襲われていた美男子を助けたら溺愛されました

茜菫

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「兄さま、大丈夫?」

「だっ……大丈夫だ、うん」

 戦いに臨む気概のイライザの横で、ノアは青い顔をしていた。深呼吸を繰り返しているが、どうにも落ち着かないようだ。

「大丈夫、大丈夫だ……うん。すべてがうまくいくんだ」

 まるで自分に言い聞かせるかのようなノアの様子にイライザは不安を覚えるが、首を横に振って気合を入れ直した。

 ミケルのおかげで金は用意でき、イライザもノアも自分の身を売るようなことは避けられる。あとはこれからの話し合いが穏便に済めば、問題はすべてが解決できる、はずだ。

「兄さま、しっかりして」

「ああ、うん。……そうだな、私がしっかりしないと」

 ノアは自分に言い聞かせるようにつぶやくと、両手で顔を覆う。しばらくして顔を上げたノアの目には、覚悟の色が浮かんでいた。

 馬車を降りた二人は中へと案内され、昨日と同じ部屋に通される。

「よくきてくれましたね」

 ラーゼル侯爵は昨日と変わらない笑みを浮かべ、変わらない言葉でイライザを迎える。イライザは眉間に僅かに皺を寄せてラーゼル侯爵に目を向けるが、彼はまったく動じることなく笑顔であった。

「心は決まりましたか?」

 イライザがその言葉に静かにうなずくと、ラーゼル侯爵は笑みを深める。

「とても潔いですね、感心してしまいます」

 煽るような言葉にイライザは怒りが湧き上がるが、なんとか堪えた。そこでノアが一歩前に進み、真剣な表情で一枚の紙を差し出す。

 ラーゼル侯爵はそれを受け取って目を通すと、一瞬で表情を歪めた。

「……これは、いったい」

「記載の通り、残りの額は利息を含めてすべて返済の用意ができています」

 ラーゼル侯爵の顔が青くなる。ラーゼル侯爵が口を開く前に、ノアは先手をとって言葉を続けた。

「こうしてきっちり、金を用意できたのですから……縁談はなかったことにしていただけますよね?」

「こっ、こんな金、どこから」

「金の出どころは、侯爵様には関係のないところではないでしょうか」

「関係は……関係は、ある! こんな……不正な金は、受け取らない」

「不正などありません。こちらは、銀行から正式に発行された手形です」

「……っ」

 ノアは淡々と言葉を返していく。さきほどまで顔を青くして緊張していた男とは大違いだ。

 ラーゼル侯爵はなおもなにかを言おうとしたが、まともな言い分がないようで言葉をつまらせる。

「用意した金に不正はありません。お受け取りいただけますよね?」

「受け取らないと言っているだろう!」

「そのような、子どものようなこと……困ります」

 ノアの言葉にかっとなったラーゼル侯爵はステッキを手に取った。それに即座に反応したイライザはノアの前に立ち、その背に彼をかばう。

「女が、生意気なっ」

 ラーゼル侯爵はステッキを振り上げ、力任せに振り下ろした。イライザはそれを難なくつかみとる。ラーゼル侯爵が引こうとも押そうとも、びくともしなかった。

 女だと見下そうと、歳を取った男と日々鍛えている女とでは、力の差は歴然だった。

(こんな程度の男だったの)

 昨日までは脅威に見えていたラーゼル侯爵が、ただの矮小な老人にしか見えない。結局のところ、負債を負わせることで自分が有利に立つことしかできないのだろう。

 それほど、金の力は大きいとも言えるが。

「……自分の思う通りにいかないからと暴力を振るうとは、感心しませんね」

「生意気な、私をだれだと思っている!」

「ラーゼル侯爵閣下です。その爵位に相応しい振る舞いを、お願い申し上げます」

 忌々しい表情を浮かべたラーゼル侯爵はなおも食い下がろうと口を開いた。しかしそこで、外から執事らしき男の慌てた声と複数の足音が聞こえてくる。


 イライザもノアも、ラーゼル侯爵もが一斉に扉に目を向けると、扉が乱雑に開かれた。

「なっ、なにごとだ!」

 あせるラーゼル侯爵の声に、複数の男たちと共に部屋になだれ込んだ執事が泣きそうな表情で眉を下げる。

(あれは……)

 ラーゼル侯爵を囲む男たちの服装に、イライザは見覚えがあった。胸にかかげる紋章は、国に仕える兵の証。

「ラーゼル侯爵」

 男たちの中から一人、おそらくこの中ではもっとも立場が高いと思われる人物が前に進み出た。その顔に見覚えがあったイライザは声こそ出さなかったものの、驚き目を見開く。

(王家の騎士が、なぜここに……!?)

 サフィール侯爵家の騎士として付き従っていた際に見たことのある、王家に仕える騎士の一人だった。知り合いというほどでもなくただ顔を知っているだけの関係で、彼も同じような認識だろう。

 騎士はイライザを一瞥しただけで、すぐにラーゼル侯爵へと目を向ける。彼の冷たい青い双眸に睨まれ、ラーゼル侯爵は肩を震わせてステッキから手を離した。

「あなたには反乱に加担している容疑がかけられています。ご同行を」

「は? ……え?」

 あまりにも想定外の言葉だったのだろう、ラーゼル侯爵はぽかんと口を開いて間抜けな声をもらした。しかしすぐに言葉の内容を理解したようで、見る見る間に顔色が悪くなる。

「反乱? ……わ、私が? そんなばかな!」

 本当に心当たりがないのか、寝耳に水といったような反応だ。しかしラーゼル侯爵の反応など意に介さず、兵たちは彼を拘束する。さすがにそれに逆らうことはまずいと判断したのだろう、ラーゼル侯爵は顔を青くしながらも大人しく従った。

「金を貸す相手は、少し考えた方がよいですよ」

「……そんな、はずは」

 直接的な幇助はなくとも、金銭の支援だけでも十分な罪になる。相手のことを知らなくとも、罪は罪だ。

 ここではいいわけをすることなく、ラーゼル侯爵は連行されていく。想定外の状況に驚愕していたのは本人だけでなく、この場に居合わせたイライザもノアも同じであった。

「そちらのお二人も、ご同行願います」

「わっ、私たちは、ただ、侯爵から金を借りていただけの立場でしてっ」

「そのお話も、場所を変えてから聞きます」

「はっ、はい!」

 ノアは後ろめたいことはないはずだが、相手の立場に委縮して真っ青だ。相手が王家に仕える騎士なのだから、それも仕方がないことだろう。

 イライザは後ろめたいことはなに一つないため、反論することもなく従った。

(今夜は、ミケルと会う約束をしているのに……)

 ただ、イライザは今夜のミケルとの約束に間に合うのかだけは気がかりであった。



 イライザとノアが解放されたのは、日が暮れて空が暗くなり始めるころだった。二人は連行された施設を出たところで深いため息をつく。

「はぁ……」

 ノアは重いため息をつく。取り調べの間終始青い顔をしており、終わったころには仕上げと言わんばかりに疲労が上塗りされていた。

 仰々しく連行されたが、取り調べ自体はさほど重々しくなかった。ラチェット伯爵家はラーゼル侯爵から借金をしており、イライザとノアら今日はたまたま居合わせただけ、その事実を確認されたほかはいくつか事情を問われただけで、二人はあっさりと解放された。

 何日かは拘束されるかもしれないと覚悟をしていた二人にとっては、意外な対応だった。

 どうやら、ラーゼル侯爵は昨夜遅くにまずい相手と取引したらしい。相手が以前から目をつけられていた相手だったため、接触した時点でラーゼル侯爵の未来は決まっていたそうだ。

 元々、違法ぎりぎりの金貸しをしていたラーゼル侯爵は叩けばぼろぼろと余罪出てくるようで、罪はかなり重くなるだろう。そんなラーゼル侯爵と親身だった人物らも、今回のことで巻き添えを食ったようだ。
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