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70 閑話『アンガスは、今……』 4
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こうして、アリョーシャはパルトスの街に落ち着き、ときどき手土産を持って我が家に帰ってくるようになった。
ただ、危険な森の中を長い距離歩かせるのは、父親としてほおってはおけない。二回目からは、アリョーシャが薬草採取に森の中へ来るのに合わせて、俺が途中まで迎えに行くようにした。
アリョーシャは、オーガ程度なら数匹の群れでも瞬殺できる、と言っていたが、何が起きるか分からないのがこの〈魔の森〉だ。
それから、また六十年余りの月日が過ぎていった。
俺とアリョーシャの生活は、変わらないままだ。
俺は、二百三十六歳になった。まあ、生きてもあと五、六十年ほどだろう。だが、肉体的にはさほど衰えてはいない。若い頃のような無茶はできなくなったがな。
娘のアリョーシャは、百八十二歳だ。まあ、こちらも見かけはまだ三十前の若さを保っている。早く結婚して、孫の顔を見せろと、しつこく言っているのだが、やはり母親のことがあるのだろう。夫が、自分より早く死ぬことが分かっているので、なかなか決心がつかないようだ。
ところで、最近、どうも〈魔の森〉が騒がしい。魔物たちの動きが活発になって、上位の魔物の姿もちらほら見かけるようになってきた。
「うーん……歴史書で調べてみたんだけど、やっぱり、スタンビートが起こる前の様子に似ているのよね……」
娘が、分厚い歴史書や冒険者ギルドの資料などを抱えて我が家に帰ってきた夜、俺たちはハーブティを飲みながら話し合った。
「うむ、確かにこれに書かれている現象と同じだな。そうなると、真っ先に襲われるのはパルトスの街だな……」
俺は、娘が住む街の将来に不安を覚えた。
「ええ……ただ、スタンビートの原因が、魔物が増えすぎたことによる〝溢れ出し〟なら、そう心配はいらないと思うの。だいたい、溢れ出すのは、弱い魔物だからね。でも、原因が、もし、強大な魔物に追われて起こるとすれば、とても危険だわ」
「うむ。その強大な魔物は、例えば、ドラゴンのようなものか?」
「うん。地竜とか、ロックゴーレムくらいなら何とかなるんだけど、ヒュドラとかエンシャントドラゴンが出てきたら、街どころか、この国全体が滅びるでしょうね」
俺たちは顔を見合わせて、小さなため息を同時に吐いた。
とりあえず、俺が様子を探りながら、アリョーシャに情報を伝えることに話が決まった。
「父さん、無理はしないでね。いざとなったら、二人でこの国から脱出しましょう」
娘は、俺を心配してそう言ったが、優しい彼女のことだ、きっと、パルトスの街やこの国の人たちを守るために残るだろうと思った。
「ああ、心配するな、無理はしないよ」
俺は、愛する娘の頭を抱き寄せて、銀色の髪に優しく唇を押し当てた。
♢♢♢
次の日から、俺は森の中を計画的に移動しながら、魔物たちの動きを探り始めた。
だが、ある日の探索で、俺は思わぬ失敗をしてしまった。
その日、俺は森の西側、山脈に近い一帯を調査していた。やはりそこでも魔物が増えていた。
魔物が生まれるには、大量の魔素が必要だ。そして、最も大量の魔素が存在するのは地中である。
動物や植物の死骸は、朽ち果て魔素に帰っていく。その魔素は雨水とともに地中に浸みこみ、流れる地下水のようにこの星の大地の中を縦横に流れている。それが〈龍脈〉と呼ばれるものだ。
そして、この〈龍脈〉は、地表の割れ目などを通って、地上に溢れ出すことがある。これが〈魔素溜まり〉で、魔素が結晶化し巨大になると、それが〈コア〉となって、ダンジョンを創り出す。まあ、それには気が遠くなるような年月が必要だが……。
今回の魔物の大量発生も、おそらく山脈のどこかに大きな〈龍脈〉の吹き出し口ができたためであろう。すでにダンジョン化している可能性が高い。
魔物たちは南に向かって勢力圏を広げているように見えた。当然そこには、もともと縄張りを持っていた魔物たちがいる。必然的に魔物同士の争いが起きる。
その日も、俺は少し離れた木の上から、オーガの集団とオークの群れが、けたたましい声を発しながら殺し合いをしている様子を眺めていた。
自分たちで殺し合ってくれれば手間が省ける。数が少なくなったところで、残りの魔物を始末すればいい。そう考えて、のんびりと木の枝に座っていたのだが……。
不意に、近くに大きな魔力を感じて、身構えた時にはすでに遅かった。
「ガアァァッ!」
密かに忍び寄っていたクリムゾンエイプが、鋭い牙をむきだして飛び掛かってきた。
木の枝の上だったので、俺は逃げ場がなく、とっさに左腕で防御しながら右手に魔力を集めた。
巨猿の牙が俺の左の二の腕に食い込んだ。激しい痛みをこらえながら、俺は、右手を思いきりそいつの胸に押し当て、ファイヤーアローを叩きこんだ。
「グギャアアアアァァッ……」
断末魔の悲鳴を上げながら、そいつは俺とともに地面に落下した。
俺はそいつの体を押しのけて、何とか立ち上がったが、左腕の激痛に加え、地面に落ちた時に背中を強く打っていたらしく、思わずよろけて倒れそうになった。
だが、今はそんな場合ではない。近くの木の上では、死んだ仲間のクリムゾンエイプ数匹がけたたましい威嚇の声を上げていたし、オーガやオークもその騒ぎを聞きつけてやって来るかもしれない。
俺は、必死に南を目指して逃げた。
♢♢♢
腕が痛む。おそらく骨まで達しているであろう傷は、すでに熱を持ち始め、このままでは化膿して敗血症を引き起こす可能性がある。
あいにく、その日はポーションも携帯していなかった。こんなところにも俺の油断が現れていた。何とか、パルトスの街の近くまで行って、アリョーシャが来てくれるのを期待しよう。確か、明日が落ち合う約束の日だったはずだ、それまで、何とか持てばいいが……。
熱と痛みにふらつきながら、ようやく森を抜けた時だった。
(っ!強い魔力だ。くそっ、こんな所にまで強力な魔物が出てきていたのか……)
俺は、警戒しながら、その魔力を放っている場所を木の陰から覗いた。
(ん?……あれは、人族か?しかも、まだ年端もいかない少年ではないか、まさか……)
俺は、その強大な魔力を放っている存在を見て驚愕しながら、用心深く近づいていった。
ところが、相手の方も俺に気づいていたのか、黒いメイスを構えながら、焚火の日を見つめていた。突然現れた男にも、動揺した様子はなく、俺の顔とケガをした左腕をちらりと見ただけだった。
俺は興味を惹かれて、試しに抑えていた魔力を半分ほど解放しながら、そいつと軽く言葉を交わした。
そいつは、相変わらず動じる様子も見せず、さらに驚いたことにこう言ったのだ。
「あんた、腕をケガしてるのか?治療だけならしてやってもいいぞ」
そして、そいつは焚火の火を強くすると、カバンの中から薬品の小瓶を取り出した。それは、自分で薬草を調合したものだと言った。
俺は、俺のことが怖くないのか、と尋ねた。すると、そいつは、
「なんで?あんたが、どこの誰なのか、俺は全く知らない。あんた、悪い奴なのか?」
と、とぼけたような口調で答えた。
面白い奴だ。
そいつのポーションは、驚くべき効能だった。
化膿しかかって、最悪切り落とさねばならないと覚悟していた腕の傷が、あっという間に治癒し、ふさがってしまった。
俺は、その少年のことを測りかねていた。俺の知る人族についての知識からは、あまりにもかけ離れている。まだ、抑えているであろう魔力量も規格外だった。敵になれば、これほど恐ろしい存在はいない。
しかし、少年はどこか人懐っこく、優しく、俺にパンとうまいスープまでごちそうしてくれた。
どうも調子が狂う。恐ろしい力を秘めながら、どこにでもいるような素朴な少年……。
それが、俺とその少年トーマとの初めての出会いだった。
ただ、危険な森の中を長い距離歩かせるのは、父親としてほおってはおけない。二回目からは、アリョーシャが薬草採取に森の中へ来るのに合わせて、俺が途中まで迎えに行くようにした。
アリョーシャは、オーガ程度なら数匹の群れでも瞬殺できる、と言っていたが、何が起きるか分からないのがこの〈魔の森〉だ。
それから、また六十年余りの月日が過ぎていった。
俺とアリョーシャの生活は、変わらないままだ。
俺は、二百三十六歳になった。まあ、生きてもあと五、六十年ほどだろう。だが、肉体的にはさほど衰えてはいない。若い頃のような無茶はできなくなったがな。
娘のアリョーシャは、百八十二歳だ。まあ、こちらも見かけはまだ三十前の若さを保っている。早く結婚して、孫の顔を見せろと、しつこく言っているのだが、やはり母親のことがあるのだろう。夫が、自分より早く死ぬことが分かっているので、なかなか決心がつかないようだ。
ところで、最近、どうも〈魔の森〉が騒がしい。魔物たちの動きが活発になって、上位の魔物の姿もちらほら見かけるようになってきた。
「うーん……歴史書で調べてみたんだけど、やっぱり、スタンビートが起こる前の様子に似ているのよね……」
娘が、分厚い歴史書や冒険者ギルドの資料などを抱えて我が家に帰ってきた夜、俺たちはハーブティを飲みながら話し合った。
「うむ、確かにこれに書かれている現象と同じだな。そうなると、真っ先に襲われるのはパルトスの街だな……」
俺は、娘が住む街の将来に不安を覚えた。
「ええ……ただ、スタンビートの原因が、魔物が増えすぎたことによる〝溢れ出し〟なら、そう心配はいらないと思うの。だいたい、溢れ出すのは、弱い魔物だからね。でも、原因が、もし、強大な魔物に追われて起こるとすれば、とても危険だわ」
「うむ。その強大な魔物は、例えば、ドラゴンのようなものか?」
「うん。地竜とか、ロックゴーレムくらいなら何とかなるんだけど、ヒュドラとかエンシャントドラゴンが出てきたら、街どころか、この国全体が滅びるでしょうね」
俺たちは顔を見合わせて、小さなため息を同時に吐いた。
とりあえず、俺が様子を探りながら、アリョーシャに情報を伝えることに話が決まった。
「父さん、無理はしないでね。いざとなったら、二人でこの国から脱出しましょう」
娘は、俺を心配してそう言ったが、優しい彼女のことだ、きっと、パルトスの街やこの国の人たちを守るために残るだろうと思った。
「ああ、心配するな、無理はしないよ」
俺は、愛する娘の頭を抱き寄せて、銀色の髪に優しく唇を押し当てた。
♢♢♢
次の日から、俺は森の中を計画的に移動しながら、魔物たちの動きを探り始めた。
だが、ある日の探索で、俺は思わぬ失敗をしてしまった。
その日、俺は森の西側、山脈に近い一帯を調査していた。やはりそこでも魔物が増えていた。
魔物が生まれるには、大量の魔素が必要だ。そして、最も大量の魔素が存在するのは地中である。
動物や植物の死骸は、朽ち果て魔素に帰っていく。その魔素は雨水とともに地中に浸みこみ、流れる地下水のようにこの星の大地の中を縦横に流れている。それが〈龍脈〉と呼ばれるものだ。
そして、この〈龍脈〉は、地表の割れ目などを通って、地上に溢れ出すことがある。これが〈魔素溜まり〉で、魔素が結晶化し巨大になると、それが〈コア〉となって、ダンジョンを創り出す。まあ、それには気が遠くなるような年月が必要だが……。
今回の魔物の大量発生も、おそらく山脈のどこかに大きな〈龍脈〉の吹き出し口ができたためであろう。すでにダンジョン化している可能性が高い。
魔物たちは南に向かって勢力圏を広げているように見えた。当然そこには、もともと縄張りを持っていた魔物たちがいる。必然的に魔物同士の争いが起きる。
その日も、俺は少し離れた木の上から、オーガの集団とオークの群れが、けたたましい声を発しながら殺し合いをしている様子を眺めていた。
自分たちで殺し合ってくれれば手間が省ける。数が少なくなったところで、残りの魔物を始末すればいい。そう考えて、のんびりと木の枝に座っていたのだが……。
不意に、近くに大きな魔力を感じて、身構えた時にはすでに遅かった。
「ガアァァッ!」
密かに忍び寄っていたクリムゾンエイプが、鋭い牙をむきだして飛び掛かってきた。
木の枝の上だったので、俺は逃げ場がなく、とっさに左腕で防御しながら右手に魔力を集めた。
巨猿の牙が俺の左の二の腕に食い込んだ。激しい痛みをこらえながら、俺は、右手を思いきりそいつの胸に押し当て、ファイヤーアローを叩きこんだ。
「グギャアアアアァァッ……」
断末魔の悲鳴を上げながら、そいつは俺とともに地面に落下した。
俺はそいつの体を押しのけて、何とか立ち上がったが、左腕の激痛に加え、地面に落ちた時に背中を強く打っていたらしく、思わずよろけて倒れそうになった。
だが、今はそんな場合ではない。近くの木の上では、死んだ仲間のクリムゾンエイプ数匹がけたたましい威嚇の声を上げていたし、オーガやオークもその騒ぎを聞きつけてやって来るかもしれない。
俺は、必死に南を目指して逃げた。
♢♢♢
腕が痛む。おそらく骨まで達しているであろう傷は、すでに熱を持ち始め、このままでは化膿して敗血症を引き起こす可能性がある。
あいにく、その日はポーションも携帯していなかった。こんなところにも俺の油断が現れていた。何とか、パルトスの街の近くまで行って、アリョーシャが来てくれるのを期待しよう。確か、明日が落ち合う約束の日だったはずだ、それまで、何とか持てばいいが……。
熱と痛みにふらつきながら、ようやく森を抜けた時だった。
(っ!強い魔力だ。くそっ、こんな所にまで強力な魔物が出てきていたのか……)
俺は、警戒しながら、その魔力を放っている場所を木の陰から覗いた。
(ん?……あれは、人族か?しかも、まだ年端もいかない少年ではないか、まさか……)
俺は、その強大な魔力を放っている存在を見て驚愕しながら、用心深く近づいていった。
ところが、相手の方も俺に気づいていたのか、黒いメイスを構えながら、焚火の日を見つめていた。突然現れた男にも、動揺した様子はなく、俺の顔とケガをした左腕をちらりと見ただけだった。
俺は興味を惹かれて、試しに抑えていた魔力を半分ほど解放しながら、そいつと軽く言葉を交わした。
そいつは、相変わらず動じる様子も見せず、さらに驚いたことにこう言ったのだ。
「あんた、腕をケガしてるのか?治療だけならしてやってもいいぞ」
そして、そいつは焚火の火を強くすると、カバンの中から薬品の小瓶を取り出した。それは、自分で薬草を調合したものだと言った。
俺は、俺のことが怖くないのか、と尋ねた。すると、そいつは、
「なんで?あんたが、どこの誰なのか、俺は全く知らない。あんた、悪い奴なのか?」
と、とぼけたような口調で答えた。
面白い奴だ。
そいつのポーションは、驚くべき効能だった。
化膿しかかって、最悪切り落とさねばならないと覚悟していた腕の傷が、あっという間に治癒し、ふさがってしまった。
俺は、その少年のことを測りかねていた。俺の知る人族についての知識からは、あまりにもかけ離れている。まだ、抑えているであろう魔力量も規格外だった。敵になれば、これほど恐ろしい存在はいない。
しかし、少年はどこか人懐っこく、優しく、俺にパンとうまいスープまでごちそうしてくれた。
どうも調子が狂う。恐ろしい力を秘めながら、どこにでもいるような素朴な少年……。
それが、俺とその少年トーマとの初めての出会いだった。
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