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第11章「囚われの心」
しおりを挟む秋雨が続き、王宮の空はどこか沈んだ色を纏っていた。
灰色の雲が流れ、窓に打ちつける雨粒の音が絶え間なく響く。
セレーネは寝室の椅子に腰掛け、両手を膝の上で固く握りしめていた。
——信じられない、と言われた。
——望んでいない、と突き放された。
それでも胸の奥には、消せない温もりが残っている。
雨の日に自分を抱きとめてくれた腕の熱。
「誰にも触れさせない」と囁いた矛盾の言葉。
「……忘れられないのです」
小さな声が、静まり返った部屋に溶けた。
昼下がり、王妃教育の講義の合間に庭園を歩いていると、侍女たちの囁きが耳に入る。
「ご覧になった? 殿下とイリス様のこと」
「ええ。あれはもはや噂ではなく……」
「妃殿下はお気の毒に」
セレーネは歩みを止めず、ただ顔を伏せた。
耳を塞ぎたいのに、言葉は容赦なく突き刺さる。
胸が痛み、息が詰まる。
——私は囚われている。
彼の冷酷な言葉に、優しさに、矛盾に。
逃れたくても、心はすでに捕らえられてしまっていた。
その夜。
晩餐会の後、王宮の長い回廊を歩いていると、不意に声がかかった。
「妃殿下」
振り返ると、カイルが立っていた。
隣国の騎士団長は穏やかな微笑を浮かべ、深々と礼をする。
「お一人で歩まれるのは危うい。お供いたします」
「……ありがとうございます」
二人並んで歩く。
彼の声は低く落ち着き、雨の後の大地のような温もりがあった。
「殿下に……心を囚われておられるのでしょう」
思いがけない言葉に、セレーネは息を呑んだ。
「なぜ……」
「瞳を見ればわかります。痛みを抱えておられる瞳です」
優しい言葉が胸を抉る。
涙が溢れそうになるのを必死に堪え、セレーネは小さく首を振った。
「私は……妃候補として務めを果たすだけです」
「それでも心までは縛れない」
歩みを止め、カイルは真摯な眼差しで告げた。
セレーネは答えられず、ただ瞳を逸らした。
部屋に戻ると、月明かりの中にレオニスの姿があった。
窓辺に立ち、黙って夜空を見上げている。
「……殿下」
「遅かったな」
振り返る瞳は冷たいはずなのに、奥底に揺らぎを宿している。
「カイルと一緒だったな」
「……はい。回廊で偶然……」
「言い訳はするな」
低い声。
近づいてきたレオニスが、彼女の腕を掴む。
強い力に痛みを覚えながらも、セレーネは問いかけずにはいられなかった。
「殿下……なぜ、私を縛るのですか。心は別にあると仰ったのに……」
「……お前は俺の妃だ」
短い言葉。
だが、その声の震えが彼の本心を告げているようで、胸が張り裂けそうになる。
「……殿下……」
涙が零れ落ちる。
信じられないと拒絶されても、なお求めてしまう心。
それはもはや牢獄のように、彼女を捕らえて離さなかった。
その夜、寝台に横たわったセレーネは、涙に濡れたまま月に囁いた。
「私は……囚われているのですね。殿下の言葉にも、優しさにも……」
答えは返らず、ただ月が静かに輝くだけだった。
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