5 / 30
第2章
チャンスと気苦労
しおりを挟む
四日目の午後三時、蓮十郎の楽屋に呼ばれて行くと、なぜか大量の飴を出してくれたので、呼ばれながら話を聞く。
「綾ちゃん、来月の花形歌舞伎やけどな。僕から専務に頼んで、綾ちゃんお庄にしたよって、よう頼んますわ」
「……は?」
「あれ? 来月な、『河庄』を出すねや。聞いてへんか?」
「いや、そりゃ聞いとります。せやけどうちは、お庄は三也さんと伺ってますが」
「そやってんけど、変えたんや」
「……は?」
「お父さんがな、来月の綾ちゃんの役がしょうもなすぎる! 言うて怒らはったんや。そんなん言うてもしゃあないねんけど、お父さんにも逆らえへんやろ? そやから、いやぁ、僕も失敗した思てますねん、とかそれなりに話合わせとったんやけどな、あんた座頭なんやから会社に言い、とか言わはって、いや、でもそんなん今更無理ですよ、とか色々僕も抵抗したんやけど、まあ、お父さんも専務もすっかり乗り気でな、僕がぼうっとしてる間に綾之助がお庄ってことで決着がついてしもうてん」
聞くだに恐ろしい話で、綾之助は黙り込んでしまった。どうやら自分は知らぬ間に、和泉屋の御曹司、大竹三也の役を奪ってしまったようなのである。
「安心しぃや、綾ちゃん。三也さんには、小春やってもらうことになったから。小春演る予定やった知八さんには、ちょっと今回は涙を飲んでもらうということで。でも、お父さんが知八さんを先斗町から宮川町まで連れ回して遊ばせてあげるちゅうことで知八さんも納得しはったし、こっちも大丈夫やで。ま、一応あとで謝っといてぇや」
さらに、知八の役まで結果的に奪ったらしい。蓮十郎の感覚では、身内だからいいやという程度だろうが、綾之助からすれば主家筋である。
「あの…、それはもう、決まってしまったんでしょうか。今からでも元には戻りませんか」
「あかんわいな、そんなん。専務もな、最初はさすがに渋ってはったんやけど、なんか途中から、綾之助まだ若いから無理やと思うけど、万が一お庄がすごい良かったらどないしょう、とか言いだしはって、僕がな、綾ちゃんはがむしゃらに、一本筋の通ったええお庄を見せますよ、言うたら、そうかぁ、それは見たいな、三也には悪いけど、まあ、是非に及ばずやな、言うて超乗り気で三也さん口説きにいかはったで」
「ひぃ!」
周りの期待度が高すぎて、綾之助は思わず悲鳴を上げた。
「まあ、そういうことやからよう頼んますわ」
いつもながらの鷹揚な態度を少しも崩さない蓮十郎を綾之助は少し恨めしく思った。
蓮十郎から貰った飴で浴衣の袂を膨らませたまま廊下をトボトボと歩いた。えらいことになった。
しかし途方に暮れている時間はない。各所に挨拶に回らなければならない。まずはなにを差し置いても、師匠である紋司郎のところへ報告に行く。
楽屋へ行くと、紋司郎が今や遅しと綾之助を待っていた。
「まずは和泉屋さんにご挨拶やな」
和泉屋当主・大竹音右衛門のところには、紋司郎が一緒に挨拶に行ってくれた。
「兄さん。この度はえらいご迷惑をおかけして、」
紋司郎が切り出すのを遮って、音右衛門は、
「そんな何回もよろしいがな、かたっくるしい」
などと言ったので、紋司郎が今回の件に一枚噛んでいることを綾之助は確信した。確かにいくら幸弥親子が自由人とは言っても、当主を無視して事を進めることは不可能だ。綾之助が知らない間に色々と骨を折ってくれていたものらしい。
「ご面倒をおかけしてすみません」
楽屋に戻ってから手をついて謝ったら、紋司郎は言った。
「あんた、弟子の世話すんのが面倒やったら、弟子なんか持たれへんで」
身内には自分で挨拶に行く。まず骨を折ってくれた幸弥のところへ行くと開口一番
「迷惑やと思てるでしょ」
と言われて、返事に窮した。
「いえ、そんなことは!」
ちょっと思てるけど。
でも心底ではそうではない。ありがたいと思っている。綾之助のような平名題が、脇役とは言え重要な役であるお庄を演じられることは、なかなかないことである。
「こんな機会を与えていただけて、ホンマにありがたいと思てます」
「そうか。頑張りなさいよ」
「はい」
「綾之助さん、知八に挨拶するときはな、手作りクッキーでも持っていったら、それで機嫌治りますから」
「……はぁ…?」
「騙されたと思って持っていき。手作りやで! 手作りクッキー!」
手作りを連呼する幸弥であった。
「綾ちゃん、来月の花形歌舞伎やけどな。僕から専務に頼んで、綾ちゃんお庄にしたよって、よう頼んますわ」
「……は?」
「あれ? 来月な、『河庄』を出すねや。聞いてへんか?」
「いや、そりゃ聞いとります。せやけどうちは、お庄は三也さんと伺ってますが」
「そやってんけど、変えたんや」
「……は?」
「お父さんがな、来月の綾ちゃんの役がしょうもなすぎる! 言うて怒らはったんや。そんなん言うてもしゃあないねんけど、お父さんにも逆らえへんやろ? そやから、いやぁ、僕も失敗した思てますねん、とかそれなりに話合わせとったんやけどな、あんた座頭なんやから会社に言い、とか言わはって、いや、でもそんなん今更無理ですよ、とか色々僕も抵抗したんやけど、まあ、お父さんも専務もすっかり乗り気でな、僕がぼうっとしてる間に綾之助がお庄ってことで決着がついてしもうてん」
聞くだに恐ろしい話で、綾之助は黙り込んでしまった。どうやら自分は知らぬ間に、和泉屋の御曹司、大竹三也の役を奪ってしまったようなのである。
「安心しぃや、綾ちゃん。三也さんには、小春やってもらうことになったから。小春演る予定やった知八さんには、ちょっと今回は涙を飲んでもらうということで。でも、お父さんが知八さんを先斗町から宮川町まで連れ回して遊ばせてあげるちゅうことで知八さんも納得しはったし、こっちも大丈夫やで。ま、一応あとで謝っといてぇや」
さらに、知八の役まで結果的に奪ったらしい。蓮十郎の感覚では、身内だからいいやという程度だろうが、綾之助からすれば主家筋である。
「あの…、それはもう、決まってしまったんでしょうか。今からでも元には戻りませんか」
「あかんわいな、そんなん。専務もな、最初はさすがに渋ってはったんやけど、なんか途中から、綾之助まだ若いから無理やと思うけど、万が一お庄がすごい良かったらどないしょう、とか言いだしはって、僕がな、綾ちゃんはがむしゃらに、一本筋の通ったええお庄を見せますよ、言うたら、そうかぁ、それは見たいな、三也には悪いけど、まあ、是非に及ばずやな、言うて超乗り気で三也さん口説きにいかはったで」
「ひぃ!」
周りの期待度が高すぎて、綾之助は思わず悲鳴を上げた。
「まあ、そういうことやからよう頼んますわ」
いつもながらの鷹揚な態度を少しも崩さない蓮十郎を綾之助は少し恨めしく思った。
蓮十郎から貰った飴で浴衣の袂を膨らませたまま廊下をトボトボと歩いた。えらいことになった。
しかし途方に暮れている時間はない。各所に挨拶に回らなければならない。まずはなにを差し置いても、師匠である紋司郎のところへ報告に行く。
楽屋へ行くと、紋司郎が今や遅しと綾之助を待っていた。
「まずは和泉屋さんにご挨拶やな」
和泉屋当主・大竹音右衛門のところには、紋司郎が一緒に挨拶に行ってくれた。
「兄さん。この度はえらいご迷惑をおかけして、」
紋司郎が切り出すのを遮って、音右衛門は、
「そんな何回もよろしいがな、かたっくるしい」
などと言ったので、紋司郎が今回の件に一枚噛んでいることを綾之助は確信した。確かにいくら幸弥親子が自由人とは言っても、当主を無視して事を進めることは不可能だ。綾之助が知らない間に色々と骨を折ってくれていたものらしい。
「ご面倒をおかけしてすみません」
楽屋に戻ってから手をついて謝ったら、紋司郎は言った。
「あんた、弟子の世話すんのが面倒やったら、弟子なんか持たれへんで」
身内には自分で挨拶に行く。まず骨を折ってくれた幸弥のところへ行くと開口一番
「迷惑やと思てるでしょ」
と言われて、返事に窮した。
「いえ、そんなことは!」
ちょっと思てるけど。
でも心底ではそうではない。ありがたいと思っている。綾之助のような平名題が、脇役とは言え重要な役であるお庄を演じられることは、なかなかないことである。
「こんな機会を与えていただけて、ホンマにありがたいと思てます」
「そうか。頑張りなさいよ」
「はい」
「綾之助さん、知八に挨拶するときはな、手作りクッキーでも持っていったら、それで機嫌治りますから」
「……はぁ…?」
「騙されたと思って持っていき。手作りやで! 手作りクッキー!」
手作りを連呼する幸弥であった。
0
あなたにおすすめの小説
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
寂しいを分け与えた
こじらせた処女
BL
いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。
昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
分厚いメガネ令息の非日常
餅粉
BL
「こいつは俺の女だ。手を出したらどうなるかわかるよな」
「シノ様……素敵!」
おかしい。おかしすぎる!恥ずかしくないのか?高位貴族が平民の女学生に俺の女ってしかもお前は婚約者いるだろうが!!
その女学生の周りにはお慕いしているであろう貴族数名が立っていた。
「ジュリーが一番素敵だよ」
「そうだよ!ジュリーが一番可愛いし美人だし素敵だよ!!」
「……うん。ジュリーの方が…素敵」
ほんと何この状況、怖い!怖いすぎるぞ!あと妙にキモい
「先輩、私もおかしいと思います」
「だよな!」
これは真面目に学生生活を送ろうとする俺の日常のお話
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる