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第13章 休戦会談と蠢く策謀編
第19話 叛逆英雄の側近が望んだアカツキと話す為の条件
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・・19・・
4の月16の日
午前11時25分
協商連合ロンドリウム市東部・ロンドリウム港
四月のロンドリウムは随分と暖かくなっていて、昼間ともなればコートはいらないくらいになっていた。天気も冬の間続いていたどんよりとした天候は嘘のように晴れていて、僕は私服のジャケットを脱いで襟なしのカッターシャツ姿になっていた。
一等船室の窓から見える景色は、ひっきりなしに人が行き交う港の姿があった。
黒いロングスカートに袖と真ん中にフリルが少しあるブラウスを着ているリイナは、
「ロンドリウム港へ到着したみたいね」
「前回は軍艦だったからここでは無かったけれど、さすがは協商連合一の民間港さ。五年前まではこんなに大きくなかったけれど、今や世界最大の旅客船も余裕で入港出来るようになってる。これを提案したのも、フィリーネ元少将だよ」
「先見性に秀でた人だったわけね。それも今や遺した産物の一つだけれども」
「フィリーネ元少将は民間にも多くの影響力を及ぼしており、特に経済政策と交通機関には力を入れていたようです」
「散々非難した人達が有難く使ってるんだから、とんだ皮肉さ。いくら振り回されたとはいっても、義父上もそう言っていた」
僕は窓の外を見つめながら言葉通りの大いなる皮肉を含めて言う。いつもと同じ漆黒の色調だけれども、それよりずっとシンプルな作りのドレス――フリルとかはほとんど無い――エイジスは僕と似た心境なのかため息をついていた。
今回の協商連合への非公式の訪問。マーチス侯爵からはすんなりと許可がおりたけれど、軍服では無くあくまで一個人としての体裁を取ったものとなった。だから協商連合内の駐在武官や大使館駐在員が付き添う事もあるとはいえ、とある一人を除いて表立っての護衛は付いていない。リイナとエイジスがいるからというのもあるけれど。
「あと十分でロンドリウム港一番埠頭へと接岸致します。乗船の皆様は手荷物の準備をお願い致します。本日はロンドリュー号をご利用頂きましてありがとうございました」
一等船室の廊下からは乗務員がもうすぐロンドリウム港へ到着する事を告げ始めたので、僕とリイナは手荷物の確認を始める。
「マスター、偽装装束の展開を開始致します」
「ん、よろしく」
エイジスはそう言うと、僕は窓から光が漏れるのを防ぐための術式をかけ直後にエイジスは光に包まれ、現れたのはいかにも私服の護衛という雰囲気を醸し出している女性。格好は前世のSPのスーツのようではあるけれど、女性用のそれに近かった。髪色こそ同じだけど、リイナよりも長身で鋭い目付きを放つ美人になっている。
「マスター、いえ主様。これでよろしいでしょうか」
「バッチリだよ、エイラ」
世界で唯一の生きている召喚武器であるエイジスは、とにかく非公式対談の道中では目立ちすぎる。だからエイジスに非戦闘状態の人間大になれるかどうか聞いてみた。
その答えが、回転式の拳銃をホルスターに入れたエイラとしての姿だ。エイジスによると、第一や第二解放に制限時間があるのは膨大な魔力を常に消費し続けるからだそうで、非戦闘状態であれば数日以上このままでいても問題ないらしい。
それならばと、この姿にさせたんだ。当然国外に行くから身分証明書は必要だけど、一日で軍が用意してくれた。ここら辺の手際の良さには驚いたけど、身分証明書そのものをただ作るだけならすぐに――通常なら二日は要するけど最優先で手配してくれた――作れるらしい。
旅客船が接岸すると、一等船室の僕とリイナやエイジスもといエイラは最優先で降船した。僕はハンチング帽とメガネを、リイナはクロッシェを被っていた。目立たない為にロンドリウムで流行しているファッションに合わせたんだ。
「主様、奥方様。荷物はワタクシが」
荷物の受け取り場に着いてからエイラに一部を持ってもらうと、旅客船ターミナルの正面玄関は思ったより人は多かった。フィリーネ元少将が起こした騒ぎの余波は収まりつつあるとはいえ一時人とモノの流れが止まっていたからだろう。
その中で、合流する人物を見つけた。三十代半ばの男性と二十代後半の男性。二人ともロンドリウム駐在の連合王国大使館の大使館員だった。
「お待ちしておりました。どうぞ馬車の中へ」
僕とリイナは頷き、馬車に乗る。エイジスが続いて乗り込み最後に大使館員二人が乗った。六人乗りの馬車だけど富裕層向けのそれなので窮屈さはまったく感じなかった。
「出してくれ」
「了解しました」
三十代半ばの大使館員が御者に言うと、馬車はゆっくりと動き出した。
少しの間無言になるけれど、旅客船ターミナルを抜けた辺りで大使館員達が口を開く。
「アカツキ中将閣下、リイナ准将閣下、エイジス特務官。遠路ロンドリウムまでご足労頂きお疲れ様でした。私はロンドリウム駐在連合王国大使館一等書記官、ランドです」
「二等書記官のクラッドです」
「二人ともありがとう。早速で悪いけど、今回向かう先はロンドリウムの郊外にある軍病院でいいんだよね?」
「はい、アカツキ中将閣下。クリス大佐は一時フィリーネ元少将と共に反逆罪の嫌疑にかけられておりましたが、事態は起きなかった為に処分は保留。保護当初は錯乱しておりましたので、協商連合軍がフロア全てを無人とする隔離措置を取りました」
「隔離措置ねえ。尊敬した上官が目の前で死んだのなら、やむなしね」
「クラッド二等、御三方に資料を」
「分かりました、ランド一等」
僕達はクラッド二等書記官から数枚程度の資料を受け取ると読み流していく。
そこに書かれていたのは昨日夜までのクリス大佐の状態と協商連合の現況だった。船に乗っていたから一昨日までのしか知らない僕らにはありがたい代物だ。
「反対派閥は恐怖からようやく解放され、自死に追い込んだのに反省するつもりはなしか。良く言えば図太く、悪く言えば」
「罪悪感の欠片も無し、かしら。そしてフィリーネ元少将の側近達は謹慎同然に。濡れ衣着せられて逮捕されないだけマシだけど、彼女の師団もおしまいね。クリス大佐もこの状態ではね」
「マスター、クリス大佐は極度の精神不安定状態です。マスターがクリス大佐の要望に応じられたのを知った後には申しましたが……」
「分かってる。日に一度錯乱に近い状態になる人へ近付くのは危険だと言うんだよね」
「肯定。渦中の人物に会いに行く分までは構いませんが、要注意、いえ危険であるかもしれません」
「心配いらないさ。隔離病棟と化したフロアには多くの見張りの軍人がいて、リイナやエイジスもいる。それに僕だって魔法能力者だよ」
「エイジス特務官の心配はご最もでありますが、クリス大佐には魔法無効化をさせる首輪が付けられております。少なくとも魔法を発動させての攻撃は不可能です」
魔法を無効化させる首輪とは、元妖魔帝国軍ダロノワ大佐達が付けられていたものと同じタイプのものだ。
そういえばダロノワ大佐達捕虜に関しては外務省が裏で動いてくれているんだっけか。条約締結の交渉で間違いなくあがるだろうけれど、プロが策謀を巡らせているからこれについては彼等を信用しよう。
それより今は目の前の事に集中だ。
「だったら尚更大丈夫だよ、エイジス」
「マスターがそう仰るのであれば」
「エイジスは万が一の事を考えているのよ。旦那様」
「分かってる。心配してくれてありがとうエイジス」
「いえ。マスターの身を守るは、ワタクシの義務ですから」
「アカツキ中将閣下。まもなく病院に着きます」
「了解したよ」
資料を鞄に入れて、僕達は降車の準備を始める。
馬車は軍病院の正門に辿り着くと衛兵の検問を受け、中にいる人物を確認するとすぐに通してくれた。
正面玄関で馬車は止まる。降車すると、数人の軍人と軍医がいたけれど僕達が非公式で私服でいることを配慮してか敬礼ではなく普通の礼をして出迎えてくれた。
「お待ちしておりました。アカツキ中将閣下、リイナ准将閣下、エイジス特務官」
「急な予定を受け入れてくれてありがとう。早速で悪いけど、本人の所へ案内してくれるかな」
「了解しました」
手短に済ませ、僕達は隔離病棟になっているフロア、軍病院の五階へ向かう。病院の性質上軍人が多いけれど、私服である事とエイジスが人間大な上に容姿もまるで変わっているからか気付く者はあまり多くない。いるとしたら、それはクリス大佐の件に関わる者達くらいだった。
階段を上がると、封鎖してある五階を警備する兵に敬礼で迎えられフロアに入る。平常であればそれなりの人数がいるここもいるのは警備兵ばかりで不気味なくらい静かだった。
そんな中にとある一団がいた。僕はまさかここにいるとは思わなかった人物に驚く。
「エリアス国防大臣、お久しぶりです。隔離病棟にいるとは思いませんでした」
「こんな再開になるとは思わなかったよ、アカツキ中将。リイナ准将に、エイジス特務官もね……」
僕達を迎えたのは、エリアス国防大臣と側近達だった。いつもはにこやかな彼も、先日の騒動でかなり疲労が蓄積しているようで目の下にあるクマがまだ取れきれていなかった。言動にも陰りがある。体重も少し落ちたみたいで、いかに去年から心労が酷かったかが伺えた。
「叶って欲しい休戦の、その記念レセプションでお会いできればと思っていたのですが僕もこのような形になってしまい残念でなりません。かつての英雄の死についても……」
「かつて、ね……。ワタシはかの人物については信頼していたんだけどね……。でも同時に、こうなりかねない危険性も心配していたよ。それらはなるべく抑えられるようにしていたけれど、昨年のリチリアの一件以来は反対派閥に格好の材料を与えてしまってもうどうにもならなかった……」
「本件は協商連合の政争と自分は考えていますから内紛については言及は避けておきます。しかし、いえ、今はやめておきましょう。今日はクリス大佐に会いに来たのですから」
「キミに袋叩きされる覚悟はあるよ。でも、許してほしいんだ。主要派となった集団を抑えるのは難しい。亡くなった彼女と違い『集』を重んじ、貴族でもあるキミならよく分かっているだろう?」
F調査室発足以来、内政干渉にならないレベルでアドバイスを送り続けていた事を知っているエリアス国防大臣にしても側近にしても、返す言葉がないのかただただ鎮痛な面持ちをしていた。
何せ去年の一件以来エリアス国防大臣の立場も危うくなっているんだ。フィリーネ元少将と関わりがあった彼は次の選挙で議席を維持できるかどうかも危ういらしく、国防大臣の椅子は尚更危ぶまれているとか。情報の出回りが遅かったのも、反対派閥に中枢が侵食されていたかららしい。それを僕が知ったのは出国前の事だ。
だけど僕は連合王国の軍人だからそこまで関わるつもりはない。同情をするつもりもない。
その姿勢を同盟国の英雄に冷たい目線で見られていると感じたのか、ひたすらに彼等は無言だった。
「それはまた後で。クリス大佐は今どうしていますか? 間違っても反対派閥をここには入れていませんよね?」
「もちろんだよアカツキ中将。極々限られた人物を除き一切の人物は立ち入り禁止にしているからね……」
「そうですか。では、案内してください」
「分かったよ……」
なるべく感情は抑えられるようにしていたけれど、言動が刺々しくなっていたかもしれない。会談前にとんでもない爆弾を投下してくれたという意味。自国の英雄をよくぞここまで貶めた上に死へと追いやったという意味。何よりフィリーネ元少将にあの人の影を重ねていたという意味。いくつもあるけれど、それらの棘を向けるべきはエリアス国防大臣達ではなく反対派閥なのにきつい言い方をしている自分に今更自己嫌悪していた。
感情は抑えなければ。立場的には非公式とはいえこれも外交なんだから。
それを察してか、リイナは僕の肩に優しく手を置いて、
「心境は痛いほど分かるわ。けど、それくらいで」
「ごめん。冷静になる」
前を進み案内してくれるエリアス国防大臣達に聞こえない程度でリイナは言う。
エイジスも思念会話で、
『マスター、感情に揺らぎが見られます。深呼吸を勧めます』
『分かった。少し落ち着くようにするよ』
と、隣で歩きながら少しだけ微笑んで感情を柔和させてくれた。
「ここがクリス大佐の病室だよ。アカツキ中将。中には二人、見張りがいる」
「了解しました」
「クリス大佐、君が要望した人物が来てくれた。アカツキ中将だ」
エリアス国防大臣はノックをすると病室にいるクリス大佐に扉越しに声をかけたたすると。
「思ったより早かったですね。しかし、ここにはアカツキ中将閣下だけにしてください。見張りも、貴方も、リイナ准将閣下やエイジス特務官も入室はしないでください。要望しましたよね?」
「いつそんな要望を……?」
僕も耳に入ったクリス大佐の発言に、エリアス国防大臣へ険しい視線を送り、クリス大佐に聞こえない程度の小声で言う。
「ほんの一時間前に突然だよ……。だからほとほと困っているんだ……」
「警告。マスター単独での入室について拒否を進言します」
「私もよ。発狂寸前の人物を前に旦那様一人なんて危険すぎるわ」
「…………いや、僕一人で行く。そうじゃなきゃ話が進まないし、ここへ来た意味がない」
「けれど旦那様」
「エイジス、何かあったらすぐ来るように。リイナもだよ。それで納得して。相手は武器を持たない、魔法を封じられた人物だ」
「どうしたんですか。アカツキ中将閣下はそこにおられるのでしょう? それとも英雄がお一人で来られないと?」
「あの男……」
「いいんだリイナ。――クリス大佐、アカツキ・ノースロードだ。貴官の要望に応えここへやってきた。僕一人で行く。入室していいかい?」
「どうせ扉の前には人がいるんでしょう? それでも構いませんからお入りください。防音魔法を施してならお話します」
「クリス大佐、君ねえいくらなんでも我儘が過ぎるとは思わないのかい?」
土壇場で次々と増える我儘に、エリアス国防大臣が業を煮やしたのか口調をきつくして言う。
しかし僕は左手を横に出して遮ると、
「分かった。防音魔法も僕でしよう。それならいいだろう?」
「ご理解が良い閣下で助かります。外にいるのはどいつもこいつも信用ならない連中ばかりですから。ちなみにその中にはアカツキ中将閣下やリイナ准将閣下、エイジス特務官など連合王国の方々は入っておられないのでご心配なく」
「それはどうも。じゃあ入るよ」
「どうぞ」
『エイジス、探知はしておいて。魔法が使えなくても体内の魔力はあるんだから動きは分かるだろう?』
『肯定。リイナ様にもお伝えしておきます』
『よろしく』
僕は思念会話で入室直前にエイジスに告げておくと、扉を開ける。
見張りの兵士へ頷いて退室させ、静かに扉を閉めて防音魔法を彼の目の前で発動した。
視線の先にいたクリス大佐はかなりやつれていた。資料にあった写真に比べてずっと痩せているし、紳士的で渋い外見は全く無くなっている。まさに病人といった風貌。
その彼はベッドに上体だけ起こして、酷く悲しそうな微笑をしてこう言った。
「初めまして、連合王国の英雄閣下。叛逆の英雄の側近だったクリス・ブラックフォードです」
4の月16の日
午前11時25分
協商連合ロンドリウム市東部・ロンドリウム港
四月のロンドリウムは随分と暖かくなっていて、昼間ともなればコートはいらないくらいになっていた。天気も冬の間続いていたどんよりとした天候は嘘のように晴れていて、僕は私服のジャケットを脱いで襟なしのカッターシャツ姿になっていた。
一等船室の窓から見える景色は、ひっきりなしに人が行き交う港の姿があった。
黒いロングスカートに袖と真ん中にフリルが少しあるブラウスを着ているリイナは、
「ロンドリウム港へ到着したみたいね」
「前回は軍艦だったからここでは無かったけれど、さすがは協商連合一の民間港さ。五年前まではこんなに大きくなかったけれど、今や世界最大の旅客船も余裕で入港出来るようになってる。これを提案したのも、フィリーネ元少将だよ」
「先見性に秀でた人だったわけね。それも今や遺した産物の一つだけれども」
「フィリーネ元少将は民間にも多くの影響力を及ぼしており、特に経済政策と交通機関には力を入れていたようです」
「散々非難した人達が有難く使ってるんだから、とんだ皮肉さ。いくら振り回されたとはいっても、義父上もそう言っていた」
僕は窓の外を見つめながら言葉通りの大いなる皮肉を含めて言う。いつもと同じ漆黒の色調だけれども、それよりずっとシンプルな作りのドレス――フリルとかはほとんど無い――エイジスは僕と似た心境なのかため息をついていた。
今回の協商連合への非公式の訪問。マーチス侯爵からはすんなりと許可がおりたけれど、軍服では無くあくまで一個人としての体裁を取ったものとなった。だから協商連合内の駐在武官や大使館駐在員が付き添う事もあるとはいえ、とある一人を除いて表立っての護衛は付いていない。リイナとエイジスがいるからというのもあるけれど。
「あと十分でロンドリウム港一番埠頭へと接岸致します。乗船の皆様は手荷物の準備をお願い致します。本日はロンドリュー号をご利用頂きましてありがとうございました」
一等船室の廊下からは乗務員がもうすぐロンドリウム港へ到着する事を告げ始めたので、僕とリイナは手荷物の確認を始める。
「マスター、偽装装束の展開を開始致します」
「ん、よろしく」
エイジスはそう言うと、僕は窓から光が漏れるのを防ぐための術式をかけ直後にエイジスは光に包まれ、現れたのはいかにも私服の護衛という雰囲気を醸し出している女性。格好は前世のSPのスーツのようではあるけれど、女性用のそれに近かった。髪色こそ同じだけど、リイナよりも長身で鋭い目付きを放つ美人になっている。
「マスター、いえ主様。これでよろしいでしょうか」
「バッチリだよ、エイラ」
世界で唯一の生きている召喚武器であるエイジスは、とにかく非公式対談の道中では目立ちすぎる。だからエイジスに非戦闘状態の人間大になれるかどうか聞いてみた。
その答えが、回転式の拳銃をホルスターに入れたエイラとしての姿だ。エイジスによると、第一や第二解放に制限時間があるのは膨大な魔力を常に消費し続けるからだそうで、非戦闘状態であれば数日以上このままでいても問題ないらしい。
それならばと、この姿にさせたんだ。当然国外に行くから身分証明書は必要だけど、一日で軍が用意してくれた。ここら辺の手際の良さには驚いたけど、身分証明書そのものをただ作るだけならすぐに――通常なら二日は要するけど最優先で手配してくれた――作れるらしい。
旅客船が接岸すると、一等船室の僕とリイナやエイジスもといエイラは最優先で降船した。僕はハンチング帽とメガネを、リイナはクロッシェを被っていた。目立たない為にロンドリウムで流行しているファッションに合わせたんだ。
「主様、奥方様。荷物はワタクシが」
荷物の受け取り場に着いてからエイラに一部を持ってもらうと、旅客船ターミナルの正面玄関は思ったより人は多かった。フィリーネ元少将が起こした騒ぎの余波は収まりつつあるとはいえ一時人とモノの流れが止まっていたからだろう。
その中で、合流する人物を見つけた。三十代半ばの男性と二十代後半の男性。二人ともロンドリウム駐在の連合王国大使館の大使館員だった。
「お待ちしておりました。どうぞ馬車の中へ」
僕とリイナは頷き、馬車に乗る。エイジスが続いて乗り込み最後に大使館員二人が乗った。六人乗りの馬車だけど富裕層向けのそれなので窮屈さはまったく感じなかった。
「出してくれ」
「了解しました」
三十代半ばの大使館員が御者に言うと、馬車はゆっくりと動き出した。
少しの間無言になるけれど、旅客船ターミナルを抜けた辺りで大使館員達が口を開く。
「アカツキ中将閣下、リイナ准将閣下、エイジス特務官。遠路ロンドリウムまでご足労頂きお疲れ様でした。私はロンドリウム駐在連合王国大使館一等書記官、ランドです」
「二等書記官のクラッドです」
「二人ともありがとう。早速で悪いけど、今回向かう先はロンドリウムの郊外にある軍病院でいいんだよね?」
「はい、アカツキ中将閣下。クリス大佐は一時フィリーネ元少将と共に反逆罪の嫌疑にかけられておりましたが、事態は起きなかった為に処分は保留。保護当初は錯乱しておりましたので、協商連合軍がフロア全てを無人とする隔離措置を取りました」
「隔離措置ねえ。尊敬した上官が目の前で死んだのなら、やむなしね」
「クラッド二等、御三方に資料を」
「分かりました、ランド一等」
僕達はクラッド二等書記官から数枚程度の資料を受け取ると読み流していく。
そこに書かれていたのは昨日夜までのクリス大佐の状態と協商連合の現況だった。船に乗っていたから一昨日までのしか知らない僕らにはありがたい代物だ。
「反対派閥は恐怖からようやく解放され、自死に追い込んだのに反省するつもりはなしか。良く言えば図太く、悪く言えば」
「罪悪感の欠片も無し、かしら。そしてフィリーネ元少将の側近達は謹慎同然に。濡れ衣着せられて逮捕されないだけマシだけど、彼女の師団もおしまいね。クリス大佐もこの状態ではね」
「マスター、クリス大佐は極度の精神不安定状態です。マスターがクリス大佐の要望に応じられたのを知った後には申しましたが……」
「分かってる。日に一度錯乱に近い状態になる人へ近付くのは危険だと言うんだよね」
「肯定。渦中の人物に会いに行く分までは構いませんが、要注意、いえ危険であるかもしれません」
「心配いらないさ。隔離病棟と化したフロアには多くの見張りの軍人がいて、リイナやエイジスもいる。それに僕だって魔法能力者だよ」
「エイジス特務官の心配はご最もでありますが、クリス大佐には魔法無効化をさせる首輪が付けられております。少なくとも魔法を発動させての攻撃は不可能です」
魔法を無効化させる首輪とは、元妖魔帝国軍ダロノワ大佐達が付けられていたものと同じタイプのものだ。
そういえばダロノワ大佐達捕虜に関しては外務省が裏で動いてくれているんだっけか。条約締結の交渉で間違いなくあがるだろうけれど、プロが策謀を巡らせているからこれについては彼等を信用しよう。
それより今は目の前の事に集中だ。
「だったら尚更大丈夫だよ、エイジス」
「マスターがそう仰るのであれば」
「エイジスは万が一の事を考えているのよ。旦那様」
「分かってる。心配してくれてありがとうエイジス」
「いえ。マスターの身を守るは、ワタクシの義務ですから」
「アカツキ中将閣下。まもなく病院に着きます」
「了解したよ」
資料を鞄に入れて、僕達は降車の準備を始める。
馬車は軍病院の正門に辿り着くと衛兵の検問を受け、中にいる人物を確認するとすぐに通してくれた。
正面玄関で馬車は止まる。降車すると、数人の軍人と軍医がいたけれど僕達が非公式で私服でいることを配慮してか敬礼ではなく普通の礼をして出迎えてくれた。
「お待ちしておりました。アカツキ中将閣下、リイナ准将閣下、エイジス特務官」
「急な予定を受け入れてくれてありがとう。早速で悪いけど、本人の所へ案内してくれるかな」
「了解しました」
手短に済ませ、僕達は隔離病棟になっているフロア、軍病院の五階へ向かう。病院の性質上軍人が多いけれど、私服である事とエイジスが人間大な上に容姿もまるで変わっているからか気付く者はあまり多くない。いるとしたら、それはクリス大佐の件に関わる者達くらいだった。
階段を上がると、封鎖してある五階を警備する兵に敬礼で迎えられフロアに入る。平常であればそれなりの人数がいるここもいるのは警備兵ばかりで不気味なくらい静かだった。
そんな中にとある一団がいた。僕はまさかここにいるとは思わなかった人物に驚く。
「エリアス国防大臣、お久しぶりです。隔離病棟にいるとは思いませんでした」
「こんな再開になるとは思わなかったよ、アカツキ中将。リイナ准将に、エイジス特務官もね……」
僕達を迎えたのは、エリアス国防大臣と側近達だった。いつもはにこやかな彼も、先日の騒動でかなり疲労が蓄積しているようで目の下にあるクマがまだ取れきれていなかった。言動にも陰りがある。体重も少し落ちたみたいで、いかに去年から心労が酷かったかが伺えた。
「叶って欲しい休戦の、その記念レセプションでお会いできればと思っていたのですが僕もこのような形になってしまい残念でなりません。かつての英雄の死についても……」
「かつて、ね……。ワタシはかの人物については信頼していたんだけどね……。でも同時に、こうなりかねない危険性も心配していたよ。それらはなるべく抑えられるようにしていたけれど、昨年のリチリアの一件以来は反対派閥に格好の材料を与えてしまってもうどうにもならなかった……」
「本件は協商連合の政争と自分は考えていますから内紛については言及は避けておきます。しかし、いえ、今はやめておきましょう。今日はクリス大佐に会いに来たのですから」
「キミに袋叩きされる覚悟はあるよ。でも、許してほしいんだ。主要派となった集団を抑えるのは難しい。亡くなった彼女と違い『集』を重んじ、貴族でもあるキミならよく分かっているだろう?」
F調査室発足以来、内政干渉にならないレベルでアドバイスを送り続けていた事を知っているエリアス国防大臣にしても側近にしても、返す言葉がないのかただただ鎮痛な面持ちをしていた。
何せ去年の一件以来エリアス国防大臣の立場も危うくなっているんだ。フィリーネ元少将と関わりがあった彼は次の選挙で議席を維持できるかどうかも危ういらしく、国防大臣の椅子は尚更危ぶまれているとか。情報の出回りが遅かったのも、反対派閥に中枢が侵食されていたかららしい。それを僕が知ったのは出国前の事だ。
だけど僕は連合王国の軍人だからそこまで関わるつもりはない。同情をするつもりもない。
その姿勢を同盟国の英雄に冷たい目線で見られていると感じたのか、ひたすらに彼等は無言だった。
「それはまた後で。クリス大佐は今どうしていますか? 間違っても反対派閥をここには入れていませんよね?」
「もちろんだよアカツキ中将。極々限られた人物を除き一切の人物は立ち入り禁止にしているからね……」
「そうですか。では、案内してください」
「分かったよ……」
なるべく感情は抑えられるようにしていたけれど、言動が刺々しくなっていたかもしれない。会談前にとんでもない爆弾を投下してくれたという意味。自国の英雄をよくぞここまで貶めた上に死へと追いやったという意味。何よりフィリーネ元少将にあの人の影を重ねていたという意味。いくつもあるけれど、それらの棘を向けるべきはエリアス国防大臣達ではなく反対派閥なのにきつい言い方をしている自分に今更自己嫌悪していた。
感情は抑えなければ。立場的には非公式とはいえこれも外交なんだから。
それを察してか、リイナは僕の肩に優しく手を置いて、
「心境は痛いほど分かるわ。けど、それくらいで」
「ごめん。冷静になる」
前を進み案内してくれるエリアス国防大臣達に聞こえない程度でリイナは言う。
エイジスも思念会話で、
『マスター、感情に揺らぎが見られます。深呼吸を勧めます』
『分かった。少し落ち着くようにするよ』
と、隣で歩きながら少しだけ微笑んで感情を柔和させてくれた。
「ここがクリス大佐の病室だよ。アカツキ中将。中には二人、見張りがいる」
「了解しました」
「クリス大佐、君が要望した人物が来てくれた。アカツキ中将だ」
エリアス国防大臣はノックをすると病室にいるクリス大佐に扉越しに声をかけたたすると。
「思ったより早かったですね。しかし、ここにはアカツキ中将閣下だけにしてください。見張りも、貴方も、リイナ准将閣下やエイジス特務官も入室はしないでください。要望しましたよね?」
「いつそんな要望を……?」
僕も耳に入ったクリス大佐の発言に、エリアス国防大臣へ険しい視線を送り、クリス大佐に聞こえない程度の小声で言う。
「ほんの一時間前に突然だよ……。だからほとほと困っているんだ……」
「警告。マスター単独での入室について拒否を進言します」
「私もよ。発狂寸前の人物を前に旦那様一人なんて危険すぎるわ」
「…………いや、僕一人で行く。そうじゃなきゃ話が進まないし、ここへ来た意味がない」
「けれど旦那様」
「エイジス、何かあったらすぐ来るように。リイナもだよ。それで納得して。相手は武器を持たない、魔法を封じられた人物だ」
「どうしたんですか。アカツキ中将閣下はそこにおられるのでしょう? それとも英雄がお一人で来られないと?」
「あの男……」
「いいんだリイナ。――クリス大佐、アカツキ・ノースロードだ。貴官の要望に応えここへやってきた。僕一人で行く。入室していいかい?」
「どうせ扉の前には人がいるんでしょう? それでも構いませんからお入りください。防音魔法を施してならお話します」
「クリス大佐、君ねえいくらなんでも我儘が過ぎるとは思わないのかい?」
土壇場で次々と増える我儘に、エリアス国防大臣が業を煮やしたのか口調をきつくして言う。
しかし僕は左手を横に出して遮ると、
「分かった。防音魔法も僕でしよう。それならいいだろう?」
「ご理解が良い閣下で助かります。外にいるのはどいつもこいつも信用ならない連中ばかりですから。ちなみにその中にはアカツキ中将閣下やリイナ准将閣下、エイジス特務官など連合王国の方々は入っておられないのでご心配なく」
「それはどうも。じゃあ入るよ」
「どうぞ」
『エイジス、探知はしておいて。魔法が使えなくても体内の魔力はあるんだから動きは分かるだろう?』
『肯定。リイナ様にもお伝えしておきます』
『よろしく』
僕は思念会話で入室直前にエイジスに告げておくと、扉を開ける。
見張りの兵士へ頷いて退室させ、静かに扉を閉めて防音魔法を彼の目の前で発動した。
視線の先にいたクリス大佐はかなりやつれていた。資料にあった写真に比べてずっと痩せているし、紳士的で渋い外見は全く無くなっている。まさに病人といった風貌。
その彼はベッドに上体だけ起こして、酷く悲しそうな微笑をしてこう言った。
「初めまして、連合王国の英雄閣下。叛逆の英雄の側近だったクリス・ブラックフォードです」
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「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」
解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。
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彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。
(1話2500字程度、1章まで完結保証です)
死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜
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帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、
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水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは――
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男爵家の厄介者は賢者と呼ばれる
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魔法もスキルも授からなかったが、他人の魔法は俺のもの。な~んちゃって。
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【死に役転生】悪役貴族の冤罪処刑エンドは嫌なので、ストーリーが始まる前に鍛えまくったら、やりすぎたようです。
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【第二章】
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ダンジョンでオーブを拾って『』を手に入れた。代償は体で払います
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