氷の王妃は跪かない ―褥(しとね)を拒んだ私への、それは復讐ですか?―

柴田はつみ

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第五章:懐かしき声、あるいは突き放された真実

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 ヴィオラとカレンという“側室”による波状の攻めに、エルフレイデの精神はすでに限界へと追い詰められていた。
 だが、運命は彼女に息つく間すら与えない。

 ある朝、王宮――白亜宮の門が、ひときわ高らかなファンファーレとともに開かれた。

「アステラ王国第一王女、リヴィア様がお着きになりました!」

 その名を聞いた瞬間、周囲の侍女たちの顔色が一斉に変わる。
 アステラ王国はターナルの隣国にして長年の盟友。そして王女リヴィアは、ギルベルトが幼少期を共に過ごした、誰もが認める“許嫁候補”だった。

 エルフレイデは、正妃としての責務だけを支えに、北塔から出迎えの場へと降り立つ。

 馬車から姿を現したリヴィアは、春の陽光をまとったような輝かしい美女だった。
 彼女はエルフレイデを一顧だにせず、まっすぐギルベルトへ駆け寄る。

「ギル様! お会いしたかったわ!」

 その瞬間、エルフレイデの視界が歪んだ。
 自分を“毒蛇の娘”と呼び、氷の眼差しで突き放したあの男が――

 リヴィアを抱きとめ、肩に手を添え、見たこともないほど穏やかな微笑みを浮かべている。

「リヴィア。相変わらず騒がしいな。……長旅で疲れてはいないか」
「ギル様のお顔を見れば、疲れなんて吹き飛びますわ。……あら、そちらが噂の“氷の王妃”様?」

 リヴィアは値踏みするようにエルフレイデへ視線を向けた。
 そこにあるのは、側室たちが抱いていた奇妙な畏敬ではなく――“先住者”としての、揺るぎない優越。

「初めまして。私、ギル様とは乳兄弟のようなものですの。
 彼の好む葡萄酒も、眠れぬ夜の癖も、すべて知っていますわ。……貴女が彼を拒んでいる間、私が代わりに心を癒して差し上げてもよろしいかしら?」

「……陛下がどなたをお側に置かれようと、私の関知するところではありませんわ、リヴィア様」

 エルフレイデは、氷のように完璧な礼節で応じた。

 ――だが、その後の光景は、彼女の強靱な精神を音もなく削り落としていく。

 その日の午餐会。
 ギルベルトはエルフレイデを隣に座らせていながら、視線も会話も、ただリヴィアにのみ向けていた。

「覚えているか、リヴィア。昔、二人で庭の池に落ちたこと」
「あら、あのときは陛下のお父上に、ひどく叱られましたわね。……今でも、あの庭の薔薇を愛していらっしゃるの?」
「ああ。お前が植えたものは、今も大切に守らせている」

 ――エルフレイデの入り込めない、共有された“年月”。

 ギルベルトが自分に向けるのは拒絶と試練ばかり。
 それなのに、リヴィアへ向けるのは、慈愛に満ちた穏やかな眼差し。

(……ああ。そういうこと――だったのね)

 喉を通らぬ料理を、銀のフォークでただ弄ぶ。

 側室を増やしたのは、自分への復讐のためだと思っていた。
 けれど、この“本物”を前にして、エルフレイデは残酷な真実を悟る。

――彼は、ただ自分を愛していないだけ。

 自分は忌まわしき同盟のための道具。
 彼の心には、初めから入り込む余地などなかったのだ。

「……陛下。少々体調が優れませんので、これにて失礼いたします。
 リヴィア様――どうぞごゆっくり」

 限界の声でそう告げ、エルフレイデは席を立つ。

 そのとき、ギルベルトの視線が初めて彼女を捉えた。
 一瞬、その瞳に焦燥の色が宿る――だが、彼女がそれに気づく前に、背を向けていた。

 北塔へ戻る道すがら、夜風が頬を刺す。

(面白くない……。少しも、面白くなんてないわ)

 胸に渦巻く感情が“嫉妬”だと認めること。
 それは、褥を共にしないと誓った彼女にとって、死よりも耐え難い“敗北”だった。

 北塔の重い扉を閉ざすと、闇の中で――初めて、声を殺して泣いた。

 一方その頃。
 リヴィアを見送ったギルベルトは、誰もいない回廊で壁を殴りつけていた。

「……クソ。あんな顔を、させたかったわけじゃない……!」

 リヴィアとの仲睦まじい芝居は、エルフレイデの母国から放たれた間者に、

 『王は完全にアステラ寄りで、王妃には興味がない』

 ――そう思わせ、監視を緩めさせるための“最後の一手”。

 だが、去り際に見た、今にも壊れそうな背中が、ギルベルトの心臓を無慈悲に締めつける。

「妃よ……俺を恨め。俺に触れるな。
 ――でなければ、お前を守り切れない」

 王の愛は、王妃の絶望という形を取り、
 二人を、なおも遠く引き裂こうとしていた。
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