襲われていた美男子を助けたら溺愛されました

茜菫

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(ラチェット伯爵家の令嬢であり、サフィール公爵家に仕える騎士、イライザ)

 ミケルはイライザの強さや彼女との会話から、その正体に予想がついていた。女性であれほど鍛えている者は少ないし、ラチェット伯爵家の令嬢が騎士となった話は有名だ。

 悪名高いラーゼル侯爵が最近になってその令嬢を狙い、縁談を進めていることも聞こえていて、時期的に王都にやってきたイライザとつなげることは容易かった。

(どうやってお近づきになろうかって考えていたけれど……どうやら、僕にツキが回ってきたね)

 ラーゼル侯爵がイライザを追い詰めようとした手は、悉くミケルの好手となった。

「あの……ミケル殿」

 ミケルにノアがおずおずと声をかける。うっかりその存在を忘れ、イライザのことばかり考えていたミケルは笑みを浮かべて応えた。

「どうされましたか、ノア卿」

「ミケル殿は……あの、ミケル殿でしょうか」

 ノアの言葉にミケルはなにも答えず、首をかしげる。するとノアは一つ深呼吸をし、再びミケルに問いかけた。

「リアムカンパニーのトップスター……ミケル殿、でしょうか」

「はい。元、ですけれどね」

 ミケルが笑ってうなずくと、ノアは顔色を青くした。リアムカンパニーは王都一とうわさされる有名な劇団だ。劇団に所属する役者の中でも最も人気が高い役者がトップスターと呼ばれる。

「ノア卿、そう固くならないで下さい。いまの私は、ただのミケルですから」

 ミケルがにっこりと笑うと、ノアは震えながらうなずいた。

「ノア卿、これで手続きは完了しました」

「まさか……本当に……」

 ミケルの言葉に、後ろに控えていた銀行員が一枚の紙をノアに差し出す。そこに記されているのは、ラーゼル侯爵からの借金を返済しきれる金額と、それを無利息で借用する旨が書かれていた。

 新たな借金であることには変わりないが、利息がないことは大きい。何度も書面を見返したノアは安堵からか、目に涙が浮かんでいた。

「ミケル殿、本当に……本当にありがとう。これで、リズがつらい目にあわずに済む」

「ノア卿……」

 心から妹を想うノアの様子に、ミケルは少し羨望の念を覚えた。

 ミケルは貧しい農村で生まれた。体が弱かったミケルは親や兄から疎まれて育った。遠い過去にしか存在しない親や兄を思い出せば、苦い気持ちしか浮かんでこない。

(……こんな人がお義兄さんになるなんて、すてきじゃない?)

 気が早いミケルはノアのことをすっかり気に入った。

 そんな上機嫌なミケルの内心など知らず、ノアは恐る恐るといったように問う。

「ミケル殿はなぜ、このことを妹には秘密になさるのですか?」

「このこと、とおっしゃいますと」

 ノアは手元にある書類へ目を落とした。借用書には借主はノア、そして貸主はミケルの名が記されている。ミケルのあてとは、ミケル自身のことだった。

「貸主が、ミケル殿自身なことです。これほどの金額を、あなたは用意してくださった」

「お気になさらず。差し上げたわけではなく、お貸ししただけですし」

「しかし、利息もなく無理な条件もなかった」

「イライザ嬢のお役に立てるのなら、それでよいのです」

 ミケルは伯爵家が抱える借金を一括で返せるだけの額を用意した。まったく懐が傷まないとまではいかないが、十分に余裕がある。いずれ返ってくると確信もあり、ミケルにはとっては大したことではなかった。

「このことを知れば、リズもあなたにとても感謝するでしょう。なのに……」

「私なりの、こだわりのようなものです。イライザ嬢には、金の引け目を感じてほしくないのです」

 ミケルは金の力をよく知っている。このことを引き合いにして結婚を迫れば、イライザは簡単に首を縦に振るだろう。ある程度好感を得ている自信もあり、嫌々うなずくというわけでもないはずだ。だが、ミケルはそれを望まなかった。

「イライザ嬢とはできる限り、対等でいたいのです」

 金を借りていると知れば、本人同士が意識せずとも圧になる。それでは、本当に望むイライザの心を手に入れられない。

「そうか。ミケル殿は、本当にリズのことを……」

 ノアは胸をなでおろす。その様子を見ながら、ミケルは内心ほくそ笑んでいた。

(これで、お義兄さんが僕の敵にまわることはないね)

 ミケルはイライザに金の引け目を感じて欲しくはなかったが、ノアに対しては別だ。金を借りた相手である以上、ノアはよほどのことがない限り、ミケルの妨げになることはないだろう。むしろ、味方にできるはずだ。

「ノア卿、お疲れでしょう。今日は宿に戻り、休まれてはいかがですか」

 ミケルは思惑を決して悟らせることなく、ノアを促した。ノアは疑うことなくうなずき、肩の力を抜く。

「そう、させていただきます」

 まだすべてに片がついたわけではないが、目前に迫った危機を逃れるすべはできたノアは、いままで張り詰めていた気が抜けたのだろう。眠たげな目をしたノアの様子にミケルはくすりと笑った。

「馬車を呼びます。どうか、ゆっくりとお休みください」

「ありがとう……本当に、ありがとうございます」

 ノアは銀行員に案内されて部屋を出ていく。席を立ったミケルは窓辺に近づき、ガラス越しに走っていく馬車を眺めながら口の端を上げた。

「ミケル、悪い顔しているわよ!」

「ええ、なに言っているのさ?」

 窓の外を眺めるミケルの背に、後ろから低い男の声がかかる。ミケルが肩越しに振りかえると、先ほどノアを案内した銀行員が立っていた。

 歳の頃はミケルと同じくらいだろう、長い赤褐色の髪を後ろで一つにまとめ、眼鏡の下からは切れ長の碧色の目が楽しそうに輝いている。がっしりとした男らしい体格だが、口調は女性らしさがあった。

「ミケル、あのおにーさんになにするつもりなの?」

「逆だよ、タイレル。あの人は僕の大切な人のお兄さんだから、大切にしているんだ」

「えっ、大切な人? だれの?」

「僕の」

「ええっ」

 銀行員、タイレルは驚いた声を上げた。

「うわあ。ミケルに大切な人ができるなんて、意外だわ」

「ふふ。僕も自分のことだけれど、意外だったよ。でも、恋に落ちるときって本当に一瞬なんだって、実感できたなあ」

「……本っ当、意外」

 うっとりとした表情でつぶやくミケルに、タイレルは驚きのような、あきれのような声をもらして肩を竦める。

「大切な人との間に邪魔になるものは、しっかりと片づけておかないといけないでしょう?」

「ふうん。私、それ以上聞きたくない」

「そう言わないで、ね」

「やだっ、面倒事には巻き込まれたくないの!」

「タイレル、協力してくれたら、貸しは全部ちゃらにするよ」

「あらっ、いいわよ!」

 対価を示した途端、すぐにうなずいたタイレルにミケルは笑う。

「ありがとう、助かるよ。うれしそうだね」

「これで最後になるんだもの! ……で、なにをしてほしいの?」

「ふふ。もっとうれしいことになると思うよ。実は……」

 やる気に満ちあふれているタイレルは、ミケルの話を聞いてさらにやる気がみなぎったようだ。

 飛び跳ねそうなほど楽しげに部屋を出ていくタイレルを見送り、ミケルも次の手を進めるべく部屋を後にした。



 決意を胸に抱く者、望みのために暗躍する者、不安に押しつぶされそうになる者、悠々と過ごす者。日は変わりなく沈み、さまざまな思惑を擁しながらも夜は更け、やがて明ける。

 日はどんどん昇っていき、もっとも高い位置を過ぎて約束の時間が近づいていた。イライザとノアを乗せた馬車は滞りなく進み、ラーゼル侯爵邸へとたどり着く。

(あとは、話し合いがうまくいけば……)

 イライザは唇を結び、これからの戦いに気を引き締める。

 イライザがまとうのは、昨日のドレスとは違って動きやすそうな服だ。帯剣こそしなかったが、なにが起きても対処できるようにと動きやすさを優先した。

 向かう先は姑息な策を弄したラーゼル侯爵の元。策が潰されたと知って彼がどのような行動を起こすのか、警戒しておくことに越したことはない。
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