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十億円の花嫁
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「こっちです」
エミさんが手を引き、案内する。ニット帽が後ろから付いて来て、ペンライトで足元を照らした。
真っ暗な闇。
目が慣れてくると、私は周りを見渡した。ここが山の中で、工場の一角に閉じ込められていたのだと知る。
かなり大きな、古い工場だ。
さっきの建物は倉庫で、今目の前にあるのが主屋だろう。
入り口に掛けられた看板に、【ニシノ製薬埼玉工場】と書かれている。
(ニシノ製薬……)
ここは西野家の敷地なのだ。しかも、何年も前に閉鎖されたような廃工場。人目につかず、誰も立ち入ることのできない、誘拐監禁にうってつけの場所である。
(埼玉のどの辺りだろう。木々がうっそうとして、街明かりがまったく見えない……)
建物に入ると、パッとライトがついた。まぶしくて、一瞬目が眩んだ。
明るくなったのは一階の玄関部分だが、フロアの様子もガラス越しにぼんやりと見えた。
吹き抜けの天井。広々とした空間に大小様々な筐体やベルトコンベアが残っていて、大規模な工場であったことが窺えた。
「そこがトイレだよ」
廊下に入ってすぐのところにドアが二つあった。片方が女子トイレらしい。
「早くしてくれよな、寒くてしょーがねー。俺はここで見張ってっから」
ニット帽が足踏みしながら、エミさんに指図した。
「あの、どうぞ」
エミさんがドアを開け、明かりをつけてくれた。中は意外と奥まっていて、複数の洗面台と個室が並んでいる。
「水は流せますか?」
「はい。手も洗えます」
廃工場なのに、電気も点くし、水も出る。
ふと、考えた。
もしかしたらここは、剛田たちのアジトかもしれない。綾華に頼んで、借りているのでは? 例えば、こんなふうに誰かを監禁したり、犯罪行為をするための場所として。
「大丈夫、ですか?」
「えっ?」
立ち止まった私を、エミさんが心配そうに覗き込んでいる。
不穏な想像を押しやり、笑顔を作った。
「ええ、大丈夫です。すぐに済ませますね」
ここへ来た目的を思い出し、慌てて個室に入って用を足した。タンクのレバーを回すと、勢いよく水が流れた。
「ふう……」
切羽詰まった状態から解放されて、少し落ち着いた。そして、先ほどの続きを考える。
不穏な想像だ。
剛田は犯罪行為に慣れている。他に仲間がいるようだし、綾華も協力しているのだろうか。日常的に。
(エミさんも……)
そうだとしても、彼女の場合は加担させられているのだ。綾華にトラウマを植え付けられ、精神的に支配されて、怯えながら。
自分が悪いのだと思い込んで……
個室を出ると、エミさんが不安そうな顔で待っていた。
「すみません、お待たせしました」
洗面台で手を洗い、ハンカチが無いのに気づく。そういえば、剛田にバッグを取られてしまったのだ。
「どうぞ、使ってください」
困っている私に、エミさんがハンカチを差し出す。少し迷ったが、使わせてもらった。きれいに折り畳まれた、清潔なハンカチだった。
「ハンカチは持っていてください。私はもう一枚あるので」
「ありがとうございます。あの……エミさん」
ドアを開けようとする彼女を呼び止めた。二人きりで話すチャンスは、おそらくもう無い。
「な、なんでしょうか」
「えっと……」
エミさんは、こちらを向こうとしない。声は小さく、微かに震えている。
怖いのだろう。何もかもが。
「私は中学の頃、綾華にいじめられました。仲間外れにされて、それからの人生ずっと孤独だったんです。そしていつも、何かに怯えていた」
「……」
エミさんは無言で、だけど話を聞いてくれる。
「でも、ある人の言葉をきっかけに、変わることができた。顔を上げて、周りをしっかりと見て、気づくことができたの。大切な人たちの存在に」
「大切な……人たち」
「その中に綾華はいない」
言葉には力がある。
心からの気持ちを伝えるのだ。
彼女はついこの前までの私。必ず響いてくれると信じて。
エミさんが手を引き、案内する。ニット帽が後ろから付いて来て、ペンライトで足元を照らした。
真っ暗な闇。
目が慣れてくると、私は周りを見渡した。ここが山の中で、工場の一角に閉じ込められていたのだと知る。
かなり大きな、古い工場だ。
さっきの建物は倉庫で、今目の前にあるのが主屋だろう。
入り口に掛けられた看板に、【ニシノ製薬埼玉工場】と書かれている。
(ニシノ製薬……)
ここは西野家の敷地なのだ。しかも、何年も前に閉鎖されたような廃工場。人目につかず、誰も立ち入ることのできない、誘拐監禁にうってつけの場所である。
(埼玉のどの辺りだろう。木々がうっそうとして、街明かりがまったく見えない……)
建物に入ると、パッとライトがついた。まぶしくて、一瞬目が眩んだ。
明るくなったのは一階の玄関部分だが、フロアの様子もガラス越しにぼんやりと見えた。
吹き抜けの天井。広々とした空間に大小様々な筐体やベルトコンベアが残っていて、大規模な工場であったことが窺えた。
「そこがトイレだよ」
廊下に入ってすぐのところにドアが二つあった。片方が女子トイレらしい。
「早くしてくれよな、寒くてしょーがねー。俺はここで見張ってっから」
ニット帽が足踏みしながら、エミさんに指図した。
「あの、どうぞ」
エミさんがドアを開け、明かりをつけてくれた。中は意外と奥まっていて、複数の洗面台と個室が並んでいる。
「水は流せますか?」
「はい。手も洗えます」
廃工場なのに、電気も点くし、水も出る。
ふと、考えた。
もしかしたらここは、剛田たちのアジトかもしれない。綾華に頼んで、借りているのでは? 例えば、こんなふうに誰かを監禁したり、犯罪行為をするための場所として。
「大丈夫、ですか?」
「えっ?」
立ち止まった私を、エミさんが心配そうに覗き込んでいる。
不穏な想像を押しやり、笑顔を作った。
「ええ、大丈夫です。すぐに済ませますね」
ここへ来た目的を思い出し、慌てて個室に入って用を足した。タンクのレバーを回すと、勢いよく水が流れた。
「ふう……」
切羽詰まった状態から解放されて、少し落ち着いた。そして、先ほどの続きを考える。
不穏な想像だ。
剛田は犯罪行為に慣れている。他に仲間がいるようだし、綾華も協力しているのだろうか。日常的に。
(エミさんも……)
そうだとしても、彼女の場合は加担させられているのだ。綾華にトラウマを植え付けられ、精神的に支配されて、怯えながら。
自分が悪いのだと思い込んで……
個室を出ると、エミさんが不安そうな顔で待っていた。
「すみません、お待たせしました」
洗面台で手を洗い、ハンカチが無いのに気づく。そういえば、剛田にバッグを取られてしまったのだ。
「どうぞ、使ってください」
困っている私に、エミさんがハンカチを差し出す。少し迷ったが、使わせてもらった。きれいに折り畳まれた、清潔なハンカチだった。
「ハンカチは持っていてください。私はもう一枚あるので」
「ありがとうございます。あの……エミさん」
ドアを開けようとする彼女を呼び止めた。二人きりで話すチャンスは、おそらくもう無い。
「な、なんでしょうか」
「えっと……」
エミさんは、こちらを向こうとしない。声は小さく、微かに震えている。
怖いのだろう。何もかもが。
「私は中学の頃、綾華にいじめられました。仲間外れにされて、それからの人生ずっと孤独だったんです。そしていつも、何かに怯えていた」
「……」
エミさんは無言で、だけど話を聞いてくれる。
「でも、ある人の言葉をきっかけに、変わることができた。顔を上げて、周りをしっかりと見て、気づくことができたの。大切な人たちの存在に」
「大切な……人たち」
「その中に綾華はいない」
言葉には力がある。
心からの気持ちを伝えるのだ。
彼女はついこの前までの私。必ず響いてくれると信じて。
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