αが離してくれない

雪兎

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αが離してくれない

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教室に入ると、今日も彼が先に来ていた。


黙って窓の外を見つめるその横顔。無口で、無表情で、いつも一人。
だけど、クラスの誰よりも強いαの気配を纏っている。


「おはよう、八神くん」
「……ああ」


僕――春坂奏(はるさか かなで)は、彼の隣の席だ。
八神零士(やがみ れいじ)は、たぶん僕のことを「隣のやつ」程度にしか思っていない。


でも、それでいい。
αとΩは、生まれながらに格差がある。僕たちは違う生き物だ。
たとえ同じ教室で同じ空気を吸っていても、交わることはない。


僕は二次性を迎えたときにすぐ、発情期を抑える薬を服用し始めた。
「番(つがい)」制度なんて信じていないし、そんな運命に振り回されるのはまっぴらだったから。


「春坂。ペン、落ちてる」


ぽん、と机に黒いシャープペンが置かれた。
八神くんの大きな手が、そっと離れる。


「……ありがとう」
「おまえ、最近……匂い、変わったな」


一瞬、心臓が跳ねた。


――バレた?
薬を変えたのが、そんなにすぐわかるのか?


「……気のせい、じゃない?」
「いや。薄いけど、甘い匂いがする。……Ωの匂い」


空気が凍るような錯覚がした。
僕は、咄嗟に笑ってごまかそうとする。


「やだなあ、僕はずっと薬飲んでるし、発情期も――」
「本能ってやつは、そんなの簡単に見抜くんだよ。……俺、獣だから」


耳元で囁かれたその声に、背筋がぞわりとした。
八神くんの瞳が、獲物を見つけた捕食者のように細められている。


「薬が切れかけてるなら、帰りに保健室、行った方がいい」


その声に、優しさなんてなかった。


けれどなぜか、冷たいはずなのに、体が熱を持ったように感じてしまった。


* * *


放課後、僕は保健室じゃなくて屋上にいた。
風にあたって、冷やさないとおかしくなりそうだったから。


――どうして八神くんが、僕の匂いに気づくの。
薬の効きが甘いのは自覚してた。でも、クラスで気づいたのは彼だけ。


まさかとは思うけど……番の相手?


いや、違う。僕には番なんて、存在しない。
検査の結果も「不明」。番が見つからない可能性が高い、って。


「ここ、立入禁止だぞ」


振り返ると、八神くんがいた。
無言のまま歩いてきて、僕の腕を引く。


「……やっぱり、おまえだ」
「な、なにが……」


「この匂い。頭が痛くなるくらい、強くて、甘い」
「ご、ごめん、すぐどくから――」


「逃げんなよ。……もう、遅いから」


彼の腕が、ぐっと僕の腰にまわった。
力強くて、逃げられない。けれど、その腕の中はなぜか、やさしい温度だった。


「俺さ、番とか信じてないんだ。そんなの、くだらねえって思ってた」
「……え?」


「でも、おまえの匂いをかいだ瞬間、全部どうでもよくなった。……番でもそうじゃなくても、俺は、おまえが欲しい」


脳が、バグる。
これ、夢? それとも、発情期の前兆で、頭がおかしくなった?


八神くんが、僕の目をまっすぐ見つめた。


「番になれないなら、それでもいい。俺が、無理やりにでも番にしてやる」


――それは、宣戦布告のような、告白だった。


「……番じゃなくても、いいって、どういうこと」


屋上の風が、ふたりの間をすり抜けていく。
八神くんは腕をゆるめることなく、僕の目をまっすぐに見ていた。


「文字どおりだ。番じゃないなら、俺が“選ぶ”」
「選ぶ……って……」
「春坂奏を、俺の番にするってことだよ」


そんなの、理屈が通らない。
番っていうのは、理性じゃない。本能が決めるものだって、教科書にすら書いてあった。


「無理だよ……僕、番の反応、出なかったんだ。そもそも、番がいない体質なんだって……」


そう言いながら、喉がひりついた。
どこかで、希望を感じてしまっていた自分が恥ずかしい。


「そういうの、俺は信じない。だって、今おまえのこと、触りたくてたまらない」
「っ……!」


彼の手が、僕の背中に回る。
そこにあるのは、Ωの感度が最も高いとされる場所――


「っ、八神くん……やめ……っ」


「おまえが嫌がるなら止める。でも、怖がってるだけなら、違う」
「僕は……」


「なあ春坂。おまえ、誰かに抱かれたいと思ったことあるか?」


心臓が跳ねる音がうるさくて、自分の声がかき消されそうだった。
こんなにも直接的な言葉を、彼の口から聞くなんて思ってなかった。


「俺はある。いま、まさに思ってる。……おまえに触れたい。抱きしめて、どこにも行けないようにしたい」


八神くんは、いつだって静かで、何も語らない人だった。
でも今、その瞳はすべてを語っていた。


独占欲。執着。欲望。――そして、どこか痛々しいほどの真剣さ。


「番じゃないのに、そんなふうに思えるの……?」
「そうだよ。番なんてただの概念だ。俺の本能は、ちゃんとおまえを選んでる」
「じゃあ……」
「春坂は? おまえは、どうしたい?」


僕は、言葉に詰まった。


怖い。
でも、あの腕に包まれていたとき――あたたかかった。


拒絶したいはずなのに、体は彼を受け入れていた。


「……わからないよ。でも、もう、逃げたくはない」
「それで十分」


八神くんはそう言って、僕を強く抱きしめた。


* * *


それから数日、僕たちは表面上なにも変わらない“クラスメイト”を続けていた。
でも、放課後になると、彼は必ず僕を迎えに来た。


「帰るぞ」
「うん」


一緒に帰る。ただそれだけ。
だけど、僕の心臓は毎日忙しく鼓動していた。


八神くんは、無理に触れてきたりはしなかった。
ただ、隣を歩いてくれて、それだけで僕は満たされていった。


不思議だ。
番じゃないのに。運命じゃないのに。


でも――だからこそ、選ばれたことが嬉しかった。


「なあ、春坂」
「なに?」
「おまえって、たまに俺のこと、見てただろ」
「……!」


「前から気づいてた。隣の席になってから、毎日」
「じゃ、じゃあ、僕が……?」
「ずっと気になってたんだ。おまえの視線。俺のことを怖がってるのか、それとも……」


八神くんは、一歩近づく。


「俺のことが、好きなのかって」


その言葉は、甘くて、でも鋭くて、息が詰まった。


「わからない……。ただ、毎日、君のことが気になってた」
「それはたぶん、もう“好き”ってやつだよ」


彼が笑った。
笑ったのを、初めて見た。


その笑顔に、心が溶けていく。


「番じゃなくても、おまえがいい」
「……うん。僕も、君がいい」


ゆっくりと、ふたりの距離が近づいていく。
唇が触れる寸前、彼が囁いた。


「これから、俺がおまえを“番”にするから」


それは誓いのような、囁きだった。


運命なんて、もうどうでもよかった。
この人に選ばれた、それだけで――僕はもう、幸せだった。




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みんなの感想(1件)

パンちゃん1号

好きな感じの話です。続きがぜひ見たいなあ〜。甘々溺愛執着強めでお願いします🙏

解除

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