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第1章 左遷と「雇用を守る」嘘
移動・新幹線/車内
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新幹線の窓に、冬の雲が流れていく。速度が上がるたび、景色は輪郭を失って、線だけになる。私はその線を追いながら、膝の上の資料を一枚ずつめくった。紙の匂いはいつも同じだ。インクと乾いた空調と、誰かの人生が折り畳まれた匂い。
『雇用を守るための統合』
太い文字が、何度見ても胸の奥をざらつかせる。守る、と言うとき、人は何かを切る。切らないと守れない現実を、私は知っている。
通路を挟んだ席で、若い会社員らしい男がパソコンを開いている。画面の端に「転職サイト」のロゴが見えた。見ないふりをして、私はスマホを裏返す。会議室を出た直後の通知が、まだ胸ポケットの中で熱を持っている気がした。
“現地総務:到着前に確認願います。統合関連・内部資料あり”
火種は、着火前が一番煙たい。
車内販売のワゴンが通り過ぎ、コーヒーの香りが一瞬だけ漂った。紙コップの蓋を押さえる指先を見て、私はふと――あの日の手を思い出す。救急外来の白い蛍光灯。署名欄の最後の一筆。私の判断で処分された男が、翌朝、飛び降り未遂をしたと聞かされた瞬間。正しかったはずだ。社内恋愛から始まった“うっかり”が、M&A計画を外へ出した。会社が傾けば、もっと多くの雇用が消える。だから止めた。止めるしかなかった。
それでも、正しさは人を壊す。
私は恋愛禁止条項を作った。恋が悪いわけじゃない。恋が“例外”になる瞬間が怖い。守秘義務より、好意の方が強くなる瞬間。誰かの肩を持ちたくなる瞬間。あの瞬間に、会社も、人も、簡単に燃える。
「…大丈夫ですか」
声をかけられて、顔を上げた。通路側の男だった。さっき転職サイトを見ていた人。少し眉を下げて、私の資料をちらりと見ている。私が無意識に爪を立てていたのは、資料じゃなく、自分の手の甲だった。
「すみません。ぼーっとしてました」
笑ってみせると、男は安心したように会釈して席に戻った。――優しさは、油断の入口だ。そう言い聞かせているのに、さっきの一言が、喉の奥に小さく残る。火消し屋は、人の温度に慣れない方がいい。慣れたら、燃える。
スマホを表に返し、通知を開く。添付ファイルはロック付き。パスワードは別送、とある。総務の慎重さが、逆に嫌な予感を強めた。
私は、紙の資料を閉じた。窓の外の景色は、いつの間にか工場地帯に変わり、灰色の煙突が空に刺さっている。あの煙は、どこへ行くのだろう。空に紛れて、無かったことになるのだろうか。
車内アナウンスが、次の停車駅を告げる。私の目的地まで、あと二十分。
――到着したら、まず何を燃やす?自分にそう問いかけた瞬間、スマホがもう一度震えた。
“現地総務:追伸。社長には、資料を見たことを伏せてください。もし知られたら…揉めます。”
私は息を止めた。社長に伏せるべき資料。雇用を守る統合のはずなのに、最初から隠し事がある。
新幹線は、予定通りの速度で、予定通りの火事場へ向かっていく。
『雇用を守るための統合』
太い文字が、何度見ても胸の奥をざらつかせる。守る、と言うとき、人は何かを切る。切らないと守れない現実を、私は知っている。
通路を挟んだ席で、若い会社員らしい男がパソコンを開いている。画面の端に「転職サイト」のロゴが見えた。見ないふりをして、私はスマホを裏返す。会議室を出た直後の通知が、まだ胸ポケットの中で熱を持っている気がした。
“現地総務:到着前に確認願います。統合関連・内部資料あり”
火種は、着火前が一番煙たい。
車内販売のワゴンが通り過ぎ、コーヒーの香りが一瞬だけ漂った。紙コップの蓋を押さえる指先を見て、私はふと――あの日の手を思い出す。救急外来の白い蛍光灯。署名欄の最後の一筆。私の判断で処分された男が、翌朝、飛び降り未遂をしたと聞かされた瞬間。正しかったはずだ。社内恋愛から始まった“うっかり”が、M&A計画を外へ出した。会社が傾けば、もっと多くの雇用が消える。だから止めた。止めるしかなかった。
それでも、正しさは人を壊す。
私は恋愛禁止条項を作った。恋が悪いわけじゃない。恋が“例外”になる瞬間が怖い。守秘義務より、好意の方が強くなる瞬間。誰かの肩を持ちたくなる瞬間。あの瞬間に、会社も、人も、簡単に燃える。
「…大丈夫ですか」
声をかけられて、顔を上げた。通路側の男だった。さっき転職サイトを見ていた人。少し眉を下げて、私の資料をちらりと見ている。私が無意識に爪を立てていたのは、資料じゃなく、自分の手の甲だった。
「すみません。ぼーっとしてました」
笑ってみせると、男は安心したように会釈して席に戻った。――優しさは、油断の入口だ。そう言い聞かせているのに、さっきの一言が、喉の奥に小さく残る。火消し屋は、人の温度に慣れない方がいい。慣れたら、燃える。
スマホを表に返し、通知を開く。添付ファイルはロック付き。パスワードは別送、とある。総務の慎重さが、逆に嫌な予感を強めた。
私は、紙の資料を閉じた。窓の外の景色は、いつの間にか工場地帯に変わり、灰色の煙突が空に刺さっている。あの煙は、どこへ行くのだろう。空に紛れて、無かったことになるのだろうか。
車内アナウンスが、次の停車駅を告げる。私の目的地まで、あと二十分。
――到着したら、まず何を燃やす?自分にそう問いかけた瞬間、スマホがもう一度震えた。
“現地総務:追伸。社長には、資料を見たことを伏せてください。もし知られたら…揉めます。”
私は息を止めた。社長に伏せるべき資料。雇用を守る統合のはずなのに、最初から隠し事がある。
新幹線は、予定通りの速度で、予定通りの火事場へ向かっていく。
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