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4 侯爵 ジェルマン・ボルテール

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 明くる日。有能な女性文官のサラが自宅で首を絞められ殺されていた――というショッキングな報せが王宮の中を駆け巡った。

「サラが……死んだ?」
 王宮内の自身の執務室でその報せを聞いたジェルマンは己の耳を疑った。

 無断欠勤を心配した同僚の文官がサラの自宅を訪ね、彼女の死体を発見したのだという。部屋が酷く荒らされていた事から、駆け付けた騎士団は強盗の犯行だと断定したらしい。

「そうらしいです。気の毒に……。ずっと独り身で小金を貯めていると思われて、狙われたのでしょうねぇ」
 そう呟く部下の声を聞きながら、ジェルマンは必死に平静を装っていた。
 まさか、こんな形で長年に亘る愛人サラとの腐れ縁が切れるとは思ってもいなかった。
 ⦅ サラが殺された……⦆ 
 王宮人事部門からの正式な報告を受けても尚、ジェルマンは信じられぬ思いだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 20年以上前。侯爵家の令息だったジェルマンが平民のサラと知り合った場所は、王立貴族学園の生徒会室だった。
 初めてサラを見た時には驚いた。サラが、自身の婚約者アネットにとても似ていたからだ。愛する婚約者によく似た容姿をしているサラに、ジェルマンは最初から好意を抱いた。
 当時から王太子(現国王)の側近だったジェルマンは生徒会長である王太子の補佐をしていて、書記を務めるサラと毎日のように顔を合わせるようになり、二人の距離は次第に近付いていった。そして出会ってから2年後、ジェルマンはサラに押し切られる形で彼女と恋人関係になった。けれどこの時ジェルマンはサラと長く付き合う気など無かったし、その事ははっきりとサラにも伝えていた。
 
 ジェルマンは幼い頃からの婚約者アネットを心から愛していた。だが、アネットの父親はとにかく堅物で、年頃の娘に男が近付く事が無いようにとアネットを王立貴族女子学院に入れたばかりか、婚約者であり幼馴染でもあるジェルマンの事さえ、ジェルマンが二次性徴を迎えた辺りから遠ざけ始めたのだ。ジェルマンとアネットが子供の頃は何も制限はされず、頻繁にお互いの屋敷を訪れて一緒に過ごしていたというのに、この頃のジェルマンは2ヶ月に一度程度しかアネットの顔を見ることが出来なかった。
 そんな状況の中、婚約者アネットによく似たサラとの交際は、ジェルマンの心を弾ませた。休日にはいつも平民を装いサラと街に出かけた。サラの笑顔にアネットの笑顔が重なる。サラを喜ばせるとアネットが喜んでくれているような錯覚に陥った。

 それでもアネットと結婚する頃には、きっぱりとサラと別れるつもりだった。だがサラは別れを拒否し、彼女に未練のあったジェルマンは、結局、流されてしまった。本当はサラを手放したくないという気持ちを、彼女に見透かされていたのだと思う。
 そして、アネットとの結婚後もサラとの関係は続き――あろうことか、ある日、サラに【妊娠】を告げられたのである。

「君はいつも避妊薬を飲んでいると言っていたじゃないか! 私を騙したのか!?」
 思わず声を荒げるジェルマン。
「私が妊娠したと知っての第一声がそれですか!?」
 ジェルマンを睨み付けるサラ。
 サラはお腹の子を堕胎すると言い始めた。完全に喧嘩腰である。
「そんな事は許さない! 私の子を勝手に殺すなど許さないぞ!」
 ジェルマンは、たとえ望んだ訳ではない子であっても、とにかく自分の血を引く子をサラの身勝手で堕胎するなど、とんでもない事だ、この悪女め、とサラを罵った。

「私は文官の仕事を思い切りしたいんです。子供なんて足枷にしかなりません。どうしても産めと言うのなら、出産後はそちらで子供を引き取ってください。貴方の御自慢のお優しい奥様に育ててもらえばいいでしょう?」
 サラは厭味たらしく、そう言い放った。その台詞に顔色を変えるジェルマン。
「アネットに、君の産んだ子を育てろと言うのか!? 愛人が産んだ子を妻に育てろと?! よくもそんな非情な事が言えるものだな! そんなにもアネットが憎いか!?」
 ジェルマンは語気を強め、拳を握り締めた。
「『非情』ねぇ……。貴方の方がずっと非情だと思いますけど」
「何だと!?」



 散々揉めた末に、結局、ジェルマンはサラの子を侯爵家に引き取る決心をした。自分の血を引く子を上位貴族としてきちんと育てるにはそうする以外ない。仕方がない。妻に頭を下げて子を任せよう――
 ジェルマンは意を決して、サラという愛人の存在とその妊娠を妻アネットに打ち明けた。アネットは自分を罵るだろうか? それともショックで泣いてしまうだろうか?
 だが、夫の告白を聞いたアネットの反応はジェルマンの予想の斜め上をいった。

「あら。この子と同じ頃に産まれますのね? でしたら、私が双子を出産したことにして、この子とその子を一緒に育てましょう」
 アネットはそう言いながら柔らかく微笑み、自分の腹を愛おしそうに撫でたのである。
「ま、まさか貴女も妊娠しているのか!?」
 目を見開くジェルマン。
「ええ。今日、主治医に診てもらって、間違いないと」
「そ、そうか……すまない。そんな大事な時に愛人の事で貴女を煩わすなど……本当にすまない」
 ジェルマンはそう言って項垂れた。

「ジェルマン様。子供は天からの授かりものですわ。サラさんが子供を手放すと言うのなら私が育てれば良いだけの事です。どちらもジェルマン様の子供ですもの。妻である私が育てることに何の迷いがございましょう。二人ともきっと良い子に育ててみせますわ」
 妻である彼女を裏切っていたジェルマンを責めることもせず、なじることもせず、アネットはそう言った。
「アネット。貴女という女性ひとは……」
 ジェルマンは声を詰まらせ、ひしと妻を抱きしめた。
 こうしてジェルマンは妻アネットの慈悲深さに心打たれ、その日以来、より一層彼女を愛するようになった。
 



 それから7ヶ月が経った夏の終わり。まずサラが出産し、その3日後にアネットも無事出産をした。侯爵家の主治医とアネット付きの侍女にだけ真実を告げて協力をさせ、表向きはアネットが双子を産んだことにした。

 実はジェルマンはこの日までに、
「サラの子は、ただ同時期に産まれた【庶子】として育てればいいだけだ。貴女が産んだなどという事にする必要はない」
 と、アネットに繰り返し説得を試みた。しかしアネットは、
「同じ屋敷に同い年の子供がいて、一人は正妻の子で、もう一人は妾腹の子だなんて。それではサラさんの子供が可哀想ですわ。それに貴族社会では【庶子】は侮蔑の対象です。一生苦労することになりますのよ? 私が双子を産んだことにして、二人とも嫡子として育てます」
 と主張し、頑として譲らなかったのである。

 赤子はジェルマンによく似た男児とアネットによく似た女児だった。父親似と母親似の男女の双子――誰がどう見ても違和感は覚えないであろうと思えた。まさか赤子の一方が愛人の子だと気付く者はいないはずだ。

 母となったアネットは、まるで女神のようだった。二人の子供を全く分け隔てなく慈しみ、大切に育むその姿は神々しいまでに美しかった。
 

 子供が産まれた直後、ジェルマンは一度サラと別れた。
 容姿は似ていても中身はまるで違うアネットとサラ。穏やかで優しいアネットと、激しく強いサラの性格は対極にあった。ジェルマンは、別れを拒否するサラと悶着はあったものの何とか彼女との関係を清算し、妻と子供たちとの穏やかで平和な暮らしを始めた。その時は確かに、もう二度と妻アネットを裏切らぬつもりだった。

 ところが、いつしかジェルマンは、そんな凪いだ日々に物足りなさを覚えるようになってしまった。結局、彼は3年と経たぬうちにサラとりを戻したのである。
 サラとの関係は刺激的だ。だが、激しく強いサラと数年付き合っていると、やがて疲れを感じ始める。そしてジェルマンから別れを切り出す。案の定サラは激しく抵抗するが無理やり別れる。しかし数年後また縒りを戻す。また別れる。縒りを戻す。別れる。縒りを戻す――ジェルマンとサラの不毛な関係は、別れと復縁を何度となく繰り返した挙句20年以上に及んだ。こういう関係をまさしく「腐れ縁」と呼ぶのだろう。
 その間「今度こそ、きっぱりサラと別れる」と、ジェルマンが妻アネットに宣言したことも一度や二度ではない。だがその度にアネットは「あら、まあ。ジェルマン様、無理なさらないでくださいね」と、困ったような笑みを浮かべるだけだった。

 ある時、ジェルマンは真剣にサラに言ったことがある。
「アネットは本物の女神かもしれない」
 サラは、大真面目にそんな事を言うジェルマンを鼻で嗤い、こう言い放った。
「夫に関心が無いだけでしょう?」
 本当に可愛げのない女だ。容姿は似ていても、年齢を重ねて尚いつまでも可憐でふんわりと優しいアネットとは大違いである。
 そう思うのに、それでも、どうしてもジェルマンはサラと完全に離れることが出来なかった。




 
 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 サラの死を知った夜。屋敷に戻ったジェルマンは、書斎で独り、グラスを傾けていた。
 幾度も別れと復縁を繰り返しながら、結局20年以上も続いたサラとの腐れ縁……ジェルマンのサラに対する思いは複雑だ。ジェルマンの中にはサラを愛する気持ちも確かにあったが、一方で彼女に憎しみを覚えた場面も数え切れない程あった。そしてそれは、おそらくサラの側も同じだと思う。愛しているけれど、同時に同じほど憎い相手――ジェルマンとサラはお互いに【愛憎相半ばする】関係だった。

 サラとの長い付き合いを振り返りながら、独り静かに酒を飲むジェルマン。
 その時、不意に書斎の扉がノックされた。
「父上。ディオンです。お話があります」
 こんな夜更けに何の話だろうか? 
「……入れ」



 息子ディオンの告白を聞いたジェルマンは、あまりの衝撃に色を失った。
「……お前が……サラを殺した?」

「そうです。父上、あの女はマドレーヌが公爵家に嫁ぐことを知って、何かを企んでいる様子でした。わざわざ俺に接触して来て、マドレーヌの出生の秘密を仄めかしたのです」
「マドレーヌの?」
「はい。サラというあの女は、俺たち双子の兄妹のうち一人は自分の産んだ不義の子だと漏らしたのです」
「何……だと?!」

「父上。俺からすれば貴方に対してもいろいろと思うところはありますが、今、一番大事なのはマドレーヌの幸せだと考えました。下手をすれば、サラはこの先ずっとマドレーヌに纏わりつき、マドレーヌの幸福を脅かす可能性がある。だから俺が排除しました」
「排除か……。もう一度訊くが、お前が直接手を下したのだな? 己の手でサラを殺めたのだな?」
「はい。他人を使えばそれだけ、事が露見するリスクが高まると思いましたので」
「そう……か」
「父上。もう、あんな女のことは忘れて、これからは母上だけを大事にしてください。お願いします」
「……わかった。いろいろと……すまなかった。本当にすまなかった」



 話を終えたディオンが書斎を出て行くのを見送ったジェルマンは、音も立てずに、床に崩れ落ちた。
「どうしてこんな事に……」
 虚ろな目をして呟くジェルマン。
 ディオンがサラを殺してしまった。それも、自ら直接手を下したというのだ。

「ディオン……お前は思い違いをしている。大きな思い違いをしているんだよ」







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