一億円の花嫁

藤谷 郁

文字の大きさ
66 / 198
横浜デート

しおりを挟む
 トイレを先に済ませてから、パウダースペースで化粧を直した。由比さんとすれ違ってはいけないので、手早く作業する。

 化粧室には私と、もう一人の女性が隣にいるだけ。仕切りがあるので顔は見えないが、若い女性のようだ。
 静かな空間に、クラシック曲が控えめに流れている。

「よし、できた」

 ポーチを仕舞い、急いで外に出ようとした。

「ねえ、待って。もしかして奈々子じゃない?」
「えっ?」

 ふいに名前を呼ばれ、びっくりする。
 振り向くと、隣でメイクをしていた女性がこちらを見ていた。

「……!」

 一瞬、誰か分からなかった。
 だがすぐに、彼女であると理解した。
 そして、反射的に身体が動かなくなったことに自分で驚く。

「やっぱり奈々子だ。わあ、驚いた!」

 なぜ、どうしてここに?
 突然の出来事に愕然としながら、激しく後悔する。
 あの頃より声が低くて、彼女だと気づかなかった。もし気づいていたら、呼ばれても振り向かず、全力で逃げたのに。

「きゃー、懐かしい。元気だったあ?」

 躊躇わず近づいて来る彼女を、瞬きもせず見つめた。
 相変わらず可愛い。いや、綺麗と言ったほうが相応しい。艶やかな長い髪。隙のないメイク。ハイブランドの洋服をしっくり着こなしている。

 あの頃、私たちはまだ子どもだった。でも今の彼女は大人の女性であり、もちろん私もそのはずだ。
 それなのに、身体が動かない。まるで14歳の頃に戻ったみたいに、萎縮して。

「どうしたのよ。まさか私のこと、忘れちゃった?」

 すぐそばに来て、上から見下ろす。

 どうしてこんな風に、何ごともなかったかのように、普通に話せるの? あなたこそ忘れてしまったの?

 恐れや怒り、悲しみ。ありとあらゆる負の感情に支配される。私はまったく乗り越えられていない。それを痛感して、涙が出そうだった。

「ねえってば。私の名前、覚えてるわよね?」
「……」

 中学2年の春。私は彼女と横浜に遊びに来た。
 可愛くて、成績が良くて、誰もが憧れるお嬢様。彼女を中心とするグループの仲間となった私は、それから……

綾華あやか

 震え声で名を呼ぶと、彼女は楽しげに笑った。

「良かったー、覚えてたんだ。そりゃそうよね、少しの間だけど、私たち友達だったもの」

 違う、私だけじゃない。この子も変わっていないと、はっきり感じた。
 ぎらぎらした瞳は、あの頃のまま。いたぶる相手を見つけて、喜びに輝いている。
 気のせいじゃない。
 気のせいならどんなにいいか。

「ほんと懐かしいなあ。奈々子ってば、別の高校に行っちゃうんだもん。せっかくの付属校なのに、どうして内部進学しないのかなあって、みんな不思議がってたのよ?」

 信じられない発言だった。
 だがこれが彼女、西野にしの綾華なのだと思い出す。
 わざととぼけて傷つけて、私が戸惑ったり悲しむ姿を、彼女は楽しんでいた。
 強烈なフラッシュバックに襲われ、私の身体はぐらぐらと揺れはじめる。
 
「あ、そうそう。みんなと言えば、莉央りおが今度結婚するから、久々にグループで集まることになったのよ」

 ビクッとする私を見て、綾華が微笑む。嗜虐的な恐ろしい笑顔が、私の心をさらに萎縮させた。
 莉央。
 忘れるはずもない名前だった。

「そうよ、加納かのう莉央。懐かしいよね、奈々子が一番仲良かったものね。あっ、良かったら二次会に来ない? 私が伝えておくから、連絡先を交換しようよ」

 綾華がスマホを取り出すのを見て、総毛立った。

「アプリでもいいし、SNSでも……」
「あ、あの!」

 言葉を遮るように、けんめいに声を出した。情けないほど膝がガクガクする。

「あの……ごめんなさい。私、もう行かなきゃ」

 由比さんの顔が頭に浮かぶ。
 早く彼のところに戻ろう。一分一秒でもこの場にいたくない。
 また、ズタズタにされる。

「ええ? なんでよ。ちょっとぐらい話そうよ。せっかく再会したのに、奈々子ってば相変わらず冷たーい」

 冗談めかすが、目が笑っていない。私は本当に泣きそうだった。

「ひ、人が待ってるから。ごめんなさい……さよなら!」
「あ、ちょっと待ちなさいよ!」




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

網代さんを怒らせたい

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「なあ。僕たち、付き合わないか?」 彼がなにを言っているのかわからなかった。 たったいま、私たちは恋愛できない体質かもしれないと告白しあったばかりなのに。 しかし彼曰く、これは練習なのらしい。 それっぽいことをしてみれば、恋がわかるかもしれない。 それでもダメなら、本当にそういう体質だったのだと諦めがつく。 それはそうかもしれないと、私は彼と付き合いはじめたのだけれど……。 和倉千代子(わくらちよこ) 23 建築デザイン会社『SkyEnd』勤務 デザイナー 黒髪パッツン前髪、おかっぱ頭であだ名は〝市松〟 ただし、そう呼ぶのは網代のみ なんでもすぐに信じてしまい、いつも網代に騙されている 仕事も頑張る努力家 × 網代立生(あじろたつき) 28 建築デザイン会社『SkyEnd』勤務 営業兼事務 背が高く、一見優しげ しかしけっこう慇懃無礼に毒を吐く 人の好き嫌いが激しい 常識の通じないヤツが大嫌い 恋愛のできないふたりの関係は恋に発展するのか……!?

フローライト

藤谷 郁
恋愛
彩子(さいこ)は恋愛経験のない24歳。 ある日、友人の婚約話をきっかけに自分の未来を考えるようになる。 結婚するのか、それとも独身で過ごすのか? 「……そもそも私に、恋愛なんてできるのかな」 そんな時、伯母が見合い話を持ってきた。 写真を見れば、スーツを着た青年が、穏やかに微笑んでいる。 「趣味はこうぶつ?」 釣書を見ながら迷う彩子だが、不思議と、その青年には会いたいと思うのだった… ※他サイトにも掲載

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

わたしの愉快な旦那さん

川上桃園
恋愛
 あまりの辛さにブラックすぎるバイトをやめた。最後塩まかれたけど気にしない。  あ、そういえばこの店入ったことなかったな、入ってみよう。 「何かお探しですか」  その店はなんでも取り扱うという。噂によると彼氏も紹介してくれるらしい。でもそんなのいらない。彼氏だったらすぐに離れてしまうかもしれないのだから。  店員のお兄さんを前にてんぱった私は。 「旦那さんが欲しいです……」  と、斜め上の回答をしてしまった。でもお兄さんは優しい。 「どんな旦那さんをお望みですか」 「え、えっと……愉快な、旦那さん?」  そしてお兄さんは自分を指差した。 「僕が、お客様のお探しの『愉快な旦那さん』ですよ」  そこから始まる恋のお話です。大学生女子と社会人男子(御曹司)。ほのぼのとした日常恋愛もの

貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈

玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳 大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。 でも、これはただのお見合いではないらしい。 初出はエブリスタ様にて。 また番外編を追加する予定です。 シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。 表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。

27歳女子が婚活してみたけど何か質問ある?

藍沢咲良
恋愛
一色唯(Ishiki Yui )、最近ちょっと苛々しがちの27歳。 結婚適齢期だなんて言葉、誰が作った?彼氏がいなきゃ寂しい女確定なの? もう、みんな、うるさい! 私は私。好きに生きさせてよね。 この世のしがらみというものは、20代後半女子であっても放っておいてはくれないものだ。 彼氏なんていなくても。結婚なんてしてなくても。楽しければいいじゃない。仕事が楽しくて趣味も充実してればそれで私の人生は満足だった。 私の人生に彩りをくれる、その人。 その人に、私はどうやら巡り合わないといけないらしい。 ⭐︎素敵な表紙は仲良しの漫画家さんに描いて頂きました。著作権保護の為、無断転載はご遠慮ください。 ⭐︎この作品はエブリスタでも投稿しています。

溺婚

明日葉
恋愛
 香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。  以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。  イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。 「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。  何がどうしてこうなった?  平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?

俺に抱かれる覚悟をしろ〜俺様御曹司の溺愛

ラヴ KAZU
恋愛
みゆは付き合う度に騙されて男性不信になり もう絶対に男性の言葉は信じないと決心した。 そんなある日会社の休憩室で一人の男性と出会う これが桂木廉也との出会いである。 廉也はみゆに信じられない程の愛情を注ぐ。 みゆは一瞬にして廉也と恋に落ちたが同じ過ちを犯してはいけないと廉也と距離を取ろうとする。 以前愛した御曹司龍司との別れ、それは会社役員に結婚を反対された為だった。 二人の恋の行方は……

処理中です...