一億円の花嫁

藤谷 郁

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コンフォート(最終章)

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 私は今、思い出の場所にいる。
 季節は秋。
 紅葉した木々が湖面に映り、夢のように美しい。



「奈々子、そろそろ日が暮れるぞ。身体が冷えないうちに戻ろう」
「あ、はい」

 ベンチに座り景色に見惚れる私に、織人さんが声をかけた。

「ほら、これを着て」
「ありがとう。でも織人さんは?」
「俺はいいんだ。暑がりだから」

 ジャケットを脱いで羽織らせてくれた。
 大きな温もりに包まれて、幸せな気持ちになる。

「きれいだな。見事な紅葉だ」
「うん」

 湖畔の遊歩道。
 どちらからともなく手を繋いだ。
 プラチナリングが秋の陽にきらめいている。

「しかし、あっという間の休みだったなあ。スケジュールがきつくて、二泊三日がせいいっぱいだった。すまない」
「そんな、十分です。『まゆき』に泊まれるだけでも嬉しいんだから。しかも最上級の部屋に」

 そう、私と織人さんは、思い出のホテル『まゆき』に泊まり、高原の秋を楽しんでいる。
 雪景色も素敵だけれど、紅葉に彩られたレイクビューにもうっとりしてしまう。

「『まゆき』は系列のホテルでナンバーワンの人気なんですよね?」
「ああ。海外からの旅行者に好評で、リピーターがさらに増えている。新たなサービスを企画中なんだ」

 進行中のプロジェクトについて生き生きと話す。楽しそうな様子に、私は思わず微笑んだ。

「ん? どうかしたか」
「ううん。近頃の織人さんって、すごく仕事熱心だなあと」
「ははっ、確かに。俺もそう思う」

 ふと足を止める。
 遊歩道が二手にわかれ、片方には柵が置かれていた。
 
「柵を設置したんだ。立入禁止区域に、お客さんが迷い込まないようにね」
「あ……うふふっ」

 二人で笑い合う。
 ここは、私と彼が初めて出会った場所である。忘れもしない、一年前のこと。
 今よりもう少し先の季節で、雪の世界だった。

「あの時は、本当にびっくりしました。どうしようかと思った」
「それを言うなら俺もだよ。突然タックルされて、しかも裸を見られちまった」

 ニヤリとする彼に、肩をトンとぶつける。まったくこの人は、相変わらずなんだから。

 「もう一年か……いろいろあったな」
「そう、ですね」

 あの日、織人さんと出会ってから私の運命は変わった。
 驚くほどのスピードで、思いもよらぬ方向へと進んで行く。だけど、戸惑いながらも私はいつもドキドキして、夢見るような心地だった。
 理想を超えたヒーローに導かれて。

「来月、莉央さんに会うんだよな」
「あ、うん。夏樹も一緒に、伊豆のホテルで食事する約束なの」

 のあと、莉央に電話をかけた。ものすごく緊張したけれど、莉央だって勇気を出して連絡してくれたのだから、お返しである。
 でも、声を聞いた瞬間、緊張なんて吹き飛んでしまった。時間も距離も飛び越えたのは、嬉しかったから。
 私たちは中学時代のように、おしゃべりした。莉央の気持ちが、思いが伝わってきた。それは彼女も同じだと感じた。

 織人さんが手を繋ぎ直し、再び歩き始める。

「3人で会って、あらためて中学時代の話をするんだろ? つらくないか」
「私は大丈夫。織人さんこそ」
「俺?」
「その、中学時代のことで、あなたに迷惑を。あの事件も……」
「ああ……」

 あの事件。
 それは、綾華が私を誘拐し、織人さんや他の人々を巻き込み、世間が大騒ぎになった出来事である。

「あれから大変でしたよね」
「俺は全然、なんてことないぜ。ま、結果オーライってやつさ」

 大騒ぎになった理由は二つあり、一つは猿渡さんの動画だった。こともあろうに彼は、織人さんが大暴れする場面をライブ配信していたのだ。
 アクション映画さながらの動画は大反響となり、瞬く間に拡散された。人間業とは思えないキングの格闘術が全世界に広がり、なんと再生回数1000万を超えたという。

「そもそも猿渡に生配信しろって言ったのは俺だし。ただ、マスクを取った場面も拡散されちまったからなあ」

 織人さんが苦笑する。
 本当に大変だったのだ。
 なにしろ事件現場の動画であり、しかもキングの正体が明かされている。
 内容が内容のため直に配信停止となったが、拡散された動画はネット上に残るだろう。
 
 そんなわけで、織人さんはお義父さんと役員から大目玉を食らった。
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