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第二部 海野汐里
32 おかえり麻帆
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麻帆の起きている時間が長くなってきた。授業の途中で寝てしまうこともあるけれど、二人で勉強をして、補い合っている。
麻帆が起きている間の記憶は両方に残り、麻帆が眠っている間は私一人に残るというのもわかった。
ひとつの体に、二つの意識が入っているという奇妙な同居生活は三週間ほどが経ち、支障なく毎日を送れている。
けれど、麻帆はまだ体の主導権を持とうとしない。
何かためらうような理由があるのか、単純に怠けているだけなのか。
麻帆の思いまでは、わからない。
GW明けの中間考査に備えて、私たちにはやる事が山のようにある。
一年生の教科書を勉強しながら、二年生の復習。
包丁を持ち帰っていいとの許可が下りたので、家で練習。
包丁の持ち方には慣れてきたけれど、まだ扱いは上手くない。クラスメイトは大根のかつら剥きを上手にできる子がたくさんいる。上級生には大会に出る人もいるらしい。
麻帆がやりなよ、と言ってもはぐらかすので、結局は私がやる事になる。
上手く切れたらサーモンとかいわれを巻いて、サラダにしようと思っていたのに、現実は薄さがばらばらで、長くても10センチもいかず切れた。
短く切れた大根を千切りにして、なますにすることにした。
色どりを考えて、ニンジンも加えて、紅白なますにしよう。お正月みたいだけど。
ニンジンのかつら剝きにも挑戦したけれど、
「もう、やだ。疲れた」
右手で包丁を動かしながら、左手で大根やニンジンを回転させていく。
薄さが均一にならないし、薄すぎて切れてしまう。
どこの脳を使っているのかわからないけど、すごく疲れた。
「お姉ちゃん、無理しなくていいよ。危ない」
「そうだね。かつら剝きは休憩。千切りにするね」
麻帆の助言に従って、慣れた千切りに切り替えた。
なますにするなら細めの方が食感良いよね、とトントンと切っていると――
「危ない!」
麻帆の声に驚いた。
ニンジンを抑えていた左手の人差し指に、包丁が当たっていた。
あれ、でもおかしい。痛みを感じない。
「痛っ」
痛がる声は麻帆のもの。
包丁を置き、流しで指を洗っている。
その様子を私は見ている。でも、何も感じない。痛みも、水が手に当たる感触も。どういうこと?
「もうー、お姉ちゃん危なっかしいなあ。怪我しちゃったよ」
私が呆然としている間に、体はキッチンペーパーで手を拭き、患部を抑えていた。
「ごめん、麻帆。体傷つけちゃって。でも、お姉ちゃん、痛くないの」
「そりゃそうだよ。あたしが戻ったもん」
「え? 麻帆が戻ったの? 体に?」
「うん。お姉ちゃんが危ないって思ったら、とっさに戻っちゃったよ」
「だから、お姉ちゃんに痛みはないんだ。見てるだけだもんね」
「そういうこと」
体を動かそうと思ってみても、麻帆の体は動かなかった。
「やっと戻ってくれたのね。麻帆」
「お姉ちゃん、ちゃんといるよね」
不安そうな麻帆の声に、私はしっかりと応えてやる。
「いるよ。頭にいるよ」
「良かった。消えちゃわないか、怖かったんだ」
「もしかして、それで体に戻ってこなかったの?」
「そうだよ。幽霊に戻れるならいいけど、消えちゃったら嫌だから」
「そっか、それで遠慮してたんだ。心配してたんだね。でも大丈夫。お姉ちゃん、いるからね」
「うん!」
元気のいい返事。これでもう、気がかりが最後だったらいいけど。
「それで、怪我は?」
患部を抑えていた麻帆が手を離す。出血はだいぶ収まっていた。
「大きな傷じゃなかったみたい。良かった。救急箱の消毒液で、ちゃんと消毒してから、絆創膏を貼って」
「はーい」
私が考えても体は動かないから、麻帆に指示を出して傷の手当をさせる。
自分の意志で体を動かすことが当たり前になっていたから、少しじれったい。
でもこっちが当たり前。
私はイレギュラーな存在なんだから。
血のついたニンジンは、廃棄せざるを得なかった。
麻帆の血液に菌がいるとは思わないけど、血液が付着したものは衛生的じゃない。家族といえども、食べない方がいいだろう。
「料理はしばらくの間、休もうか。グローブを使えばできなくないけど、麻帆が体を使うのは久しぶりなんだから、また怪我をしたらいけないし」
「そうだね。あたしも、まだ馴染んでない気がする。なんか重いんだよね」
「私も、麻帆の体に入ったとき、すごく重かった。ああ、麻帆の体重の話じゃないよ」
「あはは。幽霊からしたら、人の体重なんて重いに決まってるよね」
久しぶりに聞いた麻帆の屈託ない笑い声。
目覚めてからも、いろいろと気がかりがあったのか、あまり明るくはなかったから、安心した。
暗い思いつめた麻帆より、明るく元気な麻帆でいてほしい
麻帆が起きている間の記憶は両方に残り、麻帆が眠っている間は私一人に残るというのもわかった。
ひとつの体に、二つの意識が入っているという奇妙な同居生活は三週間ほどが経ち、支障なく毎日を送れている。
けれど、麻帆はまだ体の主導権を持とうとしない。
何かためらうような理由があるのか、単純に怠けているだけなのか。
麻帆の思いまでは、わからない。
GW明けの中間考査に備えて、私たちにはやる事が山のようにある。
一年生の教科書を勉強しながら、二年生の復習。
包丁を持ち帰っていいとの許可が下りたので、家で練習。
包丁の持ち方には慣れてきたけれど、まだ扱いは上手くない。クラスメイトは大根のかつら剥きを上手にできる子がたくさんいる。上級生には大会に出る人もいるらしい。
麻帆がやりなよ、と言ってもはぐらかすので、結局は私がやる事になる。
上手く切れたらサーモンとかいわれを巻いて、サラダにしようと思っていたのに、現実は薄さがばらばらで、長くても10センチもいかず切れた。
短く切れた大根を千切りにして、なますにすることにした。
色どりを考えて、ニンジンも加えて、紅白なますにしよう。お正月みたいだけど。
ニンジンのかつら剝きにも挑戦したけれど、
「もう、やだ。疲れた」
右手で包丁を動かしながら、左手で大根やニンジンを回転させていく。
薄さが均一にならないし、薄すぎて切れてしまう。
どこの脳を使っているのかわからないけど、すごく疲れた。
「お姉ちゃん、無理しなくていいよ。危ない」
「そうだね。かつら剝きは休憩。千切りにするね」
麻帆の助言に従って、慣れた千切りに切り替えた。
なますにするなら細めの方が食感良いよね、とトントンと切っていると――
「危ない!」
麻帆の声に驚いた。
ニンジンを抑えていた左手の人差し指に、包丁が当たっていた。
あれ、でもおかしい。痛みを感じない。
「痛っ」
痛がる声は麻帆のもの。
包丁を置き、流しで指を洗っている。
その様子を私は見ている。でも、何も感じない。痛みも、水が手に当たる感触も。どういうこと?
「もうー、お姉ちゃん危なっかしいなあ。怪我しちゃったよ」
私が呆然としている間に、体はキッチンペーパーで手を拭き、患部を抑えていた。
「ごめん、麻帆。体傷つけちゃって。でも、お姉ちゃん、痛くないの」
「そりゃそうだよ。あたしが戻ったもん」
「え? 麻帆が戻ったの? 体に?」
「うん。お姉ちゃんが危ないって思ったら、とっさに戻っちゃったよ」
「だから、お姉ちゃんに痛みはないんだ。見てるだけだもんね」
「そういうこと」
体を動かそうと思ってみても、麻帆の体は動かなかった。
「やっと戻ってくれたのね。麻帆」
「お姉ちゃん、ちゃんといるよね」
不安そうな麻帆の声に、私はしっかりと応えてやる。
「いるよ。頭にいるよ」
「良かった。消えちゃわないか、怖かったんだ」
「もしかして、それで体に戻ってこなかったの?」
「そうだよ。幽霊に戻れるならいいけど、消えちゃったら嫌だから」
「そっか、それで遠慮してたんだ。心配してたんだね。でも大丈夫。お姉ちゃん、いるからね」
「うん!」
元気のいい返事。これでもう、気がかりが最後だったらいいけど。
「それで、怪我は?」
患部を抑えていた麻帆が手を離す。出血はだいぶ収まっていた。
「大きな傷じゃなかったみたい。良かった。救急箱の消毒液で、ちゃんと消毒してから、絆創膏を貼って」
「はーい」
私が考えても体は動かないから、麻帆に指示を出して傷の手当をさせる。
自分の意志で体を動かすことが当たり前になっていたから、少しじれったい。
でもこっちが当たり前。
私はイレギュラーな存在なんだから。
血のついたニンジンは、廃棄せざるを得なかった。
麻帆の血液に菌がいるとは思わないけど、血液が付着したものは衛生的じゃない。家族といえども、食べない方がいいだろう。
「料理はしばらくの間、休もうか。グローブを使えばできなくないけど、麻帆が体を使うのは久しぶりなんだから、また怪我をしたらいけないし」
「そうだね。あたしも、まだ馴染んでない気がする。なんか重いんだよね」
「私も、麻帆の体に入ったとき、すごく重かった。ああ、麻帆の体重の話じゃないよ」
「あはは。幽霊からしたら、人の体重なんて重いに決まってるよね」
久しぶりに聞いた麻帆の屈託ない笑い声。
目覚めてからも、いろいろと気がかりがあったのか、あまり明るくはなかったから、安心した。
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