歌舞伎役者に恋をしました。

野咲

文字の大きさ
23 / 30
第6章

襲名会見

しおりを挟む
 杜若は会見のために病院から一時外出の許可を得た。病院まで迎えに行った綾之助を満足そうに見て、にこにこと笑った。紋司郎も機嫌よく、専務も上機嫌で、綾之助だけが落ち込んでいた。
 今さら、やめられないのも分かっているし、杜若も紋司郎もこんなに喜んでくれていて、こんなに幸せなことはないとも思うのだけれど、綾之助は疲労困憊していた。杜若の名を継いで、こういう諸々の精神攻撃に耐えていけるのかどうか、綾之助は自信を持てなかった。
 
「どうした、綾ちゃん。顔色悪いで」
 肩をポンと叩いて、専務が言った。
「緊張してます」
 気分が落ち込んでいる、とは流石に言えなかった。本当は諸々の心配事で吐きそうである。
「大丈夫やで。襲名の記者会見は笑いとか取らんでええから、普通に喋ったらええねん」
「え、は、はい」
 そんなことは一ミリも心配していなかった。
「綾之助、葦嶋さんからお祝いをいただきましたよ」
 紋四郎が箱を持ってきて言った。記者会見の日に合わせて、ホテルに届けてくれたらしい。
「ありがとうございます」
 綾之助はそれを受け取って、中を開いてみた。

 平打ちの簪だった。丸に二つ花杜若の立花屋の紋をかたどっている。一緒に手紙が入っていることに気づいて、綾之助は胸を高鳴らせた。この筆跡は葦嶋会長のものではない。
「綾之助さん。ご襲名の内定、おめでとうございます。祖父に頼んで、手紙を書かせていただきました。祖父も今回のこと、殊のほか喜んでおり、相模屋の役者さんの幹部昇進として、出来るだけの力添えはしたいと申しております。簪は祖父のアドバイスに従って、私が発注いたしました。これが、相模屋後援会の葦嶋の息子として、あなたにできる最後のことです。六代目芳沢杜若のご活躍を心より願っております。葦嶋拓真」
 あなたにできる最後のこと。つまり、決別宣言だ。
 分かっていたことだ。なのに、実際に突きつけられると、こんなに辛い。
「どうしたんや、綾」
「え?」
 心配そうに紋司郎に声をかけられて、綾之助は戸惑った。
「何を泣いてるんや」
 言われて初めて、綾之助は自分が涙していることに気づいた。
「いえ。よいものをいただいたのでうれしくて」
 慌てて涙を拭った。
「そろそろ準備せなあかんな」
 紋司郎は深く追求しなかった。
「しっかり頼んますよ」
 杜若の車椅子を押して、綾之助は会見場へと向かった。


==================
大坂新聞 五月二日 朝刊
「歌舞伎役者の芳沢杜若さん(七二)が二代目芳沢橘香を、井筒綾之助さん(三二)が六代目として芳沢杜若を襲名することが決まり、大阪市内で記者会見した。来年一月、竹田座にて襲名披露公演を行う。
「五代目(杜若)のように、お客様に愛される、上方になくてはならない女方となれるよう、精進してまいります」と綾之助さん。杜若さんは、「杜若という看板を下ろしますが、むしろこれからが勝負と思っとります。上方歌舞伎の芸を次代に伝えるため奮迅していきたい」と語った。杜若さんは二月末に脳内出血で入院して以来療養中。「今はちょっとゆっくりさせてもろてますが、来年の襲名披露公演では、皆様の前に立たせていただきます」と、来年一月に舞台復帰することも合わせて発表された。
 綾之助さんは井筒紋司郎門下であったが、今回、以前より薫陶を受けていた芳沢杜若の芸養子となる。
==================



「ちょっと話が盛ってある!」
 東京へ向かう新幹線の中で思わず綾之助は叫んだ。
「んん?」
 隣の席に座っているのは知八だ。綾之助の読んでいた新聞を見て、はは、と笑った。
「僕、そんなに杜若さんから薫陶受けてないです……」
「ええやん。全然ウソでもないし。それよりほら! こっちのスポーツ紙も読んで! こっちの方が、綾の経歴細かく載せてあるで」
「いえ、もう十分です。ていうか、なんでこんなにいっぱい新聞持ってるんですか?」
「全紙買ったよ。全国紙の関西版、京阪神の地方紙、あとこれ! 奈良の地方紙はさすが綾之助の地元やな、扱いおっきいよ! 紋乃に頼んで買うてきてもろた」
 どうしてそんなに。
 綾之助も気にはなったので新聞はチェックしたが、買ったのは結局一紙だけである。知八の度を越えた行動はちょっと理解に苦しむ。

 綾之助は、蓮十郎の口添えがあって、二日間の休暇を得ていた。蓮十郎から東京行きのチケットとホテルの手配までしてもらい、大阪での諸々のめんどくさい事柄を一時忘れて、東京滞在を楽しめるはずだった。
 それなのに、新大阪駅まで行って、お弁当を買って蓮十郎のくれた新幹線の指定席に行くと、なぜか隣の席に知八が座っていたのだ。
「なんでここに?」
「蓮十郎兄さんに頼んで、僕も行かせてもらうことになってん」
 蓮十郎さん。うち、何も聞いてません。
「ホテルも同じホテルやから」
「え!」
「嫌か?」
 綾之助が大げさに驚くと、知八は少しすねたように言った。
「いや、嫌とかではないんですけど」
 ただ、せっかく一人でゆっくりできると思っていたので、ちょっと期待が外れただけだ。
「じゃあええよな。なあなあ、蓮十郎兄さんの舞台はじまるまでどこ行く? 僕、スカイツリー登りたいんやけど、ちょっと遠いかなあ? 綾はどっか行きたいところある?」
「え、いえ。特には」
「じゃあスカイツリーでいい? 楽しみやなあ」
 知八は非常にご機嫌だった。仕方ないな。綾之助は思った。結局綾之助はかわいいぼんに甘いのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

寂しいを分け与えた

こじらせた処女
BL
 いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。  昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。

イケメン大学生にナンパされているようですが、どうやらただのナンパ男ではないようです

市川
BL
会社帰り、突然声をかけてきたイケメン大学生。断ろうにもうまくいかず……

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

情けない男を知っている

makase
BL
一見接点のない同僚二人は週末に飲みに行く仲である。

分厚いメガネ令息の非日常

餅粉
BL
「こいつは俺の女だ。手を出したらどうなるかわかるよな」 「シノ様……素敵!」 おかしい。おかしすぎる!恥ずかしくないのか?高位貴族が平民の女学生に俺の女ってしかもお前は婚約者いるだろうが!! その女学生の周りにはお慕いしているであろう貴族数名が立っていた。 「ジュリーが一番素敵だよ」 「そうだよ!ジュリーが一番可愛いし美人だし素敵だよ!!」 「……うん。ジュリーの方が…素敵」 ほんと何この状況、怖い!怖いすぎるぞ!あと妙にキモい 「先輩、私もおかしいと思います」 「だよな!」 これは真面目に学生生活を送ろうとする俺の日常のお話

処理中です...