176 / 198
十億円の花嫁
6
しおりを挟む
「本当はあなたも分かってるはずです。悪いのは綾華。彼女は友達なんかじゃない。あなたを支配しているだけ。そうでしょう?」
「……」
私を変えてくれたのは織人さん。自分を責めて、クヨクヨしてばかりの私に勇気を与えてくれた。
どんなに嬉しかったか、わからない。
「私なんか……って、あなたは言うけれど、それは違います。私を支えてくれる温かな手、清潔なハンカチ、細やかな気遣い……何気ない所作から、たくさんの思いやりと優しさが伝わってきた。優しさというのは、高度な精神性の表れなんです。それはまぎれもなく、あなたの美点。自分の良さを見失わないで」
「そんな、私は……」
自信なさげに首を振る。だけど、響くのが感じられた。彼女の心に。
「あなたにとって本当に大切な人たちを、思い出してください」
声に熱がこもり、吐く息が白い。
痩せた背中に、かつての自分が重なり、胸が締めつけられる。
私は願った。届いて、届いてと、必死で。
「……の」
「えっ?」
エミさんがゆっくりとこちらを向き、私を見つめた。
「私の一番大切な人は、父です。男手一つで、私を育ててくれました」
「……お父さん?」
彼女はうなずき、しぼりだすように告白した。
「父はニシノ製薬の社員で、ここの工場長でした。取り立ててくれたのは西野社長です」
「……!」
西野社長。綾華の父親である。
私はもう、皆まで聞かずとも理解できた。
なぜエミさんが綾華の言いなりになってきたのか。
「今は役員をしています。父は西野社長のおかげで出世し、だからこそ私も志望大学に行けたし、ずっと夢見ていた研究者になれたんです。私は……」
よろめく彼女を、しっかりと支える。抱きしめたのは、無意識かつ自然な行為だった。
か細く、消えてしまいそうな声が、耳に聞こえる。
「でも、ずっと苦しかった……父が工場長になったのは私が小学校低学年の頃で、自宅から遠かったけど、西野社長の推薦で綾華と同じ小学校に転校しました。クラスも同じで……4年生の春に父の海外赴任で引っ越すまで、ずっと……それからも、たびたび連絡が来て」
「エミさん、もういいの。あの子のやり方は知ってる」
そう、綾華のやり方はいつも同じ。相手の弱みにつけ込み支配する。父親の威を借り、恩を売るのも常套手段だ。
夏樹も莉央も、そうやって苦しめられた。
「エミさん、聞いて」
まっすぐに目を合わせた。怯える瞳が、すがるように私を見つめる。
「お父さんに、ありのままを話すの。綾華にされたこと、どれだけ傷ついてきたのか、ぜんぶ」
「……あ、ありのまま」
「あなた自身のためにも、勇気を出して」
大丈夫、分かってくれる。伝わる。
夏樹も、莉央も、私だって変われた。
「綾華は普通の状態じゃない。この仕事が終わったらあなたを処分すると言ってた」
「えっ……」
エミさんがますます青ざめる。
「だから、きっぱりと縁を切って、大切な人と向き合……」
「おい、何モタモタしてんだよっ!!」
ドアを叩く音に驚き、エミさんが跳び上がった。そして、私からパッと離れる。
「ごめんなさい。私、どうかしていました」
「エミさん?」
「無理です。綾華に逆らうなんて、私にはできない……たとえ殺されても、父のためにもそんなこと」
「エミさん、違います。お父さんを思えばこそ……」
「やめて、お願い」
私の手を振り払い、ドアを開けた。
「ったく、遅えんだよ。ボケが!」
ニット帽がイライラした様子で立っていた。冷たい廊下に、怒鳴り声が反響する。
「す、すみません。あの、私もついでに用を足してたので」
「もういいよ、とにかく寒くてしょうがねえ。早く行くぞコラ!」
ニット帽に急かされ、建物を出た。
さっきと同じように、私とエミさんが並んで歩く。
雪が降り続いている。
彼女はもう、私の手を取らなかった。
「……」
私を変えてくれたのは織人さん。自分を責めて、クヨクヨしてばかりの私に勇気を与えてくれた。
どんなに嬉しかったか、わからない。
「私なんか……って、あなたは言うけれど、それは違います。私を支えてくれる温かな手、清潔なハンカチ、細やかな気遣い……何気ない所作から、たくさんの思いやりと優しさが伝わってきた。優しさというのは、高度な精神性の表れなんです。それはまぎれもなく、あなたの美点。自分の良さを見失わないで」
「そんな、私は……」
自信なさげに首を振る。だけど、響くのが感じられた。彼女の心に。
「あなたにとって本当に大切な人たちを、思い出してください」
声に熱がこもり、吐く息が白い。
痩せた背中に、かつての自分が重なり、胸が締めつけられる。
私は願った。届いて、届いてと、必死で。
「……の」
「えっ?」
エミさんがゆっくりとこちらを向き、私を見つめた。
「私の一番大切な人は、父です。男手一つで、私を育ててくれました」
「……お父さん?」
彼女はうなずき、しぼりだすように告白した。
「父はニシノ製薬の社員で、ここの工場長でした。取り立ててくれたのは西野社長です」
「……!」
西野社長。綾華の父親である。
私はもう、皆まで聞かずとも理解できた。
なぜエミさんが綾華の言いなりになってきたのか。
「今は役員をしています。父は西野社長のおかげで出世し、だからこそ私も志望大学に行けたし、ずっと夢見ていた研究者になれたんです。私は……」
よろめく彼女を、しっかりと支える。抱きしめたのは、無意識かつ自然な行為だった。
か細く、消えてしまいそうな声が、耳に聞こえる。
「でも、ずっと苦しかった……父が工場長になったのは私が小学校低学年の頃で、自宅から遠かったけど、西野社長の推薦で綾華と同じ小学校に転校しました。クラスも同じで……4年生の春に父の海外赴任で引っ越すまで、ずっと……それからも、たびたび連絡が来て」
「エミさん、もういいの。あの子のやり方は知ってる」
そう、綾華のやり方はいつも同じ。相手の弱みにつけ込み支配する。父親の威を借り、恩を売るのも常套手段だ。
夏樹も莉央も、そうやって苦しめられた。
「エミさん、聞いて」
まっすぐに目を合わせた。怯える瞳が、すがるように私を見つめる。
「お父さんに、ありのままを話すの。綾華にされたこと、どれだけ傷ついてきたのか、ぜんぶ」
「……あ、ありのまま」
「あなた自身のためにも、勇気を出して」
大丈夫、分かってくれる。伝わる。
夏樹も、莉央も、私だって変われた。
「綾華は普通の状態じゃない。この仕事が終わったらあなたを処分すると言ってた」
「えっ……」
エミさんがますます青ざめる。
「だから、きっぱりと縁を切って、大切な人と向き合……」
「おい、何モタモタしてんだよっ!!」
ドアを叩く音に驚き、エミさんが跳び上がった。そして、私からパッと離れる。
「ごめんなさい。私、どうかしていました」
「エミさん?」
「無理です。綾華に逆らうなんて、私にはできない……たとえ殺されても、父のためにもそんなこと」
「エミさん、違います。お父さんを思えばこそ……」
「やめて、お願い」
私の手を振り払い、ドアを開けた。
「ったく、遅えんだよ。ボケが!」
ニット帽がイライラした様子で立っていた。冷たい廊下に、怒鳴り声が反響する。
「す、すみません。あの、私もついでに用を足してたので」
「もういいよ、とにかく寒くてしょうがねえ。早く行くぞコラ!」
ニット帽に急かされ、建物を出た。
さっきと同じように、私とエミさんが並んで歩く。
雪が降り続いている。
彼女はもう、私の手を取らなかった。
13
あなたにおすすめの小説
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
高嶺の花の高嶺さんに好かれまして。
桜庭かなめ
恋愛
高校1年生の低田悠真のクラスには『高嶺の花』と呼ばれるほどの人気がある高嶺結衣という女子生徒がいる。容姿端麗、頭脳明晰、品行方正な高嶺さんは男女問わずに告白されているが全て振っていた。彼女には好きな人がいるらしい。
ゴールデンウィーク明け。放課後にハンカチを落としたことに気付いた悠真は教室に戻ると、自分のハンカチの匂いを嗅いで悶える高嶺さんを見つける。その場で、悠真は高嶺さんに好きだと告白されるが、付き合いたいと思うほど好きではないという理由で振る。
しかし、高嶺さんも諦めない。悠真に恋人も好きな人もいないと知り、
「絶対、私に惚れさせてみせるからね!」
と高らかに宣言したのだ。この告白をきっかけに、悠真は高嶺さんと友達になり、高校生活が変化し始めていく。
大好きなおかずを作ってきてくれたり、バイト先に来てくれたり、放課後デートをしたり、朝起きたら笑顔で見つめられていたり。高嶺の花の高嶺さんとの甘くてドキドキな青春学園ラブコメディ!
※2学期編4が完結しました!(2025.8.4)
※お気に入り登録や感想、いいねなどお待ちしております。
You Could Be Mine ぱーとに【改訂版】
てらだりょう
恋愛
高身長・イケメン・優しくてあたしを溺愛する彼氏はなんだかんだ優しいだんなさまへ進化。
変態度も進化して一筋縄ではいかない新婚生活は甘く・・・はない!
恋人から夫婦になった尊とあたし、そして未来の家族。あたしたちを待つ未来の家族とはいったい??
You Could Be Mine【改訂版】の第2部です。
↑後半戦になりますので前半戦からご覧いただけるとよりニヤニヤ出来るので是非どうぞ!
※ぱーといちに引き続き昔の作品のため、現在の状況にそぐわない表現などございますが、設定等そのまま使用しているためご理解の上お読みいただけますと幸いです。
借りてきたカレ
しじましろ
恋愛
都合の良い存在であるはずのレンタル彼氏に振り回されて……
あらすじ
システムエンジニアの萩野みさをは、仕事中毒でゾンビのような見た目になるほど働いている。
人の良さにつけ込まれ、面倒な仕事を押しつけられたり、必要のない物を買わされたり、損ばかりしているが、本人は好きでやっていることとあまり気にしていない。
人並みに結婚願望はあるものの、三十歳過ぎても男性経験はゼロ。
しかし、レンタル彼氏・キキとの出会いが、そんな色の無いみさをの日常を大きく変えていく。
基本的にはカラッと明るいラブコメですが、生き馬の目を抜くIT企業のお仕事ものでもあるので、癖のあるサブキャラや意外な展開もお楽しみください!
管理人さんといっしょ。
桜庭かなめ
恋愛
桐生由弦は高校進学のために、学校近くのアパート「あけぼの荘」に引っ越すことに。
しかし、あけぼの荘に向かう途中、由弦と同じく進学のために引っ越す姫宮風花と二重契約になっており、既に引っ越しの作業が始まっているという連絡が来る。
風花に部屋を譲ったが、あけぼの荘に空き部屋はなく、由弦の希望する物件が近くには一切ないので、新しい住まいがなかなか見つからない。そんなとき、
「責任を取らせてください! 私と一緒に暮らしましょう」
高校2年生の管理人・白鳥美優からのそんな提案を受け、由弦と彼女と一緒に同居すると決める。こうして由弦は1学年上の女子高生との共同生活が始まった。
ご飯を食べるときも、寝るときも、家では美少女な管理人さんといつもいっしょ。優しくて温かい同居&学園ラブコメディ!
※特別編11が完結しました!(2025.6.20)
※お気に入り登録や感想をお待ちしております。
【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
椿かもめ
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。
泉野あおい
恋愛
人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。
でも今、確かに思ってる。
―――この愛は、重い。
------------------------------------------
羽柴健人(30)
羽柴法律事務所所長 鳳凰グループ法律顧問
座右の銘『危ない橋ほど渡りたい。』
好き:柊みゆ
嫌い:褒められること
×
柊 みゆ(28)
弱小飲料メーカー→鳳凰グループ・ホウオウ総務部
座右の銘『石橋は叩いて渡りたい。』
好き:走ること
苦手:羽柴健人
------------------------------------------
こじらせ女子の恋愛事情
あさの紅茶
恋愛
過去の恋愛の失敗を未だに引きずるこじらせアラサー女子の私、仁科真知(26)
そんな私のことをずっと好きだったと言う同期の宗田優くん(26)
いやいや、宗田くんには私なんかより、若くて可愛い可憐ちゃん(女子力高め)の方がお似合いだよ。
なんて自らまたこじらせる残念な私。
「俺はずっと好きだけど?」
「仁科の返事を待ってるんだよね」
宗田くんのまっすぐな瞳に耐えきれなくて逃げ出してしまった。
これ以上こじらせたくないから、神様どうか私に勇気をください。
*******************
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる