212 / 390
第13章 休戦会談と蠢く策謀編
第18話 在りし日の夢と、戻らぬ現実と
しおりを挟む
・・18・・
????年??月??日
「…………い。…………大尉」
声がした。僕はどうしていたっけ。
座り心地としてはあんまりよろしくはないけれど、そう悪くは無いクッション性を感じた。
「…………大尉。…………槻大尉」
「ううん……。誰だよ……」
目を開けると、小さい人影が映る。
…………待てよ。ここで小さい人影っていうともしかして。
「高槻大尉。休憩室で寝るなんて身体に悪いぞ」
「如月中佐。……すみません、少し眠たくていつの間にか寝てしまいました」
「おそよう高槻大尉。もうとっくに夕方だぞ。喫煙室も兼ねてるかったいソファでよく寝られたね。今日は訓練も無くて、疲労がたまるとは思えないんだけど」
目の前にいる小さな女性は苦笑いをしていた。
格好は日本陸軍の常装。肩にある階級章は銀下地に銀星二つだから中佐だ。胸部には様々な略綬。中佐にしては多いそれらは、この人がいかに功績を立てているかが一目瞭然だった。
対して僕は大尉。大隊が設立して彼女が隊長になって以来ずっと上官だ。訓練はアホみたいに厳しいし、特殊部隊故に激戦地に送られることもあるけれど、お陰でそれなりに出世が出来て僕も今の階級になれていた。
何よりも、彼女は部下を大切にしてくれている。だから僕は中佐の事を上官として好ましく思っていた。
「何ででしょうね。大して眠たいわけでは無かったはずなんですけど」
「別に責めやしないよ。もう勤務時間は終わりだからね。いくら私達が特殊部隊でも、任務と訓練が無くて軍務を終えれば気張る必要も無いし。煙草、吸うよ」
「どうぞ。ライター付けますよ」
「あら本当? じゃ、お言葉に甘えて」
背中まで届く艶やかな黒髪を揺らして中佐は一歩近づくと、僕は自前のライターを彼女がくわえた煙草の先に火を近づける。
身長は一四〇センチちょっとしかない可愛らしさで女性でも小柄な部類の中佐だけど、喫煙する姿はどこか色っぽい。こういうのをギャップ萌えって言うんだよな。
「お前も吸いなよ。つけてあげよっか?」
「ありがとうございます、中佐」
「ほい」
彼女は軍服のポケットからジッポを取り出すと、慣れた手つきで点火させる。
僕は息をゆっくりと吸い、火のついた煙草を口から離して紫煙を吐き出した。
「それにしても、二日後にはもう中東ですか……。あそこはもう取り返しがつかない程と昔から定評がありますけど」
「上からの命令なら仕方ないよ。ましてや、要人の救出ともなれば事態は急を要する。連中はこちらを舐めてかかってるのかご丁寧に五日も猶予を与えてきやがったわけだし」
「秘匿呼称三三三号作戦。いつの時代も、使いっ走りにされるのは我々のような存在ですからね」
「このクソッタレの時代ではテロリスト共の要求を飲むだなんて愚の骨頂。とはいえ緊急展開が可能な部隊は限られているからさ、私達の出番なわけ。……引っかかる点はあるけれど」
「何か、懸念でも?」
会った当初から黒く濁った瞳の中佐は、憂い気な表情で言う。
少佐の言う通り、この作戦にはどうにも妙な所があった。
そもそも要人がどうして拉致されてしまったのか。護衛にあたっていた部隊が蹴散らされたあたりで杜撰な部分が見え隠れするが、起きてしまったものは仕方ない。
ようするに僕達は軍の不始末の尻拭いをさせられるわけで気分はお世辞にもいいとは言えない。
だけど、僕達は軍人であり特殊部隊のメンバーだ。命令されれば戦地に赴く。役目を果たすまで。
「ありがちな強襲作戦とは違って、今回は救出作戦だ。恐らく、厳しい戦いになる」
「厳しくない戦いはありませんでした。僕達はいつも通り、作戦を遂行するだけです」
「ま、そうだね。お前の言う通りだ。でも、これもいつも通りだけど約束しておく。どんな時でも、大切な部下であるお前達を守る。お前達を生きて帰して、日本に戻ってこさせるから。だから命を預けろ」
中佐は今回も言い切った。
部下を守るだなんて特殊部隊という環境では言うは易しだけど、非常に難しい。
だけど中佐は有言実行で、損耗率を極限まで抑え込んでいた。時には自身が最前線に立ち、まるで神話の戦乙女のように僕達を守って戦っていた。
だから僕は、中佐を尊敬しているんだ。絶対にこの人を喪ってはいけないと思うし、少佐の為なら命を賭けてもいい。
そんな事を言ったら中佐に怒られるから、決して口にはしないけれど。
「はい。命を預けます。そして、みんなで無事に帰ったら飲み会でもしましょう」
「いいね。飲み会は全部私が代金を持ってやる。約束だ」
「ええ、約束です」
僕も中佐も微笑む。
だけど約束は、果たされなかった。
・・Φ・・
1841年4の月13の日
午前9時半
連合王国軍統合本部・医務室
「酷く懐かしい夢を見た……」
僕は目を覚ました。
当然そこは高槻亮としてではなく日本陸軍の軍人としてではなく、アカツキ・ノースロードとしての世界だった。
前世の夢を見ただなんて、いつぶりだろうか。少なくとも片手の数で足りる程度で、それもかなり曖昧なものだったはず。
ここまで明瞭なのはやっぱり、意識を失う前のあの報告のせいだろう。
「そうだ。結局どうなったんだ……」
僕はベッドから身体を起こした。窓の外にある景色からして、おそらくここは統合本部の中にある医務室だろう。
一体どれくらい寝ていたのか気がかりな僕は、立ち上がる。格好は軍服のままだけどジャケットは椅子に丁寧にかけられている。リイナがいないあたり、たまたま席を外しているのかもしれない。となると、まだ平日なのは確かだろう。時刻は午前九時半だし。
とりあえず格好だけでもしっかりしておくか。と、ジャケットに手をかけようとすると扉が開く音が聞こえた。入ってきたのは軍医だった。
「アカツキ中将閣下、目を覚まされましたか……! 急に倒れられたという事で私共も心配していたもので……! お加減はいかがですか?」
「迷惑をかけたね。もう大丈夫。ところで今日は13の日? 僕が寝ていたのは半日だけ?」
「はっ。はい。13の日です」
「そっか。なら良かった。リイナとエイジスはどこにいるかな?」
「リイナ准将閣下でしたら、先程ルイベンハルク中佐が来られて恐らく司令本部かと。ただ長い時間がかかるものではないので、そろそろ戻られるかもしれません。エイジス特務官は本件資料が集まっている資料室に篭もりきりです。どうしてかは分かりません」
「了解したよ。ありがとう」
「とんでもありません。しかしアカツキ中将閣下、軍医としての進言ですがまだ休まれていた方がよろしいかと。倒れられたのはここ三日間の激務が原因です。今しばらくは安静してくださると」
「……そう、だね。リイナが戻ってくるかもしれないなら、ここにいないと余計な心配をかけるし」
「是非そうしてください。――おや、噂をすればなんとやらです。リイナ准将閣下が来られましたよ。リイナ准将閣下、アカツキ中将閣下が目を覚まされました」
「本当?!」
室内にいても扉は開いていたからリイナの声が耳に入る。急ぎ足になったのも聞こえて、すぐにリイナが現れた。
「旦那様……! まったくもう! アナタが倒れるのは何度も見たくないのよ?」
「ごめん……。僕もまさか倒れるだなんて思わなくて……」
「訓練をした後からずっとマトモに睡眠を取っていないんだから当然じゃない。これからは戦地でない限り、睡眠はちゃんと取ってほしいわ」
リイナは心底不安げな顔で言う。そうは言っても僕が無茶をしがちなのを知っているからだ。
だけど、今回ばかりかは彼女が正しいから何にも言えなかった。
「それでは私はこれにて。アカツキ中将閣下、マーチス元帥閣下のご命令で起きてから数時間は絶対安静です。その為にここは誰も来ないようにしてあります。それと、本日は軍務も休日とし御自宅へお帰りを。統合本部を出られる際には私にお声がけ下さい。この階におりますから」
「分かった。ありがとね」
どうやらマーチス侯爵にまで釘を刺されていたらしい。これは後で説教もありそうだなあ……。
軍医は敬礼をすると、医務室を後にした。
「旦那様。まだ起きてすぐなのだからせめてソファには座ってちょうだい。私が隣にいるから」
「うん」
僕はリイナに促されて、ベッドの隣にある二人がけのソファに座る。屋敷のそれに比べればあんまり座り心地は良くないけれど、部屋には二人だけだから少しは落ち着けた。
「はい、水よ。寝起きには必要でしょう?」
「ありがとねリイナ」
「これくらいどうってことはないわ」
リイナから水の入ったガラスのコップを受け取ると、僕は水を飲み干した。
どうにもまださっきの夢が頭から離れない。だからかぼんやりと天井を見つめてしまった。
リイナはその様子をじっと見守ったままで、しばらくは互いに無言だった。
どれだけか経ち、どうしてか分からないけれどリイナの肩に頭を預けたくなった。そっと彼女の左肩に自身の頭を置く。
「珍しいわね。旦那様から寄りかかってくれるなんて」
「ちょっと、ね。僕にとっては初めての敗北みたいなものだから」
嘘だった。ただただ心細かったんだ。
人にはとても言えないけれど、フィリーネ元少将はあの人だったと僕は思う。僕は前世で尊敬した上官を、この世界の国外の軍人だったとはいえ喪ってしまった。
いつも僕ら部下を守ると言ってくれていたあの人を、僕は守る事が出来なかったんだ。
それは気付くのにも遅すぎれば確定へ辿り着くのも遅すぎたから。他国故に干渉が出来なかったから。
そして反対派閥を、人を信用しすぎていた。彼等にも少しばかりかは良心があるだろうと。
けれど、そんな事はなくって、今更後悔しても最早どうにもならない。軍人が政治には勝てるはずがなかったんだ。
「初めての敗北……。旦那様にとって多くの国民達や兵士達が命を喪う敗北と、たった一人の批難と軽蔑を受けて自死を選んだ女性軍人を喪った敗北は同列という事かしら?」
「僕はまったくもって油断していたんだ。だから負けた。そうして人類諸国は喪ってはならない人物を、両手から零してしまったんだ」
「でもそれは、旦那様の責任では無いわ。亡くなった人物へは余り向けたくないけれど彼女の自業自得であって、反対派閥が逆襲のあまり人間性を欠けさせていただけ。旦那様も貴族だから支配者層の考えることは分かるでしょう? これは、政治的戦争が産んだ悲劇よ」
「ああそうさ……。馬鹿馬鹿しい高度な政治的やり取りの末だ……」
「…………ねえ、旦那様。どうしてアナタはそんなにあの女性軍人に肩入れするの? 同じ英雄だったから? 歩んだ道が違ったとはいえ、似た部分があったから? それとも、個人的思い入れでもあったから?」
リイナは静かに僕を問いかける。僕の頭を撫でながら。いつも隣に寄り添ってくれる人は、見透かしてくるような瞳で見つめていた。
「強いて言うなら、あんな行いをしつつもフィリーネ元少将の根底にあった思想に感銘を受けていたから、かもね。形は違えど、僕と彼女は同じだ。大切な人を守る為に、その身を投じていたから。でも、どうしてああなってしまったのかは、ついぞ分からなかった……」
「さっき、ルイベンハルク中佐から伝言を受け取ったわ。保護されたクリス大佐が、アナタに非公式での対談を望んでいるって。回答は保留をしてあるけれど、選択は旦那様に委ねるわ」
「クリス大佐が……?」
「ええ。来月一の日には休戦条約締結会議があるけれど、既に外務省と一部の軍人に委ねられている。アナタは報告を聞くだけで、時間はあるわよ?」
「…………でも、今更僕が行ったところで」
「答え合わせをしたいんでしょ? フィリーネ元少将に何があったか、どうしてその道を選んだのか。たぶん、全てをあのクリス大佐が握っていると思うの」
「だけど僕は中将だ。身軽に動ける身分じゃない」
「そうして今、後悔しているのではなくて? 私は旦那様とずっと歩いてきた。この程度、手に取るくらい分かっちゃうわ」
「……まったく、リイナにはかなわないよ」
「何せ旦那様の奥さんだもの」
リイナは微笑んで言う。
本当に、リイナには敵わない。理由が前世で繋がりで彼女にすら話せない事なのに、彼女は理由も探ろうとせず僕の背中を後押ししてくれる。
だったらそれに応えるべきだ。
幸い、僕はこれまで粉骨砕身し国に尽くしてきた。この程度のワガママくらい、聞いてもらえるだろう。
「協商連合に連絡をしよう。クリス大佐との非公式対談を受け入れる。軍人としてではなく、アカツキとして訪れると」
「了解したわ。そうと決まれば船便の手配と宿泊先の手配ね。お父様には私からも説得するわ。任せてちょうだい」
「ありがとうリイナ」
「報酬は、旦那様を一日抱き枕にする。かしら」
「その程度ならいくらでも」
くすくすと笑うリイナに、僕は約束する。
そして僕は翌々日。リイナとエイジスだけを連れて、協商連合ロンドリウムへと向かった。
????年??月??日
「…………い。…………大尉」
声がした。僕はどうしていたっけ。
座り心地としてはあんまりよろしくはないけれど、そう悪くは無いクッション性を感じた。
「…………大尉。…………槻大尉」
「ううん……。誰だよ……」
目を開けると、小さい人影が映る。
…………待てよ。ここで小さい人影っていうともしかして。
「高槻大尉。休憩室で寝るなんて身体に悪いぞ」
「如月中佐。……すみません、少し眠たくていつの間にか寝てしまいました」
「おそよう高槻大尉。もうとっくに夕方だぞ。喫煙室も兼ねてるかったいソファでよく寝られたね。今日は訓練も無くて、疲労がたまるとは思えないんだけど」
目の前にいる小さな女性は苦笑いをしていた。
格好は日本陸軍の常装。肩にある階級章は銀下地に銀星二つだから中佐だ。胸部には様々な略綬。中佐にしては多いそれらは、この人がいかに功績を立てているかが一目瞭然だった。
対して僕は大尉。大隊が設立して彼女が隊長になって以来ずっと上官だ。訓練はアホみたいに厳しいし、特殊部隊故に激戦地に送られることもあるけれど、お陰でそれなりに出世が出来て僕も今の階級になれていた。
何よりも、彼女は部下を大切にしてくれている。だから僕は中佐の事を上官として好ましく思っていた。
「何ででしょうね。大して眠たいわけでは無かったはずなんですけど」
「別に責めやしないよ。もう勤務時間は終わりだからね。いくら私達が特殊部隊でも、任務と訓練が無くて軍務を終えれば気張る必要も無いし。煙草、吸うよ」
「どうぞ。ライター付けますよ」
「あら本当? じゃ、お言葉に甘えて」
背中まで届く艶やかな黒髪を揺らして中佐は一歩近づくと、僕は自前のライターを彼女がくわえた煙草の先に火を近づける。
身長は一四〇センチちょっとしかない可愛らしさで女性でも小柄な部類の中佐だけど、喫煙する姿はどこか色っぽい。こういうのをギャップ萌えって言うんだよな。
「お前も吸いなよ。つけてあげよっか?」
「ありがとうございます、中佐」
「ほい」
彼女は軍服のポケットからジッポを取り出すと、慣れた手つきで点火させる。
僕は息をゆっくりと吸い、火のついた煙草を口から離して紫煙を吐き出した。
「それにしても、二日後にはもう中東ですか……。あそこはもう取り返しがつかない程と昔から定評がありますけど」
「上からの命令なら仕方ないよ。ましてや、要人の救出ともなれば事態は急を要する。連中はこちらを舐めてかかってるのかご丁寧に五日も猶予を与えてきやがったわけだし」
「秘匿呼称三三三号作戦。いつの時代も、使いっ走りにされるのは我々のような存在ですからね」
「このクソッタレの時代ではテロリスト共の要求を飲むだなんて愚の骨頂。とはいえ緊急展開が可能な部隊は限られているからさ、私達の出番なわけ。……引っかかる点はあるけれど」
「何か、懸念でも?」
会った当初から黒く濁った瞳の中佐は、憂い気な表情で言う。
少佐の言う通り、この作戦にはどうにも妙な所があった。
そもそも要人がどうして拉致されてしまったのか。護衛にあたっていた部隊が蹴散らされたあたりで杜撰な部分が見え隠れするが、起きてしまったものは仕方ない。
ようするに僕達は軍の不始末の尻拭いをさせられるわけで気分はお世辞にもいいとは言えない。
だけど、僕達は軍人であり特殊部隊のメンバーだ。命令されれば戦地に赴く。役目を果たすまで。
「ありがちな強襲作戦とは違って、今回は救出作戦だ。恐らく、厳しい戦いになる」
「厳しくない戦いはありませんでした。僕達はいつも通り、作戦を遂行するだけです」
「ま、そうだね。お前の言う通りだ。でも、これもいつも通りだけど約束しておく。どんな時でも、大切な部下であるお前達を守る。お前達を生きて帰して、日本に戻ってこさせるから。だから命を預けろ」
中佐は今回も言い切った。
部下を守るだなんて特殊部隊という環境では言うは易しだけど、非常に難しい。
だけど中佐は有言実行で、損耗率を極限まで抑え込んでいた。時には自身が最前線に立ち、まるで神話の戦乙女のように僕達を守って戦っていた。
だから僕は、中佐を尊敬しているんだ。絶対にこの人を喪ってはいけないと思うし、少佐の為なら命を賭けてもいい。
そんな事を言ったら中佐に怒られるから、決して口にはしないけれど。
「はい。命を預けます。そして、みんなで無事に帰ったら飲み会でもしましょう」
「いいね。飲み会は全部私が代金を持ってやる。約束だ」
「ええ、約束です」
僕も中佐も微笑む。
だけど約束は、果たされなかった。
・・Φ・・
1841年4の月13の日
午前9時半
連合王国軍統合本部・医務室
「酷く懐かしい夢を見た……」
僕は目を覚ました。
当然そこは高槻亮としてではなく日本陸軍の軍人としてではなく、アカツキ・ノースロードとしての世界だった。
前世の夢を見ただなんて、いつぶりだろうか。少なくとも片手の数で足りる程度で、それもかなり曖昧なものだったはず。
ここまで明瞭なのはやっぱり、意識を失う前のあの報告のせいだろう。
「そうだ。結局どうなったんだ……」
僕はベッドから身体を起こした。窓の外にある景色からして、おそらくここは統合本部の中にある医務室だろう。
一体どれくらい寝ていたのか気がかりな僕は、立ち上がる。格好は軍服のままだけどジャケットは椅子に丁寧にかけられている。リイナがいないあたり、たまたま席を外しているのかもしれない。となると、まだ平日なのは確かだろう。時刻は午前九時半だし。
とりあえず格好だけでもしっかりしておくか。と、ジャケットに手をかけようとすると扉が開く音が聞こえた。入ってきたのは軍医だった。
「アカツキ中将閣下、目を覚まされましたか……! 急に倒れられたという事で私共も心配していたもので……! お加減はいかがですか?」
「迷惑をかけたね。もう大丈夫。ところで今日は13の日? 僕が寝ていたのは半日だけ?」
「はっ。はい。13の日です」
「そっか。なら良かった。リイナとエイジスはどこにいるかな?」
「リイナ准将閣下でしたら、先程ルイベンハルク中佐が来られて恐らく司令本部かと。ただ長い時間がかかるものではないので、そろそろ戻られるかもしれません。エイジス特務官は本件資料が集まっている資料室に篭もりきりです。どうしてかは分かりません」
「了解したよ。ありがとう」
「とんでもありません。しかしアカツキ中将閣下、軍医としての進言ですがまだ休まれていた方がよろしいかと。倒れられたのはここ三日間の激務が原因です。今しばらくは安静してくださると」
「……そう、だね。リイナが戻ってくるかもしれないなら、ここにいないと余計な心配をかけるし」
「是非そうしてください。――おや、噂をすればなんとやらです。リイナ准将閣下が来られましたよ。リイナ准将閣下、アカツキ中将閣下が目を覚まされました」
「本当?!」
室内にいても扉は開いていたからリイナの声が耳に入る。急ぎ足になったのも聞こえて、すぐにリイナが現れた。
「旦那様……! まったくもう! アナタが倒れるのは何度も見たくないのよ?」
「ごめん……。僕もまさか倒れるだなんて思わなくて……」
「訓練をした後からずっとマトモに睡眠を取っていないんだから当然じゃない。これからは戦地でない限り、睡眠はちゃんと取ってほしいわ」
リイナは心底不安げな顔で言う。そうは言っても僕が無茶をしがちなのを知っているからだ。
だけど、今回ばかりかは彼女が正しいから何にも言えなかった。
「それでは私はこれにて。アカツキ中将閣下、マーチス元帥閣下のご命令で起きてから数時間は絶対安静です。その為にここは誰も来ないようにしてあります。それと、本日は軍務も休日とし御自宅へお帰りを。統合本部を出られる際には私にお声がけ下さい。この階におりますから」
「分かった。ありがとね」
どうやらマーチス侯爵にまで釘を刺されていたらしい。これは後で説教もありそうだなあ……。
軍医は敬礼をすると、医務室を後にした。
「旦那様。まだ起きてすぐなのだからせめてソファには座ってちょうだい。私が隣にいるから」
「うん」
僕はリイナに促されて、ベッドの隣にある二人がけのソファに座る。屋敷のそれに比べればあんまり座り心地は良くないけれど、部屋には二人だけだから少しは落ち着けた。
「はい、水よ。寝起きには必要でしょう?」
「ありがとねリイナ」
「これくらいどうってことはないわ」
リイナから水の入ったガラスのコップを受け取ると、僕は水を飲み干した。
どうにもまださっきの夢が頭から離れない。だからかぼんやりと天井を見つめてしまった。
リイナはその様子をじっと見守ったままで、しばらくは互いに無言だった。
どれだけか経ち、どうしてか分からないけれどリイナの肩に頭を預けたくなった。そっと彼女の左肩に自身の頭を置く。
「珍しいわね。旦那様から寄りかかってくれるなんて」
「ちょっと、ね。僕にとっては初めての敗北みたいなものだから」
嘘だった。ただただ心細かったんだ。
人にはとても言えないけれど、フィリーネ元少将はあの人だったと僕は思う。僕は前世で尊敬した上官を、この世界の国外の軍人だったとはいえ喪ってしまった。
いつも僕ら部下を守ると言ってくれていたあの人を、僕は守る事が出来なかったんだ。
それは気付くのにも遅すぎれば確定へ辿り着くのも遅すぎたから。他国故に干渉が出来なかったから。
そして反対派閥を、人を信用しすぎていた。彼等にも少しばかりかは良心があるだろうと。
けれど、そんな事はなくって、今更後悔しても最早どうにもならない。軍人が政治には勝てるはずがなかったんだ。
「初めての敗北……。旦那様にとって多くの国民達や兵士達が命を喪う敗北と、たった一人の批難と軽蔑を受けて自死を選んだ女性軍人を喪った敗北は同列という事かしら?」
「僕はまったくもって油断していたんだ。だから負けた。そうして人類諸国は喪ってはならない人物を、両手から零してしまったんだ」
「でもそれは、旦那様の責任では無いわ。亡くなった人物へは余り向けたくないけれど彼女の自業自得であって、反対派閥が逆襲のあまり人間性を欠けさせていただけ。旦那様も貴族だから支配者層の考えることは分かるでしょう? これは、政治的戦争が産んだ悲劇よ」
「ああそうさ……。馬鹿馬鹿しい高度な政治的やり取りの末だ……」
「…………ねえ、旦那様。どうしてアナタはそんなにあの女性軍人に肩入れするの? 同じ英雄だったから? 歩んだ道が違ったとはいえ、似た部分があったから? それとも、個人的思い入れでもあったから?」
リイナは静かに僕を問いかける。僕の頭を撫でながら。いつも隣に寄り添ってくれる人は、見透かしてくるような瞳で見つめていた。
「強いて言うなら、あんな行いをしつつもフィリーネ元少将の根底にあった思想に感銘を受けていたから、かもね。形は違えど、僕と彼女は同じだ。大切な人を守る為に、その身を投じていたから。でも、どうしてああなってしまったのかは、ついぞ分からなかった……」
「さっき、ルイベンハルク中佐から伝言を受け取ったわ。保護されたクリス大佐が、アナタに非公式での対談を望んでいるって。回答は保留をしてあるけれど、選択は旦那様に委ねるわ」
「クリス大佐が……?」
「ええ。来月一の日には休戦条約締結会議があるけれど、既に外務省と一部の軍人に委ねられている。アナタは報告を聞くだけで、時間はあるわよ?」
「…………でも、今更僕が行ったところで」
「答え合わせをしたいんでしょ? フィリーネ元少将に何があったか、どうしてその道を選んだのか。たぶん、全てをあのクリス大佐が握っていると思うの」
「だけど僕は中将だ。身軽に動ける身分じゃない」
「そうして今、後悔しているのではなくて? 私は旦那様とずっと歩いてきた。この程度、手に取るくらい分かっちゃうわ」
「……まったく、リイナにはかなわないよ」
「何せ旦那様の奥さんだもの」
リイナは微笑んで言う。
本当に、リイナには敵わない。理由が前世で繋がりで彼女にすら話せない事なのに、彼女は理由も探ろうとせず僕の背中を後押ししてくれる。
だったらそれに応えるべきだ。
幸い、僕はこれまで粉骨砕身し国に尽くしてきた。この程度のワガママくらい、聞いてもらえるだろう。
「協商連合に連絡をしよう。クリス大佐との非公式対談を受け入れる。軍人としてではなく、アカツキとして訪れると」
「了解したわ。そうと決まれば船便の手配と宿泊先の手配ね。お父様には私からも説得するわ。任せてちょうだい」
「ありがとうリイナ」
「報酬は、旦那様を一日抱き枕にする。かしら」
「その程度ならいくらでも」
くすくすと笑うリイナに、僕は約束する。
そして僕は翌々日。リイナとエイジスだけを連れて、協商連合ロンドリウムへと向かった。
0
あなたにおすすめの小説
ギルドの片隅で飲んだくれてるおっさん冒険者
哀上
ファンタジー
チートを貰い転生した。
何も成し遂げることなく35年……
ついに前世の年齢を超えた。
※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。
※この小説は他サイトにも投稿しています。
攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】
水無月いい人(minazuki)
ファンタジー
【HOTランキング一位獲得作品】
【一次選考通過作品】
---
とある剣と魔法の世界で、
ある男女の間に赤ん坊が生まれた。
名をアスフィ・シーネット。
才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。
だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。
攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。
彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。
---------
もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります!
#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
---
追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。
カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
悪役貴族に転生したから破滅しないように努力するけど上手くいかない!~努力が足りない?なら足りるまで努力する~
蜂谷
ファンタジー
社畜の俺は気が付いたら知らない男の子になっていた。
情報をまとめるとどうやら子供の頃に見たアニメ、ロイヤルヒーローの序盤で出てきた悪役、レオス・ヴィダールの幼少期に転生してしまったようだ。
アニメ自体は子供の頃だったのでよく覚えていないが、なぜかこいつのことはよく覚えている。
物語の序盤で悪魔を召喚させ、学園をめちゃくちゃにする。
それを主人公たちが倒し、レオスは学園を追放される。
その後領地で幽閉に近い謹慎を受けていたのだが、悪魔教に目を付けられ攫われる。
そしてその体を魔改造されて終盤のボスとして主人公に立ちふさがる。
それもヒロインの聖魔法によって倒され、彼の人生の幕は閉じる。
これが、悪役転生ってことか。
特に描写はなかったけど、こいつも怠惰で堕落した生活を送っていたに違いない。
あの肥満体だ、運動もろくにしていないだろう。
これは努力すれば眠れる才能が開花し、死亡フラグを回避できるのでは?
そう考えた俺は執事のカモールに頼み込み訓練を開始する。
偏った考えで領地を無駄に統治してる親を説得し、健全で善人な人生を歩もう。
一つ一つ努力していけば、きっと開かれる未来は輝いているに違いない。
そう思っていたんだけど、俺、弱くない?
希少属性である闇魔法に目覚めたのはよかったけど、攻撃力に乏しい。
剣術もそこそこ程度、全然達人のようにうまくならない。
おまけに俺はなにもしてないのに悪魔が召喚がされている!?
俺の前途多難な転生人生が始まったのだった。
※カクヨム、なろうでも掲載しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
家の庭にダンジョンができたので、会社辞めました。
希羽
ファンタジー
都内のブラックIT企業で働く社畜・佐藤健太(27歳)。
手取り18万、残業100時間。唯一の資産は、亡き祖母から相続した郊外のボロ戸建てだけ。
「このまま死ぬのかな……」
そう絶望していたある夜、庭の物置の裏に謎の穴が出現する。
そこは、なぜか最弱モンスターしか出ないのに、ドロップアイテムだけは最高ランクという、奇跡のボーナスダンジョンだった。
試しにスライムを叩いたら、出てきた宝石の査定額はなんと――【1,000,000円】。
「……え、これ一個で、俺の年収の3分の1?」
スマホアプリで即換金、ドローン配送で手間いらず。
たった10分の庭仕事で5000万円を稼ぎ出した健太は、翌朝、上司に辞表を叩きつけることを決意する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる