一億円の花嫁

藤谷 郁

文字の大きさ
11 / 198
強引なお誘い

しおりを挟む
(そ、そんなわけない。夢見すぎだよ、私ったら)

 そっと顔を上げると、由比さんが優しく微笑みかけた。
 体の芯が蕩けそうになるのを感じる。
 こんなに素敵な夢があるだろうか。

「さてと、まずは乾杯しましょう。シャンパンで良いかな?」
「は、はい」

 いつの間にか関根さんがいなくなり、代わりに給仕の人がワゴンを押して入室した。
 レストランのスタッフだろうか。所作に無駄がなく、食前酒を注いだあとは滑らかな動作で退室する。
 ドアを開けてあるので出入りがスムーズだ。
 
 グラスを合わせると、シャンパンの泡がキラキラと光った。
 
「きれい……」

 思わずつぶやく私に、由比さんが嬉しそうに笑いかける。

「そうそう、リラックスしてください。お酒も食事も楽しんで」

 私のぎこちなさを緊張と受け止めたようだ。ドキドキしたり、あらぬ考えに戸惑う心を見抜かれないよう、素直に「はい」と返事した。

 シャンパンを飲むと、少し気分が落ち着いた。お酒は好きでも嫌いでもないが、アルコールのリラックス作用が今はありがたい。

「体調が戻られて良かった。大変な目に遭いましたね」
「え?」

 一瞬、なんのことかと思った。

(あっ、そうだった)

 猿のマスクが頭に浮かび、私は食事に誘われた理由を思い出す。由比さんのオーラに圧倒されて、変質者の一件を完全に忘れていた。

「もう大丈夫です。少し眠ったら、すっかり元気になりました」

 気を遣われないよう明るく言ったのだが、由比さんは神妙な顔つきになり、頭を下げた。

「すべて当ホテルの不手際と管理不足が原因です。お許しください」
「そ、そんな。違います。ホテルのせいじゃありません」

 そこのところは本当に、ハッキリしておきたかった。
 ホテルの管理不足など、あり得ない。遊歩道の隅々まで雪かきがされているのを、私は知っている。

「大月さんがホテルの敷地内で不愉快な思いをされたのは事実です。私としては、お詫びをしなければ気が済まない」
「由比さん……」

 彼の真摯な態度に、私は胸を打たれた。

 セレブリティを顧客に抱える高級ホテルは、ブランドイメージをなにより大切にしている。変態男の出没は、それを傷つけるとんでもない事件なのだ。

 とはいえ、私はセレブどころか会員ですらない一見の客。しかも迷惑をかけたのはこちらなのに、トップ自ら全面的に責任を認め謝罪するとは、やはり三保コンフォートは一流の中の一流である。
 ますます憧れてしまう。

「変質者については、きっちりと処理したのでご安心ください。ただ……」

 由比さんがふと、まつ毛を伏せた。

「ど、どうかされましたか?」

 変態男の件でなにか問題があったのかと不安になるが……

「いえ、今は食事を楽しみましょう」

 彼の合図で、前菜が運ばれてきた。
 飲み物はワインの他に、名産の林檎酒をすすめられる。グラスに注いでもらうと、爽やかな香りがした。

 さっき、何を言いかけたのだろう。気になるけれど、由比さんが料理について話し始めたので、それに合わせた。
 重要なことなら後で教えてくれるだろう、きっと。

「おすすめは林檎酒だけじゃありません。特別なお客様である貴女に、ホテル自慢の料理を存分に味わってもらいたいな」
「えっ?」

 特別なお客様。
 意味深な言葉にドキッとするが、すぐに気のせいだと理解する。
 今夜のディナーは『お詫び』なのだ。
 私という客に対して、彼は責任を感じているだけ。
 
「コース以外にも豊富なメニューが揃っています。お好みでアレンジも可能なので、遠慮なくリクエストしてくださいね」
「はい。ありがとうございます」

 紳士で優しいCEO。
 強引なお誘いに戸惑ったけれど、今となってはそれすら魅力に感じるのだから不思議だ。

(そうよね。今は食事と、王子様との時間を楽しもう)
 
 予想外のできごとから、予想外の出会いに繋がる。奇跡的とも言える神様からのプレゼントを、素直に受け取る私だった。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの愉快な旦那さん

川上桃園
恋愛
 あまりの辛さにブラックすぎるバイトをやめた。最後塩まかれたけど気にしない。  あ、そういえばこの店入ったことなかったな、入ってみよう。 「何かお探しですか」  その店はなんでも取り扱うという。噂によると彼氏も紹介してくれるらしい。でもそんなのいらない。彼氏だったらすぐに離れてしまうかもしれないのだから。  店員のお兄さんを前にてんぱった私は。 「旦那さんが欲しいです……」  と、斜め上の回答をしてしまった。でもお兄さんは優しい。 「どんな旦那さんをお望みですか」 「え、えっと……愉快な、旦那さん?」  そしてお兄さんは自分を指差した。 「僕が、お客様のお探しの『愉快な旦那さん』ですよ」  そこから始まる恋のお話です。大学生女子と社会人男子(御曹司)。ほのぼのとした日常恋愛もの

27歳女子が婚活してみたけど何か質問ある?

藍沢咲良
恋愛
一色唯(Ishiki Yui )、最近ちょっと苛々しがちの27歳。 結婚適齢期だなんて言葉、誰が作った?彼氏がいなきゃ寂しい女確定なの? もう、みんな、うるさい! 私は私。好きに生きさせてよね。 この世のしがらみというものは、20代後半女子であっても放っておいてはくれないものだ。 彼氏なんていなくても。結婚なんてしてなくても。楽しければいいじゃない。仕事が楽しくて趣味も充実してればそれで私の人生は満足だった。 私の人生に彩りをくれる、その人。 その人に、私はどうやら巡り合わないといけないらしい。 ⭐︎素敵な表紙は仲良しの漫画家さんに描いて頂きました。著作権保護の為、無断転載はご遠慮ください。 ⭐︎この作品はエブリスタでも投稿しています。

期待外れな吉田さん、自由人な前田くん

松丹子
恋愛
女子らしい容姿とざっくばらんな性格。そのギャップのおかげで、異性から毎回期待外れと言われる吉田さんと、何を考えているのか分からない同期の前田くんのお話。 *** 「吉田さん、独り言うるさい」 「ああ!?なんだって、前田の癖に!前田の癖に!!」 「いや、前田の癖にとか訳わかんないから。俺は俺だし」 「知っとるわそんなん!異議とか生意気!前田の癖にっ!!」 「……」 「うあ!ため息つくとか!何なの!何なの前田!何様俺様前田様かよ!!」 *** ヒロインの独白がうるさめです。比較的コミカル&ライトなノリです。 関連作品(主役) 『神崎くんは残念なイケメン』(香子) 『モテ男とデキ女の奥手な恋』(マサト) *前著を読んでいなくても問題ありませんが、こちらの方が後日談になるため、前著のネタバレを含みます。また、関連作品をご覧になっていない場合、ややキャラクターが多く感じられるかもしれませんがご了承ください。

フローライト

藤谷 郁
恋愛
彩子(さいこ)は恋愛経験のない24歳。 ある日、友人の婚約話をきっかけに自分の未来を考えるようになる。 結婚するのか、それとも独身で過ごすのか? 「……そもそも私に、恋愛なんてできるのかな」 そんな時、伯母が見合い話を持ってきた。 写真を見れば、スーツを着た青年が、穏やかに微笑んでいる。 「趣味はこうぶつ?」 釣書を見ながら迷う彩子だが、不思議と、その青年には会いたいと思うのだった… ※他サイトにも掲載

月城副社長うっかり結婚する 〜仮面夫婦は背中で泣く〜

白亜凛
恋愛
佐藤弥衣 25歳 yayoi × 月城尊 29歳 takeru 母が亡くなり、失意の中現れた謎の御曹司 彼は、母が持っていた指輪を探しているという。 指輪を巡る秘密を探し、 私、弥衣は、愛のない結婚をしようと思います。

溺婚

明日葉
恋愛
 香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。  以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。  イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。 「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。  何がどうしてこうなった?  平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?

美しき造船王は愛の海に彼女を誘う

花里 美佐
恋愛
★神崎 蓮 32歳 神崎造船副社長 『玲瓏皇子』の異名を持つ美しき御曹司。 ノースサイド出身のセレブリティ × ☆清水 さくら 23歳 名取フラワーズ社員 名取フラワーズの社員だが、理由があって 伯父の花屋『ブラッサムフラワー』で今は働いている。 恋愛に不器用な仕事人間のセレブ男性が 花屋の女性の夢を応援し始めた。 最初は喧嘩をしながら、ふたりはお互いを認め合って惹かれていく。

君に恋していいですか?

櫻井音衣
恋愛
卯月 薫、30歳。 仕事の出来すぎる女。 大食いで大酒飲みでヘビースモーカー。 女としての自信、全くなし。 過去の社内恋愛の苦い経験から、 もう二度と恋愛はしないと決めている。 そんな薫に近付く、同期の笠松 志信。 志信に惹かれて行く気持ちを否定して 『同期以上の事は期待しないで』と 志信を突き放す薫の前に、 かつての恋人・浩樹が現れて……。 こんな社内恋愛は、アリですか?

処理中です...