兄と結婚するぐらいなら…

みみぢあん
恋愛
子供の頃、両親を亡くしたベレニスは伯父のロンヴィル侯爵に引き取られた。 隣国の宣戦布告で戦争が始まり、伯父の頼みでベレニスは病弱な従妹のかわりに、側妃候補とは名ばかりの人質として、後宮へ入ることになった。 戦争が終わりベレニスが人質生活から解放されたら、伯父は後継者の従兄ジャコブと結婚させると約束する。 だがベレニスはジャコブが大嫌いなうえ、密かに思いを寄せる騎士フェルナンがいた。   

ワザとダサくしてたら婚約破棄されたので隣国に行きます!

satomi
恋愛
ワザと瓶底メガネで三つ編みで、生活をしていたら、「自分の隣に相応しくない」という理由でこのフッラクション王国の王太子であられます、ダミアン殿下であらせられます、ダミアン殿下に婚約破棄をされました。  私はホウショウ公爵家の次女でコリーナと申します。  私の容姿で婚約破棄をされたことに対して私付きの侍女のルナは大激怒。  お父様は「結婚前に王太子が人を見てくれだけで判断していることが分かって良かった」と。  眼鏡をやめただけで、学園内での手の平返しが酷かったので、私は父の妹、叔母様を頼りに隣国のリーク帝国に留学することとしました!

政略結婚で「新興国の王女のくせに」と馬鹿にされたので反撃します

nanahi
恋愛
政略結婚により新興国クリューガーから因習漂う隣国に嫁いだ王女イーリス。王宮に上がったその日から「子爵上がりの王が作った新興国風情が」と揶揄される。さらに側妃の陰謀で王との夜も邪魔され続け、次第に身の危険を感じるようになる。 イーリスが邪険にされる理由は父が王と交わした婚姻の条件にあった。財政難で困窮している隣国の王は巨万の富を得たイーリスの父の財に目をつけ、婚姻を打診してきたのだ。資金援助と引き換えに父が提示した条件がこれだ。 「娘イーリスが王子を産んだ場合、その子を王太子とすること」 すでに二人の側妃の間にそれぞれ王子がいるにも関わらずだ。こうしてイーリスの輿入れは王宮に波乱をもたらすことになる。

聖女の座を追われた私は田舎で畑を耕すつもりが、辺境伯様に「君は畑担当ね」と強引に任命されました

さくら
恋愛
 王都で“聖女”として人々を癒やし続けてきたリーネ。だが「加護が弱まった」と政争の口実にされ、無慈悲に追放されてしまう。行き場を失った彼女が選んだのは、幼い頃からの夢――のんびり畑を耕す暮らしだった。  ところが辺境の村にたどり着いた途端、無骨で豪胆な領主・辺境伯に「君は畑担当だ」と強引に任命されてしまう。荒れ果てた土地、困窮する領民たち、そして王都から伸びる陰謀の影。追放されたはずの聖女は、鍬を握り、祈りを土に注ぐことで再び人々に希望を芽吹かせていく。  「畑担当の聖女さま」と呼ばれながら笑顔を取り戻していくリーネ。そして彼女を真っ直ぐに支える辺境伯との距離も、少しずつ近づいて……?  畑から始まるスローライフと、不器用な辺境伯との恋。追放された聖女が見つけた本当の居場所は、王都の玉座ではなく、土と緑と温かな人々に囲まれた辺境の畑だった――。

私がいなくなっても構わないと言ったのは、あなたの方ですよ?

睡蓮
恋愛
セレスとクレイは婚約関係にあった。しかし、セレスよりも他の女性に目移りしてしまったクレイは、ためらうこともなくセレスの事を婚約破棄の上で追放してしまう。お前などいてもいなくても構わないと別れの言葉を告げたクレイであったものの、後に全く同じ言葉をセレスから返されることとなることを、彼は知らないままであった…。 ※全6話完結です。

私は真実の愛を見つけたからと離婚されましたが、事業を起こしたので私の方が上手です

satomi
恋愛
私の名前はスロート=サーティ。これでも公爵令嬢です。結婚相手に「真実の愛を見つけた」と離婚宣告されたけど、私には興味ないもんね。旦那、元かな?にしがみつく平民女なんか。それより、慰謝料はともかくとして私が手掛けてる事業を一つも渡さないってどういうこと?!ケチにもほどがあるわよ。どうなっても知らないんだから!

処理中です...