【完結】婚約破棄したのに「愛してる」なんて囁かないで

遠野エン

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新たな縁談

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あの秘密基地での出来事から数日、わたしの心は鉛のように重く沈んだまま。アランが最後に言い放った「君の幸せを願っているよ、リリーナ。それは俺の隣ではないということだ」という言葉――見えない断頭台の刃が首筋にひやりと突き刺さるようだった。

あれほどまでにはっきりと拒絶を受けたのに、それでも彼の囁いた「愛してる」という矛盾した響きが、心の奥底で亡霊のようにさまよい続けていた。

帰宅してからの記憶は曖昧だ。父と母が心配そうにわたしを見つめていた顔だけは覚えている。眠れぬ夜を幾度も繰り返し、わたしは心身ともに疲れ果てていた。


――このままでは駄目。


ある朝、窓から差し込む光に照らされ、ふとそう思った。わたしはスフレ伯爵家の令嬢。いつまでも失われた愛の幻影に囚われ、涙に暮れていて良いはずがない。わたし自身の人生をこの手に取り戻さなければ――。


そんな思いが芽生え始めた頃、友人のビアンカが心配して訪ねてきてくれた。彼女の顔を見るなり、張り詰めていたものがふっと緩みそうになるのを必死でこらえる。ここで崩れてしまえば、皆に余計心配をかける。

「リリーナ、大丈夫? 顔色が優れないわ。もし話せるなら聞かせてほしい。無理にとは言わないけれど……」

優しく背中を撫でる彼女の手の温もりが、今にも崩れそうなわたしを支えてくれる。

「ビアンカ……ありがとう。聞いてくれる? 最初は家格の違いだって一点張りだったのに、最近はそれすら曖昧にぼかして……。どんなに問い詰めても、変わってしまった理由をはっきり答えてくれない……。そして最後に……『愛してる』と囁いて去っていくなんて……」

「『愛してる』!?」

ビアンカは驚きに目を見開いた。

「ええ……でも、その直前には散々『感傷的だ』とか『思い込みが激しい』とか罵るような言葉を投げつけてきたのよ? そして『愛してる』はただの戯れ言だって……。もう彼の本心がどこにあるのか、さっぱりわからない」

声が震えそうになるのを、奥歯を噛み締めて抑えた。

「そんな……。戯れ言ですって? ひどい! アランがそんなことを言うなんて信じられない。何かやむにやまれぬ理由があるんじゃない?」

ビアンカは拳をぎゅっと握りしめている。わたしの代わりに怒りを燃やしてくれているかのよう。その思いやりがありがたくて、申し訳なくて……。

「そうかもしれない……でも、今のわたしには確かめる術がないわ。彼は一向にかたくなな態度を崩そうとしないし……」

力なく首を振ると、ビアンカはそっとわたしの肩を抱き寄せた。

「辛いわね、リリーナ。でも、あなたは一人じゃないよ。彼のことからは距離を置いて、自分の幸せを考えたほうがいい。リリーナが笑顔になれるように、できることは何でも言ってね」

ビアンカの言葉が固くなった心をほぐしてくれる。優しい声色、まっすぐな瞳――言葉のひとつひとつが痛みの棘をやわらかく抜いてくれるよう。いつだって寄り添い、味方でいてくれるこの友の存在がどれほど心強いか。

---


その数日後――父から思いがけない話が持ち込まれた。ヴァロア侯爵家から、わたしとの見合いの申し出があったというのだ。ヴァロア侯爵家といえばニールセン共和国でも指折りの名門。スフレ家よりもはるかに家格が高く、そのご子息であるシュロト様は若くして類まれなる才覚を持ち、人望も厚いと評判だった。

「ヴァロア侯爵家からお前に見合いをと……。どうだろうか、リリーナ。無理強いはしないが、これも一つの機会かもしれん」

父の表情には遠慮と同時に、娘の行く末を案じる親心が静かに揺れていた。母も同じ気持ちなのだろう、優しく頷いている。このまま立ち止まっていても時は虚しく過ぎていくだけ。新しい一歩を踏み出すためには、新しい風を掴まなくては。そんな渇望にも似た思いが胸をよぎった。

「……お父様、お母様。そのお見合い、お受けいたします」

自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。その瞬間、小さな勇気の灯が胸の内に静かにともったのを感じた。
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