一億円の花嫁

藤谷 郁

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王子様の未来

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「まあまあ、由比さん。織人くんはちゃんと分かっておられますよ。夢は夢と割り切っているからこそ、正体を伏せて動画を公開されているのでしょう」

 父が間に入り、微かだが緊張感が和らぐ。私も他の家族もほっとして、ぎこちなくだが笑みを浮かべた。
 義父も矛をおさめて、しかしまだ不満そうに顔を顰めている。

「そうかもしれませんな。だが、正体を伏せるにしても、猿のマスクはない。それにあの格好、あの内容……三保コンフォートの優雅で上品なイメージとは程遠い、狂気のゴリラですよ」
「は、はあ……」

 さすがの父も、咄嗟にフォローできないようだ。なぜなら、まったくそのとおりだから。

「万が一、あれが織人だと世間にバレたら大変なことだ。イメージダウンも甚だしい。そうなったらもう親子の縁を切る。そうでもしなければ、顧客も株主も三保コンフォートを見捨てるだろう。伝統を守るべき創業家として、あってはならない恥辱!」
「由比さん……」

 困惑する父を見て、今度は義母が口を添えた。少し申し訳なさそうに、皆を見回してから、

「とにかく織人は、私生活が落ち着かなくて、母である私も心配しておりました。早く一人前の大人になり、仕事に集中してほしいのに。ですから、奈々子さんと結婚したいと報告してきた時、私どもは本当に嬉しかったのです」

 義母が私に向き直り、瞳をうるうるとさせた。義父も隣で、そのとおりとうなずいている。

「ああ、ようやく身を固める気になったのね、良かった……と。織人ときたら、『自分には理想がある。結婚相手は絶対に妥協しない』と言い張っておりましたから。見合い話も片っ端から断り続けて、取りつく島もなし。もしかしたら、はなから結婚しないつもりなのではと疑っていたのですよ」
「そのとおり、そのとおり。ですから、理想の相手が見つかったと聞かされて、私も妻も、この機会を逸してはならぬと急いだわけです」

 思わず織人さんを見上げた。
 ちょっと照れた感じで、私を見つめている。

「なるほど、そうだったんですね。だから、スピード結婚を」

 父が納得すると、義父と義母はどこか安堵した様子になる。

「ものの順序が違うと、不安になられたことと思います。こちらの都合ばかり押し付けてしまい、申し訳ありませんでした」

 頭を下げられ、私の家族が狼狽した。大月家のほうこそ、破格の好条件をつけてもらっている。それに、この結婚は確かに契約がらみではあるが……

 織人さんに熱く見つめられる私に、姉が素早くウインクした。
 最高じゃん、という合図である。

「お二人とも、頭を上げてください。私どもこそ、織人さんのような立派な方に娘を求められて、天にも昇る気持ちでした。そうだよな、母さん」
「ええ、ええ。本当に奈々子は果報者です。織人さんは礼儀正しく、お人柄も良く、その上経営の才覚に恵まれて、なにより熱意と行動力にあふれた素晴らしいお方ですわ。不束な娘ですが、どうぞ末永くよろしくお願い申し上げます」

 両親が立ち上がり、何度も頭を下げた。
 父母の織人さんへの褒め言葉は心からのものであり、それが通じたのかもしれない。
 いつしか義父はご機嫌になり、織人さんも笑みを見せている。

「いや、どうも親子喧嘩のようになってしまいました。お恥ずかしい」
「お茶を入れ直してもらいますね。あらためて、お話いたしましょう」

 義母が明るく仕切り直した。
 見ると、庭園に舞っていた雪が止み、冬の日差しがラウンジを穏やかに照らしはじめる。

(良かった……)

 お茶を飲み直す頃には、すっかり穏やかな雰囲気となり、顔合わせは終わりの時間に近づいていた。


「それでは大月さん。名残惜しいですが、今日はひとまず解散ですな」
「はい。しかしまた近いうちに、お会いしましょう」

 最後に、結婚の公式発表、商談の日程など確認したあと、両家はロビーに移り、別れの挨拶を交わした。

 私と織人さんはホテルの車寄せに立ち、それぞれの帰路に着く家族を見送った。

「ふう、無事に終わった」
「はい、織人さん」

 なんとなく目を合わせ、微笑み合う。
 
「初めての共同作業って感じだな」
「そうですね。ふふっ」

 織人さんの言葉はユーモラスで、だけど胸にしっくりときた。
 一つ一つ、一緒に乗り越えていく、この感覚は……

「よおし、これからは自由時間だ。行こうぜ、二人きりのデート!」
「あ、もう、待ってください」

 私たちは、確かに夫婦なのだ。
 元気いっぱいの彼に手を引かれ、次の目的地へと向かった。
 
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