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第二部
テンネル侯爵夫人side⑤
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一人悶々としていても気持ちが晴れることはない。気が紛れるかと思い忙しく働いても先ほどの水やりにしても一時の癒しにはなってもそれは一時しのぎ。
落ち込む気持ちはなくならない。
姉に話を聞いてもらったら少しは心が軽くなるかしら。
「べスも時を巻き戻したいと思うようなことがあるの?」
姉が小首を傾げて尋ねた。
「ええ。卒業パーティーですわ」
意を決したわたくしは紅茶を飲んで喉を潤すと姿勢を正して打ち明けた。心の内を曝け出してしまえば楽になるかもしれない。こんなこと他の誰にも相談できないわ。
「リリアさんの件で頭を悩ませているところなんです」
「そうね。わたくしも噂は聞いたわ。テンネル侯爵家にも気の毒な事になったわね」
「お姉様の耳にも入っているのですね。社交界も騒がしいのかしら?」
「噂にはなっているようよ。ベスには申し訳ないけれど王族を巻き込んだ醜聞ですもの。噂にならない方がおかしいわ」
「そうですよね」
あの日以来、わたくしはお茶会や夜会には参加していない。
この間までシュミット公爵家のスキャンダルが社交界を席巻していたのに、リリアさんのスキャンダルが上書きされて今ではすっかり時の人となっているらしい。
「わたくしもね。落ち込んでしまったのよ。しばらく立ち直れなかったわ」
「お姉様が? どうしてですか?」
「わたくしなりに頑張ったつもりだったのに、侯爵夫人教育の成果が出なかったのですもの」
目の前には遠い目をした姉がいた。
少しずつ良くなっていたから希望の光が見えてきたところだったのに、一瞬にして水泡に帰してしまった。姉には申し訳ないことをしてしまったわ。
「わかります。実践不足はわかっていましたが、よりによって王族と揉め事を起こすとは思わなかったわ」
「本当に、そうよねえ。わたくしも聞いた時は吃驚したもの」
「礼儀作法もまだ怪しい段階なのに、何故王族の方々と関わってしまったのかしら。彼女は男爵令嬢、普通は接点なんてないわ。それを……」
頭が痛くなってきたわ。
事の経緯はチェント男爵から聞いた。その時のなんとも気まずい空気。お互い居た堪れなかったわ。
「エドガーはどうしていたの? そばにいなかったの?」
「それが、エドガーはリリアさんと離れて友人達と庭園にいたらしく騒ぎには気づかなかったと。わたくしも主人も別の場所にいたので騒ぎを知ったのは終盤頃。それに遠目だったから何が起きたのか詳しいことはわからなかったわ」
わたくしたちもチェント男爵もエドガーと一緒だからと安心していた。二人でいればバカなことはしないだろうと思っていたし、卒業パーティーで問題など起ころうはずもないと高を括っていた。
というより、どうやったら問題を起こせるのだろう。
中には羽目を外す者はいる。例えば、悪酔いしてちょっと絡んで管を巻くといったちょっとしたいざこざはあるけれど、すぐに収まる程度。社交界を騒がせるようなスキャンダルにはならない。
それなのに……
エドガーが目を離した隙にリチャード殿下に近づき無礼を働いて王太子両殿下の不興を買うなど、言語道断。
「たまたま偶然が重なってタイミングが悪かったのね。それにしてもある意味アグレッシブだわね。物怖じしないことは悪いことではないけれど、慎重になって欲しかったわ。お相手は王族ですもの。言葉遣いも態度も気をつけてほしかったわね。学習したことを思い出してもらえれば何とかなったかもしれないのに。残念だわ」
「リチャード殿下は嫌がっていらしたそうなので、その時点で謝罪していたら大事にならなかったのに」
引き際を間違えた結果。
「リリア嬢は殿下の遊び相手になりたかったようだけれど、殿下は拒否なさったのよね? 彼女にとっては善意かもしれない。だけれども、人の気持ちに鈍感すぎるのも考えものね」
王族と知って遊び相手になろうなんて烏滸がましい。そのことに気づかない彼女に失望してしまった。
貴族社会は単純ではない。階級、縁戚関係、交友関係、仕事関係などしがらみも多く関係も複雑だ。それを理解しないと足元を掬われることになりかねない。ましてや己の身分も考えず王族に近づくなんて愚かだわ。礼儀を弁えているならまだしも、平民のような気安い態度では不興を買うのは当然の事。
巻き戻せるなら、巻き戻したい。卒業パーティーが始まる前に。それが叶うのならどんなにいいか。
「どんなに願っても時は戻せませんものね。お姉様、実はリリアさんとの婚約は白紙に戻ったんです」
「え? そうなの?」
「はい。男爵家から、侯爵家に迷惑をかけるわけにはいかないとの申し出を受けて、こちらも承諾しました」
「それは、致し方ないことかもしれないわね」
姉は納得した顔で紅茶を口にした。
今回の失態以上の失態は社交界に知れ渡っているでしょう。王族への無礼なふるまいはあってはならないこと。高位貴族の嫁としては失格だわ。
テンネル侯爵家の評判にも関わるだろうし仕事に差し支えがあってはいけない。エドガーの気持ちも考慮してあげたいけれど、家の存続も考えると問題児を抱え込むのもリスクが大きい。
色々意見を交わしながら主人とも話し合いを重ねていた。
何日も頭を悩ませているところにチェント男爵家からの白紙撤回の申し入れがきた。彼女を扱いきれないことは目に見えていたので承諾した。
「それでリリア嬢はどうなったのかしら?」
「リリアさんは貴族籍を抜けてコンドール修道院へ行くことになったそうですわ」
「除籍ってことは平民になるってことよね。思い切ったことをなさったのね」
「平民の方が幸せになれるだろうからとのことでしたわ。コンドール修道院は職業訓練もあって、社会復帰の道もありますからね」
男爵はリリアさんが平民としても暮らしていけるように考えたのかもしれない。
「そうね。でも、大きな代償となったわね。そういえば、エドガーはどうなの? 元気にしているのかしら」
「それが……」
エドガーと聞いて言い淀む。わたくしにとってこれが一番の大問題なのだった。
「婚約が白紙になった事がショックだったみたいで、部屋に閉じこもったまま出て来ないんです」
「まあ……」
姉は瞠目して黙ってしまった。
白紙撤回を話をした時は手が付けられないくらい大暴れをして大変だった。部屋の物を手あたり次第投げつけ壊しまくって手に負えず、それが治まると一言も口をきかず部屋から一歩も出なくなってしまった。今も引き籠り生活を続けている。
「相当なショックだったのね。でも、それでは困るでしょう?」
「そうなんです。学園も卒業して仕事を覚えてもらおうとしていた矢先ですからね。これでは使いものにならないわ。次期当主としての役割もあるのに」
わたくしたちはほとほと困っていた。いつまでも失恋に浸っていてもらっては何も進まない。早く立ち直ってくれるといいのだけれど、そうでなければ。
「この状態が続けば、エドガーは廃嫡してスティールに後を継がせようと思っています」
「スティールは拒んでいるのではなかった?」
「ええ。そうなんですけれど。事情を説明して説得するつもりですわ」
「そうね。それしかないかもしれないわね」
後継者問題までに発展するなんて、一人の令嬢にこれほど引っ掻き回されるとは思ってもいなかった。
落ち込む気持ちはなくならない。
姉に話を聞いてもらったら少しは心が軽くなるかしら。
「べスも時を巻き戻したいと思うようなことがあるの?」
姉が小首を傾げて尋ねた。
「ええ。卒業パーティーですわ」
意を決したわたくしは紅茶を飲んで喉を潤すと姿勢を正して打ち明けた。心の内を曝け出してしまえば楽になるかもしれない。こんなこと他の誰にも相談できないわ。
「リリアさんの件で頭を悩ませているところなんです」
「そうね。わたくしも噂は聞いたわ。テンネル侯爵家にも気の毒な事になったわね」
「お姉様の耳にも入っているのですね。社交界も騒がしいのかしら?」
「噂にはなっているようよ。ベスには申し訳ないけれど王族を巻き込んだ醜聞ですもの。噂にならない方がおかしいわ」
「そうですよね」
あの日以来、わたくしはお茶会や夜会には参加していない。
この間までシュミット公爵家のスキャンダルが社交界を席巻していたのに、リリアさんのスキャンダルが上書きされて今ではすっかり時の人となっているらしい。
「わたくしもね。落ち込んでしまったのよ。しばらく立ち直れなかったわ」
「お姉様が? どうしてですか?」
「わたくしなりに頑張ったつもりだったのに、侯爵夫人教育の成果が出なかったのですもの」
目の前には遠い目をした姉がいた。
少しずつ良くなっていたから希望の光が見えてきたところだったのに、一瞬にして水泡に帰してしまった。姉には申し訳ないことをしてしまったわ。
「わかります。実践不足はわかっていましたが、よりによって王族と揉め事を起こすとは思わなかったわ」
「本当に、そうよねえ。わたくしも聞いた時は吃驚したもの」
「礼儀作法もまだ怪しい段階なのに、何故王族の方々と関わってしまったのかしら。彼女は男爵令嬢、普通は接点なんてないわ。それを……」
頭が痛くなってきたわ。
事の経緯はチェント男爵から聞いた。その時のなんとも気まずい空気。お互い居た堪れなかったわ。
「エドガーはどうしていたの? そばにいなかったの?」
「それが、エドガーはリリアさんと離れて友人達と庭園にいたらしく騒ぎには気づかなかったと。わたくしも主人も別の場所にいたので騒ぎを知ったのは終盤頃。それに遠目だったから何が起きたのか詳しいことはわからなかったわ」
わたくしたちもチェント男爵もエドガーと一緒だからと安心していた。二人でいればバカなことはしないだろうと思っていたし、卒業パーティーで問題など起ころうはずもないと高を括っていた。
というより、どうやったら問題を起こせるのだろう。
中には羽目を外す者はいる。例えば、悪酔いしてちょっと絡んで管を巻くといったちょっとしたいざこざはあるけれど、すぐに収まる程度。社交界を騒がせるようなスキャンダルにはならない。
それなのに……
エドガーが目を離した隙にリチャード殿下に近づき無礼を働いて王太子両殿下の不興を買うなど、言語道断。
「たまたま偶然が重なってタイミングが悪かったのね。それにしてもある意味アグレッシブだわね。物怖じしないことは悪いことではないけれど、慎重になって欲しかったわ。お相手は王族ですもの。言葉遣いも態度も気をつけてほしかったわね。学習したことを思い出してもらえれば何とかなったかもしれないのに。残念だわ」
「リチャード殿下は嫌がっていらしたそうなので、その時点で謝罪していたら大事にならなかったのに」
引き際を間違えた結果。
「リリア嬢は殿下の遊び相手になりたかったようだけれど、殿下は拒否なさったのよね? 彼女にとっては善意かもしれない。だけれども、人の気持ちに鈍感すぎるのも考えものね」
王族と知って遊び相手になろうなんて烏滸がましい。そのことに気づかない彼女に失望してしまった。
貴族社会は単純ではない。階級、縁戚関係、交友関係、仕事関係などしがらみも多く関係も複雑だ。それを理解しないと足元を掬われることになりかねない。ましてや己の身分も考えず王族に近づくなんて愚かだわ。礼儀を弁えているならまだしも、平民のような気安い態度では不興を買うのは当然の事。
巻き戻せるなら、巻き戻したい。卒業パーティーが始まる前に。それが叶うのならどんなにいいか。
「どんなに願っても時は戻せませんものね。お姉様、実はリリアさんとの婚約は白紙に戻ったんです」
「え? そうなの?」
「はい。男爵家から、侯爵家に迷惑をかけるわけにはいかないとの申し出を受けて、こちらも承諾しました」
「それは、致し方ないことかもしれないわね」
姉は納得した顔で紅茶を口にした。
今回の失態以上の失態は社交界に知れ渡っているでしょう。王族への無礼なふるまいはあってはならないこと。高位貴族の嫁としては失格だわ。
テンネル侯爵家の評判にも関わるだろうし仕事に差し支えがあってはいけない。エドガーの気持ちも考慮してあげたいけれど、家の存続も考えると問題児を抱え込むのもリスクが大きい。
色々意見を交わしながら主人とも話し合いを重ねていた。
何日も頭を悩ませているところにチェント男爵家からの白紙撤回の申し入れがきた。彼女を扱いきれないことは目に見えていたので承諾した。
「それでリリア嬢はどうなったのかしら?」
「リリアさんは貴族籍を抜けてコンドール修道院へ行くことになったそうですわ」
「除籍ってことは平民になるってことよね。思い切ったことをなさったのね」
「平民の方が幸せになれるだろうからとのことでしたわ。コンドール修道院は職業訓練もあって、社会復帰の道もありますからね」
男爵はリリアさんが平民としても暮らしていけるように考えたのかもしれない。
「そうね。でも、大きな代償となったわね。そういえば、エドガーはどうなの? 元気にしているのかしら」
「それが……」
エドガーと聞いて言い淀む。わたくしにとってこれが一番の大問題なのだった。
「婚約が白紙になった事がショックだったみたいで、部屋に閉じこもったまま出て来ないんです」
「まあ……」
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「相当なショックだったのね。でも、それでは困るでしょう?」
「そうなんです。学園も卒業して仕事を覚えてもらおうとしていた矢先ですからね。これでは使いものにならないわ。次期当主としての役割もあるのに」
わたくしたちはほとほと困っていた。いつまでも失恋に浸っていてもらっては何も進まない。早く立ち直ってくれるといいのだけれど、そうでなければ。
「この状態が続けば、エドガーは廃嫡してスティールに後を継がせようと思っています」
「スティールは拒んでいるのではなかった?」
「ええ。そうなんですけれど。事情を説明して説得するつもりですわ」
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