歌舞伎役者に恋をしました。

野咲

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第2章

壽 新春大歌舞伎

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 師走の顔見世は大入り続きで無事千穐楽を終え、慌ただしく新年を迎えたら、すぐに今年最初の舞台の幕が開く。

 今月の大坂竹田座は東京の役者、中村竹助なかむらたけすけが座頭である。
 東京の役者が上方で興行を打つときは脇に上方の歌舞伎役者を置いてご当地のご贔屓を呼び込むことが多いが、そういったことを抜きにしても、この竹助という人は二代目井筒幸弥が大のお気に入りで、義太夫狂言ならば、名古屋でも博多でも東京でも幸弥を使いたがる。
 今回は義経千本桜の大役、知盛を竹助が演じ、典侍の局を幸弥が勤める。

 夜の部のみ出演の幸弥が出勤してきたところへ綾之助が挨拶に行くと、竹助が楽屋に来ていたので出直そうとしたが、幸弥に呼び止められて、部屋の隅に座った。綾之助の隣には、幸弥の養子の蓮十郎れんじゅうろうもいて、楽しそうに喋る竹助と幸弥をぼうっと眺めていた。
「もうね、幸弥兄さんが舞台の上にいるってだけで、わたしゃすばらしい演技ができるんですよ」
「ほんに竹助くんは口が上手いわぁ」
 喜びを隠さずに笑う幸弥に、「いやいや、これは本当です」と畳み掛ける竹助。非常に仲が良い。蓮十郎も綾之助も、なんとなく会話の中に入れずにいた。
 暇を持て余した蓮十郎が、綾之助に話しかける。
「綾ちゃん、僕な、たまにお父さんと竹助兄さんは付きおうてるんちゃうかと、思う時があるねん」
「え、ええ!」
 蓮十郎が本人を目の前に、しれっとすごいことを言い出したので、綾之助は慌てた。地獄耳の幸弥が聞きとがめる。
「これ、蓮十郎。なんちゅう失礼なこと言うんや。竹助くんみたいな色男がこんなおじいちゃん相手にするわけないわいな」
「いやあ、蓮十郎さんは嬉しいこと言ってくれるねぇ! 私も一度くらいは幸弥兄さんみたいなきれいな人と付き合ってみたいよ」
「竹助兄さんやったらいけますわ。お兄さんは、ほんまにお父さんの好みのタイプやさかい」
 真剣な顔でそんなことを言う蓮十郎は、どこまで冗談かよくわからない。
「嫌やわ、この子は。何言いますの。竹助くんはね、若い人が好きなんよ。せや、綾之助なんか割とタイプでしょ?」
「え!」
 綾之助はとっさのことに言うべき言葉も思いつかなかった。この人たちの会話は綾之助にはレベルが高すぎる。
「確かにきれいな顔だよねぇ。ま、幸弥兄さんと甲乙つけがたいところだね」
「あれあれ、またもお上手」
「分かりました。もう言いませんよ。心の中で思うだけでとどめます」
「いややわぁ、もう」
 なんなんやろう、このいたたまれない空間は。
 綾之助は早くこの場を離れたい気持ちでいっぱいいっぱいだった。
「あんまり長居してもいけませんね。では兄さん、蓮十郎さん、綾之助くんも。どうぞよろしくお願いします」
 一通り話が盛り上がったあとに、竹助はそう言って立ち上がった。
「はいはい、こちらこそ、あんじょう頼みます」
「どうぞよろしくお願いします」
 竹助はあがり口のところでもう一度幸弥にしっかりとお辞儀をして、蓮十郎と綾之助にもそれは美しい笑みを向けてから立ち去っていった。イキだなぁ、と綾之助は思う。大阪者では、ああすっきりとはいかない。
「幸弥の旦那。今月もお世話になります」
「綾之助さんは今月は気楽でええわな」
「はい。もう、先月はえらかったです」
「そのえらい思いを今月は私がすんねんで。あーしんど」
「後ろから勉強させてもらいます」
 笑いながら、綾之助は返した。今月、綾之助は官女の一人。セリフも少ない。
「あなたは南座の顔見世ちゅう大舞台で芯を務めたんや。心構えも変わったでしょう。その経験を活かして、周りを引っ張ったりや」
「はい」
 幸弥のことばはいつも真摯で、綾之助の心にストンと届く。自分の弟子でもない綾之助をここまで指導してくれることは、感謝してもしきれないほどだった。
「精一杯、典侍の局を支えさせていただきます」

 幸弥への挨拶を終えて、紋司郎の楽屋へと廊下を戻る。先月は自分のことで手一杯で紋司郎の用事が一切できなかったので、今月はできる限りお手伝いをしたいと考えていた。
「ああ、綾之助さん。ちょうど良かった」
 そこへ声をかけてきたのは、紋司郎の番頭木村である。
「木村さん」
「あのねえ、綾之助さん。葦嶋さんのお孫さん、今日ご見物なんやけど、あなたに会いたいって言うてはりますわ」
「それは……師匠じゃなくて、私に会いたい言うてはるんですか」
「そうなんです」
 しばらく二人共無言だった。
 葦嶋はあくまで紋司郎の贔屓筋なのだ。紋司郎になんの挨拶もなく、綾之助が会うのは筋が通らない。
「私は今月名題部屋で先輩方と相部屋ですから、主人の部屋で会わせてもらいましょう。主人の都合を聞いてきます」
「ああ、それがよろしいですね」
 綾之助は慌てて紋司郎の楽屋へ戻った。
「旦那、失礼します」
「これ、綾。あんまりうろうろしたらあかん。何されるか分からんよ」
 南座の大抜擢のあとでは当然役者たちのやっかみもあり、紋司郎のことばもあながち冗談とは言えない。
「旦那。今日は葦嶋さんのお孫さんが来てはるそうですが、お会いになられますか」
 紋司郎はしばらくぼうっと綾之助の顔を眺めていたが、やがておもむろに口を開いた。
「それ、あなたのところに言うてきはったんか」
「たまたま先ほど木村さんと行きあいまして」
「そうか」
 紋司郎はちょっと考えるような素振りを見せてから
「ほな、綾之助が会える時間に合わすわ」
と言った。拓真が綾之助に会いに来ていることを、とうに紋司郎は気づいていた。

 結局拓真には終演後に来てもらうことにした。拓真は慣れぬ楽屋見舞の勝手が分からず、居心地悪そうにちょこんと座っている。
「ようおいでくださりました」
 紋司郎は、胡蝶蘭の花かざりの中でただ一つ異彩を放つ、菊花に松・南天をあしらった花かざりの横にさりげなく座った。それは葦嶋会長から送られた花であり、紋司郎の鏡台の左横、一番目立つ場所に飾られている。
「いえ、その、今日のお芝居、素晴らしかったです。紋司郎さんの情のある演技、さすがでした」
 慣れないながらも一生懸命、芝居を褒めようと拓真は色々なことばを並べ立てた。
「まあ、そんな、来てくれはっただけでも嬉しいのに、ありがとうございます」
 拓真が無理をしていることは紋司郎にもよくわかったので、適当なところで切ってやる。
「綾之助が端役やったので、さぞがっかりされましたでしょう」
 悪戯っぽい笑みを浮かべていきなり紋司郎がそんなことを言うので、綾之助は内心慌てた。しかし師匠とお客人がお話されているところに割って入るわけにはいかない。
「いえ、今月も綾之助さんはお綺麗でした」
「ええ? うちがどこにおったか、分かりはりました?」
 びっくりして、思わず綾之助は聞き返してしまった。
「はい。あの、官女の右から二番目でしょう?」
「いやあ、さすがは葦嶋さんのお孫さんやわ!」
 紋司郎が喜んで手を叩く。
 化粧した顔は、様子が変わって意外とわかりにくいものだ。綾之助と一度会っただけの拓真がそれを見分けるというのはなかなかすごいことである。
「演目も面白かったです。思わず夢中で見ました」
 先月と違い、拓真のことばには心がこもっていた。
「そうですか、いやあ、それはなによりやわあ」
 すっかり気をよくした紋司郎と拓真の話はなかなか弾んだ。拓真が暇乞いすると、紋司郎は綾之助に目で合図した。お送りせえ、ちゅうこっちゃな。紋司郎なりの拓真への気遣いであろう。

「戻りました」
「なんぞ言うてはったか?」
 楽屋へ戻るとそれは楽しそうに綾之助に詰め寄る紋司郎。
「いえ、特になにも」
「隠さんでええんよ」
「いえ、なにも隠しとりませんが」
 そう言うと紋司郎は渋々引き下がったが、顔に面白ないと書いてある。
「しかし綾之助、えらい気に入ってもろうたんやなあ」
「女方に興味がありはるみたいやから、旦那よりうちに目がいってしまわはるんでしょう」
「そうかあ、そらよかったわなぁ。葦嶋さんに推してもろたら、お前も幸弥くらいの名は継げるかも知らんな」
 思いもよらないことばに綾之助は驚いた。
「冗談はよしてください」
「冗談やあらへんで。専務はそろそろお前になにかやりたい言うて、そのためにお前をおかるに推してくれはったんやで。どこぞにええ名前落ちてへんかなあ、言うてはったわ」
 専務の後押しあっての抜擢であることはわかっていたが、そんなことまで言ってもらっているとは思いもしなかった。
「旦那や専務にそこまで言うていただけるのは嬉しいですが、うちは芸を磨いて、旦那にいただいたこの井筒綾之助という名前を大きくしたいと思てます」
「おお、そりゃ頼もしいこっちゃ」
 上機嫌で紋司郎は笑った。
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