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18.最後の日のこと
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クライヴが公爵夫妻の前から辞するとき、夫人から声を掛けられた。一刻も早くレベッカの許可を得たかったので焦れたが、話を聞かなければならない。はやる気持ちを抑えて向き直った。
「クライヴ。私はレベッカに公爵家に伝わる秘薬を持たせました」
「薬……ですか?」
公爵夫人の言葉に、クライヴは眉をひそめた。そんな怪しすぎるものをどうして、という言葉は飲み込む。
「できることならば使わずに済むのが一番ですが、死を考えるほどであるならば救いとなるでしょう。こちらに詳細を記した紙がありますが、レベッカに全ては伝えていません。お前は今ここで内容を頭に入れておきなさい」
差し出された紙を開いて、書かれている文字を読み進める。遠くには呪術が盛んな国もあり、そこで作られる似たような薬の噂は聞いたことがあったが、こんな身近に存在しているなんて。さすがは王家に近い公爵家というべきか。今までの歴史で必要なものだったのかもしれない。確かに怪しい薬に変わりはないから使わないに越したことはないが、これが救いになる可能性もある。クライヴは内容を真剣に読み込んで頭に叩き込んだ。
「どうかレベッカの未来が穏やかであるように。ほとぼりが冷めたら私たちも領地の本邸に移住しようと思っている。それまでどうか娘を頼む」
「渡した薬以外の方法を取らないようにだけは気を付けてあげて。それから紙と封筒を沢山渡すから、こまめにレベッカの様子を聞かせてちょうだい」
「もちろんです。お任せください」
今までの贖罪からか、王太子妃候補となってから厳しかった公爵夫妻は昔に戻ったかのように過保護だ。いや、今までも十分に過保護であったのだが、ここまであからさまにしてはいなかった。ひたすらレベッカのことだけを考えていられたクライヴとは違い、様々なしがらみなどがあったのだろう。彼らも後悔しているのだということが痛いほど分かった。
そしてクライヴはレベッカに直談判をして、同行が認められると小さな馬車で共に領地へと向かったのだった。
* * *
表面上は穏やかに暮らしていたものの、やはりレベッカの心は限界だったのか。公爵夫人から渡された薬の瓶を何度も触っては箱に戻していることに、クライヴは気づいていた。常に側にいてもクライヴでは彼女の心を軽くすることはできなかったのだ。そのことに胸が苦しくなるが、誰にも邪魔されない生活を嬉しいと思ってしまったクライヴの罪なのかもしれない。小さな家に二人きりで過ごす日々は、レベッカと家族になれたかのようだったから。彼女の努力を間近で見ていたというのに、密かに浮かれてしまう自分は酷い男だ。しかし王太子妃として常に神経を尖らせた状態でいることが、果たして彼女にとって幸せだったのか、と考えると素直には頷けなかった。
婚約者を顧みず、あっさりと他の令嬢に熱を上げたエルバートは、結婚したところでレベッカを蔑ろにしていただろう。かといって王家は離縁なんてできない。そのまま居心地の悪い場所で生涯を過ごさないといけないならば、この場所で何のしがらみもなくのんびりと過ごせるほうがいいはず。いつか彼女が不幸中の幸いであったと気付いてくれたら。そう願いながら甲斐甲斐しく支えていたのだが、レベッカの精神状況は一向に良くならなかった。
近いうちにレベッカは薬を飲むだろう。彼女のことだからクライヴを遠くに離してからにするはず。それでもできる限り、寄り添うことは怠らなかった。
ある日、予定もないのに唐突に遣いを頼まれたクライヴは、嫌な予感がした。覚悟はしていたものの不安が押し寄せてくる。しかし公爵夫人と、紙に書かれていた内容を信じるしかない。震える足を叱責し、出掛ける振りをして身を隠した。
家から出てきたレベッカの手には瓶が握られていた。ああ、とうとうこの日が来てしまった。でもこれで彼女は楽になれる。幼い頃からの思い出が頭の中を駆け巡っていき、気付けば頬が濡れていた。けれどここで邪魔をするわけにはいかない。袖で目元を拭うとレベッカに気付かれないように、あとをこっそりとつけていった。
何度も一緒に散歩をした川辺にある、大きな木の下に座ったレベッカを少し離れたところから見守ることにした。下は柔らかい草ばかりだから怪我をすることはないだろうが、倒れるようであれば走って受け止めなければ。
瓶の蓋を開けたレベッカは、にっこりと微笑んだ。森の精霊のように美しく、今にも消えてしまいそうに儚げに。けれど久しぶりに見た、主人の、愛おしい人の笑顔。どこかで他にやりようがないのか常に考えていたけれど、この選択は間違いではなかったのだと思えた。次に目が覚めたときには、彼女の新しい日々が始まるのだから。
瓶を口に付けて、一気に呷った。木に凭れたままベッカは目を閉じている。
「レベッカ様っ……!」
少し経つとレベッカの身体が傾いで、クライヴは慌てて彼女の元へと走り寄った。思わず声を出してしまったが、レベッカは目を閉じたままだ。小さな吐息と供に胸が小さく上下しているのを確認して安堵の息を吐く。説明書によると、彼女は二、三日で目を覚ますらしい。それまでに公爵に手紙を出すと同時に令嬢であった痕跡は全て消さなければならない。レベッカはこれからは貴族でも何者でもないただのレベッカとして生きていくのだから。
これからだと、クライヴは気合を入れた。目を覚ました彼女が、果たしてクライヴを受け入れてくれるのか想像もつかないから、不安で仕方がない。多少の情や感覚は記憶の奥底に残っている前例もあるようだから、今まで良好な関係を築いていたと信じよう。万が一、警戒されたとしても一から関係を構築すればいい。時間はたっぷりとあるのだから。
しゃがみ込むと、ぐっすりと眠っているようにしか見えないレベッカの髪を優しく撫でた。彼女が起きている時に、滑らかな髪を触る機会は殆どなかったけれど、指先は感触をしっかりと覚えている。
レベッカの背中と膝裏に手を差し込み抱き上げた。腕の中の愛しい人は口元が少し笑みが残っていて、女神のようだった。
「これからもずっと大切に致します。だからどうか……次こそは俺の手を取ってください」
レベッカの頭に頬を摺り寄せた。柔らかな感触は頬で触れると別格だった。うっとりとしていたクライヴの耳に小さな寝息が聞こえてきて、早くベッドに寝かせなければと二人の家に向かって歩き出した。
「クライヴ。私はレベッカに公爵家に伝わる秘薬を持たせました」
「薬……ですか?」
公爵夫人の言葉に、クライヴは眉をひそめた。そんな怪しすぎるものをどうして、という言葉は飲み込む。
「できることならば使わずに済むのが一番ですが、死を考えるほどであるならば救いとなるでしょう。こちらに詳細を記した紙がありますが、レベッカに全ては伝えていません。お前は今ここで内容を頭に入れておきなさい」
差し出された紙を開いて、書かれている文字を読み進める。遠くには呪術が盛んな国もあり、そこで作られる似たような薬の噂は聞いたことがあったが、こんな身近に存在しているなんて。さすがは王家に近い公爵家というべきか。今までの歴史で必要なものだったのかもしれない。確かに怪しい薬に変わりはないから使わないに越したことはないが、これが救いになる可能性もある。クライヴは内容を真剣に読み込んで頭に叩き込んだ。
「どうかレベッカの未来が穏やかであるように。ほとぼりが冷めたら私たちも領地の本邸に移住しようと思っている。それまでどうか娘を頼む」
「渡した薬以外の方法を取らないようにだけは気を付けてあげて。それから紙と封筒を沢山渡すから、こまめにレベッカの様子を聞かせてちょうだい」
「もちろんです。お任せください」
今までの贖罪からか、王太子妃候補となってから厳しかった公爵夫妻は昔に戻ったかのように過保護だ。いや、今までも十分に過保護であったのだが、ここまであからさまにしてはいなかった。ひたすらレベッカのことだけを考えていられたクライヴとは違い、様々なしがらみなどがあったのだろう。彼らも後悔しているのだということが痛いほど分かった。
そしてクライヴはレベッカに直談判をして、同行が認められると小さな馬車で共に領地へと向かったのだった。
* * *
表面上は穏やかに暮らしていたものの、やはりレベッカの心は限界だったのか。公爵夫人から渡された薬の瓶を何度も触っては箱に戻していることに、クライヴは気づいていた。常に側にいてもクライヴでは彼女の心を軽くすることはできなかったのだ。そのことに胸が苦しくなるが、誰にも邪魔されない生活を嬉しいと思ってしまったクライヴの罪なのかもしれない。小さな家に二人きりで過ごす日々は、レベッカと家族になれたかのようだったから。彼女の努力を間近で見ていたというのに、密かに浮かれてしまう自分は酷い男だ。しかし王太子妃として常に神経を尖らせた状態でいることが、果たして彼女にとって幸せだったのか、と考えると素直には頷けなかった。
婚約者を顧みず、あっさりと他の令嬢に熱を上げたエルバートは、結婚したところでレベッカを蔑ろにしていただろう。かといって王家は離縁なんてできない。そのまま居心地の悪い場所で生涯を過ごさないといけないならば、この場所で何のしがらみもなくのんびりと過ごせるほうがいいはず。いつか彼女が不幸中の幸いであったと気付いてくれたら。そう願いながら甲斐甲斐しく支えていたのだが、レベッカの精神状況は一向に良くならなかった。
近いうちにレベッカは薬を飲むだろう。彼女のことだからクライヴを遠くに離してからにするはず。それでもできる限り、寄り添うことは怠らなかった。
ある日、予定もないのに唐突に遣いを頼まれたクライヴは、嫌な予感がした。覚悟はしていたものの不安が押し寄せてくる。しかし公爵夫人と、紙に書かれていた内容を信じるしかない。震える足を叱責し、出掛ける振りをして身を隠した。
家から出てきたレベッカの手には瓶が握られていた。ああ、とうとうこの日が来てしまった。でもこれで彼女は楽になれる。幼い頃からの思い出が頭の中を駆け巡っていき、気付けば頬が濡れていた。けれどここで邪魔をするわけにはいかない。袖で目元を拭うとレベッカに気付かれないように、あとをこっそりとつけていった。
何度も一緒に散歩をした川辺にある、大きな木の下に座ったレベッカを少し離れたところから見守ることにした。下は柔らかい草ばかりだから怪我をすることはないだろうが、倒れるようであれば走って受け止めなければ。
瓶の蓋を開けたレベッカは、にっこりと微笑んだ。森の精霊のように美しく、今にも消えてしまいそうに儚げに。けれど久しぶりに見た、主人の、愛おしい人の笑顔。どこかで他にやりようがないのか常に考えていたけれど、この選択は間違いではなかったのだと思えた。次に目が覚めたときには、彼女の新しい日々が始まるのだから。
瓶を口に付けて、一気に呷った。木に凭れたままベッカは目を閉じている。
「レベッカ様っ……!」
少し経つとレベッカの身体が傾いで、クライヴは慌てて彼女の元へと走り寄った。思わず声を出してしまったが、レベッカは目を閉じたままだ。小さな吐息と供に胸が小さく上下しているのを確認して安堵の息を吐く。説明書によると、彼女は二、三日で目を覚ますらしい。それまでに公爵に手紙を出すと同時に令嬢であった痕跡は全て消さなければならない。レベッカはこれからは貴族でも何者でもないただのレベッカとして生きていくのだから。
これからだと、クライヴは気合を入れた。目を覚ました彼女が、果たしてクライヴを受け入れてくれるのか想像もつかないから、不安で仕方がない。多少の情や感覚は記憶の奥底に残っている前例もあるようだから、今まで良好な関係を築いていたと信じよう。万が一、警戒されたとしても一から関係を構築すればいい。時間はたっぷりとあるのだから。
しゃがみ込むと、ぐっすりと眠っているようにしか見えないレベッカの髪を優しく撫でた。彼女が起きている時に、滑らかな髪を触る機会は殆どなかったけれど、指先は感触をしっかりと覚えている。
レベッカの背中と膝裏に手を差し込み抱き上げた。腕の中の愛しい人は口元が少し笑みが残っていて、女神のようだった。
「これからもずっと大切に致します。だからどうか……次こそは俺の手を取ってください」
レベッカの頭に頬を摺り寄せた。柔らかな感触は頬で触れると別格だった。うっとりとしていたクライヴの耳に小さな寝息が聞こえてきて、早くベッドに寝かせなければと二人の家に向かって歩き出した。
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