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番外編
恋人冥利(前編)
しおりを挟む深夜、僕の背後で何やら音がする。貧乏性なのか、僕はこの大きなダブルベッドで気が付くと端っこにいる。
背後にいるのは当然享祐だ。ベッドサイドのライトが部屋にぼんやりと影を作っているから、眠れなくて本でも読んでるのだろう。僕が聴いたのはページをめくる音だ。
――――声かけない方が良いかな。
紙を手繰る音とともに、享祐のため息が混じる。もしかすると、なにか悩み事でもあるのかも。
僕は少し怖くなって、丸まった体をさらに丸めて目を閉じた。
――――享祐、何か心配ごとでもあるの? 僕たちのこと?
もしそうなら、どうして僕に話してくれないんだ。いや、自分のことだとしても、何かあるなら言って欲しい。
だって僕らはもう、お互いの人生を別のものとは思ってない。運命共同体なんだ。享祐の悩みや不安は僕のものだよ。もちろん、幸せや愛も……。
「おはよう、俺の可愛い寝坊助」
「あっ……おはよう」
いつの間に眠ってしまったのか、不覚にも僕は享祐より遅く起きた。デニムのエプロンなんかつけて、僕に目覚めのキスをくれた。
「今日は俺が朝食作ったぞ」
「わあ、そうなんだ。ありがとうっ」
朝食は、大抵早起きな僕が作っていた。だからこれは新鮮で嬉しい。僕は急いで顔を洗い、ダイニングテーブルについた。
「あ、あのさあ、享祐」
こんがり焼けたトーストにバターを塗りながら、僕はおずおずと尋ねてみる。
「なんだ? 珈琲おかわりする?」
「いや、それはまだいい。……あの、何か困ってることとかある?」
僕は思い切って聞いてみた。昨夜のことは内緒にして、世間話のように……なってるかな。
「え? なに? 何も困ってなんかないが……もしかして、伊織、困りごとがあるのか?」
珈琲カップを持ったまま、享祐は心配そうな表情で僕を覗き込んだ。
「え? 僕? いや、幸せ過ぎて怖いくらいだよ。享祐とこうして一緒にいられて、しかも仕事まで順調だ」
「あ……そうか。そうだよな。ははっ」
なんか変だ。気のせいか、笑顔が固まっている。
「今日は、その、仕事のロケか?」
「あ、うん。近場だけど」
横浜のシーパラダイスだ。あんなとこ、高校生以来だよ。
今撮ってるのは恋愛ドラマだから、そういう場所が舞台になるんだよね。恋に積極的になれない三十歳半ばのヒロインを騙すのが僕の役。
でも結局は彼女のことを好きになって……。良くある話だけど、観てくれる人々に思い切り楽しくドキドキしてもらいたいって頑張ってるんだ。
「そうか。頑張ってな」
「うん。享祐も」
享祐は、時代劇の映画を撮ってる。これがまたカッコいい役なんだよー。
冷血漢な人斬りなんだけど、幼い女の子と一緒に旅してるうちに頑なな気持ちがほどけていくってストーリー。どんな感じだろう。今から公開を楽しみにしてるんだ。
10時に東さんが迎えに来る。今日は夜までロケだ。
――――あれ、僕、台本入れてたかな。
忘れないようにリュックの上に置いたはずの台本。どういうわけか既に中に入ってた。無意識のうちに入れたんだろうか。
――――ま、いいか。忘れずに持っていけばそれでいい。
「それじゃあ、夜に」
今日は二人とも仕事だ。先に出ていく僕に、享祐がキスをする。別れを惜しむ僕も享祐に体を寄せた。
それを待ってたかのように腕に力が入り、柔らかい舌が僕のそれを絡めとろうと忙しなく動いた。
――――あ、んん。随分と濃厚な……あ……ん……なんだろう。離れがたいのはわかるけど、そろそろ……行かないと。
「享……祐……?」
「あ、ごめん。つい。離したくなくて」
抱きしめられた腕の力がすっと抜け、照れ笑いする享祐。嬉しい気持ちと不安な気持ちが半々湧き上がってくる。
去りがたいここから。だけど、僕は胸ポケットが震えるのに気づいてしまった。それはタイムリミットを告げる、東さんがロビーに着いた合図だった。
その2(後編)に続く
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