一億円の花嫁

藤谷 郁

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十億円の花嫁

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「それにしても、本当に十億用意できるんだろうな。少しは骨がありそうな奴だったが……」
「でもやっぱり弱そうですよ。女みたいなツラして、兄貴と比べたらヒョロヒョロって感じで」

 ニット帽が撮影しながら近づいて来た。綾華も一緒に。

「それにさー、金にものを言わすところが、しょせんお坊ちゃん。なんかムカついてきたから、飛ぶ前にボコっちまいましょうよ」
「そうよ、蓮。あんな奴やっちゃいなさいよ。奈々子のために十億なんて、バカじゃないの!?」

 綾華がカッカしながら吐き捨てた。

「ははっ、そんな暇はねぇよ。現金を洗浄するにも手間がかかるんだ。手筈は整っているが、十億となるとな」
「うーん、まあ……そうすね。金が増えたこと、連絡入れときましょうか」
「ああ」

 ニット帽が離れたところに行き、どこかに電話をかける。
 どうやら他にも協力者がいるようだ。

「まったく、イライラする。こんな女のどこがいいのよ!」
「……ひっ」

 綾華が私を蹴ろうとした。
 すんでのところで剛田が止め、綾華を突き飛ばす。

「何するのよ、蓮!」
「大事な人質様だと言ってんだろ! 勝手な真似するんじゃねえ」
「偉そうに! 誰のおかげで大金が入るのよ! 高飛びの段取りも、全部私がやったのに」
「だから、コイツをいたぶるのは俺たちが飛んでからにしろ。煮るなり焼くなり、思う存分な」
「その前に、由比織人をやっつけてって言ってんの! 大事なものを目の前でぶち壊されて、この女が泣くところを見たいのよ。その上でいたぶりまくって、殺してやるんだから!!」

 剛田がため息をついた。
 電話を終えたニット帽が、「怖~」と言いながら撮影を再開する。
 異様な空気に、私は再び恐怖を覚えるが、すぐに平静を取り戻す。
 もうすぐ織人さんが来るから。それだけで私は、勇気に満たされるのだ。
 でも……

(どうしてそんなに私が憎いの。酷いことをしたのは、綾華なのに)

 理不尽すぎると、あらためて思う。
 綾華が「殺してやる」と言ったのは、おそらく本気だ。

 ーー警察に捕まろうが、死刑になろうが、どうだっていい。大月奈々子に復讐する、それだけが生きがいなんだよ。

 何があったのか知らないが、今の綾華は普通ではない。剛田の言うとおり「失うものがない状態」なのだろう。
 誘拐、脅迫、殺人……あとさき考えずやろうとしている。
 そこまでする理由は?
 
 いや、訊いたところで納得できる返事は得られない。
 ただただ、身勝手なのだ。
 そのように育てられ、生きてきたのだから。誰にも諭されず……

「由比の到着は一時間後だ。決着がつくまで大人しくしてろ」

 綾華は唇を噛み、椅子に戻った。
 殺伐とした時間が過ぎる。織人さんの存在だけが私の希望だった。



◇◇◇



「午後11時40分……そろそろだな」

 剛田が時計を見てつぶやく。
 綾華とニット帽はストーブのそばでウトウトしていたが、同時に顔を上げた。

 私は体が冷えて、手足の感覚が失われつつあった。
 窓を見ると、破れたカーテンの隙間に雪がちらついている。
 底冷えがするはずだった。

(もうすぐ織人さんが着くみたいだ……でも)

 さっきから我慢していたが、限界だった。連れ去られてから長い時間が経ち、その上、寒さがこたえている。

「あの、トイレに行かせてください」

 思い切って頼んだ。
 剛田が「ええ?」という顔になり、いかにもめんどくさそうに椅子を立つ。

「しょうがねえな。おい、サル。連れてってやれ」
「俺ですかあ? そーゆーのは女同士でやってくださいよ」

 ニット帽が拒否して、綾華を見る。

「イヤよ。なんでそんな女に付き添ってやらなきゃならないのよ、バカバカしい。勝手に漏らせばいいでしょ」

 プイと横を向いた。
 二人に断られて、剛田が舌打ちする。

「使えねえやつらだ」
「縄さえ解いてくれたら一人で行きます。今さら逃げたりしません」

 思いのほか強い口調になった。もう本当に限界で、剛田以上に苛立っているのだ。

「分かったよ。あんたは大事な人質様だからな。だが自由にさせるわけにいかねえ」

 スマホを取り出すと、電話をかけた。相手はすぐに出た。

「仕事だ。ちょっと来てくれ」


 呼び出されたのは、エミさんだった。
 私をトイレに連れて行くよう言われて、素直にうなずいている。

「サル、やっぱりお前もついて行け。外で見張ってろ」
「うう~、もう……わっかりやしたあ」

 ニット帽がブツブツ言いながら、縄をほどいた。
 私は立とうとしたが、足が痺れて、しばらく動けなかった。

「エミ、助けてやれ」
「は、はい」

 剛田に言われて、エミさんが私の手を取り支えてくれた。彼女の手が温かいことに、なんだかホッとする。

「さっさと済ませてくださいよ。旦那さんが来る前に」

 よろよろと歩き出す私の背に、剛田の声が飛ぶ。
 ニット帽が扉を開けて、「早く早く」と急かした。

「! 寒い……」

 外に出ると、雪がぱらぱらと降りかかった。粉雪だった。
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