御曹司との交際0日婚なんて、聞いてません!──10年の恋に疲れた私が、突然プロポーズされました【完結】

日下奈緒

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第6章 千尋の元カレ

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「へえ……。あなたが、10年も付き合っておいて千尋を捨てたっていう“あの”元カレですか。」

悠太の目がわずかに揺れる。けれど視線を逸らさない。

「率直に言います。俺は……今でも千尋を、愛してる。」

律さんは、それを聞いても微笑みを崩さなかった。

むしろ、余裕すら感じさせる笑みだった。

悠太の眉が動く。

「千尋は、俺と結婚したがってた。でも、あなたが勝手に横取りした。」

それに律さんも言い返す。

「あなたが迷ってる間に、俺は千尋と出会って、惚れて、結婚した。……それの何が“横取り”ですか?」

悠太の拳が、わずかに震えた。

「じゃあ、今の千尋は本当に幸せなんですか?あなたの隣で――何も悩まず、何も泣かずに、生きてるって?」

「泣くことくらい、あるさ。」

律さんの声が低くなる。

「でも俺は、千尋の涙の理由になるより、涙を拭える男でいたい。……あなたには、それができましたか?」

悠太は、ついに言葉を失った。

千尋は、二人の間で立ち尽くしていた。

心が千々に乱れる。

「もう止めて。」

私は、二人の間に割って入った。胸が苦しい。どちらも私のために言い合っている。それは分かっているのに、痛かった。

「律さん、帰りましょう。」

迷いのない声で言っていたけれど、きっと私の瞳は揺れていた。

お会計のバインダーに手を伸ばす。だけど――

「千尋。」

悠太がそれを奪い取った。彼の手は、震えていた。

「また迎えに行く。……絶対に。」

私は、律さんの腕を掴んで振り切るように店を出た。

夜風が冷たい。けれど、律さんの腕の温もりが心地よかった。

ふと、私は聞いてしまった。

「ところで、律さん。どうしてここに?」

「……ああ、たまたまなんだ。取引先との会食が、この店であって。」

「え……仕事だったの?」

しまった、と思った。私、仕事中の律さんに――

「邪魔、しちゃったね……ごめん。」

うつむいた私の頭を、律さんがポンと撫でた。

「邪魔なわけないだろ。」

その声は、いつもより少し低くて、優しくて、胸に染み込んでいく。

「仕事より大事なものが、目の前にいたんだから。」

私は目を見開く。

「俺、結婚したらさ、周囲にも《この人は俺のモノだ》って、堂々と知らしめるもんだと思ってた。」

夜風の吹く帰り道。

ビルの灯りが遠ざかると、私たちは自然と歩みを緩めた。

「でも……そうじゃないんだなって思った。」

律さんはポケットに手を入れながら、小さく息を吐いた。

「結婚しても、千尋は“俺の所有物”じゃない。当たり前のことなのに、ようやく分かった気がする。」

私は歩くのをやめて、律さんの顔を見上げた。

「私は、律さんのモノだよ?」

そう言って、彼の腕にそっと手を添える。

律さんは驚いたように目を瞬かせ、そして小さく笑った。
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