【完結】婚約破棄したのに「愛してる」なんて囁かないで

遠野エン

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壊れた約束と愛の囁き

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「……ずいぶんと楽しそうね。何か心躍ることでもあったのかしら」

そう返すとルネアは薄い笑みを浮かべて、わたしの隣の椅子にちょこんと腰かけた。その近さに思わず身が強張った。

「アラン様にもらったワイングラスが美しくて……。あなたに自慢してあげようと思ったの。だって、もうアラン様があなたに何かを贈るなんてこと、あり得ないでしょう?」

「……わたしをからかいにきたの?」

「まあ、そういうことかしら。あるいはあなたを哀れんであげているとも言えるわね。痛々しいわ、アラン様の寵愛も、伯爵令嬢としてのプライドも何もかも失ってしまうなんて」

ぞっとした。こんなにも露骨な嫌味をぶつけてくる人間が、この社交界にいるなんて思わなかった。この場は貴族が集う場所。仮にも伯爵令嬢をここまで露骨にこけにするとは……。

「あなたこそ何者なの? どこかの家柄の方? わたしは聞いたことがないわ」

わざと冷ややかな声音で問い返すと、ルネアは少しも動じず、むしろ面白がるように唇の端を吊り上げた。

「さあ、どうかしらね。家柄なんて今のわたしには些細なこと。少なくとも落ちぶれたあなたを見下すだけの価値がある。それだけは確かよ。……あら、アラン様がお呼びのようだわ。失礼するわね」

勝利宣言のように言い放ち、翻したドレスの裾で空気を払うようにして軽やかに立ち去った。わたしはその後ろ姿を見送るしかない。

ここまであからさまに人を嘲笑するような女性に出会ったのは初めてだった。アランと親しげに言葉を交わし、寄り添う姿が脳裏に焼き付いて離れない。そもそもルネアという名を聞いたことがなかった。仮に子爵家であったら、彼女のような婚姻適齢期のご令嬢がいるなど、噂程度でも耳にしていれば覚えているはず。……いったい何者なの?


---


やがて夜会は終幕の時を迎え、人々は名残惜しげに談笑しながら帰り支度を始めた。重い足取りで建物の入り口へ向かい、迎えの馬車を待つ。

ようやく到着した馬車に乗り込み、扉が重々しく閉まると同時に深い溜息が漏れた。外の気配がかすかに伝わるなか、車輪がゴトリと動き出す。夜会の会場が徐々に遠ざかり離れていく。

窓の外をちらりと見やると、アランの姿はもうなかった。彼はどこへ行ったのだろう。ルネアとじゃれ合っているのだろうか。空っぽの心の中に広がる苦しみを抱えながら、馬車の揺れに身を任せるしかない。

このままではとても眠れそうにない。そっと瞳を閉じる。アランへの断ち切れない想いが、無残に散らされた薔薇の花びらのように、心の柔らかな場所を鋭く刺し続ける。愛しているのか、憎んでいるのか、それすらもはや分からない。どうしても確かめようがないのだ。愛の囁きの矛盾……その真意。


――その夜、わたしの人生において最大の失意が訪れた。
けれど、心の奥底で響くあの小さな囁きが、わたしの絶望を完全には覆さない。気づかないふりをしているだけ。あの言葉が灯す、か細く儚い光がまだ胸の片隅で消えずに残っていることを。
それがこの先の運命を大きく振り回すとは知らずに――。
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