地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい

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3 侯爵家令息 ディオン・ボルテール

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 今年、王立貴族学園をトップの成績で卒業したディオンは、王宮の文官になっていた。まだ18歳のディオンだが、その優秀さと生まれの良さから、将来の宰相候補として王宮中の注目を集めている。ディオンは歴史あるボルテール侯爵家の長男だ。ボルテール家の当主である父ジェルマンは、長年に渡り国王の側近を務めている、この国の重臣である。そして母アネットは由緒正しい伯爵家の出身で、母の弟である叔父は卓越した領地経営の腕を持っていることで有名だ。また、ディオンの双子の妹であるマドレーヌは、来月、この国の四大公爵家の一つ、シャノワーヌ公爵家の長男に嫁ぐ予定なのである。本人の才能に加え、いくつもの大きな後ろ盾を持つディオン。誰の目から見てもディオンの未来は明るく輝いていると思われた。
 
 王宮勤めを始めて暫く経った頃、ディオンは自分と同じ王宮文官の中に、自身の母によく似た容姿の女性がいることに気が付いた。年齢も、おそらくディオンの母と同じくらいだろう。ベテラン文官のその女性は平民なのだそうだ。とても有能な文官であるにもかかわらず、女性で尚且つ平民であることが出世のネックになり「主任」止まりなのだと上司から聞いた。ディオンは母に似ているその女性文官の事が何となく気になったが、仕事上直接関係がある訳でもなかった為、その女性と言葉を交わす機会は無かった。
 ところが、その日突然、彼女の方からディオンに近付いて来たのだ。それは、ディオンが仕事の合間の僅かな時間、人気のないロビーで一人、休憩していた時の事だ。

「ボルテール様。少しよろしいでしょうか?」
 声を掛けて来たのが、母によく似たあの女性文官だと気付いたディオンは、思わず居住まいを正した。そんなディオンに彼女は柔らかく微笑みかける。
「突然お声掛けをして申し訳ございません。文官のサラと申します。平民ですので姓はありません。実はボルテール様に大事なお話があるのです。失礼は承知の上でございますが、明日の夜、こちらに来て頂けないでしょうか?」
 そう言って、差し出されたメモには何処かの住所が書き付けられていた。
「この住所は?」
 と、ディオンが訝しげに尋ねると、彼女は、
「私の自宅です」
 と、答えた。
「貴女の自宅? 話というのは今、この場で話すことが出来ない内容なのですか?」
 そう問うディオンに、彼女は母に似た瞳をスッと細めた。
「ええ。だってアナタ達、ボルテール侯爵家の双子の兄妹のうちの一人が、実は私の産んだ子供だなんて、そんな話を王宮内で詳しく話せないでしょう?」

 彼女の言葉を聞いたディオンは息を呑んだ。そして、暫しの沈黙後、低く声を出す。
「双子の兄妹とは、俺とマドレーヌのことを言っているのか?!」
 その声には怒気がこもっていた。だが、サラと名乗った女は微塵も動じる気配は無い。
「ええ、そうです。アナタと妹さんは実は双子ではありません。一人は確かに侯爵夫人アネット様が出産された御子様です。でももう一人は、同時期に平民の私が産んだ、不義の子なのです」
「……貴女は父上の愛人という事か?」
「ええ。とにかく詳しい話は明日の夜に。必ず、お一人で来てくださいね」
 そう言い残すと、サラは足早に立ち去った。

 
 その夜、屋敷に戻ったディオンは、自室で独り、頭を抱えていた。まさか父に愛人がいるなど、考えた事もなかった。ディオンの知る限り、父と母は仲睦まじい夫婦だったからだ。だが、言われてみれば確かに父は時折外泊をすることがあった。てっきり仕事だと思っていたが、愛人と会っていたのか……。サラは母アネットによく似た容姿をしている。ディオンは、同じ男として、父ジェルマンがサラと関係を持った理由が分かる気がした。父は真に母を愛していると思う。ただ、男というのは本当に愛している女性には向けられない醜い欲を持っているものだ。愛する女性にそっくりな平民の女……男としての欲をぶつけるには打って付けの相手ではないか。いや、それよりも……と、ディオンはサラとの会話を思い起こす。問題は父に愛人がいる事ではない。それだけなら貴族男性にはよくある話だ。

「まさか、俺とマドレーヌが双子ではなかったとは……」
 自分たち双子のうち、どちらかがサラの産んだ不義の子だと言う彼女の話は、俄かには信じられない話ではある。だが、侯爵家の長男であるディオンに平民の女がそんな大それた嘘を吐けるのか? 上位貴族に無礼な嘘など吐けば、平民のサラは王宮文官をクビになる可能性すらあるのだ。サラの話はおそらく事実なのだろうとディオンは思った。サラの態度や言葉からも作り話をしている気配は感じなかった。
「あの女が、マドレーヌの実の母親か……」
 サラは母アネットによく似ている。つまり、マドレーヌに似ているのだ。ディオンは父に似ていて、妹マドレーヌは母に似ている――幼い頃からそう思っていたし、周囲の者からもよく言われた。そのことに何の疑問も持った事はない。まさか父が、母に似た女を愛人にした上に、子供まで産ませていたとは――

「母上は全て、知っているんだよな……?」
 ディオンとマドレーヌを双子として、つまり二人とも自分の産んだ子供として、母アネットは育ててきたのだ。夫の愛人が産んだ子を、我が子と一緒に双子として育むなど、簡単に出来ることではない。自分の母は驚くほど寛容な女性だったのだとディオンは思った。その一方で思い出す。子供の頃「お母様は私よりもお兄様のことが大事なのだわ」と言って、マドレーヌはよく拗ねていた――
「あれは、強ちマドレーヌの思い込みではなかったのかも知れないな」
 マドレーヌが感じていた、双子の自分たちに対する母の愛情の温度差は実際にあったのだろう。ただそれは、ディオンが妹の思い込みだと感じた程度の温度差だ。母はマドレーヌにも優しかったし、きちんと躾や教育を施し、何処に出しても恥ずかしくない侯爵令嬢に育て上げた。マドレーヌとシャノワーヌ公爵家の長男との婚約も表向きは両家の当主が決めた事になっているが、実質取り纏めたのは母である。
⦅ 母上は愛人が産んだ子供を公爵家に嫁がせる為に奔走していたのか……⦆
 マドレーヌが感じたディオンに対する愛情との差は実際にあったかもしれない。だが、それでもやはり母アネットが慈悲深い女性であることは間違いない、とディオンは思った。

「問題は、あのサラという女が何を企んでいるかだ」
 唐突に自分に接触して来た父の愛人。何か目的があるはずだ。まさかマドレーヌが公爵家に嫁ぐことを知って――
「邪魔だな」
 マドレーヌと公爵家令息の結婚式は来月に迫っている。万が一、マドレーヌが平民の女から産まれた不義の子だと知れれば、当然、婚姻は破談になる。相手はこの国の四大公爵家の一角を占めるシャノワーヌ公爵家の長男なのだ。醜聞など許されない。まして血を重んじる貴族の婚姻において、出自に関する醜聞はタブーの中のタブーなのである。



 翌日の夜。ディオンはメモに書かれた住所を訪ねた。サラは嬉しそうにディオンを自宅の中に招き入れた。
「ボルテール様、来てくださったんですね。良かった。いろいろとお話ししたい事があるんです。どうぞこちらに腰掛けてください。あ、今お茶を入れますね。少しお待ちください」
 そう言って背を向けたサラ。音を立てぬように懐からロープを取り出したディオンは、背後からそっとサラに近付き、そして――彼女の細い首をロープで一気に締め上げた。
「お前などに、マドレーヌの幸せを奪わせるものか!」






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