一億円の花嫁

藤谷 郁

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化け猿の花嫁

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「どうしてそんなに否定される?」
「え?」

 目尻を拭って顔を上げると、由比さんの視線とぶつかる。その瞳は、穏やかな色をしていた。

「何かあったのか」
「それは……」

 思い当たることは、ただ一つ。
 父だけでなく、家族に疎まれるようになったきっかけ。由比さんは、まだそこまで調べていないようだ。
 しかし、それは言いたくない。
 輝かしい青春時代を過ごしたであろう彼には、とても言えない。
 惨めすぎるから。

「奈々子?」
「……」

 黙っていると、由比さんはそれ以上追及しなかった。なんとなく察したのか、それとも呆れたのか。
 いずれにしろ、そろそろ潮時だ。今度こそ本当に、彼とお別れする。身分や経歴だけでなく、考え方や価値観まで違う人とは、結婚できない。

「奈々子、よく聞け」
「えっ?」

 由比さんが、いきなり立ち上がった。

「否定されても、突っぱねろ。理不尽な要求は拒否すればいい。自分を信じて、まずは何でもやってみることだ。俺のようにな!」
「ひっ!?」

 私の横に椅子を持ってきて、どっかりと座る。鼻息が荒く、どうしてか、かなり興奮している。

「あ、あの……?」
「俺は周囲の反対を押し切ってウーチューバーになった。奈々子も、嫌なことは嫌だとハッキリ意思を示すんだ。そして、やりたいことをやればいい」

 至近距離で、力強く説得された。由比さんの身体は大きく、力がみなぎっている。彼という人はまるで、そばにいるだけでエネルギーが充填される、太陽みたいだ。

「これからは俺がついてる。いつ何時でも、俺が目いっぱい守ってやるから、安心して意思を示せ。いいな?」
「い、嫌なことは、嫌だと……?」
「ああ、そうだ」

 なんて頼もしい人だろう。この人が味方してくれたら、誰だって勇気百倍になる。
 私は、ほんの少しだけキングの魅力を理解できた気がした。

 だけど、だけど……

 彼と生活をともにするなんて、想像するだけで目が回りそう。私は、物腰穏やかで落ちついた、ウーチューバーではない男性と暮らしたい。

 大きな声も、筋肉自慢も、猿のマスクも、生理的に、無理。
 考え方とか価値観以前に、ついて行けない。

「正直に生きるんだ!! 俺と一緒に!!!」
「嫌です。あなたとは結婚しません!」

 由比さんが、きょとんとした。
 私といえば、ほとばしりでた言葉に自分で驚き、彼を見つめるばかり。

「今、結婚しないって、言った?」
「は、はい」

 逆上されるかもーー私はビクビクしながら、由比さんの反応を待つ。
 だけど、返事は取り消さない。
 なぜなら、彼が言ったのだ。嫌なことは嫌と、ハッキリ意思を示せと。

「へええ、そうか。奈々子は嫌なわけね、俺と結婚するのが」
「……はい」

 蚊の鳴くような声でも、この至近距離だから、しっかり聞こえただろう。
 彼は心外そうに、眉根を寄せた。

「それが君の意思ってわけだ。ふうん、なるほど。俺のアドバイスをさっそく実行に移したんだな……ふ、ふふふ」
「あ、あの……?」

 不気味な笑い声が、フロアに響く。そして、それが途切れた瞬間、彼の口調がクールなものへと変わった。
 
「駄目だ。そいつは受け入れられない。奈々子は俺と、結婚するんだ」
「え……ええっ!?」

 そんなバカな。さっきのアドバイスと矛盾している。

「だ、だって、嫌なら拒否すればいいって、あなたが……」
「ああ、拒否すればいい。だが俺は簡単にあきらめない、それだけの話だ」
「ええっ!?」

 あまりにも都合の良い理屈。というか、強引すぎる。私の意思など、最初から無視するつもりだったのでは?
 唖然とする私に、彼は追い討ちをかけた。

「それに、もし君がこの縁談を断るなら、大月不動産への出資計画は白紙に戻す。それどころか会社を買収して、バラバラに売り飛ばしてもいいんだぜ? 俺様にかかれば、小さな不動産会社などひとたまりもない」
「な、なんてことを……」

 ひどい、ひどすぎる。
 この人はやっぱり妖怪だ。
 ひ弱な人間である私は、手も足も出ない。
 
「君が『うん』と言えば、誰もが幸せになれる。よおーく、考えるんだな。ふははは……!」
「ゆ……由比さん、あなたという人は」
「よし、決めた。今夜8時、君の家に行って家族にご挨拶する。その時には腹を括っておいてくれよ、奈々子」
「……!?」

 頬にキスされた。
 あまりの素早さに抵抗する間もなく、身じろぎ一つできず。
 風のように立ち去る彼を、見送るほかなかった。

「どうしてこうなるの?」

 全身を震わせつつ、恐怖に耐える。
 断る勇気をもってしても、逆らえなかった。この無力感は、人生最大級。

 私は、化け猿の花嫁になるのだ。
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