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第二部
チェント男爵令息side
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「旦那様がお見えになっていますよ」
サントの出迎えと同時に知らされた父の訪問。
俺は着替えをすませるとダイニングルームへと足を運んだ。
「父上、久しぶりですね」
ノックをして部屋に入ると壁に飾ってあった絵画を眺めていた父に声をかける。
「ああ。今日はお邪魔してるよ」
自分の邸でもあるのに、他人行儀な言い方に苦笑いしてしまう。父にとってはここはまだ自分にそぐわない邸なのだろう。
「これを見ていたのですね」
父の隣に来ると俺も一緒に絵画を眺める。
川岸に植えられた樹木に薄ピンクの花が咲き誇っている。花の名前は桜というらしい。この国では見かけない珍しい花だ。遠い先祖の故郷の景色を描いたもの。形見として大事にしている。故郷の国はジュラン皇国という。
その昔、まだ我が国と国交があった頃にうちの先祖と恋に落ちた皇国の貴族令嬢。輿入れした令嬢は一度も故郷に帰ることなく、一生をこの地で過ごした。
俺達にはジュラン皇国の貴族の血が入っている。年月が経った今となっては微量ではあるかもしれないが。そのせいか、ジュラン皇国にずっと憧れを持っていた。
「わかったのか?」
「そうですね。まずはフィンディス国の永住権が必要ですね。次に必要な書類と渡航許可書の申請を出して審査が行われる。審査の内容は極秘だそうで何が基準なのか一切わからないそうです」
「そうか」
俺達は何年も前から、ジュラン皇国への渡航を模索していた。現在、国交があるのはフィンディス国のみ。しかも限られた地域でしか行われておらず、ましてやあちらの国に渡るには厳しい審査があると聞いていた。
「永住権か。まずはそこからして厳しいな」
父上が渋い顔をしてため息をもらした。
永住権を獲得するには最低でも五年はその国に住まなくてはいけない。そのうえで仕事の拠点を置いて税金を納めること。その金額や国への貢献具合に応じて永住権の申請条件も変わってくるのだ。他にも細かな規定がある。それをクリアしてやっとスタートに立てる。
「そうですね。ジュラン皇国が徹底して国交を制限してますからね。無理ないかもしれません」
「わかっていたことだからな。しかし、道のりは遠いなあ」
絵画を眺めたまま、遥か先の途方もない夢を見ているような思いに気が遠くなった。
先祖の故郷ジュラン皇国。一度は訪れたいと願うようになったのは、いつの頃からなのか思い出せないが、絵画を見るたびに懐かしいような恋しいような不思議な思いに駆られていた。
それは父上も同じだったようで、思いを共有してからは、二人の夢となったのだ。
ジュラン皇国の地を踏む。
このための方法をずっと模索していた。道のりは遠いがいつかきっと……
立ったまま話しているところへ食事が運ばれてくる。俺達はテーブルに着いた。
最近は仕事の関係でこの邸に落ち着いている。父上は相変わらず旧邸で残り少なくなった日々を過ごしていた。だから、時々、こちらに来て近況を伝えあっていた。
「そういえば、リリアの侯爵夫人教育は上手くいっているんですか?」
「うーん。苦労しているみたいだったな」
「そうなんですか」
うちでも手を焼いたのだから、侯爵家はもっと無理かもしれない。男爵家と侯爵家では格が違う。簡単なマナーや教養ですませられるような身分ではないからな。
「マナー教師などつけなかったのかと言われたが、無理だったと言っておいた」
「その通りですからね。嘘は通用しないでしょうし、見ればすぐわかりますからね」
「テンネル侯爵夫人も講師を雇って教育してくれているようだが、なんにせよ本人のやる気がないようでは、救いようもないな」
呆れたように頭を小さく振って落胆する父上に、俺もため息が出た。
困ったものだな。
ブルーバーグ侯爵家のリヴェール商会との取引もうまくいき、順風満帆といってもいいくらいに仕事も順調なのだが、唯一の頭痛の種がリリアだった。
「夫人教育をしているということは、リリアを次期侯爵夫人にするということなんですかね?」
婚約をした当初は、侯爵側にはそこまでの意欲は感じられなかったのだが、ここに来て教育に力を入れだしたのはどうしてなんだろうか。疑問が湧き上がる。
「その準備があるということなんだろう。毎週末に侯爵家に呼ばれているところをみるとな。しばらく預からせてほしいとのことだから、任せるしかあるまい」
「そうですね。ゆくゆくは侯爵家に嫁入りする身ですから、あちらの申し出に異を唱えることはしませんが。ただ、大丈夫なんですかね? 怠惰的なリリアの事、侯爵家に迷惑をかけていなければいいのですが」
「かけているのだろうな。カリキュラムも見せてもらったが、成果が出ていないことはうちで見ていてもわかる。テーブルマナー一つ満足に習得できていない」
なんというか、言葉が見つからない。唖然とするばかりだ。
俺はこちらの邸に帰るから、リリアの様子などわからないが、毎日目にする父上はさぞ心苦しいだろう。元平民とはいっても酷すぎるな。
郷に入っては郷に従え。与えられた立場に恥じないように普通は努力をするものだが……
エドガー殿もリリアのどこがよかったのだろう? テンネル侯爵家はジョーカーを掴まされたようなものだな。
我が身内ではあるが、同情してしまう。
「近いうちにテンネル家に面会をお願いしてみようと思っている」
「面会ですか?」
「ああ。ジェフリー、このまま、婚約を続けていいと思っているか?」
「現状を聞く限りはあまり賛成はできませんね。侯爵家の恥になる可能性の方が高いですからね」
「そうだろう? あまりにも酷すぎるからな。いざというときは、婚約を解消または白紙に戻しても構わないと話してこようと思っている」
「それが無難でしょうね。こちらにその覚悟があるとわかってもらえれば、あちらの苦労も少しは減るかもしれませんね。俺も賛成します。それから、面会する時には俺も行きます。父上だけに負担をかけるわけにはいきませんからね。連帯責任ですから」
いつもリリアのことを任せっぱなしだから、こんなときぐらいは役に立たないとな。仕事で苦労するのは厭わないが、身内のごたごたで苦労はしたくないのだが。
本当に、仏心なんて出すもんじゃないな。リリアを引き取って何度目かの後悔に乾いた笑いしか出てこなかった。
サントの出迎えと同時に知らされた父の訪問。
俺は着替えをすませるとダイニングルームへと足を運んだ。
「父上、久しぶりですね」
ノックをして部屋に入ると壁に飾ってあった絵画を眺めていた父に声をかける。
「ああ。今日はお邪魔してるよ」
自分の邸でもあるのに、他人行儀な言い方に苦笑いしてしまう。父にとってはここはまだ自分にそぐわない邸なのだろう。
「これを見ていたのですね」
父の隣に来ると俺も一緒に絵画を眺める。
川岸に植えられた樹木に薄ピンクの花が咲き誇っている。花の名前は桜というらしい。この国では見かけない珍しい花だ。遠い先祖の故郷の景色を描いたもの。形見として大事にしている。故郷の国はジュラン皇国という。
その昔、まだ我が国と国交があった頃にうちの先祖と恋に落ちた皇国の貴族令嬢。輿入れした令嬢は一度も故郷に帰ることなく、一生をこの地で過ごした。
俺達にはジュラン皇国の貴族の血が入っている。年月が経った今となっては微量ではあるかもしれないが。そのせいか、ジュラン皇国にずっと憧れを持っていた。
「わかったのか?」
「そうですね。まずはフィンディス国の永住権が必要ですね。次に必要な書類と渡航許可書の申請を出して審査が行われる。審査の内容は極秘だそうで何が基準なのか一切わからないそうです」
「そうか」
俺達は何年も前から、ジュラン皇国への渡航を模索していた。現在、国交があるのはフィンディス国のみ。しかも限られた地域でしか行われておらず、ましてやあちらの国に渡るには厳しい審査があると聞いていた。
「永住権か。まずはそこからして厳しいな」
父上が渋い顔をしてため息をもらした。
永住権を獲得するには最低でも五年はその国に住まなくてはいけない。そのうえで仕事の拠点を置いて税金を納めること。その金額や国への貢献具合に応じて永住権の申請条件も変わってくるのだ。他にも細かな規定がある。それをクリアしてやっとスタートに立てる。
「そうですね。ジュラン皇国が徹底して国交を制限してますからね。無理ないかもしれません」
「わかっていたことだからな。しかし、道のりは遠いなあ」
絵画を眺めたまま、遥か先の途方もない夢を見ているような思いに気が遠くなった。
先祖の故郷ジュラン皇国。一度は訪れたいと願うようになったのは、いつの頃からなのか思い出せないが、絵画を見るたびに懐かしいような恋しいような不思議な思いに駆られていた。
それは父上も同じだったようで、思いを共有してからは、二人の夢となったのだ。
ジュラン皇国の地を踏む。
このための方法をずっと模索していた。道のりは遠いがいつかきっと……
立ったまま話しているところへ食事が運ばれてくる。俺達はテーブルに着いた。
最近は仕事の関係でこの邸に落ち着いている。父上は相変わらず旧邸で残り少なくなった日々を過ごしていた。だから、時々、こちらに来て近況を伝えあっていた。
「そういえば、リリアの侯爵夫人教育は上手くいっているんですか?」
「うーん。苦労しているみたいだったな」
「そうなんですか」
うちでも手を焼いたのだから、侯爵家はもっと無理かもしれない。男爵家と侯爵家では格が違う。簡単なマナーや教養ですませられるような身分ではないからな。
「マナー教師などつけなかったのかと言われたが、無理だったと言っておいた」
「その通りですからね。嘘は通用しないでしょうし、見ればすぐわかりますからね」
「テンネル侯爵夫人も講師を雇って教育してくれているようだが、なんにせよ本人のやる気がないようでは、救いようもないな」
呆れたように頭を小さく振って落胆する父上に、俺もため息が出た。
困ったものだな。
ブルーバーグ侯爵家のリヴェール商会との取引もうまくいき、順風満帆といってもいいくらいに仕事も順調なのだが、唯一の頭痛の種がリリアだった。
「夫人教育をしているということは、リリアを次期侯爵夫人にするということなんですかね?」
婚約をした当初は、侯爵側にはそこまでの意欲は感じられなかったのだが、ここに来て教育に力を入れだしたのはどうしてなんだろうか。疑問が湧き上がる。
「その準備があるということなんだろう。毎週末に侯爵家に呼ばれているところをみるとな。しばらく預からせてほしいとのことだから、任せるしかあるまい」
「そうですね。ゆくゆくは侯爵家に嫁入りする身ですから、あちらの申し出に異を唱えることはしませんが。ただ、大丈夫なんですかね? 怠惰的なリリアの事、侯爵家に迷惑をかけていなければいいのですが」
「かけているのだろうな。カリキュラムも見せてもらったが、成果が出ていないことはうちで見ていてもわかる。テーブルマナー一つ満足に習得できていない」
なんというか、言葉が見つからない。唖然とするばかりだ。
俺はこちらの邸に帰るから、リリアの様子などわからないが、毎日目にする父上はさぞ心苦しいだろう。元平民とはいっても酷すぎるな。
郷に入っては郷に従え。与えられた立場に恥じないように普通は努力をするものだが……
エドガー殿もリリアのどこがよかったのだろう? テンネル侯爵家はジョーカーを掴まされたようなものだな。
我が身内ではあるが、同情してしまう。
「近いうちにテンネル家に面会をお願いしてみようと思っている」
「面会ですか?」
「ああ。ジェフリー、このまま、婚約を続けていいと思っているか?」
「現状を聞く限りはあまり賛成はできませんね。侯爵家の恥になる可能性の方が高いですからね」
「そうだろう? あまりにも酷すぎるからな。いざというときは、婚約を解消または白紙に戻しても構わないと話してこようと思っている」
「それが無難でしょうね。こちらにその覚悟があるとわかってもらえれば、あちらの苦労も少しは減るかもしれませんね。俺も賛成します。それから、面会する時には俺も行きます。父上だけに負担をかけるわけにはいきませんからね。連帯責任ですから」
いつもリリアのことを任せっぱなしだから、こんなときぐらいは役に立たないとな。仕事で苦労するのは厭わないが、身内のごたごたで苦労はしたくないのだが。
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