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第3章 凡人は牙を研ぐ
第90話 誇りとすれ違う正義
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夜明け前の空気は、張り詰めた弓弦のように重かった。
霧にかすむ平原の向こう、黒々とした軍勢の列が見え隠れしている。揺らめくたいまつの炎が、不吉な星の群れのように数えきれず連なり、近づくたびに地を震わせた。
オーム領の城門前には兵と民が集まり、押し殺した息遣いと、鎧の擦れる音だけが耳に残る。若い兵士の手は汗で剣柄に貼りつき、農夫上がりの兵は膝を震わせながら盾を構えていた。
僕はその列の後方に立ち、胸の内で自らを責めていた。
――自分さえいなければ、この領は危険に晒されることはなかった。
遠くで角笛が鳴る。王子軍の先陣が霧を割って現れた。整然と歩を揃えた重装歩兵、その背後には長槍を携えた列、さらに馬上の騎兵が控える。数で言えばオーム領の三倍は下らない。
やがて馬に跨った憲兵長が前に進み出、鋭く声を放った。
「オーム領の者どもに告げる! 反逆者バルトを直ちに差し出せ! さすれば領民の命は保証される!」
冷徹な声は霧を突き抜け、城門前に集う民の胸を揺さぶった。
群衆の間からすすり泣きが漏れ、誰かがかすかに「差し出してくれ」と呟く。
その言葉が刃のようにバルトの胸を突いた。足が前に出そうになり、喉から声が漏れかける。
その瞬間――轟くような声が全てを押しとどめた。
「黙れ!」
馬上に立つ領主、ピグレット・オーム伯爵が、深紅の外套をはためかせて前に進み出た。
剛毅な顔に刻まれた皺は威厳そのもの。片手で掲げた剣は朝の光を反射して眩く輝き、兵も民も思わず視線を奪われる。
「我らの誇りを王都に売り渡すことなど断じてせぬ! オームはオームのやり方で領を守る。それが民と祖先に顔向けできる唯一の道だ!」
低くも響き渡る声に、震えていた兵の背筋が伸びた。
その背を見て、バルトの胸の奥で燻っていた炎がふつふつと燃え広がる。
――逃げてはならない。
一歩を踏み出し、群衆の前に立った。
「……僕は、この領と共に立つ」
それは大声ではなかった。だが静かな決意が一つ一つの言葉に宿り、誰もが耳を傾けた。
兄ボルトが隣に進み出る。牧場仕事着のままの姿だが、握る剣からは凄まじい気迫が漂っていた。
「心配すんな。俺らがいる」
ファンも一歩前に出て、冷静な口調で告げる。
「ならば俺は策で守る。もう腹を括った」
三人の言葉が重なった瞬間、兵と民の表情から迷いが消え、恐怖に代わって熱が灯った。
その熱を冷ますように、不穏な声が上がった。
「差し出せ」と会議で執拗に主張していた有力者が、密かに城門を開け放とうとしていたのだ。だが扉が揺れるより早く、ボルトの剣が閃いた。
「裏切り者め!」
有力者は拘束され、群衆の怒りが爆発した。誰もが王子軍ではなく、この裏切り者を憎悪の対象としたことで、むしろ士気が高まった。
再び角笛。王子軍がじりじりと距離を詰めてくる。
兵たちは弓を引き絞り、矢羽根が一斉に鳴った。
沈黙――風が旗を揺らす音と、どこかで羽ばたいた鳥の声が異様に大きく響く。
バルトは握った剣の冷たさを掌に刻みつけながら悟った。
――この矢が放たれた瞬間、すべてが変わる。
次の刹那、空を裂いて火矢が飛び交った。
屋根に突き刺さり、炎が瞬く間に広がる。怒号と悲鳴、剣戟の音が重なり合い、戦端が開かれた。
オーム領の兵は必死に応戦する。盾を組み、矢を弾き、槍で押し返す。
僕もまた剣を振るい、初めて血の匂いを感じた。
腕は重く、視界は狭く、全身が恐怖に支配されそうになる。
それでも、背後に仲間がいると思えば、踏みとどまれた。
王子軍は正面から横陣を敷き、圧倒的な兵力で押し潰そうとしてくる。火矢で城壁と民心を揺さぶり、騎兵が突撃の機を窺っていた。
対するファンは即座に号令を飛ばす。
「敵を城門前に誘い込め! 狭所で数を削るんだ!」
盾兵が退き、狭い城門前へ敵を誘導。押し寄せた王子軍は隊列を乱され、身動きが取りにくくなる。
その瞬間、側面からボルト率いる魔獣が突撃。
馬蹄が地を震わせ、槍が敵兵を弾き飛ばす。
城門上からは弓兵が矢の雨を降らせ、敵陣に混乱が走る。
数で劣るオーム領の兵は、一糸乱れぬ連携で局地戦に持ち込み、少しずつ押し返していく。
バルトは混乱の中で一人の若い兵が倒れるのを見つけた。敵の槍が振り下ろされる――咄嗟に身体が動き、彼を庇うように剣を振り上げる。火花が散り、腕が痺れる。
必死に反撃すると、周囲の仲間たちが一斉に声を上げた。
「バルトが戦っているぞ!」
その叫びが兵の胸に火を点け、再び隊列が締まった。
小さな行動だった。だが確かに戦場の流れを変えてゆく。
オームの兵たちは盾を高く掲げ、矢を弾き、声を合わせて突撃。
数に勝るはずの王子軍が、じわじわと押し返されていく。
ピグレット伯爵は馬上からその光景を見渡し、低く、だがはっきりと告げた。
「これぞオームの戦だ。誇りを示せ!」
その言葉に応じるように兵たちは吼え、戦場の地響きは一層高まった。
霧にかすむ平原の向こう、黒々とした軍勢の列が見え隠れしている。揺らめくたいまつの炎が、不吉な星の群れのように数えきれず連なり、近づくたびに地を震わせた。
オーム領の城門前には兵と民が集まり、押し殺した息遣いと、鎧の擦れる音だけが耳に残る。若い兵士の手は汗で剣柄に貼りつき、農夫上がりの兵は膝を震わせながら盾を構えていた。
僕はその列の後方に立ち、胸の内で自らを責めていた。
――自分さえいなければ、この領は危険に晒されることはなかった。
遠くで角笛が鳴る。王子軍の先陣が霧を割って現れた。整然と歩を揃えた重装歩兵、その背後には長槍を携えた列、さらに馬上の騎兵が控える。数で言えばオーム領の三倍は下らない。
やがて馬に跨った憲兵長が前に進み出、鋭く声を放った。
「オーム領の者どもに告げる! 反逆者バルトを直ちに差し出せ! さすれば領民の命は保証される!」
冷徹な声は霧を突き抜け、城門前に集う民の胸を揺さぶった。
群衆の間からすすり泣きが漏れ、誰かがかすかに「差し出してくれ」と呟く。
その言葉が刃のようにバルトの胸を突いた。足が前に出そうになり、喉から声が漏れかける。
その瞬間――轟くような声が全てを押しとどめた。
「黙れ!」
馬上に立つ領主、ピグレット・オーム伯爵が、深紅の外套をはためかせて前に進み出た。
剛毅な顔に刻まれた皺は威厳そのもの。片手で掲げた剣は朝の光を反射して眩く輝き、兵も民も思わず視線を奪われる。
「我らの誇りを王都に売り渡すことなど断じてせぬ! オームはオームのやり方で領を守る。それが民と祖先に顔向けできる唯一の道だ!」
低くも響き渡る声に、震えていた兵の背筋が伸びた。
その背を見て、バルトの胸の奥で燻っていた炎がふつふつと燃え広がる。
――逃げてはならない。
一歩を踏み出し、群衆の前に立った。
「……僕は、この領と共に立つ」
それは大声ではなかった。だが静かな決意が一つ一つの言葉に宿り、誰もが耳を傾けた。
兄ボルトが隣に進み出る。牧場仕事着のままの姿だが、握る剣からは凄まじい気迫が漂っていた。
「心配すんな。俺らがいる」
ファンも一歩前に出て、冷静な口調で告げる。
「ならば俺は策で守る。もう腹を括った」
三人の言葉が重なった瞬間、兵と民の表情から迷いが消え、恐怖に代わって熱が灯った。
その熱を冷ますように、不穏な声が上がった。
「差し出せ」と会議で執拗に主張していた有力者が、密かに城門を開け放とうとしていたのだ。だが扉が揺れるより早く、ボルトの剣が閃いた。
「裏切り者め!」
有力者は拘束され、群衆の怒りが爆発した。誰もが王子軍ではなく、この裏切り者を憎悪の対象としたことで、むしろ士気が高まった。
再び角笛。王子軍がじりじりと距離を詰めてくる。
兵たちは弓を引き絞り、矢羽根が一斉に鳴った。
沈黙――風が旗を揺らす音と、どこかで羽ばたいた鳥の声が異様に大きく響く。
バルトは握った剣の冷たさを掌に刻みつけながら悟った。
――この矢が放たれた瞬間、すべてが変わる。
次の刹那、空を裂いて火矢が飛び交った。
屋根に突き刺さり、炎が瞬く間に広がる。怒号と悲鳴、剣戟の音が重なり合い、戦端が開かれた。
オーム領の兵は必死に応戦する。盾を組み、矢を弾き、槍で押し返す。
僕もまた剣を振るい、初めて血の匂いを感じた。
腕は重く、視界は狭く、全身が恐怖に支配されそうになる。
それでも、背後に仲間がいると思えば、踏みとどまれた。
王子軍は正面から横陣を敷き、圧倒的な兵力で押し潰そうとしてくる。火矢で城壁と民心を揺さぶり、騎兵が突撃の機を窺っていた。
対するファンは即座に号令を飛ばす。
「敵を城門前に誘い込め! 狭所で数を削るんだ!」
盾兵が退き、狭い城門前へ敵を誘導。押し寄せた王子軍は隊列を乱され、身動きが取りにくくなる。
その瞬間、側面からボルト率いる魔獣が突撃。
馬蹄が地を震わせ、槍が敵兵を弾き飛ばす。
城門上からは弓兵が矢の雨を降らせ、敵陣に混乱が走る。
数で劣るオーム領の兵は、一糸乱れぬ連携で局地戦に持ち込み、少しずつ押し返していく。
バルトは混乱の中で一人の若い兵が倒れるのを見つけた。敵の槍が振り下ろされる――咄嗟に身体が動き、彼を庇うように剣を振り上げる。火花が散り、腕が痺れる。
必死に反撃すると、周囲の仲間たちが一斉に声を上げた。
「バルトが戦っているぞ!」
その叫びが兵の胸に火を点け、再び隊列が締まった。
小さな行動だった。だが確かに戦場の流れを変えてゆく。
オームの兵たちは盾を高く掲げ、矢を弾き、声を合わせて突撃。
数に勝るはずの王子軍が、じわじわと押し返されていく。
ピグレット伯爵は馬上からその光景を見渡し、低く、だがはっきりと告げた。
「これぞオームの戦だ。誇りを示せ!」
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