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新たな縁談
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見合いの日、空は厚い雲に覆われ、心模様を映し出すかのようだった。少しでも明るい気持ちを呼び込もうとラベンダー色の服に身を包みながらも、心の中はどこか落ち着かない。鏡に映る自分の顔は覚悟を決めたような、それでいて硝子細工のような脆さも併せ持っていた。
指定されたヴァロア侯爵家の別邸の応接室へ通されると、そこにはすでに一人の男性が待っていた。彼がシュロト・ヴァロア様。
想像していたよりもずっと穏やかで、懐の深さを感じさせる佇まいの人だった。滑らかな銀髪に、理知的な光を宿す深い蒼色の瞳。その唇には人懐こい微笑みが浮かんでいる。
「リリーナ・スフレさんですね。お会いできて光栄です。シュロト・ヴァロアと申します」
彼の声は低く、落ち着いていて心地よかった。
型通りの挨拶を交わした後、彼の次の言葉を待った。婚約破棄の件は当然ご存知のはず。どんな探るような視線を向けられるのだろうか、あるいは同情の言葉をかけられるのだろうかと身構えていた。しかし、シュロト様の口から出たのは、予想だにしない率直な言葉だった。
「リリーナさん、不躾(ぶしつけ)な物言いをお許しいただきたいのですが、アラン・デラクロウ殿とのことは存じております。社交界の噂は時に心ないものですから」
あまりにも真正直な、けれど配慮ある切り出し方に一瞬言葉を失う。シュロト様はわたしの表情の変化を読み取ったのか、少し困ったように微笑んだ。
「驚かせてしまったようですね。申し訳ありません。ですが僕が今日ここへ参りましたのは、過ぎ去った噂話に興じるためではありません。あなたの『今』と『これから』に興味があるのです」
「わたしの……今とこれから、ですか?」
オウム返しに尋ねるのが精一杯だった。
「はい。父にこのお見合いを勧められた時、正直に申しまして、最初は少しばかり躊躇いもありました。リリーナさんにとってはどれほどお辛い時期であろうかと。そのような状況でお会いすることが、かえってご負担を強いるのではないかと案じたからです」
彼は言葉を選びながら、慎重に続けた。
「しかし、貴女に関する様々なお話を伺ううちに……そのお心の内に秘めた強さ、困難な状況にあってもなお伯爵令嬢としての誇りを失わず、毅然とされているご様子に深く感銘を受けました。噂というのは、とかく悪い方向に流れがちなものですが、その濁流の中にあってさえ、貴女の真摯な姿を伝える清らかな声も確かにあったのです」
彼の言葉はお世辞や社交辞令特有の軽薄さとは無縁だった。まっすぐにわたしを見つめるその瞳には一点の曇りもない。さらに踏み込んだことを口にした。
「リリーナさん。僕はあなたの過去を詮索するつもりも、安易な同情を寄せるつもりもありません。ただ、ありのままのあなたを知りたい。もし許されるのなら、未来を共に歩む者として、僕があなたの隣に立つ資格があるかどうかを見極めていただきたいのです」
「わたしの……すべてをですか? あの、婚約破棄のことも……アランのことも……」
恐る恐る尋ねると、シュロト様は静かに頷いた。
「はい。隠し事は何の意味も持ちません。僕が知るべきことは全て知っておきたい。その上で、あなたの心の傷が少しでも癒えるよう、支えになりたいのです。僕はあなたのすべてを引き受けます。悲しみも、喜びも、そしてまだ癒えぬ傷も。もちろん、僕のことを知っていただく時間も十分に必要でしょう。焦る必要などありません。ゆっくりと僕という人間を見てください」
その言葉を聞いた瞬間、わたしの中で何かが解けていくような感覚があった。凍てついた大地に春の日差しが差し込み雪解け水が流れ出すような、温かく包み込むような優しさ――。
「シュロト様……ありがとうございます。わたしもシュロト様のことをもっと知りたいと……そう思います」
気がつけば、自然とそんな言葉が口をついて出ていた。強がりでも社交辞令でもない、心の底からの声だった。
その後、わたしたちはお互いの趣味や好きなものについて語り合った。読書や絵画鑑賞、それに馬術など、意外なほど多くの共通の話題が見つかり、会話は途切れることなく弾んだ。彼の博識さとユーモアあふれる会話にいつの間にか時間を忘れ、心からの笑顔を取り戻していた。
シュロト様との見合いの後、わたしの日常は雨上がりの空に虹がかかるように、色彩を取り戻し始めた。彼とは何度かお茶を共にし、庭園を散策し、時には彼のおすすめの画家の展覧会へも足を運んだ。シュロト様はいつも紳士的で、わたしの気持ちを細やかに察してくれた。決して急かすことなく、ただ穏やかに、わたしが心を開くのを待ってくれているようだった。
指定されたヴァロア侯爵家の別邸の応接室へ通されると、そこにはすでに一人の男性が待っていた。彼がシュロト・ヴァロア様。
想像していたよりもずっと穏やかで、懐の深さを感じさせる佇まいの人だった。滑らかな銀髪に、理知的な光を宿す深い蒼色の瞳。その唇には人懐こい微笑みが浮かんでいる。
「リリーナ・スフレさんですね。お会いできて光栄です。シュロト・ヴァロアと申します」
彼の声は低く、落ち着いていて心地よかった。
型通りの挨拶を交わした後、彼の次の言葉を待った。婚約破棄の件は当然ご存知のはず。どんな探るような視線を向けられるのだろうか、あるいは同情の言葉をかけられるのだろうかと身構えていた。しかし、シュロト様の口から出たのは、予想だにしない率直な言葉だった。
「リリーナさん、不躾(ぶしつけ)な物言いをお許しいただきたいのですが、アラン・デラクロウ殿とのことは存じております。社交界の噂は時に心ないものですから」
あまりにも真正直な、けれど配慮ある切り出し方に一瞬言葉を失う。シュロト様はわたしの表情の変化を読み取ったのか、少し困ったように微笑んだ。
「驚かせてしまったようですね。申し訳ありません。ですが僕が今日ここへ参りましたのは、過ぎ去った噂話に興じるためではありません。あなたの『今』と『これから』に興味があるのです」
「わたしの……今とこれから、ですか?」
オウム返しに尋ねるのが精一杯だった。
「はい。父にこのお見合いを勧められた時、正直に申しまして、最初は少しばかり躊躇いもありました。リリーナさんにとってはどれほどお辛い時期であろうかと。そのような状況でお会いすることが、かえってご負担を強いるのではないかと案じたからです」
彼は言葉を選びながら、慎重に続けた。
「しかし、貴女に関する様々なお話を伺ううちに……そのお心の内に秘めた強さ、困難な状況にあってもなお伯爵令嬢としての誇りを失わず、毅然とされているご様子に深く感銘を受けました。噂というのは、とかく悪い方向に流れがちなものですが、その濁流の中にあってさえ、貴女の真摯な姿を伝える清らかな声も確かにあったのです」
彼の言葉はお世辞や社交辞令特有の軽薄さとは無縁だった。まっすぐにわたしを見つめるその瞳には一点の曇りもない。さらに踏み込んだことを口にした。
「リリーナさん。僕はあなたの過去を詮索するつもりも、安易な同情を寄せるつもりもありません。ただ、ありのままのあなたを知りたい。もし許されるのなら、未来を共に歩む者として、僕があなたの隣に立つ資格があるかどうかを見極めていただきたいのです」
「わたしの……すべてをですか? あの、婚約破棄のことも……アランのことも……」
恐る恐る尋ねると、シュロト様は静かに頷いた。
「はい。隠し事は何の意味も持ちません。僕が知るべきことは全て知っておきたい。その上で、あなたの心の傷が少しでも癒えるよう、支えになりたいのです。僕はあなたのすべてを引き受けます。悲しみも、喜びも、そしてまだ癒えぬ傷も。もちろん、僕のことを知っていただく時間も十分に必要でしょう。焦る必要などありません。ゆっくりと僕という人間を見てください」
その言葉を聞いた瞬間、わたしの中で何かが解けていくような感覚があった。凍てついた大地に春の日差しが差し込み雪解け水が流れ出すような、温かく包み込むような優しさ――。
「シュロト様……ありがとうございます。わたしもシュロト様のことをもっと知りたいと……そう思います」
気がつけば、自然とそんな言葉が口をついて出ていた。強がりでも社交辞令でもない、心の底からの声だった。
その後、わたしたちはお互いの趣味や好きなものについて語り合った。読書や絵画鑑賞、それに馬術など、意外なほど多くの共通の話題が見つかり、会話は途切れることなく弾んだ。彼の博識さとユーモアあふれる会話にいつの間にか時間を忘れ、心からの笑顔を取り戻していた。
シュロト様との見合いの後、わたしの日常は雨上がりの空に虹がかかるように、色彩を取り戻し始めた。彼とは何度かお茶を共にし、庭園を散策し、時には彼のおすすめの画家の展覧会へも足を運んだ。シュロト様はいつも紳士的で、わたしの気持ちを細やかに察してくれた。決して急かすことなく、ただ穏やかに、わたしが心を開くのを待ってくれているようだった。
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