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タイムスリップの仕組み
「早く戻ってきてよ、慶汰……」
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スパイス香るリビングに一人ぽつんと残されたアーロドロップは、右手でパタパタと首元を煽りながら、ソファに座ってなんとなく部屋の中を眺めていた。
あまり、元いた竜宮城世界の一般家庭と目立った違いは見当たらない。ソファの、柔らかくも反発してくる革の生地に、少しずつ心を許して、ゆっくり背もたれに身体を預ける。
静かだ。
風呂上がりでも癖ですぐにつけるネイルコアに、モルネアはいない。
本当に一人になるのは、いつ以来だろうか。
ガラス戸から見える中庭は、アスファルトの地面に鳩が二羽仲良く並んで歩いていて、と思えばバサバサと飛び立ってしまった。
視線を上げれば、深い茶色の木の天井と、ガラス戸から見える青くて遠い空。
しばらくボーッと眺めているうちに、ジーっと耳の奥に届く微かに音に気づいた。キッチンの方から聞こえてくるようだが、なんの音だろうか。
「早く戻ってきてよ、慶汰……」
つい呟いてしまった自分に気づいて、アーロドロップは口を手で塞いだ。何を言っているんだあたしは、と自分で自分にツッコミを入れて、ふと思い出す。
今さっきまで、自分が頭まで沈めてぶくぶくしていた湯船に、今は慶汰が浸かっている。そう思うと、全身が急に熱を帯びていく。
「へ、平常心よ、平常心! 落ち着きなさいあたし!」
すーはーと大きく深呼吸を繰り返し、両腕をだらんとソファに下ろす。
しばらく目を閉じて、アーロドロップはここ数日を振り返った。
思えば、慶汰には迷惑しかかけていない。明日には一家を裏切らせ家宝を持たせて同行させるという最悪の所業をさせるのだ。
「はぁ……情けないわね、あたしってば」
アーロドロップが溜息を吐くのと、リビングのドアが開くのがまったく同じタイミングだった。
「あがったぞー」
「ひゃああ!?」
驚いて悲鳴を上げるアーロドロップに、慶汰はびくりと震えて顔を引きつらせていた。
「な、なんだよ……?」
アーロドロップは背筋をピンと伸ばして捲し立てる。
「なんでもないっ! というか、早くない!?」
「いや、普通だろ……? 三〇分くらい経ったけど」
「へ……? あ、そう……?」
恥ずかしくて死にそうだ、とアーロドロップは両手で顔を隠した。
「そろそろ飯にしようぜ。ちょっと早いけどさ」
キッチンへ向かう慶汰の足音に気づいて、アーロドロップは咄嗟に追いかける。
「て、手伝う」
世話になってばかりはいられない。
慶汰は少し不安げに、「じゃあ食器並べてくれ」と言って、二人分のコップやスプーンを差し出してくれた。
準備を済ませて、両手を合わせる。
「いただきます」
「たんと食ってくれ」
優しい湯気が立つお米とカレーの境目にスプーンを入れて、一口頬張る。ほのかな香辛料が鼻に抜け、とろとろのカレーがゆっくりと舌の上に広がり、美味しい刺激をびりびりと舌に伝えた。
「地上の家庭料理はなかなか刺激的ね」
「もしかして、辛かったか? うちのは中辛なんだけど」
「中……ということは、より辛いのがあるってこと? あたし、けっこう辛いのいける口だと思ってたけど、こっちじゃ一般的な味覚になるのかしら」
「へぇ。そのコメントから考えるに、竜宮城のメシは味が甘めって考えとくべきか……?」
慶汰はなんとも言えなさそうにカレーを口にする。
味は辛い方が好きなのだろうかと勘ぐって、アーロドロップは右手の人差し指に話しかけた。
「モルネア、いつもの食堂で一番味が辛いのって……」
そこまで言って、黙り込む。今は玉手箱の中なのだ。返事が来るわけがない。
「……そういえば、モルネアってどうやって作ったんだ?」
慶汰に訊かれて、アーロドロップはコップの水を煽った。気を遣わせてどうするんだという自虐を飲み込んで、思い出を語る。
「実は、あたしもわからないの。二年くらい前、城下町で龍脈知性体システムのトラブルが多発してね。新手の情報テロかと思ったけど、その原因がモルネアだったの」
「え? じゃあモルネアって他の人が作ったのか?」
「ううん。どうもそういう感じじゃないのよね。なんというか、記憶喪失した感じ……みたいな」
細かい説明は省いた。龍脈知性体は、学習させたデータを全消去した場合、消去したという〝ログ〟は残らない。しかしモルネアは、データを消失したという一点だけを自覚していたのだ。普通、そんなことは起きないはずなのである。
「記憶喪失って……まるで人間じゃないか」
「でしょ? まあそれもあって、この子なら感情や自我が芽生えるかもって思ったの。だから、順番が違うのよ」
アーロドロップの説明する声に熱が籠もる。
「龍脈知性体に人格と感情を持たせようとして、モルネアができたんじゃないの。モルネアと出会って、龍脈知性体に人格と感情を持たせたらいいんじゃないかなって思ったの」
「へぇ……そうだったのか。勘違いしてたな」
「まぁ、今となっては昔の思い出よ」
懐かしくて楽しい記憶が蘇って、アーロドロップのスプーンを持つ手が動きを速める。
「ありがとう、話を聞いてくれて。おかげで元気が出たわ」
「そりゃなによりだ。それに、アロップには頑張ってもらわないとだからな」
竜宮城を追放されて、モルネアも封印され、自力での帰還は叶わなくなった――散々な状況でも、アーロドロップは再び顔を上げた。
「あたりまえでしょ。なんとしても成し遂げてみせるわ」
今や、慶汰の姉を回復させる――その使命感だけが、アーロドロップの心を踏ん張らせている。
その誓いが果たされたら、自分たちは再び時の流れの違う世界に分かたれてしまうことなど、すっかり頭から抜けてしまっていた。
あまり、元いた竜宮城世界の一般家庭と目立った違いは見当たらない。ソファの、柔らかくも反発してくる革の生地に、少しずつ心を許して、ゆっくり背もたれに身体を預ける。
静かだ。
風呂上がりでも癖ですぐにつけるネイルコアに、モルネアはいない。
本当に一人になるのは、いつ以来だろうか。
ガラス戸から見える中庭は、アスファルトの地面に鳩が二羽仲良く並んで歩いていて、と思えばバサバサと飛び立ってしまった。
視線を上げれば、深い茶色の木の天井と、ガラス戸から見える青くて遠い空。
しばらくボーッと眺めているうちに、ジーっと耳の奥に届く微かに音に気づいた。キッチンの方から聞こえてくるようだが、なんの音だろうか。
「早く戻ってきてよ、慶汰……」
つい呟いてしまった自分に気づいて、アーロドロップは口を手で塞いだ。何を言っているんだあたしは、と自分で自分にツッコミを入れて、ふと思い出す。
今さっきまで、自分が頭まで沈めてぶくぶくしていた湯船に、今は慶汰が浸かっている。そう思うと、全身が急に熱を帯びていく。
「へ、平常心よ、平常心! 落ち着きなさいあたし!」
すーはーと大きく深呼吸を繰り返し、両腕をだらんとソファに下ろす。
しばらく目を閉じて、アーロドロップはここ数日を振り返った。
思えば、慶汰には迷惑しかかけていない。明日には一家を裏切らせ家宝を持たせて同行させるという最悪の所業をさせるのだ。
「はぁ……情けないわね、あたしってば」
アーロドロップが溜息を吐くのと、リビングのドアが開くのがまったく同じタイミングだった。
「あがったぞー」
「ひゃああ!?」
驚いて悲鳴を上げるアーロドロップに、慶汰はびくりと震えて顔を引きつらせていた。
「な、なんだよ……?」
アーロドロップは背筋をピンと伸ばして捲し立てる。
「なんでもないっ! というか、早くない!?」
「いや、普通だろ……? 三〇分くらい経ったけど」
「へ……? あ、そう……?」
恥ずかしくて死にそうだ、とアーロドロップは両手で顔を隠した。
「そろそろ飯にしようぜ。ちょっと早いけどさ」
キッチンへ向かう慶汰の足音に気づいて、アーロドロップは咄嗟に追いかける。
「て、手伝う」
世話になってばかりはいられない。
慶汰は少し不安げに、「じゃあ食器並べてくれ」と言って、二人分のコップやスプーンを差し出してくれた。
準備を済ませて、両手を合わせる。
「いただきます」
「たんと食ってくれ」
優しい湯気が立つお米とカレーの境目にスプーンを入れて、一口頬張る。ほのかな香辛料が鼻に抜け、とろとろのカレーがゆっくりと舌の上に広がり、美味しい刺激をびりびりと舌に伝えた。
「地上の家庭料理はなかなか刺激的ね」
「もしかして、辛かったか? うちのは中辛なんだけど」
「中……ということは、より辛いのがあるってこと? あたし、けっこう辛いのいける口だと思ってたけど、こっちじゃ一般的な味覚になるのかしら」
「へぇ。そのコメントから考えるに、竜宮城のメシは味が甘めって考えとくべきか……?」
慶汰はなんとも言えなさそうにカレーを口にする。
味は辛い方が好きなのだろうかと勘ぐって、アーロドロップは右手の人差し指に話しかけた。
「モルネア、いつもの食堂で一番味が辛いのって……」
そこまで言って、黙り込む。今は玉手箱の中なのだ。返事が来るわけがない。
「……そういえば、モルネアってどうやって作ったんだ?」
慶汰に訊かれて、アーロドロップはコップの水を煽った。気を遣わせてどうするんだという自虐を飲み込んで、思い出を語る。
「実は、あたしもわからないの。二年くらい前、城下町で龍脈知性体システムのトラブルが多発してね。新手の情報テロかと思ったけど、その原因がモルネアだったの」
「え? じゃあモルネアって他の人が作ったのか?」
「ううん。どうもそういう感じじゃないのよね。なんというか、記憶喪失した感じ……みたいな」
細かい説明は省いた。龍脈知性体は、学習させたデータを全消去した場合、消去したという〝ログ〟は残らない。しかしモルネアは、データを消失したという一点だけを自覚していたのだ。普通、そんなことは起きないはずなのである。
「記憶喪失って……まるで人間じゃないか」
「でしょ? まあそれもあって、この子なら感情や自我が芽生えるかもって思ったの。だから、順番が違うのよ」
アーロドロップの説明する声に熱が籠もる。
「龍脈知性体に人格と感情を持たせようとして、モルネアができたんじゃないの。モルネアと出会って、龍脈知性体に人格と感情を持たせたらいいんじゃないかなって思ったの」
「へぇ……そうだったのか。勘違いしてたな」
「まぁ、今となっては昔の思い出よ」
懐かしくて楽しい記憶が蘇って、アーロドロップのスプーンを持つ手が動きを速める。
「ありがとう、話を聞いてくれて。おかげで元気が出たわ」
「そりゃなによりだ。それに、アロップには頑張ってもらわないとだからな」
竜宮城を追放されて、モルネアも封印され、自力での帰還は叶わなくなった――散々な状況でも、アーロドロップは再び顔を上げた。
「あたりまえでしょ。なんとしても成し遂げてみせるわ」
今や、慶汰の姉を回復させる――その使命感だけが、アーロドロップの心を踏ん張らせている。
その誓いが果たされたら、自分たちは再び時の流れの違う世界に分かたれてしまうことなど、すっかり頭から抜けてしまっていた。
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