婚約破棄から始まる恋~捕獲された地味令嬢は王子様に溺愛されています

きさらぎ

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第二部

遠い告白Ⅴ

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 手を引かれて木々の合間をぬいながら歩いて行きます。ほどなくして視界がパァと開けたと思ったら、大きな噴水が目に入りました。大の大人でも泳げそうなくらい。大きなというより巨大なと言った方が合っているかもしれません。
 飛沫を上げながら噴き出す噴水のてっぺんには、体を寄せ合う二羽の白鳥の彫刻が鎮座していました。そこを囲むようにベンチやテーブルが見えました。ここは王族の方の憩いの場所なのかもしれません。散歩するにも良さそうです。

「ここまでくれば大丈夫だろう。王族以外は誰も入れないからね」


「私が入っても大丈夫でしょうか?」

 恐る恐る尋ねました。貴族達と共有する場所とは見るからに違います。静謐さの中にも神聖で清雅な雰囲気が空間を支配している聖域に私がいてもいいのかと畏れ多い気持ちになります。

 そんな私の思いとは裏腹にレイ様はキョトンとした顔で私を見つめていました。
 
「俺が許可したから大丈夫だよ」

 愛おしげに目を細めるレイ様に胸の奥が甘く疼きます。思いを自覚するとこんなにもひとつの表情が胸を打つのだと初めて知りました。レイ様はあまりにも優しすぎるので勘違いしそうにもなります。甘い夢は見ないようにしなければ、失礼になるでしょうし、彼はきっと私なんかを好きになるはずはないのですから。

「疲れただろう? 座ってゆっくり話さないか」

「はい」

 木製ではなくクッション性のある柔らかいベンチ。ソファといってもいいくらいの座り心地のよいもので、それだけでも別空間だとわかります。

「レイ様、手を……」

「んっ?」

 物音に気付いて場所を移動した時から、ずっと手をつないだままでした。

「もうそろそろ、離して頂いても……」

「いやだ。また、逃げられたらいやだからね。離さない」

「逃げませんよ」

 たぶん。心の中でつけ加えて返事を返しました。それでもレイ様は納得していない様子。

「この前だって逃げたでしょう? なぜ? 話があると言ったのに」

「あれは……時間がなくて、あ、あの、あの……どうしても……」

 あの日の事を思い出して、みるみる顔が朱に染まっていきます。レイ様への気持ちを自覚しましたなんて言えるわけもなくて、どう言い訳をしたものか、あたふたする私に何かが覆いかぶさったかと思ったら、レイ様に抱きしめられていました。

「レイ様」

「嫌われたわけではないよね」

「はい。嫌っていません。そんなことあるはずはありません」

 だって、私はレイ様が大好きなのですから。

「よかった。ローラに嫌われたら立ち直れない」

「そんな、大袈裟ですよ。レイ様を嫌う人なんていないと思いますよ。大丈夫です」

 彼の事を好きになっても嫌いになる人なんていないと思うわ。そこは断言できます。励ますように気落ちしたレイ様に声をかけると

「うん。ローラらしいね。ありがとう」

 一声と共に、いっそう抱きしめられました。棒読みの声は気になったけれど、励ましにはなったようです。よかったわ。レイ様にはいつも元気でいてほしいもの。 

「ところで、今日は何人の男と踊ったの?」

「えっ?」

 唐突過ぎる問いに面食らってしまいました。未だレイ様の腕の中。さらにギュッと抱きしめられて息が……

「く、苦しい……」

 レイ様の背中を叩きます。これ以上、力を込められたら窒息してしまいます。

「ご、ごめん」

 やっと、腕の力を緩めて下さいましたが、苦悶から逃れ何度か深呼吸を繰り返している間もレイ様は私を離しませんでした。というより、いつの間にか膝の上にのせられて腕の中に囲われていました。
 凄く、手慣れていらっしゃるんですが。とても女性の扱いに慣れていらっしゃるような、感じがします。
 ダンスだって、お上手でしたし、何人もの令嬢と踊って楽しそうでしたし。

「それで、何人の令息と踊ったの?」

 終わっていなかったのですね。そんなに気になることなのでしょうか?

「えっ……。三、四人くらいかと思います」

「そんなに踊ったの?」

 驚かれるほど踊ったわけではないのでは? 普通では?  

「レイ様だって、たくさんのご令嬢と踊っていらっしゃいました」

「俺は、二、三人くらいだと思うよ。ローラほどではないよ」

「……」

 私ほどではないって、一人くらいしか違わないではないですか? それに確認しただけでも三人は超えていたと思います。列をなすほどのご令嬢相手ですから、二、三人ではなかったですよね。端折りすぎでは。

「ずっと、ご令嬢と踊っていらっしゃったから」

「うん。ローラもずっと誰かと踊ってた」

 沈黙がおりて辺りが静寂に包まれた庭園。二人だけの世界を見守るように星々が輝いていました。

「本当はファーストダンスだって、ローラと踊りたかったんだ。二曲目だって、三曲目だって、本当はずっとローラと踊りたかった」

「……レイ様」

 突然の告白にすぐに言葉が出てきませんでした。これはどう解釈すればいいのでしょう? 

「私もレイ様ともっと踊りたかった。でも……」

 言葉を紡ぐ前に人差し指を唇に当てられて、遮られました。レイ様の長い指が唇に触れて大きく心臓が跳ねます。菫色の瞳が私の心を捉えて体の芯が熱く火照るよう。
 ドキドキと逸る心臓の音が耳にやけに響くから、彼に聞こえやしないかと恥ずかしさがこみ上げてきて、ますます、顔が赤くなっていきました。
 指を外して下さらないかしら? このままでは声を出すこともできないですし、指の感触がリアルすぎて、このままでは心臓が壊れそうです。

 私をジッと見つめていたレイ様の目元が緩んで笑みが浮かびました。八重の薔薇が絢爛と咲き誇るような麗しい笑顔。あまりの美しさに息を吞みました。

 今夜のレイ様はいつもと違う。ぼんやりとそんなことを考えていると、唇から外された指は優雅に弧を描き私の胸元へ。
 その様子がまるでスローモーションのように目に映って、呼吸をするのも忘れて見入っていました。しなやかな動きで髪を一房掬い取ったレイ様は唇を近づけてキスを落としました。
 か、髪にキス⁈ 
 一瞬、何が起きたのかわからなくて私のすべての機能がフリーズして頭が真っ白に…… 

「踊ろうか? ローラと踊らないと今夜は眠れないかもしれない」

 形の良い唇が言葉を紡ぎます。ちょっとおどけたようなレイ様の声にハッと我に帰りました。

 ううん。レイ様はきっと眠れるわ。だって、何事もなかったようにとても冷静だもの。
 眠れないのは私の方だわ。今夜の出来事が忘れられなくて。狼狽えているのは私だけで、レイ様にとっては何でもないことなのよ。自惚れてはダメよ。

 ふわりと抱えあげられた体はすぐに地に下ろされました。手を取られて空いている場所まで来ると呼吸を整えます。レイ様のリードを受けて体を動かしました。
 今も大ホールではダンスが続いているのでしょうか。ここまで音楽は聞こえないけれど、体は自然とリズムを取っていました。レイ様のリードが素晴らしいからだわ。とても踊りやすい。
 レイ様が曲を口ずさみます。聞き覚えのある音楽だわ。私と踊った曲かしら?

 つないだ手がお互いの体温を感じて、お互い見つめ合うと天にも昇る心地に自然と笑みが零れます。
 レイ様が好き。
 このまま、ずっと踊っていたいわ。永遠なんてないのに、願ってしまう。あの時の瑕疵が頭をもたげそうになるのを抑えて、抑えて、蓋をしました。今は、今だけは無垢のまま幸せのままでいたいわ。

「今夜はこれで眠れますね」

 ちょっと茶目っ気を出して、冗談めいて言ってみました。

「まだ、眠れないかな? だから、もうちょっとだけつきあって?」

 一曲では足りなかったのかしら? 
 レイ様と踊るのは楽しくて一曲で終わりにしたくなくて、頷きました。踊る準備をと思ったら、手を引かれて行ったのは先ほどのベンチです。

「話があると言ったのは覚えている?」

 腰を下ろしたレイ様はまっすぐに私を見つめていました。そういえば、先日も言われたような気がします。ダンスではなく話がしたかったのね。

「はい」

 また逃げ出すとでも思っていらっしゃるのか、真剣な表情のレイ様は私の両手をしっかりと握りしめています。
 先日は完全なる私情で逃げましたが、今回はそんな心配はいらないと思うのです。どんな内容か想像もつきませんけれど、逃げ出すような事はないでしょう、きっと。
 お菓子の話かもしれませんし、厨房の調整ができたとか、現実逃避しているような感は否めませんが、妙な邪推はいけませんよね。
 覚悟を決めました。

「レイ様、お話というのは?」

 今までにないくらいの真剣で真面目な表情のレイ様に私の心にも緊張が走ります。何か深刻な話なのでしょうか?
 緊張しすぎて逃げ出したくなったわ。どうしましょう。がっつりと掴まれた手がそれを許してくれません。

「うん。逃げないでね」

 釘を刺されました。先ほどよりも距離も縮まっているような気がします。至近距離で話さないといけないことなのでしょうか。あまりの非日常な雰囲気にごくりと唾を飲み込みました。
 二度目の覚悟です。
 話を聞かないと帰してもらえないような気がしたので、大きく頷きました。

「俺は、ロー……」

 バキ、バキッ。
 突然、何かが折れたような大きな音が辺りに響きました。

 レイ様の声は空へと吸い込まれて、最後まで発することが出来ませんでした。
 誰も入れないはずの王族の庭園での不気味な物音に怖気が全身を襲います。レイ様が恐怖に震える私を抱き寄せてくれました。
 私達は顔を見合わせて、それから、音のした方をゆっくりと振り向きました。

 ヒッ。
 思わず悲鳴が漏れました。
 
 なぜ、ここに、ビビアン様が……

 恐ろしいほどの瞋恚の目で睨みつけるビビアン様が立っていたのです。

 
 
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