一億円の花嫁

藤谷 郁

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化け猿の花嫁

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「遅かったな、奈々子。具合でも悪くなったのかと心配したよ」
「す、すみません」

 ある意味、当たっている。由比さんの正体を知った私は、かなり具合が悪い。今すぐ家に帰って、横になりたいくらいに。

「それにしても、本当にキレイだなあ」
「えっ?」

 由比さんはにんまりすると、私の姿をしげしげと眺め回した。

「雪のように白い肌、つややかな黒髪、あでやかな振り袖姿……うん、すごくいいぞ。俺の花嫁は最高に美しく、めちゃくちゃ可愛い!」
「は、はい?」

 私のことを言っているのだろうか。興奮した口調で、目をキラキラさせて……ていうか花嫁って、まだお見合いが始まったばかりで、しかも私は断るつもりなのに。
 返事のしようがなくオドオドしていると、由比さんがいきなり肩を抱いてきた。

「きゃっ……!?」
「記念撮影しようぜ。ほら、にっこり笑って」

 スマートフォンを掲げ、頬が触れんばかりの距離でツーショットする。突然の、有無を言わさぬ強引な振る舞いに私は驚き、笑うどころではない。

(こ、怖い……!)

「なんだ、表情が硬いな。緊張してるのか?」
「……!?」

 超至近距離で、顔を覗き込まれた。
 以前とは違う意味で、動悸が激しくなる。この人はまるで、肉食獣。いや、人間を襲って食らおうとする妖怪だ。
 私は今、化け猿の餌食になろうとしている。

「はああ……カワイイ。どんな顔をしても、奈々子は可愛いなあ」

 彼の頬が、ぽっと赤くなる。この人はもしかして、本気でそう思っているのかしら。
 だとしても、嬉しくない。かえって恐ろしく、身の危険を感じる。

「あ、あの、由比さん……す、座ってお話ししましょう?」

 手のひらを彼の胸に当て、そっと押し返した。
 私は怯えながらも、刺激しないよう努力する。何しろ相手は、人間のふりをした化け物なのだから。

「ああ、すまない。奈々子があまりにも可愛いから、つい興奮しちゃったよ」

 明るく笑うと、私の手を取り、テーブルへと連れて行く。強引なリードだが、こちらの足元に気を遣い、椅子を引いてくれる所作は紳士的である。
 全ての行動が粗暴ではないことに、私は少しホッとした。


「さてと、まずは乾杯といこうか」

 ウエイターがお酒を運んできた。由比さんに合わせて、グラスを手にする。

「二人の再会と、輝かしい未来への第一歩に、干杯!」
「か、干杯」

 中華料理のマナーは、いつか観たロマンス映画に出てきたので、知っている。注がれたお酒を一気に飲み干し、グラスを空にした。

「美味いな」

 私と目を合わせ、嬉しそうに微笑む。その顔は、はっとするほど美しく、男性としての魅力にあふれていた。
 彼は『キング』だが、『由比織人』でもあると、ぼんやり思う。

(だけど、本体は化け猿。忘れてはダメ)

 判断が鈍らないよう、お酒は控えめにすべきだ。そう思い、グラスを卓に置いて、身構えた。

「美味い酒だが、アルコールは乾杯だけにしよう」
「えっ?」

 由比さんがウエイターに合図し、グラスを下げさせた。その代わり、茶器が用意される。

「まだ明るいし、お茶のほうがいいと思ってね」
「あっ……もしかして」

 ウエイターが私のそばに来て、革製のファイルを手渡す。開いてみると、料理の写真がずらりと並んでいた。
 これは、飲茶ヤムチャのメニューリストと、オーダーシートである。

「好きな点心を注文してくれ。茶葉も、お好みでどうぞ」
「は、はい。ありがとうございます」

 飲茶ということは、お茶だけで良いのだ。なにごとも豪勢な彼が軽食スタイルとは意外な選択だが、正直、ありがたい。着物なのでたくさんは食べられないし、大皿に腕を伸ばして袂を汚さずに済む。

「わっ、種類が豊富ですね」

  定番からオリジナルまで、たくさんの点心が揃っている。私はしばし状況を忘れ、わくわくしながら料理を選んだ。

「ははっ、嬉しそうだな。奈々子は飲茶が好き?」
「はい。美味しくて、見た目も可愛いので、大好きです」
「そうだろ、そうだろ」

 由比さんが目尻を垂らし、満足そうにうなずく。

「まあ、一番可愛いのは奈々子だけどな。ふふふ……」
「え?」
「なんでもない」

 今、なんて言ったのだろう。
 それに、私の好みを知っていたかのような口ぶりだった。よく分からないが、とにかく彼は、ご機嫌である。
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