婚約破棄から始まる恋~捕獲された地味令嬢は王子様に溺愛されています

きさらぎ

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第二部

王族の責任Ⅰ

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 ひんやりとした冷たい空気が肌をなでる早朝。
 まだ夜が明けきらぬ時刻に起きて身支度を済ませ、レイ様とやってきたのは北の宮の池のほとり。

 珍しい花が咲くという名目につられて見学に来たのは今日で二回目です。

「寒くないかい?」

 池のほとりの見晴らしの良い場所に備えられた白いベンチに着いたところで、レイ様の気遣うような声がしました。

「大丈夫です。寒くありませんわ」

「そう? だったら、よいけれど」

 初夏といえども早朝はまだ肌寒くて厚着が必要です。
 ですから、今朝は肌を露出しない首や手先が隠れるようなドレスに靴はヒールではなくてブーツを履いています。

 エルザたちが風邪をひいては大変だからと前日から準備をしてくれました。余計な気を使わせてしまったみたいで申し訳なかったわ。

 花の時期は短いと聞いたので『もう一度見たかった』なんて言ってしまったものだから、レイ様が即座に『じゃあ、明日見に行こう』なんておっしゃったのですよね。

 即時即決。

 側近たちに指示を出すレイ様。
 それを受けた側近たちは翌日のスケジュールの調整に余念がありませんでしたし、エルザたちもお召し物の準備をとあれやこれやと話し合いながら、あっという間に別室に移動していましたし。

 一貴族の娘の願いなど取るに足らないもの、捨て置いてかまいませんのに。

 忙しない側近たちの姿に、想像していたよりも大事になったような気がして、後先考えずに迂闊に口を滑らせてしまったことが悔やまれました。
 レイ様を含め皆さんが和気あいあいと楽しそうに計画を立てている様子に水を差すのも憚れて、やっぱり遠慮しますなどと言えるような雰囲気ではなかったのです。

 何度も繰り返す愚行に、学習能力のなさに我ながら情けなく、軽い自己嫌悪に陥ってしまいました。


「出来るだけ、暖かくしてた方がいいと思うよ。夜明け前は冷え込むからね」

 昨日のことを思い出しているとレイ様の優しい声がして、ふわっと肩に何かが触れました。目にしたそれは、柔らかそうなショールでした。しかも大判でレイ様も同じものというか……一枚物で私たちを包んでいる格好です。

 どこから出てきたのでしょう? レイ様、持っていませんでしたよね? 

 今朝のお供は護衛騎士だけ。
 となると、出所は一つしか思い浮かばないのですが、ここで振り向いたら負けのような気がします。確認を取るのはやめましょう。

「ほら、こうすれば暖かいよね」

 私の心の葛藤など知らないレイ様は、ササッと距離を詰めてきます。肩がぴったりと触れ合うとショールをかけ直して二人でくるまりました。
 ちょっと、大袈裟な感じがするのですけど。ショールがなくても十分に温かいのですけど。

「レイ様、私は大丈夫ですから。ご自分の身体を大事にしてくださいませ」

 ショールを羽織るということは、寒さを感じているからでしょう。私は十分に防寒対策をしてくれましたから、さほど寒さを感じません。
 それよりもレイ様が心配です。風邪など召したら大変ですもの。

「俺の身体のことを心配してくれるんだね」

「当たり前です。大事な方なんですから、ご自分の身を第一に考えてください」

「……大事な方?」

 驚いた表情のレイ様が小さな声で反芻します。
 何か、変なことを言ったかしら?
 喜びがにじんだ瞳でじっと見つめるレイ様。

「はい。わが国の王子殿下ですから、国民に、とって、レイ様は……大事な存在……です……よ」

 あまりにも並々ならぬ真剣な顔で眼前に見つめてくるレイ様に、若干引きつり声が震えて、語尾が濁ってしまいました。

「国民?」

「はい」

 何かが引っかかったのかレイ様が眉を顰めます。

 おかしなことは、言っていませんよね?
 国の象徴ともいうべき王族なのですから、大切に思うことは臣下として変ではないですよね? 当たり前のことですよね?

 固まったまま考え込んでいたレイ様は、私に視線を向けるとパッと顔を輝かせました。何かを吹っ切ったような清々しい表情です。私が言わんとすることをわかって下さったのでしょう。
  
「そっか。ローラは国民の一人として、俺のことを大事に思ってくれているってことだね」

 国民の一人として……改めて問われると、どこかが違うような気が……しなくもないような。だからと言って何が違うと言われても、説明できないんですけれど。でも、間違ってもいないような気もするし。
 頭の中で自問自答し、導き出した答えは――
 
「はい。レイ様はとても大事な方です」

 そこは自信を持って言い切りました。
 レイ様を大事に思っていることは本当の気持ちです。嘘ではありません。

 あ、あの……レイ様?
 どうしたのでしょう。
 再び固まったまま微動だにしないレイ様は、まるで精巧に作られた美しい石像のよう。見惚れている場合ではないのですけれど。
 やがて、気を取り戻したレイ様の頬がほんのりと染まっていきます。私を見る意味ありげな視線。
 
 これは大丈夫ですよね。間違っていませんよね。

 穴が開くほど見つめられると、ちょっと、不安になってきました。

「一緒だね。俺にとっても、ローラは大事な人だよ」

 ほんのりと色香を纏った瞳にドキッと心臓が跳ねました。
 レイ様は私の言葉に返しただけ。
 それなのに、一瞬、ほんの一瞬だけ……違う意味に聞こえてしまったのは何故なのでしょう。

 私の肩からずり落ちたショールを手にして、再び私の身体を包んでくれます。

「お互いに大事にしないとね」

 慈しむような声音で囁きかけたレイ様は私の肩を抱き寄せました。
 レイ様の体温が肩越しに伝わります。
 温かい。
 
「レイ様もちゃんと羽織って下さいね」

「うん。気遣ってくれてありがとう」

 レイ様の穏やかな眼差しが眩しくて、幸せな気持ちが心の中を満たしていきます。
 知らずに胸の奥にこみ上げてくるものが、鼻の奥がツンとして涙ぐみそうになりました。でも、グッとこらえます。
 
 愛おしい。

 そんな思いが心の中をよぎりました。この芽生えた感情は何なのか……

 ほんの少し、ほんの少しだけ……ほんの少しの間だけ……

 私はレイ様の肩に、寄り添うように頭を預けました。


  

 
 

  
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