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第1-3章 徳妃付侍女→紅玉宮妃(新版)
「音程はどこか飛んで消えました」
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「近いうちに歌の会があるらしいですよ」
「今度は歌を披露しろって? 貴妃様も物好きねえ」
淑妃様とのお茶会の後、わたしは頻繁に夜鈴と会うようになった。もちろん各々の業務に支障をきたさない範囲で、だ。
既に淑妃様のもとで自分の居場所を構築出来ているとはいえ、やはり知り合いとの再会は嬉しかったから。
別の妃を主人とする侍女同士の交流は珍しくなかった。
とは言ってもそれは妃同士が良好な関係を築いていればの話。許されるのは相手の妃との親密度を他の妃に知らしめる意味合いもあるんでしょう。
「それにしても雪慧さんと後宮でまた会えるなんて思ってもいませんでした」
「わたしもよ。まさかあの時はここに行き着くだなんて想像もしてなかったわ」
「運があったら再会するかもって言ってましたけど、本当にそうなりましたね」
「あー、そんなこと言ってたっけ。よく覚えていたじゃないの」
別にわたしも寡黙な方じゃあないのだけれど、夜鈴との会話で話題をふるのは大抵彼女からだった。理由を聞いたら純粋に語り合うのが好きらしい。受け手からすれば彼女とのお喋りはうるさくなく、楽しいと感じる時間が過ぎていったものだ。
「それにしてもまさか淑妃様の侍女にまで上り詰めていたなんてね。凄いじゃないの」
「えへへ。淑妃様に認められてとっても嬉しかったです」
「でも家柄で選ばれるわけないし、仕事が出来ます真面目です、ってだけじゃあ他の下女とあまり変わらないよね。何が淑妃様の目に留まったの?」
「何を隠しましょう実はですね、あたしって結構歌が上手いんですよ!」
夜鈴は胸を張った。
彼女は幼い顔立ちに似合わず胸が豊かな方なため、より一層強調された。下品だと蔑むか羨ましいと嫉妬するかは各々に任せるとしても、男女問わず無視できない山が形成された、と比喩しておこう。
しかしわたしから言わせればそんな身体的特徴なんてどうでもよかった。
彼女の魅力はやはり笑顔でしょうね。見ず知らずの他人だったわたしに気兼ねなく声をかける交流能力の高さも折り紙つきだし。人を引きつける才能があるんでしょう。
「ですから今度の会は自分達がもらった、って淑妃様も自信満々でしたね」
「へえ。徳妃様はとりあえず人数合わせで参加するけれど、方針としては今度も捨てだっておっしゃってたっけ」
「雪慧さんは歌はお上手なんですか?」
「へ? わたし?」
思わず自分を指差したわたしに向けて夜鈴は期待を込めた眼差しを送ってきた。たじろいだわたしに夜鈴が前のめりになって迫る。
「いや、可もなく不可もなく、かなぁ」
「聞いてみたいです! ここで一発歌ってもらえないでしょうか?」
「はあぁ? どうしてここで披露しなきゃいけないの?」
「あたしが聞きたいからです!」
侍女同士の交流は先の意図もあって極力屋外でするよう通達されている。わたし達がその時いた場所もちょっとした広場ではあったけれど人の往来がある通路にも近く、いきなり歌いだしたら間違いなく人目に付いてしまう。
「……。構わないけれど、わたしが歌ったら次は夜鈴の番だからね」
「それぐらいお安いご用ですから早く早く」
「そんな急かさないでって。言っておくけれど下手くそだって笑わないでね」
「勿論ですよ。そんな失礼なことするわけないじゃないですか」
どうだか。故郷では笑わないでって事前に注意したのに笑い出した奴がいたからね。ソイツは父がげんこつを食らわせていたので溜飲は無事に下がったのだけれど。
それ以降歌は歌わないと心に決めていたのだけれど、人生ってわからないものね。
わたしは覚悟を決めて呼吸を整えた。そして、わたしが数少なく歌詞を暗記している歌を歌い出した。
久しぶりだったものだから音程を外さないようにするの精一杯。お世辞にも上手いとは言えない出来に我ながら呆れてしまった。
「……お粗末様でした」
「ありがとうございました。素敵でしたよ」
「お世辞どうも」
だというのに夜鈴は歌い終えたわたしに拍手を送ってくれた。それは決して同情からでも義務からでもなく、純粋にわたしへの称賛と感謝を表していた。
それだけでも微妙な技能を披露したかいがあったというものよ。
「正直わたしってこんな感じの歌はあまり得意じゃないのよね」
「? じゃあどんな風のを?」
「そもそも歌を芸術と捉えるかその場を盛り上げるか、で歌い方は全然違うでしょうよ。わたしの場合は後者が主だったから、多少下手でも十分だったのよ」
「成程。じゃあその得意とする歌い方もやってみてくださいよ」
しまった、余計なことを口走った、と後悔しても遅かった。夜鈴はわたしに期待を込めた眼差しを更に熱くして送ってきた。わたしが困ったとばかりに苦笑いしてみせてもお構いなしだった。
「そうは言っても、楽器が無いんじゃあねえ」
「楽器、ですか?」
「ええ。軋箏って言うんだけれど、それを演奏しながら歌うのが得意だったものだから。残念ながら長旅で持ち歩いても邪魔なだけだから、ねえ」
「じゃあそれを用意したら歌ってくれるんですね?」
「後宮内にあるかしらねえ。あまり有名じゃあないし」
「あたし、探してきます!」
軋箏とは琴の一種で、指や爪で弾くんじゃなくて弓を使って弾く。笛や琴と比べると圧倒的に知名度が無い。けれどわたしは子供の頃デタラメに鳴らしても偶然それなりの曲になったのをきっかけに、それなりに会得したんだった。
主に出番となったのは酒の席。どういうわけか楽器での演奏は結構好評だったりする。演奏家単独で作品を披露するような高尚な真似はせず、皆で曲に合わせて踊ったり歌ったりするのが楽しいんだ。
「はい、持ってきました!」
「……嘘ぉ」
で、しばらく太陽の下で日向ぼっこを楽しんでいたら、その太陽にも負けない明るい笑顔で夜鈴が戻ってきた。その手には少し小さいながらもまごうことなき軋箏が抱えられていた。
「ソレ、夜鈴の私物じゃあないよね。どこから借りてきたの?」
「貴妃様にお願いしたら快く貸していただけました」
「納得。だからそちらにいらっしゃったのね」
夜鈴の後ろでは貴妃様が微笑を湛えていた。芸術を愛する貴妃様だったらあらゆる楽器を所持していてもおかしくないけれど、まさか別の妃に仕える侍女に気軽に貸し出しするとまでは想像の範疇に無かった。
「絵が描けて踊れて歌えて楽器も弾けるなんて、うちに欲しいわねー。こんど徳妃様にお願いしちゃおうかしら」
「御冗談を。わたしなんて広く浅くかじった程度ですよ。賢妃様のような達人に比べれば児戯に過ぎません」
「その満遍なく出来る、がいいんじゃないの。はい、じゃあ披露してくれるのよね?」
「うぐっ。じゃあ、まあ、一曲だけ」
観念して夜鈴から軋箏を受け取った。そして試し弾きして音を確かめる。自分好みに調律していいかと問うたら貴妃様からあっさり許可してもらえた。
それから喉の調子を確かめて後で傷めないよう少し発声練習をした。
そして、奏で始める。酒飲みの場を盛り上げるような陽気で、音程が激しくぶれず、男性でも歌いやすい音高の歌を。
わたしは弾きながら歌い始めた。
上手さとか聞きやすさなんてお構いなし。歌った後に爽快な気分になるよう自分の好き勝手に歌うのがこの曲への礼儀ってものだ。多少音痴だろうと構いやしない。
「~~♪」
独奏を続けていたわたしの傍で別の歌声が聞こえてきた。思わず振り向くと、なんと貴妃様がこの曲の歌を歌っているじゃないの。
更に彼女はわたしに目配せ一つ送ると、夜鈴の両手を取って踊り始めた。
「え? え?」
「これはねー、皆が一緒になって歌って踊るための曲なのよ。黙って聞いてるだけなんて勿体ないわ」
「で、でもあたし、全然踊れませんよぉ」
「大丈夫よ。曲に合わせて体を動かせばいいの」
貴妃様に振り回される夜鈴の姿に思わず笑ってしまった。そして何よりもこの曲を理解している貴妃様に感謝した。
だって貴妃様が仰るとおり、みんなで楽しむための歌だったんだから。
一曲終えたところで会釈した。
実家を離れてから練習していなかったせいもあって出来はよろしくないし息があがってしまった。汗も滲み出てくるしで自分としてはあまり納得しかねる出来栄えになってしまった。
「……お粗末さまでした」
「凄かったわー。あたくしも年甲斐もなくはしゃいじゃったわー」
「何だか良く分からなかったですけど楽しかったです!」
それでも二名の観客はわたしに拍手を送ってくれた。申し訳無さと達成感でちょっと複雑な心境になった。
他の女官や妃達が何人かこちらが気になったようだけれど、他所は気にしないことにしよう。
出番を終えた楽器の調律を覚えている限りで戻して、わたしは貴妃様へと返却すべく差し出した。しかし彼女は差し出された軋箏をわたしへと押し返す。
困惑するわたしに貴妃様は少し寂しげに笑みをこぼした。
「良かったらソレあげるわ。もう演奏者がいなくなって久しかったから」
「いえ、こんな高価なものを受け取るわけにはいきません」
「あら、女官が正一品の妃であるこのあたくしに逆らうつもり?」
「滅相もない。預かるだけならありがたく」
「……。そうね、その辺りが妥協点かしら。きっとソレも喜んでくれるわ」
衰えて魅力を失った者が立ち去っていくのがこの後宮だ。前の持ち主もきっと何らかの理由で出ていったんでしょう。それを詮索するほど物好きじゃあなかったし、かと言ってこれ以上強情を張る理由もない。
幸いにも貴妃様もわたしの案に乗ってくれた。
「それで、出てくれるのよね?」
「え? 何にですか?」
「もう、とぼけちゃって。歌唱会に決まってるじゃないの」
「いえ、徳妃様部屋からは侍女頭が出る予定です」
「えー? 彼女の歌声は前回も聞いたわよ。徳妃様ったらいけずねー」
「代わりに淑妃様部屋からは夜鈴が参加するとのことですよ。乞うご期待、です」
「そうなの? 楽しみねえ」
「ええっ!? が、頑張ります!」
結局わたしの芸はその場限りのものに収まり、後日開かれた歌唱会では出番は無かった。代わりに歌声を披露した夜鈴の歌声は大空のように澄み渡り、しかし海のように力強かった。
なんと皇帝や皇后からも絶賛され、それが発端となって厄介なことが起こるのはまた別の話だ。
「今度は歌を披露しろって? 貴妃様も物好きねえ」
淑妃様とのお茶会の後、わたしは頻繁に夜鈴と会うようになった。もちろん各々の業務に支障をきたさない範囲で、だ。
既に淑妃様のもとで自分の居場所を構築出来ているとはいえ、やはり知り合いとの再会は嬉しかったから。
別の妃を主人とする侍女同士の交流は珍しくなかった。
とは言ってもそれは妃同士が良好な関係を築いていればの話。許されるのは相手の妃との親密度を他の妃に知らしめる意味合いもあるんでしょう。
「それにしても雪慧さんと後宮でまた会えるなんて思ってもいませんでした」
「わたしもよ。まさかあの時はここに行き着くだなんて想像もしてなかったわ」
「運があったら再会するかもって言ってましたけど、本当にそうなりましたね」
「あー、そんなこと言ってたっけ。よく覚えていたじゃないの」
別にわたしも寡黙な方じゃあないのだけれど、夜鈴との会話で話題をふるのは大抵彼女からだった。理由を聞いたら純粋に語り合うのが好きらしい。受け手からすれば彼女とのお喋りはうるさくなく、楽しいと感じる時間が過ぎていったものだ。
「それにしてもまさか淑妃様の侍女にまで上り詰めていたなんてね。凄いじゃないの」
「えへへ。淑妃様に認められてとっても嬉しかったです」
「でも家柄で選ばれるわけないし、仕事が出来ます真面目です、ってだけじゃあ他の下女とあまり変わらないよね。何が淑妃様の目に留まったの?」
「何を隠しましょう実はですね、あたしって結構歌が上手いんですよ!」
夜鈴は胸を張った。
彼女は幼い顔立ちに似合わず胸が豊かな方なため、より一層強調された。下品だと蔑むか羨ましいと嫉妬するかは各々に任せるとしても、男女問わず無視できない山が形成された、と比喩しておこう。
しかしわたしから言わせればそんな身体的特徴なんてどうでもよかった。
彼女の魅力はやはり笑顔でしょうね。見ず知らずの他人だったわたしに気兼ねなく声をかける交流能力の高さも折り紙つきだし。人を引きつける才能があるんでしょう。
「ですから今度の会は自分達がもらった、って淑妃様も自信満々でしたね」
「へえ。徳妃様はとりあえず人数合わせで参加するけれど、方針としては今度も捨てだっておっしゃってたっけ」
「雪慧さんは歌はお上手なんですか?」
「へ? わたし?」
思わず自分を指差したわたしに向けて夜鈴は期待を込めた眼差しを送ってきた。たじろいだわたしに夜鈴が前のめりになって迫る。
「いや、可もなく不可もなく、かなぁ」
「聞いてみたいです! ここで一発歌ってもらえないでしょうか?」
「はあぁ? どうしてここで披露しなきゃいけないの?」
「あたしが聞きたいからです!」
侍女同士の交流は先の意図もあって極力屋外でするよう通達されている。わたし達がその時いた場所もちょっとした広場ではあったけれど人の往来がある通路にも近く、いきなり歌いだしたら間違いなく人目に付いてしまう。
「……。構わないけれど、わたしが歌ったら次は夜鈴の番だからね」
「それぐらいお安いご用ですから早く早く」
「そんな急かさないでって。言っておくけれど下手くそだって笑わないでね」
「勿論ですよ。そんな失礼なことするわけないじゃないですか」
どうだか。故郷では笑わないでって事前に注意したのに笑い出した奴がいたからね。ソイツは父がげんこつを食らわせていたので溜飲は無事に下がったのだけれど。
それ以降歌は歌わないと心に決めていたのだけれど、人生ってわからないものね。
わたしは覚悟を決めて呼吸を整えた。そして、わたしが数少なく歌詞を暗記している歌を歌い出した。
久しぶりだったものだから音程を外さないようにするの精一杯。お世辞にも上手いとは言えない出来に我ながら呆れてしまった。
「……お粗末様でした」
「ありがとうございました。素敵でしたよ」
「お世辞どうも」
だというのに夜鈴は歌い終えたわたしに拍手を送ってくれた。それは決して同情からでも義務からでもなく、純粋にわたしへの称賛と感謝を表していた。
それだけでも微妙な技能を披露したかいがあったというものよ。
「正直わたしってこんな感じの歌はあまり得意じゃないのよね」
「? じゃあどんな風のを?」
「そもそも歌を芸術と捉えるかその場を盛り上げるか、で歌い方は全然違うでしょうよ。わたしの場合は後者が主だったから、多少下手でも十分だったのよ」
「成程。じゃあその得意とする歌い方もやってみてくださいよ」
しまった、余計なことを口走った、と後悔しても遅かった。夜鈴はわたしに期待を込めた眼差しを更に熱くして送ってきた。わたしが困ったとばかりに苦笑いしてみせてもお構いなしだった。
「そうは言っても、楽器が無いんじゃあねえ」
「楽器、ですか?」
「ええ。軋箏って言うんだけれど、それを演奏しながら歌うのが得意だったものだから。残念ながら長旅で持ち歩いても邪魔なだけだから、ねえ」
「じゃあそれを用意したら歌ってくれるんですね?」
「後宮内にあるかしらねえ。あまり有名じゃあないし」
「あたし、探してきます!」
軋箏とは琴の一種で、指や爪で弾くんじゃなくて弓を使って弾く。笛や琴と比べると圧倒的に知名度が無い。けれどわたしは子供の頃デタラメに鳴らしても偶然それなりの曲になったのをきっかけに、それなりに会得したんだった。
主に出番となったのは酒の席。どういうわけか楽器での演奏は結構好評だったりする。演奏家単独で作品を披露するような高尚な真似はせず、皆で曲に合わせて踊ったり歌ったりするのが楽しいんだ。
「はい、持ってきました!」
「……嘘ぉ」
で、しばらく太陽の下で日向ぼっこを楽しんでいたら、その太陽にも負けない明るい笑顔で夜鈴が戻ってきた。その手には少し小さいながらもまごうことなき軋箏が抱えられていた。
「ソレ、夜鈴の私物じゃあないよね。どこから借りてきたの?」
「貴妃様にお願いしたら快く貸していただけました」
「納得。だからそちらにいらっしゃったのね」
夜鈴の後ろでは貴妃様が微笑を湛えていた。芸術を愛する貴妃様だったらあらゆる楽器を所持していてもおかしくないけれど、まさか別の妃に仕える侍女に気軽に貸し出しするとまでは想像の範疇に無かった。
「絵が描けて踊れて歌えて楽器も弾けるなんて、うちに欲しいわねー。こんど徳妃様にお願いしちゃおうかしら」
「御冗談を。わたしなんて広く浅くかじった程度ですよ。賢妃様のような達人に比べれば児戯に過ぎません」
「その満遍なく出来る、がいいんじゃないの。はい、じゃあ披露してくれるのよね?」
「うぐっ。じゃあ、まあ、一曲だけ」
観念して夜鈴から軋箏を受け取った。そして試し弾きして音を確かめる。自分好みに調律していいかと問うたら貴妃様からあっさり許可してもらえた。
それから喉の調子を確かめて後で傷めないよう少し発声練習をした。
そして、奏で始める。酒飲みの場を盛り上げるような陽気で、音程が激しくぶれず、男性でも歌いやすい音高の歌を。
わたしは弾きながら歌い始めた。
上手さとか聞きやすさなんてお構いなし。歌った後に爽快な気分になるよう自分の好き勝手に歌うのがこの曲への礼儀ってものだ。多少音痴だろうと構いやしない。
「~~♪」
独奏を続けていたわたしの傍で別の歌声が聞こえてきた。思わず振り向くと、なんと貴妃様がこの曲の歌を歌っているじゃないの。
更に彼女はわたしに目配せ一つ送ると、夜鈴の両手を取って踊り始めた。
「え? え?」
「これはねー、皆が一緒になって歌って踊るための曲なのよ。黙って聞いてるだけなんて勿体ないわ」
「で、でもあたし、全然踊れませんよぉ」
「大丈夫よ。曲に合わせて体を動かせばいいの」
貴妃様に振り回される夜鈴の姿に思わず笑ってしまった。そして何よりもこの曲を理解している貴妃様に感謝した。
だって貴妃様が仰るとおり、みんなで楽しむための歌だったんだから。
一曲終えたところで会釈した。
実家を離れてから練習していなかったせいもあって出来はよろしくないし息があがってしまった。汗も滲み出てくるしで自分としてはあまり納得しかねる出来栄えになってしまった。
「……お粗末さまでした」
「凄かったわー。あたくしも年甲斐もなくはしゃいじゃったわー」
「何だか良く分からなかったですけど楽しかったです!」
それでも二名の観客はわたしに拍手を送ってくれた。申し訳無さと達成感でちょっと複雑な心境になった。
他の女官や妃達が何人かこちらが気になったようだけれど、他所は気にしないことにしよう。
出番を終えた楽器の調律を覚えている限りで戻して、わたしは貴妃様へと返却すべく差し出した。しかし彼女は差し出された軋箏をわたしへと押し返す。
困惑するわたしに貴妃様は少し寂しげに笑みをこぼした。
「良かったらソレあげるわ。もう演奏者がいなくなって久しかったから」
「いえ、こんな高価なものを受け取るわけにはいきません」
「あら、女官が正一品の妃であるこのあたくしに逆らうつもり?」
「滅相もない。預かるだけならありがたく」
「……。そうね、その辺りが妥協点かしら。きっとソレも喜んでくれるわ」
衰えて魅力を失った者が立ち去っていくのがこの後宮だ。前の持ち主もきっと何らかの理由で出ていったんでしょう。それを詮索するほど物好きじゃあなかったし、かと言ってこれ以上強情を張る理由もない。
幸いにも貴妃様もわたしの案に乗ってくれた。
「それで、出てくれるのよね?」
「え? 何にですか?」
「もう、とぼけちゃって。歌唱会に決まってるじゃないの」
「いえ、徳妃様部屋からは侍女頭が出る予定です」
「えー? 彼女の歌声は前回も聞いたわよ。徳妃様ったらいけずねー」
「代わりに淑妃様部屋からは夜鈴が参加するとのことですよ。乞うご期待、です」
「そうなの? 楽しみねえ」
「ええっ!? が、頑張ります!」
結局わたしの芸はその場限りのものに収まり、後日開かれた歌唱会では出番は無かった。代わりに歌声を披露した夜鈴の歌声は大空のように澄み渡り、しかし海のように力強かった。
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