【完結】婚約破棄したのに「愛してる」なんて囁かないで

遠野エン

文字の大きさ
10 / 33
新たな縁談

1

しおりを挟む
あの秘密基地での出来事から数日、わたしの心は鉛のように重く沈んだまま。アランが最後に言い放った「君の幸せを願っているよ、リリーナ。それは俺の隣ではないということだ」という言葉――見えない断頭台の刃が首筋にひやりと突き刺さるようだった。

あれほどまでにはっきりと拒絶を受けたのに、それでも彼の囁いた「愛してる」という矛盾した響きが、心の奥底で亡霊のようにさまよい続けていた。

帰宅してからの記憶は曖昧だ。父と母が心配そうにわたしを見つめていた顔だけは覚えている。眠れぬ夜を幾度も繰り返し、わたしは心身ともに疲れ果てていた。


――このままでは駄目。


ある朝、窓から差し込む光に照らされ、ふとそう思った。わたしはスフレ伯爵家の令嬢。いつまでも失われた愛の幻影に囚われ、涙に暮れていて良いはずがない。わたし自身の人生をこの手に取り戻さなければ――。


そんな思いが芽生え始めた頃、友人のビアンカが心配して訪ねてきてくれた。彼女の顔を見るなり、張り詰めていたものがふっと緩みそうになるのを必死でこらえる。ここで崩れてしまえば、皆に余計心配をかける。

「リリーナ、大丈夫? 顔色が優れないわ。もし話せるなら聞かせてほしい。無理にとは言わないけれど……」

優しく背中を撫でる彼女の手の温もりが、今にも崩れそうなわたしを支えてくれる。

「ビアンカ……ありがとう。聞いてくれる? 最初は家格の違いだって一点張りだったのに、最近はそれすら曖昧にぼかして……。どんなに問い詰めても、変わってしまった理由をはっきり答えてくれない……。そして最後に……『愛してる』と囁いて去っていくなんて……」

「『愛してる』!?」

ビアンカは驚きに目を見開いた。

「ええ……でも、その直前には散々『感傷的だ』とか『思い込みが激しい』とか罵るような言葉を投げつけてきたのよ? そして『愛してる』はただの戯れ言だって……。もう彼の本心がどこにあるのか、さっぱりわからない」

声が震えそうになるのを、奥歯を噛み締めて抑えた。

「そんな……。戯れ言ですって? ひどい! アランがそんなことを言うなんて信じられない。何かやむにやまれぬ理由があるんじゃない?」

ビアンカは拳をぎゅっと握りしめている。わたしの代わりに怒りを燃やしてくれているかのよう。その思いやりがありがたくて、申し訳なくて……。

「そうかもしれない……でも、今のわたしには確かめる術がないわ。彼は一向にかたくなな態度を崩そうとしないし……」

力なく首を振ると、ビアンカはそっとわたしの肩を抱き寄せた。

「辛いわね、リリーナ。でも、あなたは一人じゃないよ。彼のことからは距離を置いて、自分の幸せを考えたほうがいい。リリーナが笑顔になれるように、できることは何でも言ってね」

ビアンカの言葉が固くなった心をほぐしてくれる。優しい声色、まっすぐな瞳――言葉のひとつひとつが痛みの棘をやわらかく抜いてくれるよう。いつだって寄り添い、味方でいてくれるこの友の存在がどれほど心強いか。

---


その数日後――父から思いがけない話が持ち込まれた。ヴァロア侯爵家から、わたしとの見合いの申し出があったというのだ。ヴァロア侯爵家といえばニールセン共和国でも指折りの名門。スフレ家よりもはるかに家格が高く、そのご子息であるシュロト様は若くして類まれなる才覚を持ち、人望も厚いと評判だった。

「ヴァロア侯爵家からお前に見合いをと……。どうだろうか、リリーナ。無理強いはしないが、これも一つの機会かもしれん」

父の表情には遠慮と同時に、娘の行く末を案じる親心が静かに揺れていた。母も同じ気持ちなのだろう、優しく頷いている。このまま立ち止まっていても時は虚しく過ぎていくだけ。新しい一歩を踏み出すためには、新しい風を掴まなくては。そんな渇望にも似た思いが胸をよぎった。

「……お父様、お母様。そのお見合い、お受けいたします」

自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。その瞬間、小さな勇気の灯が胸の内に静かにともったのを感じた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されたので田舎で猫と暮らします

たくわん
恋愛
社交界の華と謳われた伯爵令嬢セレスティアは、王太子から「完璧すぎて息が詰まる」と婚約破棄を告げられる。傷心のまま逃げるように向かったのは、亡き祖母が遺した田舎の小さな屋敷だった。 荒れ果てた屋敷、慣れない一人暮らし、そして庭に住みついた五匹の野良猫たち。途方に暮れるセレスティアの隣には、無愛想で人嫌いな青年医師・ノアが暮らしていた。 「この猫に構うな。人間嫌いだから」 冷たく突き放すノアだが、捨て猫を保護し、傷ついた動物を治療する彼の本当の姿を知るうちに、セレスティアの心は少しずつ惹かれていく。 猫の世話を通じて近づく二人。やがて明かされるノアの過去と、王都から届く縁談の催促。「完璧な令嬢」を脱ぎ捨てた先に待つ、本当の自分と本当の恋——。

【完結】恋を失くした伯爵令息に、赤い糸を結んで

白雨 音
恋愛
伯爵令嬢のシュゼットは、舞踏会で初恋の人リアムと再会する。 ずっと会いたかった人…心躍らせるも、抱える秘密により、名乗り出る事は出来無かった。 程なくして、彼に美しい婚約者がいる事を知り、諦めようとするが… 思わぬ事に、彼の婚約者の座が転がり込んで来た。 喜ぶシュゼットとは反対に、彼の心は元婚約者にあった___  ※視点:シュゼットのみ一人称(表記の無いものはシュゼット視点です)   異世界、架空の国(※魔法要素はありません)《完結しました》

婚約者の幼馴染に殺されそうになりました。私は彼女の秘密を知ってしまったようです【完結】

小平ニコ
恋愛
選ばれた貴族の令嬢・令息のみが通うことを許される王立高等貴族院で、私は婚約者のチェスタスと共に楽しい学園生活を謳歌していた。 しかし、ある日突然転入してきたチェスタスの幼馴染――エミリーナによって、私の生活は一変してしまう。それまで、どんな時も私を第一に考えてくれていたチェスタスが、目に見えてエミリーナを優先するようになったのだ。 チェスタスが言うには、『まだ王立高等貴族院の生活に慣れてないエミリーナを気遣ってやりたい』とのことだったが、彼のエミリーナに対する特別扱いは、一週間経っても、二週間経っても続き、私はどこか釈然としない気持ちで日々を過ごすしかなかった。 そんなある日、エミリーナの転入が、不正な方法を使った裏口入学であることを私は知ってしまう。私は間違いを正すため、王立高等貴族院で最も信頼できる若い教師――メイナード先生に、不正の報告をしようとした。 しかし、その行動に気がついたエミリーナは、私を屋上に連れて行き、口封じのために、地面に向かって突き落としたのだった……

婚約者を奪われた私は、他国で新しい生活を送ります

天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私ルクルは、エドガー王子から婚約破棄を言い渡されてしまう。 聖女を好きにったようで、婚約破棄の理由を全て私のせいにしてきた。 聖女と王子が考えた嘘の言い分を家族は信じ、私に勘当を言い渡す。 平民になった私だけど、問題なく他国で新しい生活を送ることができていた。

お飾りの側妃となりまして

秋津冴
恋愛
 舞台は帝国と公国、王国が三竦みをしている西の大陸のど真ん中。  歴史はあるが軍事力がないアート王国。  軍事力はあるが、歴史がない新興のフィラー帝国。  歴史も軍事力も国力もあり、大陸制覇を目論むボッソ公国。  そんな情勢もあって、帝国と王国は手を組むことにした。  テレンスは帝国の第二皇女。  アート王ヴィルスの第二王妃となるために輿入れしてきたものの、互いに愛を感じ始めた矢先。  王は病で死んでしまう。  新しく王弟が新国王となるが、テレンスは家臣に下賜されてしまう。  その相手は、元夫の義理の息子。  現王太子ラベルだった。  しかし、ラベルには心に思う相手がいて‥‥‥。  他の投稿サイトにも、掲載しております。

婚約破棄された令嬢、教皇を拾う

朝露ココア
恋愛
「シャンフレック、お前との婚約を破棄する!」 婚約者の王子は唐突に告げた。 王太子妃になるために我慢し続けた日々。 しかし理不尽な理由で婚約破棄され、今までの努力は水の泡に。 シャンフレックは婚約者を忘れることにした。 自分が好きなように仕事をし、趣味に没頭し、日々を生きることを決めた。 だが、彼女は一人の青年と出会う。 記憶喪失の青年アルージエは誠実で、まっすぐな性格をしていて。 そんな彼の正体は──世界最大勢力の教皇だった。 アルージエはシャンフレックにいきなり婚約を申し込む。 これは婚約破棄された令嬢が、本当の愛を見つける物語。

【完結】悪女を押し付けられていた第一王女は、愛する公爵に処刑されて幸せを得る

甘海そら
恋愛
第一王女、メアリ・ブラントは悪女だった。 家族から、あらゆる悪事の責任を押し付けられればそうなった。 国王の政務の怠慢。 母と妹の浪費。 兄の女癖の悪さによる乱行。 王家の汚点の全てを押し付けられてきた。 そんな彼女はついに望むのだった。 「どうか死なせて」 応える者は確かにあった。 「メアリ・ブラント。貴様の罪、もはや死をもって以外あがなうことは出来んぞ」 幼年からの想い人であるキシオン・シュラネス。 公爵にして法務卿である彼に死を請われればメアリは笑みを浮かべる。 そして、3日後。 彼女は処刑された。

あなたが遺した花の名は

きまま
恋愛
——どうか、お幸せに。 ※拙い文章です。読みにくい箇所があるかもしれません。 ※作者都合の解釈や設定などがあります。ご容赦ください。

処理中です...