【完結】とあるリュート弾きの少年の物語

衿乃 光希

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第二部

25 オルッシーニ男爵

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 師匠の舞台も好評の内に終了し、用意されていた食事の席に戻って行った。

 ディーノは待機していたピエールと楽器に置きに楽屋へ戻ると、楽器の管理をピエールに任せ、宴の場に戻るために楽屋を出た。

 今回は饗宴の場に呼ばれていたので、貴族たちと食事を共にすることになっていた。

 廊下や窓際では酔っ払った貴族たちが楽しげに談笑している。人目もはばからずいちゃついている者もいた。

 ディーノは身を縮め、こそこそと廊下を進んだ。

 演奏家として社交界デビューをはたしたものの、演奏時以外はこの世界に慣れることも親しむことも、ましてや楽しむことなどできなかった。場違いな所にいる感覚が残っている。背筋を伸ばしてしゃんと歩くなんてまだできなかった。

 貴族たちはお喋りに夢中のようで、さきほど自分たちが絶賛したリュート奏者が傍を通って行くのに気がつかない。

 声をかけられなくてよかったとほっとした。途端――

「なあ」

 気が緩んだ直後、声をかけられた。

 ディーノは内心で、うわあと思いながら足を止め、顔を向けた。

 そこには見覚えのない、痩せた貴族が立っていった。

 ぎらついた眸とにやけた笑顔が、良い印象を与えなかった。

 相手は貴族であるから、思ったことを顔にはださないようにするべきなのだが、抱いた不信感を隠すことができないほどに、その貴族の顔や雰囲気に嫌悪した。それは本能が察知した危険信号であったのかもしれない。

「おまえ、レーヴェだろ」

 貴族が何を言っているのかわからなかった。ディーノは首を傾げる。

「どなた、ですか?」

「おいおい。主人の顔を忘れたとは言わせないぞ。なあ、レーヴェ」

 ディーノの背筋が凍りついた。その脳裏に蘇った記憶に、身体が震え始める。

 オルッシーニ男爵はもっと肉付きがよかった。だから痩せた姿では誰なのかわからなかった。しかし、彼の眸だけは変わっていなかった。人を蔑んで見下してくる目つきだけは。

「高い金だして買ったのに女も一緒に逃げられて。おまえのおかげで大赤字だ。あの時は何人の従業員の首が飛んだんだったっけな」
 
 オルッシーニ男爵はにやにやと唇の端を吊り上げ、柄の悪い嫌な笑みを浮かべた。

「どっかで野垂れ死んでると思ってたのに、生きてたんだなあ、おい。デチーナも生きてんのか。それとももうやっちまったか。いつか俺が処女をいただこうと思ってたのによ。もったいないことしやがって」

 男爵の悪態はだらだらと続く。

 脇の下を生温い汗が伝う。気持ちが悪くなってきた。

「まあ、出すもん出せば赦してやらないでもないがな」

 さんざん悪態をついていたが、結局云いたかったことはそれだったのだろう。

「ちょっとやそっとの額じゃあなあ。相当な痛手を被ったからなあ」

 値踏みするようにディーノを眺め回した。

 ディーノはその眸に射すくめられ、ただ震えることしかできなかった。完全に狩られる獲物と化している。

「俺は別にいいんだぜ、全てばらしても。ま、そうなると、仕事は減るだろうな。潔癖な貴族も多いからなあ。ああ、そうだ」

 男爵はさらに卑しい笑みを浮かべた。

「いいことを思いついた。おまえ、俺の専属になれよ。俺がおまえの仕事を斡旋してやるから、その見事な腕前でしっかり稼いでこいよ。なあ、リュート奏者のディーノさんよ」

 拒否だ。拒否をするんだ。でないと、オレの人生はまた昔みたいになる。はっきりと拒否するんだ。

「オ……オレは」

 頭ではわかっているのに、ようやくだせた声は嗄れて、情けないほど小さなものだった。

「ついてこい」

 顎をしゃくった男爵の命令口調に従いそうになった。必死で脳に拒否の暗示をかけ、動かしかけた身体を押しとどめる。

 ディーノの行動が予想できたのか、男爵は眉を動かすこともなく、じっとディーノをみつめて云った。

「それじゃあこうしよう、レーヴェ」

 何か提案でもあるのか、男爵の言葉にディーノは顔を上げた。

「あの女の居所を吐け。それでおまえには一切関わらねえ。約束してやろう」

 ディーノはかっとなった。引いた血の気が瞬時に戻ってくるのを感じた。

 イレーネと引き換えに自由を得るなんてあり得ない。

「そんなの駄目だ!」

 身体の内側から熱いものが湧き上がり、大声を出したことで身体と精神を拘束していた戒めが解けた。

「やっと人としての暮らしができるようになって幸せに暮らしてしてるんだ。イレーネに手を出すならオレを好きにしろ。イレーネのためなら一生あんたに仕えてやる!」

「やっぱりどっかで生きてるんだな」

 男爵は顔を歪め、さらに残忍な笑みを浮かべた。ディーノの口から聞き出したかったのであろう言葉を引き出せたことに、したやったりと思っていることだろう。顎に手をやり、再び値踏みするようにリュートとディーノを交互に見た。

「おまえも金を稼ぎそうだが、あの女も捨て難いな」

「イレーネに手をだすな!」

「うるせえ! 決めるのは俺だ。おまえに選べる権利なんてない!」

 それが男爵の本音だった。例えディーノがどちらかを選んでいても、いずれは両方とも自分のものにするつもりだったのだろう。そういう男だった。

 男爵の性格を思い出したディーノは、とっさに宴の間に飛び込んだ。恐怖から固まっていた身体は、怒りが爆発したときに自由を取り戻していた。

「この野郎ッ!」

 追いかけてくる男爵の気配を背中に感じ、ディーノは走って師匠がついているテーブルに向かった。

 広間はざわついていて、二人に興味を示した者はいなかった。

 途中で振り返ると、男爵は足を止めてディーノを見るだけにとどめていた。しかし、その眸はぎらついたままで、諦めていないことは明らかだった。
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