54 / 86
第6章 千尋の元カレ
⑥
しおりを挟む
「へえ……。あなたが、10年も付き合っておいて千尋を捨てたっていう“あの”元カレですか。」
悠太の目がわずかに揺れる。けれど視線を逸らさない。
「率直に言います。俺は……今でも千尋を、愛してる。」
律さんは、それを聞いても微笑みを崩さなかった。
むしろ、余裕すら感じさせる笑みだった。
悠太の眉が動く。
「千尋は、俺と結婚したがってた。でも、あなたが勝手に横取りした。」
それに律さんも言い返す。
「あなたが迷ってる間に、俺は千尋と出会って、惚れて、結婚した。……それの何が“横取り”ですか?」
悠太の拳が、わずかに震えた。
「じゃあ、今の千尋は本当に幸せなんですか?あなたの隣で――何も悩まず、何も泣かずに、生きてるって?」
「泣くことくらい、あるさ。」
律さんの声が低くなる。
「でも俺は、千尋の涙の理由になるより、涙を拭える男でいたい。……あなたには、それができましたか?」
悠太は、ついに言葉を失った。
千尋は、二人の間で立ち尽くしていた。
心が千々に乱れる。
「もう止めて。」
私は、二人の間に割って入った。胸が苦しい。どちらも私のために言い合っている。それは分かっているのに、痛かった。
「律さん、帰りましょう。」
迷いのない声で言っていたけれど、きっと私の瞳は揺れていた。
お会計のバインダーに手を伸ばす。だけど――
「千尋。」
悠太がそれを奪い取った。彼の手は、震えていた。
「また迎えに行く。……絶対に。」
私は、律さんの腕を掴んで振り切るように店を出た。
夜風が冷たい。けれど、律さんの腕の温もりが心地よかった。
ふと、私は聞いてしまった。
「ところで、律さん。どうしてここに?」
「……ああ、たまたまなんだ。取引先との会食が、この店であって。」
「え……仕事だったの?」
しまった、と思った。私、仕事中の律さんに――
「邪魔、しちゃったね……ごめん。」
うつむいた私の頭を、律さんがポンと撫でた。
「邪魔なわけないだろ。」
その声は、いつもより少し低くて、優しくて、胸に染み込んでいく。
「仕事より大事なものが、目の前にいたんだから。」
私は目を見開く。
「俺、結婚したらさ、周囲にも《この人は俺のモノだ》って、堂々と知らしめるもんだと思ってた。」
夜風の吹く帰り道。
ビルの灯りが遠ざかると、私たちは自然と歩みを緩めた。
「でも……そうじゃないんだなって思った。」
律さんはポケットに手を入れながら、小さく息を吐いた。
「結婚しても、千尋は“俺の所有物”じゃない。当たり前のことなのに、ようやく分かった気がする。」
私は歩くのをやめて、律さんの顔を見上げた。
「私は、律さんのモノだよ?」
そう言って、彼の腕にそっと手を添える。
律さんは驚いたように目を瞬かせ、そして小さく笑った。
悠太の目がわずかに揺れる。けれど視線を逸らさない。
「率直に言います。俺は……今でも千尋を、愛してる。」
律さんは、それを聞いても微笑みを崩さなかった。
むしろ、余裕すら感じさせる笑みだった。
悠太の眉が動く。
「千尋は、俺と結婚したがってた。でも、あなたが勝手に横取りした。」
それに律さんも言い返す。
「あなたが迷ってる間に、俺は千尋と出会って、惚れて、結婚した。……それの何が“横取り”ですか?」
悠太の拳が、わずかに震えた。
「じゃあ、今の千尋は本当に幸せなんですか?あなたの隣で――何も悩まず、何も泣かずに、生きてるって?」
「泣くことくらい、あるさ。」
律さんの声が低くなる。
「でも俺は、千尋の涙の理由になるより、涙を拭える男でいたい。……あなたには、それができましたか?」
悠太は、ついに言葉を失った。
千尋は、二人の間で立ち尽くしていた。
心が千々に乱れる。
「もう止めて。」
私は、二人の間に割って入った。胸が苦しい。どちらも私のために言い合っている。それは分かっているのに、痛かった。
「律さん、帰りましょう。」
迷いのない声で言っていたけれど、きっと私の瞳は揺れていた。
お会計のバインダーに手を伸ばす。だけど――
「千尋。」
悠太がそれを奪い取った。彼の手は、震えていた。
「また迎えに行く。……絶対に。」
私は、律さんの腕を掴んで振り切るように店を出た。
夜風が冷たい。けれど、律さんの腕の温もりが心地よかった。
ふと、私は聞いてしまった。
「ところで、律さん。どうしてここに?」
「……ああ、たまたまなんだ。取引先との会食が、この店であって。」
「え……仕事だったの?」
しまった、と思った。私、仕事中の律さんに――
「邪魔、しちゃったね……ごめん。」
うつむいた私の頭を、律さんがポンと撫でた。
「邪魔なわけないだろ。」
その声は、いつもより少し低くて、優しくて、胸に染み込んでいく。
「仕事より大事なものが、目の前にいたんだから。」
私は目を見開く。
「俺、結婚したらさ、周囲にも《この人は俺のモノだ》って、堂々と知らしめるもんだと思ってた。」
夜風の吹く帰り道。
ビルの灯りが遠ざかると、私たちは自然と歩みを緩めた。
「でも……そうじゃないんだなって思った。」
律さんはポケットに手を入れながら、小さく息を吐いた。
「結婚しても、千尋は“俺の所有物”じゃない。当たり前のことなのに、ようやく分かった気がする。」
私は歩くのをやめて、律さんの顔を見上げた。
「私は、律さんのモノだよ?」
そう言って、彼の腕にそっと手を添える。
律さんは驚いたように目を瞬かせ、そして小さく笑った。
1
あなたにおすすめの小説
嘘をつく唇に優しいキスを
松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。
桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。
だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。
麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。
そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。
龍の腕に咲く華
沙夜
恋愛
どうして私ばかり、いつも変な人に絡まれるんだろう。
そんな毎日から抜け出したくて貼った、たった一枚のタトゥーシール。それが、本物の獣を呼び寄せてしまった。
彼の名前は、檜山湊。極道の若頭。
恐怖から始まったのは、200万円の借金のカタとして課せられた「添い寝」という奇妙な契約。
支配的なのに、時折見せる不器用な優しさ。恐怖と安らぎの間で揺れ動く心。これはただの気まぐれか、それとも――。
一度は逃げ出したはずの豪華な鳥籠へ、なぜ私は再び戻ろうとするのか。
偽りの強さを捨てた少女が、自らの意志で愛に生きる覚悟を決めるまでの、危険で甘いラブストーリー。
Catch hold of your Love
天野斜己
恋愛
入社してからずっと片思いしていた男性(ひと)には、彼にお似合いの婚約者がいらっしゃる。あたしもそろそろ不毛な片思いから卒業して、親戚のオバサマの勧めるお見合いなんぞしてみようかな、うん、そうしよう。
決心して、お見合いに臨もうとしていた矢先。
当の上司から、よりにもよって職場で押し倒された。
なぜだ!?
あの美しいオジョーサマは、どーするの!?
※2016年01月08日 完結済。
私の赤い糸はもう見えない
沙夜
恋愛
私には、人の「好き」という感情が“糸”として見える。
けれど、その力は祝福ではなかった。気まぐれに生まれたり消えたりする糸は、人の心の不確かさを見せつける呪いにも似ていた。
人を信じることを諦めた大学生活。そんな私の前に現れた、数えきれないほどの糸を纏う人気者の彼。彼と私を繋いだ一本の糸は、確かに「本物」に見えたのに……私はその糸を、自ら手放してしまう。
もう一度巡り会った時、私にはもう、赤い糸は見えなかった。
“確証”がない世界で、私は初めて、自分の心で恋をする。
社内恋愛の絶対条件!"溺愛は退勤時間が過ぎてから"
桜井 響華
恋愛
派遣受付嬢をしている胡桃沢 和奏は、副社長専属秘書である相良 大貴に一目惚れをして勢い余って告白してしまうが、冷たくあしらわれる。諦めモードで日々過ごしていたが、チャンス到来───!?
お見合いから始まる冷徹社長からの甘い執愛 〜政略結婚なのに毎日熱烈に追いかけられてます〜
Adria
恋愛
仕事ばかりをしている娘の将来を案じた両親に泣かれて、うっかり頷いてしまった瑞希はお見合いに行かなければならなくなった。
渋々お見合いの席に行くと、そこにいたのは瑞希の勤め先の社長だった!?
合理的で無駄が嫌いという噂がある冷徹社長を前にして、瑞希は「冗談じゃない!」と、その場から逃亡――
だが、ひょんなことから彼に瑞希が自社の社員であることがバレてしまうと、彼は結婚前提の同棲を迫ってくる。
「君の未来をくれないか?」と求愛してくる彼の強引さに翻弄されながらも、瑞希は次第に溺れていき……
《エブリスタ、ムーンにも投稿しています》
Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~
汐埼ゆたか
恋愛
絶え間なく溢れ出る涙は彼の唇に吸い取られ
慟哭だけが薄暗い部屋に沈んでいく。
その夜、彼女の絶望と悲しみをすくい取ったのは
仕事上でしか接点のない上司だった。
思っていることを口にするのが苦手
地味で大人しい司書
木ノ下 千紗子 (きのした ちさこ) (24)
×
真面目で優しい千紗子の上司
知的で容姿端麗な課長
雨宮 一彰 (あまみや かずあき) (29)
胸を締め付ける切ない想いを
抱えているのはいったいどちらなのか———
「叫んでも暴れてもいい、全部受け止めるから」
「君が笑っていられるなら、自分の気持ちなんてどうでもいい」
「その可愛い笑顔が戻るなら、俺は何でも出来そうだよ」
真摯でひたむきな愛が、傷付いた心を癒していく。
**********
►Attention
※他サイトからの転載(2018/11に書き上げたものです)
※表紙は「かんたん表紙メーカー2」様で作りました。
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる