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1、夜会
④
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「先日、庭で……あなたとセシリーが話しているのを見たの。」
私は静かに、けれど震える声でそう言った。
部屋の空気がぴたりと止まる。
クリフは何も言わず、ただ私の顔をじっと見つめた。
その沈黙が何よりも恐ろしかった。
否定の言葉を待つ自分が惨めだった。
しばらくして、彼は目を伏せ、苦しそうに息を吐いた。
「やっぱり……見られていたんだね」
その瞬間、私は心のどこかで覚悟していた真実に打ちのめされた。
言葉にできない痛みが胸を貫いた。
クリフは、ゆっくりと顔を上げた。
目の奥に、迷いと罪悪感、そして隠しようのない真剣な光が宿っていた。
「君を傷つけたくなくて……だから黙っていた。でも、もう自分の気持ちを押し殺すのは嫌なんだ」
そう言って、彼の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「僕は……セシリーに、一目惚れしたんだ」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
だって、私はずっと彼のそばにいて、彼の笑顔を、声を、優しさを信じてきたのだから。
「そんな……」かすれた声が漏れる。
クリフは苦しげに首を振った。
「君のことは、大切だよ。本当に。でも、それは……家族のような、親しみでしかなかったのかもしれない。自分でも情けないと思う。でも、セシリーを見た瞬間、心が……勝手に動いたんだ」
私は何も言えなかった。
全ての言葉が、喉の奥で凍りついていた。
心臓が軋む音が、自分にもはっきり聞こえるほどだった。
涙ぐむ彼の姿に、かつての優しかったクリフの面影が重なり、さらに痛みが増した。
こんなふうに、愛されるはずだったのに。
愛した人の口から、他の誰かへの想いを告げられる日が来るなんて、夢にも思っていなかった。
彼の涙は真実で、その想いも嘘ではないのだろう。
だからこそ、私の胸の痛みも、また消えない本物なのだ。
私はその場で立ち尽くしながら、何もかもが崩れていく音を、静かに聞いていた。
クリフが重い沈黙を破ったのは、晩餐後のことだった。
婚約者として、私も呼ばれていた。
家族と近しい側近数名が集う私的な会議の場。
緊張した空気を纏いながら、クリフはゆっくりと立ち上がった。
「私は……アーリンとの婚約を破棄したいと思っています。そして、もし許されるなら、妹君――セシリーと結婚を望みます。」
部屋が凍りついた。
最初に動いたのは、父王だった。
玉座から身を乗り出し、目を見開く。
「……何を言っている?」
母后も手に持っていた杯を静かに置き、鋭い目で息子を見つめた。
「クリフ、それはどういうこと? いつの間に、そうなったの……?」
クリフは真剣な目で両親を見つめ返した。
動揺や迷いではなく、決意の光が宿っている。
「セシリーを見てから、自分の気持ちに気づきました。アーリンは素晴らしい女性です。ですが、僕は……彼女を心から愛していない。彼女に失礼であり、不誠実なまま結婚することが正しいとは思えません。」
父王は眉間に深いしわを刻んだ。
「ふざけるな。アーリンは長年、皇太子妃としてふさわしいように育てられてきた。何より、お前自身が彼女に信頼を寄せ、婚約を誇りにしてきたではないか」
「……それでも、気持ちが変わってしまったのです。もう、戻れないのです」
母后が静かにため息をつき、重々しく言葉を紡ぐ。
「クリフ、あなたは今、目の前の感情に流されているだけよ。それは愛ではなく、一時の浮ついた憧れ。アーリンを思う気持ちを、そんなふうに軽んじていいものではないわ」
「僕は……彼女を傷つけたくないからこそ、正直に話すべきだと思ったのです」
「それが誠実だと思うのなら、なおさら考え直しなさい。」
父王は厳しい声で言った。
「あの子がどれほどお前を想ってきたか、見てきたではないか。それを……妹を選ぶ? 王家の名を汚す気か」
クリフは唇を噛みしめた。
「分かっています。でも……心に嘘はつけません」
その言葉に、一瞬だけ母后の目が揺れた。
静まり返った室内。誰もすぐには口を開かなかった。
だが、確かなのはひとつ。皇太子の告白は、すべてを変えようとしていた。
そして、そのすべての渦中に、私がいる。
まっすぐに彼を想い、信じ、待ち続けていた私が。
私は静かに、けれど震える声でそう言った。
部屋の空気がぴたりと止まる。
クリフは何も言わず、ただ私の顔をじっと見つめた。
その沈黙が何よりも恐ろしかった。
否定の言葉を待つ自分が惨めだった。
しばらくして、彼は目を伏せ、苦しそうに息を吐いた。
「やっぱり……見られていたんだね」
その瞬間、私は心のどこかで覚悟していた真実に打ちのめされた。
言葉にできない痛みが胸を貫いた。
クリフは、ゆっくりと顔を上げた。
目の奥に、迷いと罪悪感、そして隠しようのない真剣な光が宿っていた。
「君を傷つけたくなくて……だから黙っていた。でも、もう自分の気持ちを押し殺すのは嫌なんだ」
そう言って、彼の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「僕は……セシリーに、一目惚れしたんだ」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
だって、私はずっと彼のそばにいて、彼の笑顔を、声を、優しさを信じてきたのだから。
「そんな……」かすれた声が漏れる。
クリフは苦しげに首を振った。
「君のことは、大切だよ。本当に。でも、それは……家族のような、親しみでしかなかったのかもしれない。自分でも情けないと思う。でも、セシリーを見た瞬間、心が……勝手に動いたんだ」
私は何も言えなかった。
全ての言葉が、喉の奥で凍りついていた。
心臓が軋む音が、自分にもはっきり聞こえるほどだった。
涙ぐむ彼の姿に、かつての優しかったクリフの面影が重なり、さらに痛みが増した。
こんなふうに、愛されるはずだったのに。
愛した人の口から、他の誰かへの想いを告げられる日が来るなんて、夢にも思っていなかった。
彼の涙は真実で、その想いも嘘ではないのだろう。
だからこそ、私の胸の痛みも、また消えない本物なのだ。
私はその場で立ち尽くしながら、何もかもが崩れていく音を、静かに聞いていた。
クリフが重い沈黙を破ったのは、晩餐後のことだった。
婚約者として、私も呼ばれていた。
家族と近しい側近数名が集う私的な会議の場。
緊張した空気を纏いながら、クリフはゆっくりと立ち上がった。
「私は……アーリンとの婚約を破棄したいと思っています。そして、もし許されるなら、妹君――セシリーと結婚を望みます。」
部屋が凍りついた。
最初に動いたのは、父王だった。
玉座から身を乗り出し、目を見開く。
「……何を言っている?」
母后も手に持っていた杯を静かに置き、鋭い目で息子を見つめた。
「クリフ、それはどういうこと? いつの間に、そうなったの……?」
クリフは真剣な目で両親を見つめ返した。
動揺や迷いではなく、決意の光が宿っている。
「セシリーを見てから、自分の気持ちに気づきました。アーリンは素晴らしい女性です。ですが、僕は……彼女を心から愛していない。彼女に失礼であり、不誠実なまま結婚することが正しいとは思えません。」
父王は眉間に深いしわを刻んだ。
「ふざけるな。アーリンは長年、皇太子妃としてふさわしいように育てられてきた。何より、お前自身が彼女に信頼を寄せ、婚約を誇りにしてきたではないか」
「……それでも、気持ちが変わってしまったのです。もう、戻れないのです」
母后が静かにため息をつき、重々しく言葉を紡ぐ。
「クリフ、あなたは今、目の前の感情に流されているだけよ。それは愛ではなく、一時の浮ついた憧れ。アーリンを思う気持ちを、そんなふうに軽んじていいものではないわ」
「僕は……彼女を傷つけたくないからこそ、正直に話すべきだと思ったのです」
「それが誠実だと思うのなら、なおさら考え直しなさい。」
父王は厳しい声で言った。
「あの子がどれほどお前を想ってきたか、見てきたではないか。それを……妹を選ぶ? 王家の名を汚す気か」
クリフは唇を噛みしめた。
「分かっています。でも……心に嘘はつけません」
その言葉に、一瞬だけ母后の目が揺れた。
静まり返った室内。誰もすぐには口を開かなかった。
だが、確かなのはひとつ。皇太子の告白は、すべてを変えようとしていた。
そして、そのすべての渦中に、私がいる。
まっすぐに彼を想い、信じ、待ち続けていた私が。
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