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4.短歌の家
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真由子は銀行につとめている。地域採用で転勤はなく、結婚後も働く予定である。婚約者の諒人は、ひとつ年上の大学時代のサークルの先輩で、製薬会社につとめている。
諒人は最初真由子の父が、大学教授で著名な歌人だった水上実之と聞いた時、驚くよりも
「短歌ってなんだっけ? 松尾芭蕉……あれは俳句の方だったかな」というような男だった。
諒人は後でネットで検索して、真由子の父の水上実之の名前がヒットした時
「もし今、真由子のお父さんが生きていたら、俺みたいな男は婿として絶対に、認めてくれなかっただろうなぁ。いや、結婚自体を反対されたね」と苦笑いした。
「そんなことないわ。私だって短歌はよくわからないもの。ただ父からはね、歌の意味がわからなくてもいいから百人一首だけは暗記しなさい、と言われたの。幼稚園の時からお正月なんて、いつも小倉百人一首のかるた取りばかりだったの。だからこれでも私、今でも百人一首を全部そらで言えるのよ」
真由子はツンとして、諒人に言った。
「へぇ、さすが歌人の娘は言うことが凄いな。老舗と言っちゃ聞こえはいいけど、古いばっかりの、家族経営の下町の菓子屋の息子とは育ちが違う。俺はそうだな、持統天皇の『ころもほすちょう あまのかぐやま』なら知ってるぜ」
「あら上の句はどうしたの、諒人さん?」
「へん、どうせ俺は文学も文芸も理解できない、無粋な人間だよ」
諒人はそう言うと、真由子の髪をくしゃくしゃにした。
「でもね、うちだって父以外は、誰も歌を作らないのよね。俊之兄さんはバリバリの理系出身で文学には興味はないし、稚子姉さんだって英文科卒で、短歌よりもエミリー・ブロンテが好きだし……」
「お母さんは? お母さんは短歌に興味を持たないのか? 真由子のお母さんってもの静かだし、歌人の妻という前にすでに短歌、いや和歌っていうか、そんな雰囲気をまとってるって感じがするよ。昔のお姫様みたいにさ、細い筆を走らせ、歌を詠むってのが似合いそうなんだけどなぁ」
「そう思う?」
「うん。そんな気がするよ。そう言えばさ、小川のそばで十二単衣なんか着て、小舟かコップかそんなものが流れて来る前に、短冊にすらすらって和歌を書きつける……そんな行事、やってなかったっけ?」
「曲水の宴のことかしら。案外、知ってるじゃないの」
「曲芸か曲水か、何だか知らないけど、何ていうかさ、真由子のお母さんってとにかく大和撫子だよ。ハハハ、真由子とは大違いだな」
「言ったわね、諒人!」
「だから好きなんだよ、真由子ちゃん」諒人は、すばやく真由子のくちびるをふさいだ。
真由子にとって、兄や姉は、自分よりもずっと年齢が離れていたので、小さな頃はけんかもしない代わりに、いっしょに遊んだりすることも少なく、あまり打ち解けることはなかった。
また母親が違う、ということも微妙に、兄妹関係に影響したことも否めないだろう。一番年長の俊之は、真由子とは十八も年が離れているので、真由子が幼稚園に通う頃には、すでに俊之は家を出ていた。
しかしそんな兄妹でも、下の兄の靖之だけには真由子はなついていた。とはいえ一番年が近い靖之であっても真由子とは十歳以上も年が離れていたが、靖之は真由子の勉強をみてくれたり、中々上達しないバドミントンの練習相手になってくれたりした。
諒人は最初真由子の父が、大学教授で著名な歌人だった水上実之と聞いた時、驚くよりも
「短歌ってなんだっけ? 松尾芭蕉……あれは俳句の方だったかな」というような男だった。
諒人は後でネットで検索して、真由子の父の水上実之の名前がヒットした時
「もし今、真由子のお父さんが生きていたら、俺みたいな男は婿として絶対に、認めてくれなかっただろうなぁ。いや、結婚自体を反対されたね」と苦笑いした。
「そんなことないわ。私だって短歌はよくわからないもの。ただ父からはね、歌の意味がわからなくてもいいから百人一首だけは暗記しなさい、と言われたの。幼稚園の時からお正月なんて、いつも小倉百人一首のかるた取りばかりだったの。だからこれでも私、今でも百人一首を全部そらで言えるのよ」
真由子はツンとして、諒人に言った。
「へぇ、さすが歌人の娘は言うことが凄いな。老舗と言っちゃ聞こえはいいけど、古いばっかりの、家族経営の下町の菓子屋の息子とは育ちが違う。俺はそうだな、持統天皇の『ころもほすちょう あまのかぐやま』なら知ってるぜ」
「あら上の句はどうしたの、諒人さん?」
「へん、どうせ俺は文学も文芸も理解できない、無粋な人間だよ」
諒人はそう言うと、真由子の髪をくしゃくしゃにした。
「でもね、うちだって父以外は、誰も歌を作らないのよね。俊之兄さんはバリバリの理系出身で文学には興味はないし、稚子姉さんだって英文科卒で、短歌よりもエミリー・ブロンテが好きだし……」
「お母さんは? お母さんは短歌に興味を持たないのか? 真由子のお母さんってもの静かだし、歌人の妻という前にすでに短歌、いや和歌っていうか、そんな雰囲気をまとってるって感じがするよ。昔のお姫様みたいにさ、細い筆を走らせ、歌を詠むってのが似合いそうなんだけどなぁ」
「そう思う?」
「うん。そんな気がするよ。そう言えばさ、小川のそばで十二単衣なんか着て、小舟かコップかそんなものが流れて来る前に、短冊にすらすらって和歌を書きつける……そんな行事、やってなかったっけ?」
「曲水の宴のことかしら。案外、知ってるじゃないの」
「曲芸か曲水か、何だか知らないけど、何ていうかさ、真由子のお母さんってとにかく大和撫子だよ。ハハハ、真由子とは大違いだな」
「言ったわね、諒人!」
「だから好きなんだよ、真由子ちゃん」諒人は、すばやく真由子のくちびるをふさいだ。
真由子にとって、兄や姉は、自分よりもずっと年齢が離れていたので、小さな頃はけんかもしない代わりに、いっしょに遊んだりすることも少なく、あまり打ち解けることはなかった。
また母親が違う、ということも微妙に、兄妹関係に影響したことも否めないだろう。一番年長の俊之は、真由子とは十八も年が離れているので、真由子が幼稚園に通う頃には、すでに俊之は家を出ていた。
しかしそんな兄妹でも、下の兄の靖之だけには真由子はなついていた。とはいえ一番年が近い靖之であっても真由子とは十歳以上も年が離れていたが、靖之は真由子の勉強をみてくれたり、中々上達しないバドミントンの練習相手になってくれたりした。
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