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16 第二皇子の想い
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「モニカ? 外はもう大丈夫だから、中に入ろうか?」
「あっ、はい」
惚けていた私が我に返ると、既に馬は水を与えられ、飼い葉を食んでいた。
官僚の自分がテキパキとこなす姿を想像し、やっと本格的な出番だと張り切っていたが、馬の世話からコテージ内の明かり取りから、全てユリアン様が済ませてくれていた。
「モニカ、疲れただろう? 少し休もうか?」
いつの間にかユリアン様は湯を沸かし、お茶を淹れる準備までしてくれていた。この短時間で手際が良過ぎだ。
皇子のユリアン様が容易く出来る事だろうか。私だってただの公爵令嬢のままだったら、見様見真似でもたつきながらしていただろうに。
(この御方、何でもこなされるし、やり慣れているわね)
「お茶をお淹れします」
「ありがとう」
平民から官僚になる皆に負けないようにと、サラさんから教えて貰って身につけた事もある。レン係長やマサさん、ノーラさんから「モニカはこんな事も知らないのか? ハッハッハッ」と、呆れられながら教わった事もある。
二人ゆっくりしたタイミングで私は意を決し、ユリアン様に尋ねた。
「ユリアン様、少しお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「いいよ、時間はたっぷり出来ちゃったみたいだしね」
のらりくらりとおどけて返事をされるが、もう私は騙されない。ユリアン様は歴とした有能皇子で、冷酷でも傷物でも我が儘の甘えでもない。
(あっ、最後は私的な感情だわ)
「どうしたの? いいよ、何でも聞いて」
「ユリアン様は、仕事をしていないように振る舞う必要も、仮面を身につける必要もないのに、なぜそうされているのでしょうか?」
「うーん。そうだね。私以外の皇族に関わる部分も憶測もあるから、今モニカに全てを話す事は出来ないよ。それでも話せる部分を、私はモニカに聞いて欲しいと思う。それでも良いかい?」
濁したりしない、ユリアン様の誠実さが伝わってきた。私が真っ直ぐ見つめ頷くと、「良かった。モニカにはいつか話しを聞いて欲しかった」と、ユリアン様は昔語りを始めた――
物心ついた時には、私は仮面を着けられていた。幼い頃はその理由が知りたくて、よく父や乳母を困らせていたよ。
「父上。私が生まれたせいで母上が死んだから、父上も兄上も私の顔など見たくもなくて、仮面を着けられているのでしょうか?」
「ユリアン、それは違うよ。不自由な思いをさせてすまないね。もう少しの間だけ我慢してくれないか?」
私が問い詰める度哀しげな顔をする父に、わめき散らして泣きつきたかったけれど、幼いながらも皇子としての矜持があったから我慢していた。
「ねえ、ニナ。今日も兄上と会えないの?」
「ジェラルド様はお熱があるようです。ユリアン様にうつってはいけませんから、治るまでお待ち下さいね」
「私は病気なんてうつらないのに……」
でも、少しずつ周りの状況が分かり始めた。長子として生まれ、本来であれば皇太子となる兄の身体は虚弱だった。少しでも動き回れば熱を出し、天候が変わると咳き込み、外から来たものに触れれば全身の肌が赤くただれた。
根本的な治療法はなく、その都度対症療法でしのぐような状態だった。
「ユリアン、心配ばかり掛けてごめんね」
「兄上、私は早く大きくなりたいです。大きくなって、兄上を支えます。早く元気になってくださいね」
私を生んだ時に母は亡くなった。自分ばかり健康で、身体の弱い兄から母親まで奪ってしまった。
(母上と兄上の命の力を奪って、私は生まれたのかもしれない)
なんて思っていたから、早く兄の力になりたくて、必死に物事に取り組んで吸収していったよ。
でも、怖くもあった。自分が色々身につければ身につける程、兄の存在意義を奪ってしまうのではないかとね。いくら兄が長子でも、身体の弱さを理由にされ父の跡を継げないのではと、子どもながらに考えていた。
(兄上から母親だけじゃなく、皇太子の座まで奪ってはいけない。だから、父上は私に仮面を被せ、私の顔には病の後の傷があるという噂をそのままにしているんだ)
そう思い至り、自分は問題有りの皇子であることを周囲に知らしめるため、私は自らマスクを被る事を容認し、兄上より出しゃばらない様気をつけた。
ホウと息を吐き、ユリアン様が物悲しげに微笑む。
「仮面を被って、兄上の少し後ろを歩めば良い。それが父上と兄上から妻と母を奪った私に出来る、罪滅ぼしだと考えていたんだよ」
「そんな幼い頃から……」
「幼年期を乗り切ったら、必ず兄上の身体は治ると思っていたんだ。でも、状況はあまり変わらなかったかな」
「畏れながら。私は一度もジェラルド様にお会いした事がありませんし、ご公務が忙しいと今もあまり表に出られないのは、お身体の状態が悪いためでしょうか?」
「大きな声では言えないけれど、その通りだよ。ただ、兄上は身体が弱いだけでとても優秀な人なんだ。実際、体調が良い時には公務を精力的にこなしているよ」
「そうだったのですか……」
「父上は今年三十九歳。帝国法上、年内には皇太子宣言を行わなければならないんだ。私は兄が正式な皇太子になるまでお支えし、その後は一番側でお役に立てればそれで良いと思っていた……。はずだったんだけどね……」
私を見つめた後、少しばかり視線をさまよわせ、ユリアン様が続きを語りだす――
でも一つ誤算が起きた。それはモニカを見つけてしまった事。自分で科した仮面という枷が、モニカと出会い重く圧し掛かって苦しんだ。
モニカには申し訳ないけれど、はっきり言えば、最初は同族嫌悪のようなものだったよ。
「モニカ・クラウスティンでございます。どうぞ以後お見知りおきください」
五歳児とは思えぬ所作だった。完璧な令嬢。でも、その顔は穏やかに笑みを携えているが、まるで仮面を被っている様に見えた。非の打ち所がない公爵令嬢の仮面を被る女。それが初めてモニカと出会った時の印象だったよ。
「ユリアン・レーヴァンダールです。こちらこそ、よろしく」
少女の顔立ちは美しかったけれど、本心など全く伺える気がしなかった。底気味の悪さも感じたし、自分が仮面を身につけねば本心を隠せぬ分、目の前の令嬢に負けた気がして悔しかった。
度々見かけるモニカ嬢は、やはりいつ見ても人間味は無いけれど完成されていた。しかし、唯一の友人セオドアから話を聞くと、どうも違うらしい。
「モニカ? ドジだし、直ぐムキになるし、すんげぇ可愛いぞ! でも、努力家で何でも出来る俺の自慢の妹だ!」
嬉々として語るセオドアに、自分よりも友に近い存在を自慢された気がした。それも面白くなくて、モニカ嬢は忌避する人物だった。幸い大きな式典で挨拶を交わす程度で済んでいたから良かったかな。
そして年月は過ぎ、学生となった私は、セオドアとモニカ嬢がじゃれ合う姿を見てドキリとした。
(モニカ嬢が、大きく口を開けて笑っている……)
胸がチリリと焦げた気がした。セオドアにはエレナ嬢がいる事を知っている。
(この嫉妬するような気持ちは……まさか……モニカ嬢に対して?)
人が笑顔を見せた時の力に驚いた。その表情に、一瞬にして心を奪われていたんだ。
それからは苦手なはずのモニカ嬢を、気づけば常に目で追うようになっていたよ。
仮面の存在に初めて感謝したね。
彼女を知りたい。でも、恐ろしい仮面男では相手にされるはずがない。兄が二十歳、父が四十を迎える前には法律上皇太子宣言がされる。あとたった三年。だが、モニカ嬢は一年後に卒業パーティーを迎える。
(兄を支えると決めた時から、自分の恋愛は捨てる覚悟をしたのだ。これが運命)
そう考え諦めようとして、モニカ嬢の卒業パーティーの時には国内に居ない方が良いと、留学する事にした。
セオドアに一緒に留学に行こうとせがむと、心優しき友は笑って「いいよ」と言ってくれた。
「俺、エレナが学園に入って卒業するまで全然余裕あるし、せっかく卒業したのに、すぐ親父から公爵家の引き継ぎに駆り出されんの嫌だしな」
そう言って、力強く頼もしく、快活に笑う親友に感謝した。
そうしている内にモニカ嬢には婚約者が出来て、俺は独り兄の公務を手伝う。それで完全に諦めがつくと思っていた。
「でも……」
「でも……、私には婚約者が出来なかったと……」
「そして、官僚試験を受けてくれたんだよ……」
「あっ、はい」
惚けていた私が我に返ると、既に馬は水を与えられ、飼い葉を食んでいた。
官僚の自分がテキパキとこなす姿を想像し、やっと本格的な出番だと張り切っていたが、馬の世話からコテージ内の明かり取りから、全てユリアン様が済ませてくれていた。
「モニカ、疲れただろう? 少し休もうか?」
いつの間にかユリアン様は湯を沸かし、お茶を淹れる準備までしてくれていた。この短時間で手際が良過ぎだ。
皇子のユリアン様が容易く出来る事だろうか。私だってただの公爵令嬢のままだったら、見様見真似でもたつきながらしていただろうに。
(この御方、何でもこなされるし、やり慣れているわね)
「お茶をお淹れします」
「ありがとう」
平民から官僚になる皆に負けないようにと、サラさんから教えて貰って身につけた事もある。レン係長やマサさん、ノーラさんから「モニカはこんな事も知らないのか? ハッハッハッ」と、呆れられながら教わった事もある。
二人ゆっくりしたタイミングで私は意を決し、ユリアン様に尋ねた。
「ユリアン様、少しお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「いいよ、時間はたっぷり出来ちゃったみたいだしね」
のらりくらりとおどけて返事をされるが、もう私は騙されない。ユリアン様は歴とした有能皇子で、冷酷でも傷物でも我が儘の甘えでもない。
(あっ、最後は私的な感情だわ)
「どうしたの? いいよ、何でも聞いて」
「ユリアン様は、仕事をしていないように振る舞う必要も、仮面を身につける必要もないのに、なぜそうされているのでしょうか?」
「うーん。そうだね。私以外の皇族に関わる部分も憶測もあるから、今モニカに全てを話す事は出来ないよ。それでも話せる部分を、私はモニカに聞いて欲しいと思う。それでも良いかい?」
濁したりしない、ユリアン様の誠実さが伝わってきた。私が真っ直ぐ見つめ頷くと、「良かった。モニカにはいつか話しを聞いて欲しかった」と、ユリアン様は昔語りを始めた――
物心ついた時には、私は仮面を着けられていた。幼い頃はその理由が知りたくて、よく父や乳母を困らせていたよ。
「父上。私が生まれたせいで母上が死んだから、父上も兄上も私の顔など見たくもなくて、仮面を着けられているのでしょうか?」
「ユリアン、それは違うよ。不自由な思いをさせてすまないね。もう少しの間だけ我慢してくれないか?」
私が問い詰める度哀しげな顔をする父に、わめき散らして泣きつきたかったけれど、幼いながらも皇子としての矜持があったから我慢していた。
「ねえ、ニナ。今日も兄上と会えないの?」
「ジェラルド様はお熱があるようです。ユリアン様にうつってはいけませんから、治るまでお待ち下さいね」
「私は病気なんてうつらないのに……」
でも、少しずつ周りの状況が分かり始めた。長子として生まれ、本来であれば皇太子となる兄の身体は虚弱だった。少しでも動き回れば熱を出し、天候が変わると咳き込み、外から来たものに触れれば全身の肌が赤くただれた。
根本的な治療法はなく、その都度対症療法でしのぐような状態だった。
「ユリアン、心配ばかり掛けてごめんね」
「兄上、私は早く大きくなりたいです。大きくなって、兄上を支えます。早く元気になってくださいね」
私を生んだ時に母は亡くなった。自分ばかり健康で、身体の弱い兄から母親まで奪ってしまった。
(母上と兄上の命の力を奪って、私は生まれたのかもしれない)
なんて思っていたから、早く兄の力になりたくて、必死に物事に取り組んで吸収していったよ。
でも、怖くもあった。自分が色々身につければ身につける程、兄の存在意義を奪ってしまうのではないかとね。いくら兄が長子でも、身体の弱さを理由にされ父の跡を継げないのではと、子どもながらに考えていた。
(兄上から母親だけじゃなく、皇太子の座まで奪ってはいけない。だから、父上は私に仮面を被せ、私の顔には病の後の傷があるという噂をそのままにしているんだ)
そう思い至り、自分は問題有りの皇子であることを周囲に知らしめるため、私は自らマスクを被る事を容認し、兄上より出しゃばらない様気をつけた。
ホウと息を吐き、ユリアン様が物悲しげに微笑む。
「仮面を被って、兄上の少し後ろを歩めば良い。それが父上と兄上から妻と母を奪った私に出来る、罪滅ぼしだと考えていたんだよ」
「そんな幼い頃から……」
「幼年期を乗り切ったら、必ず兄上の身体は治ると思っていたんだ。でも、状況はあまり変わらなかったかな」
「畏れながら。私は一度もジェラルド様にお会いした事がありませんし、ご公務が忙しいと今もあまり表に出られないのは、お身体の状態が悪いためでしょうか?」
「大きな声では言えないけれど、その通りだよ。ただ、兄上は身体が弱いだけでとても優秀な人なんだ。実際、体調が良い時には公務を精力的にこなしているよ」
「そうだったのですか……」
「父上は今年三十九歳。帝国法上、年内には皇太子宣言を行わなければならないんだ。私は兄が正式な皇太子になるまでお支えし、その後は一番側でお役に立てればそれで良いと思っていた……。はずだったんだけどね……」
私を見つめた後、少しばかり視線をさまよわせ、ユリアン様が続きを語りだす――
でも一つ誤算が起きた。それはモニカを見つけてしまった事。自分で科した仮面という枷が、モニカと出会い重く圧し掛かって苦しんだ。
モニカには申し訳ないけれど、はっきり言えば、最初は同族嫌悪のようなものだったよ。
「モニカ・クラウスティンでございます。どうぞ以後お見知りおきください」
五歳児とは思えぬ所作だった。完璧な令嬢。でも、その顔は穏やかに笑みを携えているが、まるで仮面を被っている様に見えた。非の打ち所がない公爵令嬢の仮面を被る女。それが初めてモニカと出会った時の印象だったよ。
「ユリアン・レーヴァンダールです。こちらこそ、よろしく」
少女の顔立ちは美しかったけれど、本心など全く伺える気がしなかった。底気味の悪さも感じたし、自分が仮面を身につけねば本心を隠せぬ分、目の前の令嬢に負けた気がして悔しかった。
度々見かけるモニカ嬢は、やはりいつ見ても人間味は無いけれど完成されていた。しかし、唯一の友人セオドアから話を聞くと、どうも違うらしい。
「モニカ? ドジだし、直ぐムキになるし、すんげぇ可愛いぞ! でも、努力家で何でも出来る俺の自慢の妹だ!」
嬉々として語るセオドアに、自分よりも友に近い存在を自慢された気がした。それも面白くなくて、モニカ嬢は忌避する人物だった。幸い大きな式典で挨拶を交わす程度で済んでいたから良かったかな。
そして年月は過ぎ、学生となった私は、セオドアとモニカ嬢がじゃれ合う姿を見てドキリとした。
(モニカ嬢が、大きく口を開けて笑っている……)
胸がチリリと焦げた気がした。セオドアにはエレナ嬢がいる事を知っている。
(この嫉妬するような気持ちは……まさか……モニカ嬢に対して?)
人が笑顔を見せた時の力に驚いた。その表情に、一瞬にして心を奪われていたんだ。
それからは苦手なはずのモニカ嬢を、気づけば常に目で追うようになっていたよ。
仮面の存在に初めて感謝したね。
彼女を知りたい。でも、恐ろしい仮面男では相手にされるはずがない。兄が二十歳、父が四十を迎える前には法律上皇太子宣言がされる。あとたった三年。だが、モニカ嬢は一年後に卒業パーティーを迎える。
(兄を支えると決めた時から、自分の恋愛は捨てる覚悟をしたのだ。これが運命)
そう考え諦めようとして、モニカ嬢の卒業パーティーの時には国内に居ない方が良いと、留学する事にした。
セオドアに一緒に留学に行こうとせがむと、心優しき友は笑って「いいよ」と言ってくれた。
「俺、エレナが学園に入って卒業するまで全然余裕あるし、せっかく卒業したのに、すぐ親父から公爵家の引き継ぎに駆り出されんの嫌だしな」
そう言って、力強く頼もしく、快活に笑う親友に感謝した。
そうしている内にモニカ嬢には婚約者が出来て、俺は独り兄の公務を手伝う。それで完全に諦めがつくと思っていた。
「でも……」
「でも……、私には婚約者が出来なかったと……」
「そして、官僚試験を受けてくれたんだよ……」
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