三ヶ月だけの恋人

perari

文字の大きさ
25 / 50

025

しおりを挟む
もしかしたらアルコールのせいか、夜のせいか、それとも他の何かのせいか――仁野は松田にそっとキスをした。
松田はその場で固まった。仁野の唇は熱く、まるで自分の体に火が点いたようで、全身がふわふわと柔らかくなる。目も開けられず、ただ仁野の喉の動きだけを見つめた。そのキスは一瞬で終わり、松田が我に返ったときには、仁野はすでに安全な距離まで下がり、自然な口調で言った。「行こう。」
松田はぼんやりと後ろをついていく。仁野の顔は少し下を向き、横顔は凛々しく、歩みは落ち着いていて確かだ。松田はその背中に覆われながら、自分もまた欲していること、ずっと秘めてきた想いを少しずつ自覚するしかなかった。
仁野は松田を部屋まで送る。松田のルームメイトはいなかった。松田はカードキーでドアを開け、仁野は廊下で扉に軽く手を添えたまま言った。「俺、行くよ。」
松田はまだキスの余韻に浸り、耳のあたりは赤く染まっている。首からメダルを外して両手で差し出す。少し頭を下げ、視線をそらしたまま言った。「でも、祝福の気持ちは…」
仁野はそれを受け取り、ポケットに放り込み、ふと合宿のことを思い出す。少し逡巡してから口を開いた。「あと、一つ話がある。」
松田は顔を上げて、「なに?」と訊く。
仁野は少し間を置き、ゆっくりと言った。「今日の表彰式で、県のチームから、優勝と準優勝に一か月の合宿参加の機会があるって――」 言葉を切り、続ける。「俺、行くことにした。」
松田の顔がみるみる青ざめる。
ぼんやりとつぶやいた。「一か月…?」
仁野は軽く頷き、少し残酷な気もして、やわらかく声を添える。「ごめんね。」
松田は俯き、何を考えているのか分からないまま、二人はしばらく沈黙する。
仁野はそっと手を伸ばし、柔らかい髪を撫でる。「じゃあ、ひと月中断しても、俺が戻ったら埋め合わせすればいい?」
松田はまだ頭を下げたままで、答えない。
廊下を誰かが通り過ぎ、奇妙そうに二人を見たが、扉が閉まると松田は静かに佇んだ。
仁野がもう一言言おうとしたとき、松田が小さな声で口を開く。頭を少し上げて仁野を見つめるが、すぐに視線をそらし、床のカーペットを見つめる。「……だから、このキスは、そのため……?」
仁野は息を呑む。
松田の声は穏やかだが、かすかにこらえきれない嗚咽が混じっていた。「償いのためにキスしたの?」
仁野の心臓がぎゅっと締め付けられる。言葉を返す前に、松田は両手で顔を覆った。あの日、仁野が逃げた時と同じように、肩をすくめて深く頭を垂れ、声はかすかに震える。「こんなことしないで、俺、勝手に勘違いしてるだけだから…」
仁野は手首を掴む。松田は顔を上げず、仁野は少し力を入れて手を下ろし、両手で松田の顔を包む。
目に涙をためた松田の瞳を見た。もうすぐ零れ落ちそうだ。こんな姿、松田は恥ずかしくて直視できず、かすれ声で謝る。「ごめん…」 二度、三度繰り返す。
仁野は親指でそっと涙を拭き、俯いて彼を見つめ、優しく言う。「慈善家みたいに見える?違う、補償のためにキスしたんじゃない。ただ、突然キスしたかっただけ」
指で涙を拭い、腰をかがめて彼と目線を合わせる。「泣くなよ。高校の時に謎の蹴り、最近も理由もなく叩かれたこと、泣かなかっただろ。なんで今泣くんだ?」
松田は深く息を吸い、声はかすれたまま。「ご、ごめんなさい…」
仁野は力を込めて彼を抱きしめる。背中を優しく叩き、耳元で低く囁く。「謝らなくていい。さあ、寝よう」
松田はうなずき、手の甲で目尻を拭う。涙は止まったが、赤くなった瞳と鼻先に名残りがある。仁野と向かい合い立つと、松田が振り返る瞬間に手首をつかみ、鼻筋にそっとキスをする。
松田は呆然と仁野を見つめる。仁野は子供をあやすように、穏やかな眼差しで言った。「さあ、行け。」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

虐げられた氷の聖子は隣国の野獣皇帝に執着(愛)されすぎて溶かされる

たら昆布
BL
暴君皇帝×薄幸の聖子

星降る夜に ~これは大人の純愛なのか。臆病者の足踏みか。~

大波小波
BL
 鳴滝 和正(なるたき かずまさ)は、イベント会社に勤めるサラリーマンだ。  彼はある日、打ち合わせ先の空き時間を過ごしたプラネタリウムで、寝入ってしまう。  和正を優しく起こしてくれたのは、そこのナレーターを務める青年・清水 祐也(しみず ゆうや)だった。  祐也を気に入った和正は、頻繁にプラネタリウムに通うようになる。  夕食も共にするほど、親しくなった二人。  しかし祐也は夜のバイトが忙しく、なかなかデートの時間が取れなかった。  それでも彼と過ごした後は、心が晴れる和正だ。  浮かれ気分のまま、彼はボーイズ・バーに立ち寄った。  そしてスタッフメニューの中に、祐也の姿を見つけてしまう。  彼の夜の顔は、風俗店で働く男娼だったのだ……。

未完成な僕たちの鼓動の色

水飴さらさ
BL
由人は、気が弱い恥ずかしがり屋の162cmの高校3年生。 今日も大人しく控えめに生きていく。 同じクラスになった学校でも人気者の久場くんはそんな由人に毎日「おはよう」と、挨拶をしてくれる。 嬉しいのに恥ずかしくて、挨拶も返せない由人に久場くんはいつも優しい。 由人にとって久場くんは遠く憧れの存在。 体育の時間、足を痛めた由人がほっとけない久場くん。 保健室で2人きりになり…… だいぶんじれじれが続きます。 キスや、体に触れる描写が含まれる甘いエピソードには※をつけてます。 素敵な作品が数多くある中、由人と久場くんのお話を読んで頂いてありがとうございます。 少しでも皆さんを癒すことができれば幸いです。 2025.0808

義兄が溺愛してきます

ゆう
BL
桜木恋(16)は交通事故に遭う。 その翌日からだ。 義兄である桜木翔(17)が過保護になったのは。 翔は恋に好意を寄せているのだった。 本人はその事を知るよしもない。 その様子を見ていた友人の凛から告白され、戸惑う恋。 成り行きで惚れさせる宣言をした凛と一週間付き合う(仮)になった。 翔は色々と思う所があり、距離を置こうと彼女(偽)をつくる。 すれ違う思いは交わるのか─────。

【完結】好きじゃないけど、付き合ってみる?

海野雫
BL
大学3年の直人(なおと)は、恋愛経験ゼロ。人付き合いは苦手ではないが、誰かを「好きになる」感情がよくわからない。付き合ってる友人たちを見ても、自分には縁のない話だと思っていた。 ある日、部活の後輩である健(けん)が「一緒にルームシェアしませんか?」と持ちかけてくる。引っ越しを考えていた直人は、悪くない条件にOKを出し、ふたりの同居生活が始まる。 快適すぎる日々。健は料理も掃除もできて、適度に距離を保ってくれる最高のルームメイト。
しかしある夜、健がポツリと呟く。 「……元カレ、まだ忘れられないんです」
「ねえ先輩。付き合ってみませんか?――“好きじゃなくてもいいから”」 からかわれていると思いながらも、冗談めかして了承してしまう直人。
それが、まさかの擬似恋人生活の始まりだった。 恋人ごっこなのに手をつないだり、映画を観に行ったり、肩を貸したり。
最初はただの遊びだったのに、直人はだんだん健が笑うと嬉しくて、泣くと苦しいと感じるようになっていく。 一方、健は「直人に本気になってはいけない」と自分に言い聞かせていたが、直人の優しさや真面目さに、次第に惹かれ始める。 擬似恋人から始まった関係は、本物の「好き」に変わるのか? 本気になったとき、ふたりはどう答えを出すのか――。

神楽

立樹
BL
谷川彰也は、大学でも美形で人の注目を集めている近松神楽にモーニングコールをしている。 ただ、モーニングコールをするだけの仲だった。ある日、コールをしていることがバレてしまった。 彰也も近松に言っていない秘密があって……。

【完結】君の穿ったインソムニア

古都まとい
BL
建設会社の事務として働く佐野純平(さの じゅんぺい)は、上司のパワハラによって眠れない日々を過ごしていた。後輩の勧めで病院を受診した純平は不眠症の診断を受け、処方された薬を受け取りに薬局を訪れる。 純平が訪れた薬局には担当薬剤師制度があり、純平の担当薬剤師となったのは水瀬隼人(みなせ はやと)という茶髪の明るい青年だった。 「佐野さんの全部、俺が支えてあげますよ?」 陽キャ薬剤師×不眠症会社員の社会人BL。

処理中です...