一億円の花嫁

藤谷 郁

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夢の時間

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 華やかで、キラキラとまばゆい世界。

 もちろん由比さんのそばには恋人がいて、彼と同じく教養豊かで、なんらかの才能にあふれた女性ひとに違いない。その上、美人でスタイルもよくて、立派な家柄のご出身で……

(ああ……そうよね。私、どうして考えなかったんだろう)

 王子様とデートだなんて、浮かれた自分が恥ずかしい。
 今の由比さんにも恋人がいるだろうし、もしかしたら既婚者かもしれない。薬指に指輪がなくても、その可能性はある。

 由比さんは別世界の人。

 私という人間は、親や姉妹きょうだいからも疎んじられるような、落ちこぼれである。勉強もスポーツもダメで、容姿も性格も地味。

 恋人はもちろんいないし、友達と呼べる人も、幼なじみのはなちゃんだけ。『あの日』以降、周りの子がみんなで遊んだり、笑ったりするのを、羨むばかりだった。

 分かっているのに、なぜ考えなかったのだろう。

 たぶん私は、都合よく解釈したかったのだ。
 夢に酔いしれたくて。

 彼に恋人がいてもいなくても、結果は変わらないけれど――



「おや、もうこんな時間だ」

 由比さんが時計を確かめる。私もそっと時計を見ると、午後8時を過ぎていた。お店に入ってから2時間が経とうとしている。

「大月さんといると、ついお喋りになってしまうな。あなたは聞き上手ですね」
「そ、そんなこと、初めて言われました」
「そうですか? あなたと過ごす時間は豊かで、穏やかで、私はとても楽しいですよ」

 また、楽しいと言った……

「な、なんだか照れてしまいます。誰からも、そんな風に言ってもらったことがないから」
「本当に?」

 信じられないという顔。その反応も、お客に対するサービスなのだと冷静に考える。だって、私といて楽しいはずがない。
 でも、やっぱり嬉しくなってしまう自分はどうかしている。

「遅くなると、関根さんに叱られてしまうな。そろそろ出ましょうか」
「あ、はい」

 夢はいつまでも続かず、もうすぐ終わってしまう。

 ロマンス小説はフィクション。シンデレラは、おとぎ話。
 12時の鐘が鳴れば、私は現実に戻り、東京へと帰る。望まぬ相手と結婚する人生みちへと進むために。

 現実を忘れてはいけないと、自分に言い聞かせた。



 外に出ると寒さが身に沁みた。
 気温は1度か2度だろうか。昼間はさほどでもないが、高原の夜は、かなり冷え込むのだ。

 道路を挟んだ向こう側にスキー場の駐車場がある。ボードやスキー板を積んだ車が次々とゲートを出ていくのが見えた。観光バスや、ホテルの名前が入ったマイクロバスも多い。

 人気のスキー場なんだなあと、賑やかな光景をぼんやりと眺めた。

 ガイドブックによると、ゴールデンウィークの頃までオープンしているそうだ。

 最近はスキーだけでなく、通年レジャーが楽しめるよう、アクティビティを工夫しているらしい。
 例えば、今年の夏にスケートボードのエリアが増設されると書いてあった。

(ボード系スポーツって、カッコいいな。運動神経が良ければ挑戦してみたいけど……私には一生、縁のない世界だよね)

「大月さんの得意なスポーツはなんですか?」

 びっくりして、由比さんを見上げた。心を読まれたのかと思った。

「わ、私はその、得意なスポーツがない、というより、運動神経がゼロなので、そもそもスポーツはやらないです」

 我ながら情けない答えである。でも由比さんは呆れるでもなく、

「そうですか。大月さんは、運動が苦手なんですね」
「え、ええ」

 なぜか嬉しそうにニコニコしている。よく分からないが、バカにされなくて良かったと思う。私の場合、苦手というレベルではないので、学校では男子たちによくからかわれたものだ。特に、中学生の頃……

「大月さん」
「あ、はい」

 嫌なことを思い出してネガティブになるところだった。私は気を取り直し、由比さんと向き合う。

「もう少し、付き合っていただけますか」
「え……」

 由比さんは真面目だった。
 てっきりもう帰るものと思っていた私はすぐに反応できず、動揺する。

「お願いします。あなたに、見せたいものがあるのです」
「は、はい。私は大丈夫ですが……」

 私に見せたいもの。
 一体なんなのか見当もつかないが、夢の時間が延長されるのだ。
 断る理由がない。

「良かった。では、参りましょう」

 由比さんが歩きだす。車ではなく、徒歩で行くようだ。

「?」

 ゆっくりと歩く彼に付いて行った先は、スキー場の入り口だった。
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